第 1 部 叙景詩解説
8. Matmaw réra 「北風」
Matnaw réra マッナウレラ 北風が
apaca eosma アパチャエオㇱマ 戸口から入ってくる
Urannisi ウランニシ 薄い雲が
kanto korikin カントコリキン 天にのぼっていく
歌い方
|Mat na|aw ré|ra ○|
|a pa|ca eos|ma ○|
|U ra|n ni|si ○|
|kan to|ko ri|kin ○|
出典:CD 『アイヌ・北方民族の芸能』(ビクターエンタテインメント)
「一、春採アイヌ リムセ5」Disc1-13(1954年録音)
冬の情景を詠んだ詩である。歌としても非常に調子がよく、あちこちで歌われている。
玄関(あるいは前庭)に北風が吹き込んでいる音が聞こえる。夏の厚い雲とはうってかわ って雲ひとつない秋空に灰やほこりが舞いあがっていった。そんな情景を歌ったものであ る。
99 内容
1 Matnaw réra 北風が
2 apaca eosma 戸口から入ってくる
3 Urannisi 薄い雲が
4 kanto korikin 天にのぼっていく
matnawマッナウ「北風」は寒々しい語である。田村すず子(1996)では語源をmata
マタ「冬」+mawマウ「風」とする。mata「冬」という語を含んでいるのであれば「冬 風」とでも訳したほうがよいかもしれない。
apacaアパチャ「戸口」は暖かい室内のことではない。mosemモセㇺと呼ばれる玄関部
分や前庭のことである。そこに北風が吹いていても部屋内が寒くなるわけではない。少し くらいは風が吹き込んでくるかもしれないが。伝統的な生活では1年中囲炉裏で火を焚い ており、少しでも寒ければ対策がとられる。地面に蓄熱するために本格的な冬が始まる数 か月前からしっかり火を焚いているから、室内が寒くなるわけではない。
urannisiウランニシ「薄い雲」はurar「霞(かすみ)」のnis(i)「雲」、つまり薄い雲の
ことである。灰やほこりが雲にたとえられている。
kanto korikinカントコリキン「天に立ち昇っている」はkanto「天」+korikin「に向
かってのぼっていく」。空にあるはずの雲について「天に立ち昇っている」と描写するの も美しい表現である。
典型的な叙景歌であり、起・承・転がうまく歌われている。すなわち、
起:風が吹く
承:外へ出る(ここの描写は省略されている)
転:灰やほこりが空に舞いあがる
である。静かな中に季節の移り変わりという時の流れがうまく歌われている。なお、外へ 出る場面は語られていないが、灰やほこりが空に舞い上がる様子は戸外の情景である。作 者の視点はまずは屋内にある(だからこそ風がeosmaエオㇱマ「入る」と表現される)。 風の音を聞いて外に出て行くのである。もしかしたら外に出たときにはもう灰やほこりは どこかへ飛んで行ってしまっているかもしれない(そこは風の音から想起された情景なの であるから)。つまりkanto korikin「空に立ち昇る」のは作者の視線である。その視線の
先にはkanto「空」、それも冬空(秋空)があるはずである。
100 詩法
1 Matnaw réra 2 apaca eosma 3 Urannisi 4 kanto korikin
第1行Matnaw réraと第2行apaca eosmaは母音の並びが近い不完全韻。
第1・2・4行は母音aによる頭韻。
第3行Urannisiのnisi、第4行kanto korikinのrikinは母音が同じ不完全韻。母音i による脚韻でもある。
第2・3行が声門閉鎖音による頭韻。
鑑賞
不完全韻が2組もあるが、不完全韻を成さない(すなわち残りの部分)uran-と
kantoko-もu-aに対してa-oという逆の母音配列に近い形となっていて美しい。ここまで
完全に押韻している詩は少なく、名作というべきである。だからこそ歌い継がれてきたの であろう。不完全韻は歌うときのフレーズで同じ位置にくる行中韻が中心となる。頭韻・
脚韻に加えて行中韻を示すと以下になる。
歌い方と行中韻
1 |Mat na|aw ré|ra ○|
2 |a pa|ca eos|ma ○|
3 |U ra|n ni|si ○|
4 |kan to|ko ri|kin ○|
こうしてみると、第2行の第4拍目が若干苦しいが、この詩が実に美しい母音配列になっ ていることがわかる。
101 リズム
ウポポ(座り歌・踊り歌)としての歌い方をはなれて詩句だけをみると、冒頭Matnaw が重音節2つで軽快な導入部となっている。
1 ●●○○ Matnaw réra 2 ○○○○●○ apaca eosma 3 ○●○○ Urannisi 4 ●○○○● kanto korikin
この詩は押韻からも内容からも、いかにもアイヌ韻文形式らしい2行単位が明確だが、
第2・4行の終わりに重音節を配置して繰り返しのリズムを出している。つまり、第1行 Matnawの行末はréraという軽音節2つだが、第2行apaca eosmaの行末はos-maとい う「重音節+軽音節」になっている。第3行Urannisiの行末は軽音節si、第4行kanto
korikinの行末は重音節kinである。
行中韻が多用されているため、歌うさいにもフレーズの繰り返しの印象が強い。歌うさ いには以下のように第1行のnawが軽音節2つ分(2拍)に分割され、第2行のeosが重 音節1つ分(1拍)にまとめられている。
歌い方とリズム
1 ●○○○○× |Mat na|aw ré|ra ○| 2 ○○○●○× |a pa|ca eos|ma ○| 3 ○○○○○× |U ra|n ni|si ○|
4 ●○○○●× |kan to|ko ri|kin ○|
第1・4フレーズ、つまり最初のフレーズと最後のフレーズの冒頭が重音節で軽快に入 る。また最後のフレーズの最終部にも重音節で強勢をおいて締める。また、第2・4フレ ーズの終りも重音節をおいて2行単位の区切りのリズムを演出する。それ以外の部分は軽 音節で穏やかに流す。全体が非常に整ったリズムである。
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