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親隣義塾趣意書

4‑5親 隣 義 塾 賛 助 者 一 覧

│出身 歳 職 業 所属政党 │出身 量 職 業 所属政党

天主査伊左衛門 焚助者 愛 知 1863  1930  30衆 議 院 議 員 同盟倶楽部 鈴 木 監 遠 望者幼者 愛 媛 1829 1906 64衆議院議員 同鼠倶楽部 荒~精 賛助者 愛 知 1858 1896  3511軍人(予備役) 末 魔3ま恭 焚 助 者 愛 媛 1849 1896  44衆議院議員 無所属(7) 戦比奈知泉 賛 助 者 茨 城 1862 1939  31新 聞 記 者 杉浦重陀]1 焚 助 者 滋 賀 1855 1924 381 (衆議院議員)辞任

荒 谷 桂 吉 賛助者 秋田 1853  1934 40県会議員 同志倶楽部 杉江絹人 賛 助 者 ジャーナリスト

青山朗 常議員・害者劫巷 愛知 1848  1912  45軍人(予備役) 議員倶楽部 末 松 謙f 焚 助 者 福岡 1855 1920  38衆議院議員 無 所 属 楽 屋 品 三 焚助者 大阪 1830 1895  63衆 議 続 議 員 然 所 属 (6) 鈴木昌司 焚 助 者 新 潟 1841  1895  52衆 議 院 議 員 弥生倶楽部 j草地政敏 賛助者 鹿 児 島1858 1921  35衆 議 院 議 員 議員倶楽部 関戸党蔵 焚 助 者 茨 城 1844 1916  49衆 議 院 議 員 問箆倶楽部 安東九霊童 賛助者 大分 1825 1904 68衆議院議員 議員倶楽部 関信之助(介) 賛 助 者 茨 城 1853 1917 40衆 議 際 議 員 弥生倶楽部 井上角五郎 望者助者 広島 1860 1938  33衆議院議員 井 上 総 ]1烏種区 練 情 書 ・ 賛 幼 者 佐 賀 1828 1905  65根 密 説

岩崎半右衛門 賛助者 曾 我 祐 準 賛助者 福 岡 1844 1935 49貴族院議員

犬 養 毅 常議員・賛助主 銅山 1855 1932 38衆幾院議員 議 員 集 会 所 谷 千 域 童生頭・賛助者 高知 1837 1911  56貴族院議員 五 十 嵐 光 彰 賛助者 高島姦右衛門 会計主任・賛助事 東 京 1832 1914 61実 業 家

今井磯一郎 賛助者 愛 知 1841  1902  52衆議院議員 議 員 倶 楽 部 回口 !J~ 吉 賛助者 東 京 1855 1905  381 (衆議続議員)直後 予告冨財政事主新会(7) 牛島秀}郎 賛助者 佐 賀 (衆議院議員) 議員倶楽部 高因阜商 賛助者 東 京 1860 1938  33衆議院議員 議 員 集 会 所 徳 田 清 一 郎 賛助者 奈良 1848 1897 45衆 議 院 議 員 無 所 属 丹後区平 賛助者 新 潟 1855 1920 38衆議院議員 弥生倶楽部 大限隻f 陳情書・賛助建 佐 賀 1838 1922  55教 育 者 立 石 岐 賛助者 岡山 1847 1929  46衆議院議員 弥生倶楽部 小 笠 原 長 生 陳情書・賛助建 東 京 1867 1958  26軍人 武 石 敬 治 賛助者 秋田 1858 1904 35衆議院議員 弥生倶楽部 尾崎三良 害者助者 京都 1842 19151貴族院議員 帝国財政革新会 田口栄吉 賛 助 者

大東義徽 賛助者 滋賀 1842 1905 51衆議院議員 同盟倶楽部 詮 新 次 害者劫者 長 野 1842 1912  51貴族院議員

大須賀庸之助 3者幼者 千葉 1850 1906 43衆 議 税 務 員 同盟倶楽部 津田~道 賛助者 向山 1829 1903  64貴族院議員 議員倶楽部 尾 崎 行 雄 章者助者 神 奈 川1858 1954 35衆議院議員 議 員 集 会 所 富岡鎌之助 練情書・事者助者 宮城 1835 1916  581i電波院議員

小 山 正 武 賛助者 徳 富 猪 一 郎 賛 助 者 熊 本 1863 1957  30ジャーナリスト 大関育造 賛助者 山口 1856 1923  37衆議院議員 議 員 倶 楽 部 鳥 尾 小 弥 太 賛 助 者 山口 1847 1905  46貴族院議員 大声梧楼 賛助者 青 森 1858 1921 35 衆議続議~ 政 友 会 頭 山 満 賛 助 者 福岡 1855 1944 38思 想 家 小 海 武 雄 賛助者 福岡 1844 1926  49貴族続議員 中井弘 陳 情 書 ・ 賛 助 者 鹿 児 島1838 1894 55貴族院議員 大木喬任 賛助者 佐 賀 1832 1899 61枢 密 続 中江篤介 賛 助 者 高知 1847 1901  46思 想 家

小 笠 原 貞 信 賛助者 福島 1853 1903 40衆議院議員 弥 生 倶 楽 部 中村粥六 賛 助 者 長 野 1854 1929 39衆 議 続 議 員 同盟倶楽部 間関孤鹿 賛助者 福岡 1838 1906 55衆議院議員 弥生倶楽部 中島{雷1T 賛 助 者 高知 1846 1899 47衆議院議員

大井態太郎 賛助者 大分 1843 1922  501 (衆議院議員) 大日本協会 (6) 永井松右エ門 害者助者 愛 知 1853 1913  40衆議続議員 議員倶楽部(4) 大久保鍛作 賛助者 秋田 1850 1921  43衆議院議員 西 村 拾 三 賛 助 者 滋 賀 1843 1908  50官僚(農商務省)

小 原 迫 賛助者 岐阜 1842 1910 51衆議院議員 議 員 倶 楽 部 ニ悶是儀 害者助者 秋図 1850 1910  43衆 議 綜 議 員 勝 安 芳 陳情書・賛助率 東 京 1823 1899 70教 育 者 ニ償義弘 賛 助 者 京都 1859 1928  34貴淡路宅議員

河島醇 賛助者 鹿 児 島1847 1911  46衆議院議員 同盟倶楽部 沼間右源太 賛 助 者 秋岡 1861  1911  32衆議続議員 立憲改進党(7) 金 原 明 善 賛助者 官事問 1832 1923  61 地方名土 野出総三郎 賛 助 者 秋田 1859 1915 34衆議院議員 同志倶楽部 加 藤 平 四 郎 賛助者 矧山 1854 1935  39衆 議 院 議 員 弥生倶楽部 長 谷 川 泰 賛 助 者 福 井 1842 1912  51衆議院議員 同志倶楽部 柏問盛文 賛助者 鹿 児 島1851  1910 42衆議院議員 議 員 倶 楽 部 )11 賛 助 者 福岡 1832 1899 61官 僚

香 月 恕 経 賛助者 福岡 1842 1894 51衆 議 院 議 員 議 員 倶 楽 部 長 谷 場 純 孝 害者幼者 鹿 児 島1854 1912 39衆議院議員 同志倶楽部 )11村 純 義 賛幼者 鹿 児 島1836 1904 57秘 密 院 顧 問 官 東久世通需喜 賛 助 者 京都 1833 1912 60貴族院議員

北畠治湧 陳情書・賛助巷 奈良 1833 1921  60貴族続議長 立軍最改進党 鹿 瀬 貞 文 事者助者 大 分 1853 1914 40衆 議 院 議 員 議員侯楽部 北 関 文 兵 衛 焚助者 東京 1843 1923 50衆議院議員 実 業 団 体 平 林 九 兵 衛 賛 助 者 東 京 1837 1909  56衆 議 院 議 員 議員倶楽部 岸!33吟香 賛助者 岡山 1833 1905 60新 聞 記 者 船 坂 輿 兵 衛 賛 助 者 岐 阜 1857 1914 361 (衆議院議員) 問盟倶楽部 楠 本 正 隆 賛助者 長 崎 1838 1902 55衆議院議員 同盟倶楽部 主主亨 賛 助 者 東 京 1850 1901  43衆議院議員 弥生倶楽部(4) 楼 賓 賛助者 青 森 1857 1907  36ジャーナリスト 松村文次郎 賛 助 者 1 1839 1913 54衆 議 院 議 員 弥生倶楽部 楽原亮一 賛助者 三 重 1855 1911  38衆議院議員 自由党(7) 牧キト真 賛 助 者 長 崎 1854 1934 39衆議院議員 議 員 倶 楽 部 黒問調理彦 賛助者 岡山 1850 1913  43衆議院議員 議員倶楽部 松平{言五 賛 助 者 京都 1852 1909 41貴自主院議員

河野康中 陳情書・賛助護 福島 1849 1933  44衆議院議員 弥生倶楽部 三 浦 安 練十育委・賛助者 愛 媛 1829 1910 64貴族院議員 近 衛 鴛 鷹 陳情書・賛助巷 京都 1863 1904 30貴族院議員 三宅雄二郎 幹 事 ・ 賛 助 者 石川│ 1860 1945  33新 聞 記 者

小林中章雄 賛助者 岡山 1856 1920  37衆議院議員 向志倶楽部 宮口二郎 賛 助 者 群馬 1852 1930  41衆 議 院 議 員 弥生倶楽部 後 藤 敬 賛助者 兵 庫 1851  1911  42衆議綴議員 議員倶楽部 薬袋義一 賛 助 者 山梨 1855 1903  38衆議院議員 議員倶楽部 佐 々 友 房 常識員・賛助建 熊 本 1854 1920 39衆議税議員 議員倶楽部 三浦繕楼 賛 助 者 山口 1846 1926 47貴族院議員

坂本週一童話 賛幼者 秋田 1861  1917  321l際会議員 間志倶楽部 村 山 総 平 焚 助 者 三 重 1850 1933  43衆議院議員 大 阪 派 斎藤修一郎 賛助者 福 井 1855 1910 38官僚(農商務省次官) 武 者 伝 次 郎 賛 助 者 宮 減 1853 1917  40衆 議 続 議 員 弥生倶楽部 111粥二郎 賛助者・陳情謹 山口 1843 1900150  富良協会 森 岡 畠 純 賛 助 者 鹿 児 島1834 1898  59貴族院議員

柴 四 朗 常議員・賛助巷 千葉 1852 1922 41衆議院議員 │湾盟倶楽部 森 本 藤 吉 賛 助 者 奈 良 1850 1922  43衆 議 続 議 員 無 所 属 島悶三郎 賛助者 東 京 1852 1923 41衆議院議員 議 員 集 会 所 山国東次 害者助者 神 奈 川1858 1899  35衆 議 院 議 員 弥生倶楽郡 志賀箆昂 安 勃 者 愛 知 1863 1927  30新 聞 記 者 E車六派 八 尾 新 劫 賛 助 者 福 井 1861  1926 32実 業 家

重野謙次郎 賛助者 山形 1854 1930  39衆議院議員 弥生倶楽部 安 場 保 和 賛 助 者 熊 本 1835 1899 58責主主税議員 紫 藤 寛 治 賛 助 者 熊 本 1832 1897 61衆議院議員 国民協会 山田猪太郎 幹 事 ・ 賛 助 者 秋隠 1857 1906 361 (衆議院議員)

渋沢栄ー 賛助者 埼 玉 1840 1931  53実 業 家 和 問 彦 次 郎 賛 助 者 広島 1859 1939 341 (衆議院議員) 議員倶楽部 鈴木寓次郎 常議員・害者助巷 青 森 1860 1930  33衆議院議員 間五銭倶楽部

70 

71

新聞記事にもあるように、衆議院議員・貴族院議員など帝国議会議員が大半を占め、そ の平均年齢は

45

73)で中堅以降が中心となっている。政教社の乾坤社『日本』グループ、

国民協会など硬六派グループなど国権主義者が多くみられるのが、特徴である。

硬六派とは、条約励行、自主外交、耐清強硬などを主張した国民協会、改進党、同盟倶 楽部、政務調査会、同志倶楽部、東洋自由党が連合して多数派を形成した政治勢力のこと である。

1893(明治 26)年末の第五議会当時は、国民協会(議員数 66

名)、改進党(42名)、

同盟倶楽部(25名)、政務調査会(20名)、同志倶楽部(18名)、東洋自由党(4名)で、議員に して

175

名、議席数

300

の過半数を占める勢力であった74)。なかでも、近衛篤麿、品川彌二 郎、佐々友房、谷干城など当時 硬六派の代表ともいえる人物が名を連ねていることから わかるように、支援者の大半が国権主義的思想をもち合わせていたことが示されているの である。

⑥東邦協会の親隣義塾支援

親隣義塾の創立事務所は、東邦協会内に置かれたことは前述した。しかし当初は、東邦 協会の支援を受けずに朴泳孝独自に学校経営を進めていく予定であった。1893(明治

26)年 8

30

日掲載の『読売新聞』75)に「陳情書」が掲載されているが、東邦協会配布と内容は同 一であるが、署名人が勝安房、三浦安、副島種臣の三名のみになっている。もちろん、こ の記事上では東邦協会、親隣義塾との記述はなく、「材ヲ養フノ一端トナラン」と朝鮮のた めの教育を表明しているのみである。半月後に再びこの学校設立計画の動向が掲載される。

朝鮮亡命客の朴泳孝氏は目下京都洛北の相國寺に在り曩に氏の陳情書なるもの出づる や氏は京都府有志者の盡力の為に揮毫することとなりし今や氏の揮毫を請う者引きも きらざる由尚氏は潤筆料五千圓に達するを待って一學校を京都に興し故国の子弟を招 致して陳情書の目的を達する計画なりと云う(『読売新聞』

1893(明治 26)年 9

18

日)

72

資金は揮毫によって集め、京都に学校を建てることが朴泳孝の計画であった。しかし状 況は一変し、急遽東邦協会が支援をすることになったようである。

神戸に滞在せし氏は朝鮮子弟招致の件に付き東邦協會より飛報に接し昨日帰京せり

(『読売新聞』1893(明治

26)年 10

29

日)

わずか

1

か月の間に東邦協会内で、誰がどのような話合いをし、東邦協会が支援するこ とになったのかの経緯は、評議会議事録にも記録がなく不明である。確かに言えることは、

東邦協会が支援を決定し、朴泳孝がそれを受け入れたということである。

朴泳孝にとって、東邦協会から支援してもらうことは、大きなメリットであった。私学 校とはいえ、資金は不可欠である。揮毫の書を贈ることによって資金調達するということ は、決して効率が良いといえるものではない76)。◎親隣義塾規則第四條に 「本塾ノ資金ハ 賛助金ヲ以テ之ニ充ツ、但賛助金ハ六圓以上トシ一時若クハ數回ニ收ムルモ妨ケナシ賛助 員ニ非サルモ本塾ノ擧ヲ賛成シ義捐ヲナスモノハ此限ニアラス」とあり、記載されている 賛助員だけでも

119

名あり、東邦協会の支援によって、一時に

714

円の資金を調達するこ とができたのである。しかし、資金調達という一側面では、他の会に頼ることも可能であ ったはずである。確かに、亜細亜協会77)に支援を依頼することも、また福沢が中心となって 組織していた交詢社に依頼することもその選択肢としてはあったのかもしれない。結果的 に、東邦協会を選択したのには、日本の外交政策に何らかの影響を与えることが可能な団 体と判断したのではないであろうか78)。東邦協会の会員構成は、政治家、新聞記者、軍関係 者、清国公使、朝鮮公使など、多岐にわたる属性から構成されている79)。主な人物だけでも、

伊藤博文、後藤象二郎、近衛篤麿、板垣退助、伊東巳代治、犬養毅など、政界の主要な人 物も多く含まれおり、オピニオンリーダーとして影響力を発揮できる多くの人物が会員と なっていた。会員数も日を追うごとに増加し80)、巨大組織へと膨れ上がっていった東邦協会 に政治的影響力を期待することは当然の流れであったであろう。

⑦東邦協会支援の目的

もちろん、朴泳孝が受けるメリットばかりではない。東邦協会側にも、支援することに はメリットがあった。

東邦協会は、設立当初から「東邦協会事業順序」として、「東邦協会設置趣旨」を具体化 するには、どのような活動をしていくべきかを、箇条書きにして取り決めていた81)。その中 に、「第六条 本会は講究の附属として一の学館を設け本会の目的に従ひ之に応すへき人材 を養成すへし」とあり、人材養成の必要性を謳っており、私学校を支援することは理に適 っていた。また、東邦協会として設立していた露西亜語学校も新入生を迎えることもなく、

1894

(明治

27)年 1

月の卒業式と同時に終焉を迎えることになっていたので、事業継続のた