• 検索結果がありません。

長子であることのもつ意味: 「保障」から「リスク」へ

第 5 章 きょうだい構成が結婚行動に与える影響とその趨勢

6.2 日本社会における社会移動と出生順位の関連とそのゆくえ

6.2.1 長子であることのもつ意味: 「保障」から「リスク」へ

本研究全体の問いは,「戦後の日本社会において,社会移動に対するきょうだ い構成の影響は消失したのか.消失したならばそれはいつか.」であった.実証 分析の結果を要約してこの問いへ答えるならば,①社会移動に対するきょうだ い構成の影響は,個人的移動については消失傾向にあるが,家族的移動につい ては従来と逆向きの影響があらわれ,②その変化のタイミングは高度成長期以 降であるということになる.この答えより本研究では,戦後日本社会は長男や 男性きょうだいのいない長女に生まれることが「保障」から「リスク」へと変 化してきた社会だと総括する.

「家」制度のもとで家督を継承し家系存続の役割を担った長男や,婿養子を とって家系をつなぐことを期待された長女に対しては,他のきょうだい員とは 異なる予期的社会化,資源配分が行われてきた.長男や長女がかならずしも第 1 子であるとは限らないが,多くの場合には彼らのうちいずれかが第 1 子であ る.きょうだい内で最初に生まれることは,きょうだい内で親の関心を一心に 受けとることのできる唯一の存在であることを意味する(依田 1990).

また,加齢にともなって学校教育を受ける段階になれば,長子は常にきょう だい内の誰よりも先に,そのための資源を享受することができる存在ともなる.

それが,結果的にきょうだい内でもっとも高い学歴を得やすくなることにもつ

140 ながっている.

そしてとりわけ戦前の長男は,将来的には親が営む家業を継承するとともに,

職業だけでなく財産も継承し,結婚適齢期になれば結婚相手のマッチングも親 によって行われた.長女についても,結婚相手は優先的に見繕われた.親と違 う職業に就きたいとか,必ず恋愛結婚したいという場合には,長子であること は制約となっただろう.そのような制約はあれども,経済的側面でも家族形成 の側面でも,それについての保障がより強固になされていることを考慮すれば

(極端な表現をすれば,一文無しになったり結婚を望んでも結婚相手が見つけ られずに一生を終えるような状況に比べれば),長子に生まれることは制約よ りもむしろメリットととらえられる場合が多かったといえる.

ところが戦後の民法改正による「家」制度の廃止により,長男が単独で相続 をすることが絶対ではなくなった.つまり,長男は長男であることのメリット を失ったが,同時にその制約からも解放されたのである.きょうだいは生まれ た瞬間に水路づけがなされた拘束的状況から解放され,長子も他のきょうだい 員と同じスタートラインに立って好きな道を走ることができる,すなわち開放 的な社会移動が実現可能となった.次三男や次三女よりも絶対的な出生順位が 早いゆえに高い学歴を得るチャンスが大きいことを鑑みれば,むしろ長男の方 が他のきょうだい員よりも自由に,しかもより高い地位への移動をしやすくな ることも考えられる.すると長男であることは,単独相続にもとづいた長子優 遇がなくなったとしても,きょうだい内で比べればその後のライフコースにお いて優位であり,開放的であるといえる.

しかし実際には,長男が開放的であるとは言い難い状況が生じた.少子化に よるきょうだい規模の縮小,見合い結婚の衰退によって,長子であることが相 対的に不利な様相を呈し始めたのである.きょうだい規模の縮小には,親が子 どもに可能な範囲で平等な資源配分を実現することを望むような,選択的な家 族形成も一役買っている.それゆえに,高等教育の大衆化が進んだ近年の日本 社会においては,きょうだい内における学歴格差の縮小がもたらされている.

しかしその一方で,長男は以前と変わらず親と同じ職業階層に入りやすく,老 親扶養も長男が担うケースが多い(湯沢 1998).背後にあるのは戦前から脈々 と受け継がれてきた直系制家族的規範に他ならず,たとえ法制度上義務でなく

141

なったとしても,そのような出生順位による役割規定の構造には変化がみられ ない.

そして見合い結婚から恋愛結婚へと主流となる結婚メカニズムが変容してい くなかで,実質的な「家」に拘束された,あるいは後に拘束される可能性の高 い長男や長女は,配偶者候補としては避けられがちな存在となった.適齢期が 来ればしかるべき相手を見合いによって探し,結婚するという流れのなかでは,

家系存続の役割を担う長男や長女は優先的に相手を見つけてもらえたし,結婚 後は家産を相続するという点で,離家するきょうだい員よりは生活の目途が立 ちやすかった.しかし近年では,そのような「十分な保障」がもてはやされる 状態にはあらず,将来的に個人の生活に制約をかける「リスク」の方が大きく 感じられるようになったと考えられ,それゆえに長子の結婚が遅くなっている ことが想定される.

本研究では長子であることが「リスク」と認識されていることを主張してい るが,同じように家族形成や家族それ自体を「リスク」としてとらえる視点は,

山田(2001)によっても提示されている.山田は,産業成長期とそれ以降で,

家族のリスクの根源になるものが質的に変化しているという.高度成長期まで の日本においては,基本的な生活の水準がそれ以降の時代と比較して低かった.

したがって,家族が困窮したり家族生活の困難性が高まるような状況は,家族 と社会を経済的につないでいる,家族外からの収入の減少によってもたらされ ていたという.当時はきょうだい数も多く,経済的資源の多寡が生活の質に直 結する度合いが強かったこともあり,女性にとっては結婚が豊かな生活への移 行チャンスとして位置づけられ,家族のリスクは外部からもたらされるもので あるとされた.

それに対して産業成長期以降現在までの日本社会では,家族のリスクの根源 は家族内部にあるという.産業成長期のあとで産業転換期をむかえるころには,

人々の生活は既に一定程度の水準を満たしており,その基盤のうえでさらに生 活の質を高めることが希求されていた.そうなると,自分の生活水準を低下さ せる可能性のあるライフイベントがリスクと認識されるようになる.

たとえば結婚や出産による家族形成は,それまでの安定的な定位家族内での 生活や他者との依存‐非依存の度合いの低い単身生活から,配偶者や子どもと

142

の家族生活への移行による負担が増すことを意味する.また,家族成員内に要 介護者が発生すれば,介護に割く経済的資源や時間,労力が増えるために,そ れまでよりも生活の水準が下がることにつながる.このように家族成員が自分 に依存してくる度合いが高いことは,個人の生活のリスクが大きくなるという ことに他ならないのである.

本研究が主張する,「長子=リスク」という認識の根拠は,上述のように家族 内部からリスクが発生すると想定されることより導かれている.これを前提と し,以下ではなぜ長子であることが「リスク」となりうるのか,関連が深いと 思われる社会保障システムや家族構造の変動の視点から考察していく.