併聲明。
所有微臣感激下枕,謹繕摺叩謝天恩,伏所皇上聖堕。謹奏。
道光12(1832〉年2月24目の上奏文では,林則徐は道光帝に江蘇巡撫の転任について道 光帝に感謝することを上奏している。
林則徐が河東河道総督から江蘇巡撫に着任するまで,梁章鈍(3)が江蘇巡撫の代理をし,
河東河道総督に呉邦慶(4)が着任した。林則徐は呉邦慶の到着後,江蘇省に赴き江蘇巡撫に 着任し,呉邦慶は鍾群(5)の到着後,河東河道総督に着任した。
江蘇巡撫は,刑銭(司法財政)を管理し,長江南北を統轄する重大な職責があり,その 職責を全うすることを道光帝に誓っている。
また,新河東河道総督の呉邦慶が到着するまでに,桃況(4月5,6日から20目間の出 水)(6)がまもなくやってくるので,林則徐は黄河に自ら留まって工事箇所を防守し,いさ
さかも怠らないで仕事をすると上奏している。各磨の資材の調査にっいては,山東省の曹 河(7),糧河(8)2磨の調査がまだ終了していないので,3、4目内に終了し,報告すると述 べている。
(2)山東泉河磨戴村溝水堀の工事
『林則徐集』28〜29頁には,以下の史料がある。
「山東泉河廉戴村猿水煽等工折修完竣摺j(道光十二年三月十一日)
奏爲査明上年東省泉河磨東平州況戴村猿水煽披面、坦坂、跣水等工折修完竣,謹將作 過工段需用例鴛償銀,循例繕具清輩,恭摺奏所聖豊事=
霜接山東運河道李恩繹呈稻: 泉河磨東平州汎戴村演水埼,原長二十二丈二尺,
寛二丈四尺,高五尺,爲欄遇波水、南北濟運關鍵。除河面寛一丈二尺尚属完整外,其 南首塙身長十五丈八尺,寛一丈二尺,高五尺,披面、坦披、跣水等工,自嘉慶十六年 修 之後,歴経波水衝撃,以致全行場卸,椿木朽腐,亟磨照薔折修,以資欄禦。並因 煽下跣成防:塘,用土填塾,上面打築三合土一埋,厚三尺,除選用善石外,添佑料匠夫 工,共需例轍慣銀六千二百三十九爾二銭零,経前河臣於上年春間彙案奏請棲襲山東司 庫銀雨 理,奉旨允准,欽遵筋 在案。 嗣擦該磨具報完工,由該道査験,照佑如式,
折修堅整,開送印摺前來。臣覆霰無異。
除男疏題報外,謹循例霰繕清輩,恭摺具奏,伏乞皇上聖墾,救部存霰施行。謹奏。
道光12(1832)年3月ll目の上奏文では,林則徐は道光帝に山東泉河磨戴村(9)【図12】
演水塙(lo)【図13】等の披面(堤防の法面)(ll),坦披(堤防の法面)(12),跣水(決壊した 堤防)(13)の工事を修理し完了したことを上奏している。
山東運河道の李恩繹によると,泉河磨東平州(14)汎戴村の演水塙は,長さ22丈2尺(71m 4c皿),広さ2丈4尺(7m68cm),高さ5尺(lm60c皿)あり,山東省にある波水(15)が南 北を遮っており,運河の鍵となる所である。南頭の嬬は長さ15丈8尺(50m56cm)あり,
広さ1丈2尺(3m84cm),高さ5尺(1m60c皿)あり,披面,坦披,跣水の工事は嘉慶16
(1811)年に修復した後,しばしば波水が衝撃し,よって全ての演水煽が決壊し,早急に 工事が必要である。工事費として銀6,239両2銭を求めるとあり,林則徐はこの状況を引 き継いで,早急に修理にかかり,堅実なものすると上奏している。
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