■ 吟
D. 考 察
本遺跡では、畑跡の畝部 と畝間部 より採取された試料について分析 を行 った ところ、すべての試料よリイネの プラン ト・オパールが検出された。プラント・オパール密度は4,300〜6,200個 /gといずれも高い値であることかゝ ら、他所か らの混入の危険性 は考 えにくい。 また、イネ以外ではタケ亜科が非常に高い密度で認められ、ウシタ サ族 も随伴する一方、湿地 を好むヨシ属はまった く検出されていない。よって、本遺跡一帯は乾いた環境であっ たことが示唆される。 これ らのことか ら、本遺構は畑跡であり、 ここで稲が栽培 されていたものと判断される。
さて、一般に水田跡の分析調査 においては、イネのプラン ト。オパールが試料lgあた りおよそ5,000個以上の 密度で検出された場合に、そこで稲作が行われていた可能性が高い と判断している。一方、畑跡であれば判断の 基準 となるプラント・ オパール密度はこれよりも低い値 となる。すなわち、畑作ではある作物のあとに同一 また は近縁の作物を翌年 も続 けて栽培すると、連作障害をおこし生育が劣ることか ら、一般 に連作は行われない。こ れは稲についても同様である。 したがって、畑作で稲 を栽培 していた場合、水田作のようには毎年続けて栽培さ れることはないため、耕作土中に還元されるプラン ト・ オパールの量は当然少な くなる。 ところが、 ここでは畑 であるにもかかわらず検出されたイネのプラン ト・ オパール密度は高い値である。 このことか ら、本遺跡におい
表
48
武家屋敷跡第4地点におけるプラン ト・ オパール分析結果 Tab 48 List of plant opal from BK4検出密度 (単位:×1
分 類 群 \ 試 料 4 層
No l(畝)No 2(畝間)No3(畝)
イネ
キビ族(ヒエ属など)
ヨシ属
ウシクサ族(ススキ属な ど)
シバ属
タケ亜科(おもにネザサ節)
推定生産量 (単位 :rg/H12.cm)
イネ
1 183 131 126
(イネ羽D 1 064 0,46 044
:ラ
う 」 を ξ ξ :建 な ⊃ 10■ 4 M 聰
タケ亜科(おもにネザサ節
)1 182 274 214
ィ■4‐
︺ 生
yf
「=
100 μ rn
No 分
類
計 ナ也
デエ 試利 名
1
イネ
2
イネ
3
イネ
4
タ ケIII:科5
ウ シクサ族 (ススキ属)6
シバ
属
15ケ 澁1菊「1哲
No l
15ケ 滞市壁
No 2
71狂中央北 壁
No 3
15ケ 滞市壁
No 2
15号 滸 南吐
No l
15号‐澁1街
lI No 2
武 家 屋 敷 跡 第4地点 の植 物 珪 酸 体 (プラ ン ト 。オパ ール
)の
顕 微 鏡 写 真I「ig 102 Plant― opal fronl BKl 区]102
てはかな り長期間にわたって畑作が行われてお り、その間、稲 も数度 とな く作付 けられていた と考 えられ る。
なお、プラン ト・ オパール分析で同定が可能 な植物 の うち栽培種が含 まれ るものには、イネ以外ではヒエ・ ア ワ 。キビ等のキビ族、ハ トムギが含 まれ るジュズダマ属、 トウモロコシ属お よびムギ類等がある。 しか し、 これ らのプラン ト・ オパールはいずれ も検出されなかった。 したがって、本遺跡ではイネ科の穀類 としては稲 のみが 栽培 されていた と考 えられ る。ただ し、プラン ト・ オパール分析で同定 され る分類群 は主 にイネ科の植物 に限定 され、イモ類や野菜等の根菜類 は分析 の対象外 となっているため、 ここではこれ らが栽培 されていた可能性 につ いては言及で きない。
④
まとめ
仙台城跡二 の丸武家屋敷地 区の発掘調査 において検 出 された畑跡 とみ られ る遺構 よ り採取 された試料 につい て、花粉分析 とプラン ト・ オパール分析 をあわせて行 った。その結果、乾燥地 あるいは畑地 を好 む とされ る植物 の花粉化石お よびプラン ト・ オパールが検 出 された ことか ら、本遺構が畑跡であると判断 された。 そして、そこ では栽培植物 に由来す るもの としてイネをはじめソバ属、 ゴマな どの畑作物、 またアブラナやダイコン類 な どが 含 まれ るアブラナ科の植物化石が検出され、 これ らの作物が栽培 されていた もの と推定 された。なお、遺跡周辺 には人為性 の高いスギ、ニ ヨウマツ類、ナラ類の森林が分布 していた と推定 された。
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)水
田および群馬 。日 高遺跡 (弥生時代)水
田におけるイネ (0。 sat a L。)生
産総量の推定 一」『考古学 と自然科学』12 pp.29〜 41藤原宏志・ 杉 山真二 (1984)「プラン ト・ オパール分析法の基礎的研究(5)―プラン ト・ オパール分析 による水田 址の探査 ―」F考古学 と自然科学』17 pp.73〜85
(2)植
物遺体東北大学大学院理学研究科附属植物園
内
藤
俊
彦
仙台城二の丸北方武家屋敷跡第
4地
点か ら出上 した植物遺体 について調査 した。調査は肉眼 と立体顕微鏡及び ルーペ を用いて行 った。 その結果 は表49に示 した。この一覧表か らもわか るように、出上 した植物遺体 はオニグル ミ核果、 ウメ核果、スモモ核果、モモ核果、ツ バキ種子、クリ果皮断片、モ ミの果鱗、マツ球果、マツ球果中心柱、スギ種子、ハスの種子?、 種類不明小形種 子?、 モ ミの葉、スギ葉、アカマツ樹皮片、樹皮片不明、イネ科茎片であつた。オニグル ミの核果 については極 めて変化が多 く、極小形 の核果 も出土 した。
これ らの植物遺体 を発掘 した場所及び層順で検討 してみる と、次の ようである。
17世紀の
3号
池か らはウメ核果片が出上 した。17世紀末〜18世紀の
2号
池か らは、オニグル ミ核果、アカマツ樹皮片、樹種名不明の樹皮片、形か らしてハ ス の種子 ?と 思われ るものが出上 した。18世紀の
3号
井戸跡か らは埋±3層を中心 にオニグル ミ果皮片、スモモ核果、 ク リ果皮断片、 ツバ キ種子穴 あ き、ツバ キ果実、モ ミ果鱗、モ ミ葉、マツ球果が出土 している。幕末の
1号
池か らは、オニグル ミ核果、 ウメ核果、モモ核果、スギ種子、スギ葉、モ ミ葉、イネ科茎片が出土 した。これ らの植物遺体 の うち、オニグル ミの核果 は、調査地点の南 に位置す る二の丸 の外濠 (通称残飯沢
)の
斜面 に現在 もオニグル ミの林が成立 しているので、 この辺 りか ら飛来 した ものであろう。 また、モ ミの果鱗、スギ種 子、スギの葉等 はオニグル ミの核果 と同様、調査地点の南側の沢右岸 に大木が生育 しているので、 そこか ら風 に 乗 って飛来 した ものであろう。 ク リの果皮片 は3号
井戸か ら出土 しているが、武家屋敷地内に植 えられていた も のか ら由来 したのか、南側 の沢の自然林 にあった ものが何 らかの事情 によ りもた らされたのか は不明である。表
49
武家屋敷跡第4地点出上の植物遺体 Tab 49 List of plant remains from BK4 11]!葺芝≧■ 3民雪 種 類 不 明4`3号池D埋± 2 ウ メ
2号池 │ ニ グル ミ 阪小)、 ア カ マ ツ
2→ F明樹 片
4 種 類 不 明 核 果 片
!土不 明 ハ ス の 種 子?(形状 か ら,
3号井 戸 埋 ± 2 オニ グル R反片
3→〕 キ戸埋 ■3 モ ミ粟 、 ツ バ キ スモモ ク リ異 度 断 片 、 ツ クヾキ 果 実 、 マ ツ 球:
3 キテ耳弾≧三L3b/3c帰 ス モ モ モ ミ異 鱗
25号土 坑 オ ニ グル ミ
オニ グル ミ果 実 片、 マ ツ球果 中心柱2本 オニ グル ミ 果片1片、種類不明植物片
1号池埋±1層 オニグル ミ核果10個、オニグル ミ核果 (小形
)2個
、ウメ核果7個、 ウメ核果6片、モモ1個、スギ種子多 数、スギ葉、モ ミ葉、イネ科茎片、不明13
7.考
察(1)検
出遺構の検討①
絵図 との対比 による屋敷地の推定
仙台城下 の絵図の内、屋敷割 りが描かれ る絵図は、寛文年間以降の ものが残 ってお り、お もな
4枚
の絵図を図 103に示 した。この4枚
を比べ ると、細部 の表現 は異なる部分があるが、屋敷の形や道路 には大 きな変化 は認 め ら れない。現在 の沢沿 いの道路 はプール脇へ入 る所で方向を変 えているが、同様 の道路 の屈曲が これ らの絵図にも 見 られ る。この道路 の形 は沢の形状 に制約 された もの と考 えられ、大 き く位置が変わつていることは想定 し難い。今回の調査で、東西 の屋敷の境 と考 えられ るのは、
I期
では1号
溝、H期
では2号
池 あるいはその西端 の段差 と なる部分 と考 えられ る。 このI期・H期
の屋敷境 と考 えられ る遺構 は、ち ょうど道路の屈曲す る付近か ら北への びてお り、絵図の屋敷割 の記載 と一致 している。 また、元禄四・ 五年の絵図では、成田助之丞 の屋敷 の東側 に、崖 と考 えられ る表現がある。 これが調査区の東側 に、南東か ら北西 に走 る段丘崖 に対応する と考 えられ る。 した がって今回の調査区は、西端 を除 くと、図103の 1〜 4に矢印を付 けた屋敷 に対応す るもの と考 えられ る。
この
4枚
の絵図に見 られ る人名 をもとに、 それぞれの家格・ 禄高 を示 した ものが表50である。時期が新 しくな るほ ど家格 が高 くなる傾 向が あるが、いずれ も400石以上 の禄 高の者 で あ る。家格 でみ る と、平士 (虎の間)、①仙台城下絵図
寛文四年(1664)=大 立目脂監 元禄 四・ 五年(1691・92)=成田助之巫
武渾
p
韓HS(璃 エ