*奏辮とは,林則徐が道光帝に上奏した上奏文
*沓 とは,林則徐と対等の官廉相互間に用いられる公文
【註】
(1)巡撫とは,官名。総督の次に位し,1省の民治兵制を掌り,職権は非常に重かった。
兵部侍郎,或いは副都御史の街を兼ねた(『清會典事例』吏部,官制)。
(2)『清國行政法』第1巻下(第4章「地方官磨」第4款「巡撫」) (汲古書院,1972 年)引用。
(3)梁章鉦とは,清,福建長楽の人。字は闊中,藍林(苗鄭)。號は退巷,古瓦研齊。嘉 慶の進士。官は道光の間,江蘇巡撫,兼爾江総督に至った(『清史列傅』巻38)。
(4)呉邦慶とは,清,覇州の人。字は霧峯。嘉慶の進士。河東河道総督となり,河工の 諸弊を革除したが,尋いで事に坐して職を免ぜられた(『清史稿』巻389)。
(5)鍾群とは,清,漢軍鑛黄旗人。嘉慶の進士。官は道光中,閲漸総督,河東河道総督 であった(『清史列傅』巻38)。
(6)桃汎とは,清明目(陽暦4月5、6日)以後20目間の出水をいう(前掲『中國河工
辮源』)。
(7)曹河とは,山東省にある河と考えられる。詳細は不明である。
(8)糧河とは,山東省にある河と考えられる。詳細は不明である。
(9)泉河磨戴村とは,地名。山東省波上縣東北にある戴村埼のことである(上海辞需出 版社『中国古今地名大辞典』2005年)。
(10)濾水塙とは,鯨水吐のことである(前掲『中國河工辟源』)。
(11)坂面とは,堤防の法面のことである(前掲『中國河工辞源』)。
(12)坦坂とは,堤防の法面のことである(前掲『中國河工辞源』)。
(13)跣水とは,決潰した堤防をいう(前掲『中國河工辮源』)。
(14)東平州とは,山東省泰安府にある東平州をいう(『讃史方輿紀要』克州府,東平州)。
(15)波水とは,山東の運河の上流。運河に注ぐ。即ち波河のことである(『漢書』地理志)。
(16)施護砕石とは,砕石をなげうち護る煽のことで,砕石を積み重ねて作る塙をいう(前 掲『中國河工辞源』)。
(17)矯とは,覇ともいい,強制の意。水を止めて,乏溢せしめざる所以をいう(前掲『中 國河工群源』)。
(18)南河とは,清代,漕運総督の治めた所をいう。徐州道並に准揚海道所管の黄河,邸 宿運河,山清高寳運河は皆之に属している(『清會典』工部)。
(19)蘭儀磨柴煽とは,地名。山東省縢州市南部にある(前掲『中国古今地名大辞典』)。
(20)帰とは,堤防の保護物として用いられ,又決潰箇所の締切にも使用される(前掲『中 國河工辮源』)。
(21)下北磨とは,地名。山東省にあると考えられる。詳細は不明である。
(22)員弁とは,文武の官員のことである(『清會典事例』兵部,職制)。
(23)兵夫とは,軍労に服役する人夫のことである(『六部成語』兵部,愈取兵夫,注解)。
(24)歳料とは,毎年行われる堤防修復工事に用いられる資材をいう(前掲『中國河工鮮
源』)。
(25)蘭儀磨票家櫻とは,地名。山東省梁山縣西北にある察棲のことである(前掲『中国 古今地名大辞典』)。
(26)瓢鳴鶴とは,人名。詳細は不明である。
(27)探とは,城壁や塀の強度を増すために一定距離ごとに厚く築いてある部分のことで ある(愛知大学中目大辞典編纂処編『中日大畔典』中日大辞典刊行会,昭和55年)。
(28)張井とは,人名。開蹄道に任命された。詳細は不明である。
(29)徐受茎とは,人名。克折道に任命された。詳細は不明である。
(30)清明とは,24節の1。陰暦3月の節。春分から15目目で,4.月5目,或いは6目に 当る(前掲『大漢和辞典』)。
(31)春鑛帰工とは,春工であり,歳修の別名。即ち歳修は多く春季に行うを以て春工と もいう(前掲『中國河工辞源』)。
(32)減水間座とは,閥(水門)の水を減らすことをいう(前掲『中國河工辞源』)。
(33)緯挽とは,浅瀬の河川で両岸から縄などで舟を引っ張り誘導することをいう(『福 恵全書』郵政部,船夫車騙)。
(34)濟字七號とは,山東省濟寧州にある工事箇所の名称と考えられる。
(35)土方とは,長さ1丈(3.2m),高さ1尺(32cm)の土塊をいう。これを積んで河水 の氾濫を防ぐに用いる。体積は凡そ3.28㎡となる(『清會典事例』工部,水利,各 省江防)。
(36)鈍嘉とは,山東省曹州府巨野と山東省濟寧州嘉祥をいう(『讃史方輿紀要』山東,
克州府,清寧州)。
(37)蜀山湖とは,山東省波上縣の西南にある(『讃史方輿紀要』山東,克州府,東平州,
波上縣)。
(38)濟運とは,漕運を円滑にすることをいう(星斌夫『清史稿漕運志謹註』昭和37年)。
(39)嘉字十八、二十及二十七號とは,山東省嘉祥にある工事箇所の名称と考えられる。
(40)人夫とは,使役に服する者。公の仕事に使われた民。夫役を課せられた民。荷物運 搬,又は土木工事の手伝いなどをする労働者を指している(前掲『大漢和辞典』)。
(41)柳城とは,山東省東昌府聯城をいう(『清史稿』地理志)。
(42)堂博とは,山東省東昌府にある堂邑と博平をいう(『清史稿』地理志)。
(43)聯字四號とは,山東省聯城にある工事箇所の名称と考えられる。
(44)臨清とは,山東省清平縣の西。縣城は運河の東岸に臨んでいる(『讃史方輿紀要』山 東,東昌府,臨清州)。
(45)民堰とは,民間にて管理する堰のことである(前掲『中國河工辞源』)。
(46)鐡窩戸とは,地名。山東省にあると考えられる。詳細は不明である。
(47)挑水墳とは,最も流れがつき当る所。堤防にほぼ直角に長く横に出ている(前掲『中 國河工辞源』)。
(48)下河磨夏津況渡口騨とは,山東省夏津縣中部にある夏津鎮である(前掲『中国古今 地名大辞典』)。
(49)甲馬螢況恩縣四夏荘とは,山東省平原縣にある恩縣である(前掲『中国古今地名大
辞典』)。
(50)徳州第九屯とは,地名。詳細は不明である。
(51)伽河とは,江蘇省徐州府の運河に注ぎ込む河のことをいう(『讃史方輿紀要』山東,
克州府折州)。
(52)縢とは,山東省克州府にある縢縣をいう(『讃史方輿紀要』山東,克州府)。
(53)金門とは,破堤箇所に於て,最後迄残してある口をいう(前掲『中國河工辞源』)。
(54)由身とは,由の長さをいい,堤防の保護物として用いられ,又決潰箇所の締切にも 使用せらる。高さ1尺(32cm)より4尺(1m28c皿)のもの。杭,縄,粗朶を聯結 して,岸を保護するものをいう(前掲『中國河工鮮源』)。
(55)雁翅とは,魚鱗塙(流水が岸につきあたる所に設け,3乃至5或は10個位を連続し て作り,その形が魚鱗の如きもの)と大同小異なるも,一般に数多きものをいう(前 掲『中國河工辞源』)。
(56)石探とは,石が積み重ねられていることをいう(『一切経音義』12)。
(57)萬年栃とは,河工に使用する角材と考えられる。
(58)椿とは,5尺(1m60c皿)以上の杭を椿という(前掲『中國河工鮮源』)。
(59)繹とは,縣名。山東省臨活縣の西にある(『清史稿』地理志)。
(60〉澤字五號とは,工事箇所の名称と考えられる。
(61〉提頂とは,堤防の天端のことである(前掲『中國河工酢源』)。
(62)司庫とは,官名。武器,財寳等の出納を掌る(『唐書』百官志二)。
(63)唯寧とは,江蘇省北部にある唯寧である(前掲『中国古今地名大辞典』)。
(64)挑煽とは,註(47)に同じ。
(65)正料とは,土,石,碑,楷を正料という(前掲『中國河工辞源』)。
(66)雑料とは,椿木,黄料,青森,綾蘇,褒穰,竹績,鐵績等を雑料という(前掲『中 國河工鮮源』)。
(67)道台とは,地方長官の一っである。清代一省内の糧儲,監法,駅逓,兵備,海關又 は巡守等の事務を管理し,各府縣の政務を監察した(『清國行政法』地方官磨,本 部総論,行政匹劃及地方官磨)。
(68)上南河磨榮澤汎とは,地名。詳細は不明である。
(69)蕾阻とは,古い堤防のことをいう(前掲『中國河工辞源』)。
(70)奮掃とは,古い掃のことをいう(前掲『中國河工辟源』)。
(71)霜降とは,季節の名。24氣の1.秋の末で甘露の次に来る。陽暦10月23目頃に当 る(『國語』周語中)。
(72)爽塘とは,水の突き当たる所に於いて,その外側に作った堤防のことをいう(前掲 『中國河工群源』)。
(73)商虞とは,河南省婦徳府にある商丘と虞城をいう(『讃史方輿紀要』河南,蹄徳府)。
(74)虞城とは,河南省蹄徳府にある虞城をいう(『讃史方輿紀要』河南,蹄徳府)。
(75)長坦とは,詳細は不明だが,道光12年4月15日では,開蹄道台に任命されている。
(76)工部とは,官署の名。六部の一。螢造工作の事を掌る。清代は尚書滞漢各一人,左 右侍郎各一人を置き,其の下に螢繕,虞衡,都水,屯田の四清吏司が付属し,主と して土木工事の監督,軍需品,弾薬の製造,宮廷及び官用の器物・船舶の製作等を 掌った(『清會典』工部)。
(77)三況とは,桃汎,伏汎,秋汎をいう。桃汎は清明目(陽暦4,月5,6目)以後20目 間の出水であり,伏況は初伏目(陽暦4月25,26日)より立秋(陽暦8月8日)ま での出水であり,秋沃は伏汎以後(陽暦8月8目以後)の出水をいう(前掲『中國
河工辞源』)。
(78)歳槍修とは,毎年定めて行う修築工事で,緊急を要するものをいう(前掲『中國河 工辟源』〉。
(79)輩とは,目録。明細書。決算書。送り状。積荷目録のことである(『清會典事例』戸 部,關税,考霰)。
(80)霜清とは,11月をいう(前掲『大漢和鮮典』)。
(81)渠とは,みぞをいう(前掲『大漢和辞典』)。
(82)清輩とは,註(79)に同じ。
第2節 不正官僚の粛正
江蘇巡撫においても,道光帝が林則徐に期待していることは,不正官僚の粛正である。
その官僚層の腐敗が最も顕著に現れた地域の一つは,江蘇省である。この江蘇省に林則徐 は道光3(1823)年に江蘇按察使(1)に任命されて以来,江蘇布政使署理(2),両准塩政署 理(3),江寧布政使(4),湖北布政使(5)と江蘇省を歴任した後,道光12(1832)年からは 江蘇巡撫を5年間も勤めた。林則徐が道光帝から河東河道総督,江蘇巡撫に任命された理 由は官僚層の腐敗の排除に重点が置かれていたことは,すでに述べた通りである。
この節においても,林則徐の不正官僚の粛正について,上奏文を史料として考察してい
きたい。
(1)河南省商虞臆料壕焼失問題
『林則徐集』24〜26頁には,以下の史料がある。
「査勘豫省商虞磨料探被焼分別 理摺」(道光十二年二月二十七目)
奏爲豫省商虞磨料探被焼,巳飾該磨賠補足敷,並將防況守廠各弁兵分別降革筋審,務 究起火根由,獲犯懲 ,以傲悪習而重工儲,恭摺奏祈聖竪事:
霜臣來豫査料,於二月初七目行至開婦道属之上南磨工次,接擦商虞通判沈賜恩稟 稻: 虞城上汎十六塗底廠存楷一百六十壕,於二月初二日三更時分忽報失火,當即趨 往撲救,正値風大火急,被焼五十六探 等情。臣査河工楷料,董束皆關國努,理慮嚴 密防護,不容稻有疏虞,乃適値臣來工験料之時,忽報失火,恐因料物本未購足,籍端 捏飾,尤覧情節可疑。當即嚴批開蹄道:先飾該磨勒限賠補,務於臣到工以前起補足敷,
堆貯候験,不得照依尋常例限寛侯一年賠完1如験時短少虚霧,或査有捏情,定即從重 参 去後。旋於二月十九目接稟賠補齊全。
臣行至該磨,逐壕丈量,折束過稻,實係買補足敷,斤重無差,且成色均驕鮮明,
尺寸尤多出額。臣當即親至焼料庭所履勘形跡。該廠在南岸之南,地居底路,本属空膿,
不與民居相連,四面控有溝濠,前設柵門以時啓閉,原足以資防範。且経専派記名外委 兵丁韓松茂等三名在廠看守,並按蕾章,交付該汎分防外委張奇亮、額外外委呉相臨往 來防護,該磨螢亦以時巡査如果管廠弁兵愼守柵門,不許間人檀入,何致有被焼之事?
是典守之責已不能辞。
且臣訪聞黄河雨岸遙東一帯,分隷河南蹄徳、山東曹州,匪類出没,向有放火焼壕 悪習,畳経前河臣具奏在案。其放火之故,或因愉料被學,或因他事挾嫌,並有在廠之 人監守自盗焚焼滅跡者。又査商虞磨購料,向派河螢弁兵分壕領買,而春問料債比年前 倍爲昂貴,妊猜之徒,明知料壕被焼,例磨磨員賠買,更可橿債居奇。是以焼壕之案,
在督道將次臨工者十居八九,乗急圖害,獲利倍多。而秣楷本爲焼煙之用,見火即燃,