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第 1 部 叙景詩解説

10. 詩の内容的構成

詩全体は内容的には「起・承・転」とでもいうべき3部構成になっていることが多い。

より詳しくいえば「場所・動き・展開」である。「どこで・何が起きていて・それはどう いうことか」ということである。

Atuy so ka ta 海原の上で

E kay ya o kay ya 上手(かみて)で波頭がたち、下手(しもて)で波頭がたち

Okaykumaranke いっせいに波が砕け落ちる

(本書p52.「2. Atuy so ka ta」)

などはこの構造をよく表している。「海上で(起=場所)・波がたち(承=動き)・一気 に波が崩れる(転=展開)」である。叙事詩などの物語詩における4行1連でも、起・

承・転ではないにせよ、基本的には何らかの意味的まとまりをなしている。

10-2. 修辞法 (英語:rethoric

アイヌ叙景詩にはさまざまな修辞法が用いられている。総じて直接的な表現ではなく、

比喩的・間接的な表現が好まれる。あるべき明示的な語句がないとしても、たんに長い年 月の間に語句が脱落したというわけではない。ただ、隠喩・省略・含意などが多用されて いるため、現在では作詩時の意味が分からなくなってしまっていることが多い。

32 10-2-1. 隠喩 (英語:metaphor

物事を直接表現せず比喩を用いる。一部を用いて全体を表す(提喩)、全く異なる事物 を持ち出して同じ構造の別の事柄を表す(隠喩)などさまざまである。

Urar suye 霧をはらって

Ikamuy sinta 神の籠が

Atuy tunna 海を通って

Etunun paye 通って行く

(本書p68.「4. Urar suye」)

これは熊送り儀礼の際に子熊の霊魂が無事に神の世界に帰れるように、という歌であ

る。ikamuysinta「神の籠」が子熊を表す。つまり神の籠という想像上の「乗り物」で

「乗っている者と乗り物全体」を表す提喩である。「霧をはらって」というのは障害をの りこえて、あるいは無事に、という隠喩である。人間世界と神の世界の間にあるさまざま な障害や、道に迷ったりするトラブルを「霧」の一言で表す。これはまた、たんに熊送り だけを表すのではなく、世の中の苦難を乗り越えて生きていこうという歌でもある。

10-2-2. 省略 (英語:omission

詩句として直接発話せず省略されるが、聞き手は明確に理解できるようになっている。

Repun kaype 沖の波

kaype oka 波の後ろから

oniwen kamuy 恐ろしい神の

oniwen hawe 恐ろしい音が

sao sao ごうごう

(本書p62.「3. Repun kaype」)

この例ではoniwen hawe「恐ろしい音が」がsao「ごうごう」と言っているだけで、

hawean「音がする」などの形になっておらず、文法的には動詞が欠けている。

Sarkiusnay kotan サㇻキウㇱナイ村で

kotuymarewke 遠くに倒れている

(本書p102.「9. Sarkiusnay kotan」)

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この例では「何が倒れているのか」が明示されない。サㇻキウㇱナイ「葦が生えている 川」という地名から、倒れているのが葦だと分かるため省略されている。

10-2-3. 含意 (英語:implication

直接的には言及しないが、同じ文脈を共有していれば分かるような別の表現を用いる。

Aspet un cási アㇱペッ(ワㇱペッ)の館は

kanras kasi ketunke 屋根の柾がはがれて

hawwap punkar sararpa ブドウヅルでしめたところが見えてきた

(本書p92.「7. Aspet un cási」)

「屋根の柾がはがれて」というのは手入れが行き届いていないことを含意する。cási

「館」という語が用いられているのは、この家が大きいことを含意する。つまり建築時に は人手があったのに、今では人手がない、つまりその家が没落したことを含意している。

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