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第 1 部 叙景詩解説

5. Ayoro hoao kotan 「アヨロ村」

Ayoro howao kotan アヨロ ホワオ コタン アヨロ村の

mintar howao kasi ミンタㇻ ホワオ カシ 空き地の上で

osinot howao ranke オシノッ ホワオ ランケ いつも遊んでいる

kaye howao kaye カイェ ホワオ カイェ 行くな(?)行くな(?)

hoaoは意味のないかけ声

歌い方

|◆ |◆ |

|A yo|ro o|

|ho wa|o o|

|ko tan|(n) (n)|

|mi n|ta (a)r|

|ho wa|o o|

|ka si|(i) (i)|

|o si|no ot|

|ho wa|o o|

|ran ke|e e|

|ka ye|(e) (e)|

|ho wa|o o|

|ka ye|e e|

出典:『アイヌ語音声資料4 福満・鵡川の歌謡』(早稲田大学語学研究所、1987)p38, p69(付属カセットテープあるいは早稲田大学リポジトリ46

「アヨロ村」で何者かが遊んでいる、という歌である。日本放送協会編(1965)によれば 日高周辺の伝承である。内容については現在ではあまりよくわからなくなっているが、叙景 詩らしい組み立てになっている。この歌は半行で区切られていて、毎行の中間に「ホワオ」

というリフレインが挟まれている、変わった形式の歌である。

46 https://waseda.repo.nii.ac.jpから検索可能。該当項目は「福満・鵡川の歌謡:輪唱歌3」

「福満・鵡川の歌謡:輪唱歌9」。ファイル名は08.pdf, 009.mp3, 04-17.pdf, A04-018.mp3(2018年6月7日最終閲覧)

79 内容

Ayoro howao kotan アヨロ村の

mintar howao kasi 空き地の上で

osinot howao ranke いつも遊んでいる

kaye howao kaye 行くな(?)行くな(?)

日高地方に実在するアヨロという地名にまつわる歌であろうが、意味はもうあまり分か らないという 47。田村すゞ子(1987)の解説は、演者の平賀さたも氏の解釈によっている

48。それによれば遊んでいるのは人の精神のバランスを失わせる悪神らしい。アイヌ叙景詩 には、このように内容がよく分からなくなってしまった歌も多いが、それらも音からみると 非常に上手に出来ている。だからこそ歌い継がれているのであろう。

内容が分からなくなっているにしても、全体的には「場所→動き」という定型になってお り、伝統的な詩法がしっかり守られていたことがわかる。何者が踊っているのか、また何の ために踊っているのか、などは当時は自明だからこそ語られなかった。それも詩法である。

おそらく歌詞の一部、その「自明な踊り手」を示唆する部分が失われてしまったのであろう。

そしてそのせいで全体の正確な解釈が出来なくなってしまったものと思われるが、歌詞自 体は非常に上手く出来ている。

この詩を鑑賞する上では伝承されている部分だけでも十分である。アヨロ村の空き地が 歌われている。村の外れの空き地(たいていは川原である)は、儀礼が行われたりする空間 であり、いわば神々の空間である。もちろん、そこには普段は何者もいない(見えない)。

何もいないが、目に見えない存在はいる。あるいは、過去において何者かがいた。この詩は、

今目の前に見える風景と、見えない存在(あるいは過去)を重ねて歌う。そしてまた現在の 人々への呼びかけに戻る。短い中に時間と空間を行ったりきたりするダイナミズムがある。

これがアイヌ叙景詩の詩想である。

47 日本放送協会編(1965)p42「このアヨロ川と登別との間に『カムイ・ワッカ』(神の 飲水)という清水。「イマ・ニッ」(焼串)という立岩、更に岩崖に囲まれた砂浜があっ て、ここに昔六人の女神がいたという、カムイ・ミンダラ(神の広場)というところがあ る。この歌はこの付近を中心に胆振と日高とにあるので、この土地にある神々の伝説を歌 ったものであろうといわれている。」

48 田村すゞ子(1987)p39「古いウポポだという。歌詞の意味もよくわからなくなってい る。1971年8月に質問したときはサダモさんは次のように説明した。“天国から気違い

(ママ)の神様が降りてきて、部落(ママ)の人ら全部気違い(ママ)になって、はだか になって、歌うやらおどるやら、ものも食べずによ夜も昼も。そして踊って踊って踊りつ かれて、みな死んでしまった。”」

80 詩法

詩としての行でみると、最後の2行で-a-eの不完全韻の脚韻を踏んでいる。

1 Ayoro hoao kotan アヨロ村の

2 mintar hoao kasi 空き地の上で

3 osinot hoao ranke いつも遊んでいる

4 kay hoao kaye 行くな(?)行くな(?)

だが、行単位での押韻がみられない第1・2行にも、歌う際に重要となる半行単位では押 韻と行頭でのABBA形式の母音配列がなされている。

鑑賞

第1行の語句Ayoro kotan、第2行の語句mintar kasiは、母音がa-o-o-a, i-a-a-iであ り、口の開きが大きい母音を中央にしたシンメトリー配置になっている。

1 Ayoro hoao kotan アヨロ村の

2 mintar hoao kasi 空き地の上で

3 osinot hoao ranke いつも遊んでいる

4 kaye hoao kaye 行くな(?)行くな(?)

第3行以外は第2語kotan, kasi, kayeの語頭子音がkでそろっている。第3行では第

2語rankeの語頭子音がkではなく、非常にやわらかい印象のrになっているが、その代

わり第4行では第1語も第2語もどちらもkayeで語頭子音がkになっている。

1 Ayoro howao kotan アヨロ村の

2 mintar howao kasi 空き地の上で

3 osinot howao ranke いつも遊んでいる

4 kaye howao kaye 行くな(?)行くな(?)

81 リズムと歌い方

Ayoro howao kotan ○○○ ○○○ ○● アヨロ村の

mintar howao kasi ●● ○○○ ○○ 空き地の上で

osinot howao ranke ○○● ○○○ ●○ いつも遊んでいる

kaye howao kaye ○○ ○○○ ○○ 行くな(?)行くな(?)

この詩は各行が言語音としては各2語で4~5音節という、典型的なアイヌ語韻文の形式 だが、全行で2語の間にhowaoホワオというかけ声がはさまれた変則的な構成となってい る。歌うときには半行単位、つまり1単語、1かけ声ずつが実質上の1フレーズになる。か け声が毎行繰り返されるというのは神謡を思わせるが、このように中央部にリフレインが はさまれる形式は神謡にはみられない。

82 類例

音源がないが、知里真志保は3行1連で2連からなる類例を紹介している49

Ayoro kotan アヨロ村の広庭で

mintar kasi いつも神々が遊んでゐて

osinot ranke ピカピカ光る;

Karapto kotan カラプト村の広庭で

mintar kasi いつも神々が遊んでゐて

osinot ranke ピカピカ光る

(出典:知里真志保『アイヌ民俗研究資料 第二(謎・口遊び・唄)』(アチツク ミ ユーゼアム彙報第17、アチツクミューゼアム刊 1937年)(『知里真志保著作集 第 2巻』平凡社 1973)

Ayoro と karapto が不完全な韻となっている。身近なアヨロ村からはるか遠くの樺太に

展開するダイナミズムがある。

49 知里真志保(1937)p267。伝承地については不明だが「茲に輯めたupopoの大部分は 亡姉知里幸恵が祖母の口から採集して書残して置いたものを、私が整理して註釈を加えた ものである。」とあるので、幸恵の祖母モナㇱノウㇰが伝承していたものか。

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