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軍事業務に関わる江蘇巡撫林則徐

ドキュメント内 林則徐の黄河・運河治水事業について (ページ 80-85)

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第4節  軍事業務に関わる江蘇巡撫林則徐

第4節では,治水に関わる林則徐だけでなく,黄河治水に関連して軍事にも携わってい た林則徐について述べる。

そもそも巡撫の職権として,『清國行政法』第1巻下に,

 巡撫ハ皆手下二若干ノ軍隊ヲ有ス名ツケテ撫標ト云フ巡撫力之二封スル節制権ヲ有ス  ルコトハ勿論ナレトモ此二兵馬ノ権ト云フハー省内二於ケル緑螢全饅即チ提督ノ統率  二係ル軍隊ノ節制権ヲ指ス(1〉

とあり,軍隊の節制権を持っているため,軍部についても職務を遂行しなければならなか った。林則徐も江蘇巡撫に任命された以上この職務を遂行することになる。史料はわずか ではあるが,軍部について道光帝に上奏しているので,その上奏文の中身をみていくこと

にする。

(1)河標四管の官兵問題

『林則徐集』39〜40頁には,以下の史料がある。

     r校閲河標四螢官兵摺」 (道光十二年五月初一日)

奏爲枝閲河標四螢官兵,悉心頸別,伽筋勤加訓練,以粛戎行,恭摺奏祈聖窒事:

 籍照東河所轄各螢,除黄、運爾河修防官兵,専習椿帰,向不考験弓馬外;其河標 中、左、右、城守四螢,額[設]副將、参將、游撃各一員,都司二員,守備三員,千、

把、外委四十三員,馬歩兵丁除裁減外,實存一千六百一十三名,例由河臣校閲考霰。

臣上冬到任,已届年終,又値督催挑河之際;交春以來,爾次出赴黄河各磨験料防工,

未及調考。當経嚴諭將備,勤加教演,以備不時考験;如験時多不如式,不特弁兵立予 降革,並該管將備亦干参庭。旋擦各螢按旬報操,幾無虚日。

 現當整飾螢伍之際,臣不敢以交卸在即,稽存岐視。随於桃汎濟後,調集將備弁兵,

於四月十五至二十日,悉心校閲。先令合操陣勢,隊伍進止,均属整齊。施放連環鳥槍,

聲勢亦皆聯絡。試験藤牌、刀棍、長矛等項,撲演撃刺,倶稻便捷。復將馬歩弓箭逐一 考校,中螢中鞄在七分以上,左、右、城守三螢,亦在六分以上;惟弓力輕者居多。臣 當場分別等第,諭以首重弓力,如弓在六力以上而中敷多者,列爲超等,優加漿賞;即 中敷稽減而弓力甚強,価列在中多而弓鞭者之前,以示勉働。旋接各將領稟稽,弁兵成 知賜躍,多習硬弓。臣又恐其浮報虚填,特爲較準定式,以愚藪験。大抵挽強命中,多 一分練習即多一分技能。臣諭筋標管,以現當天暖之時,果能練進弓力,則秋冬弓燥手 柔,牧敷便倍。察看各螢大小員弁,人才弓馬,皆堪造就,尚無衰老不職之人。其實在 出色者,登記冊棺,以備挑抜。技勇平常者,弁則分別降責,兵則責革示懲。亦有年力 精壮而技藝稽生者,勒限演習,男候覆験。又臣前在陳西、河南爾省,會見演習速戦陣,

係陵甘督臣楊遇春所製,有進無退,兵勢更畳精強。臣已照絶陣圖,逐加帖説,現在襲 交標螢演習講求,以糞倍擦勇鋭。

  伏査河標所管況地有三百六十鯨里之長,分設四十四汎,催漕擾護,差事錐繁,而 現在各螢將領,訓練尚爲認眞。臣働督飾勤加操演,母得暖時,務使紀律嚴明,威成勤 旅,以仰副聖主整飾戎行之至意。

  至各螢馬匹火薬軍装器械等項,験與冊報相符,合併陳明。

  所有稜閲河標各螢官兵縁由,謹繕摺具奏,伏乞皇上聖竪。謹奏。

 道光12(1832)年5月1目の上奏文では,林則徐は道光帝に河道総督が管轄する四つの 螢について調査することを上奏している。

 山東省が管轄する各螢を調査すると,黄河,運河の修防官兵は,椿帰(堤防保護物)(2)

を専門に習得しており,軍事技術をあまり習得していない。その河道総督が管轄する山東 省にある中,左,右,城守の4つの螢における,副將(3),参將(4),游撃(5)各1名,都司(6)

2名,守備(7)3名,千総(8〉,把総(9),外委(10)43名,馬歩(ll)兵丁(監2)はそれぞれ削減さ れて現在総数1,613名いるが,河道総督が調査し,軍隊のその総数の把握に努めている。

 また,將備(副將等の軍の指揮官)(13)に厳しく命令し,訓練を強化し,もし規定通り行 っていなければ,弁兵(下級武官)(14)を降格させ,該当する將備に懲罰を与える。

 林則徐は,自分が管轄する軍隊を調査するだけでなく,陵西,河南の両省の演習を視察

し,陵甘(15)督臣(16)楊遇春(17)が監督する軍隊は, 「有進無退(18)」いわゆる「前進ある のみで後退はない」のであり,兵の勢力はかなり強いと,林則徐の軍隊の「隊伍進止(⑨」

(挙動)と比較すると, (まだまだ弱いので)黄河,運河の修防官兵も軍事訓練を厳格に 行ない,規律も厳粛に守らせたいと上奏している。

(2)新式大砲の設置

『林則徐集』41頁には,以下の史料がある。

   「添造天門鳥戟雨種磁位施放得力片」 (道光十二年五月初一目)

 再,練兵必先利器,一切軍装轍械,非但不可残訣,尤必期於得用,乃可以資訓練 而利戎行。査臣標四螢奮設轍位無多,前河臣以克州鎭標所製天門、鳥戟雨種磁位施放 得力,諭令各將備倣照添造,以備随陣操演。臣到任後,復経飾催製備完全,磨候査験,

不得有名無實。蕪験得臣標四螢共添造天門畷十六位,鳥戟磁十六位,毎位重五十六斤 及三十二三斤不等,製造均属合式,試行施放,亦皆得力。其所需工料経費,業経損廉 辮理,母須男行請款。嗣後焚隊操演,即令將此項磁位與薔職輪流施放,亦不必議添火

薬銭糧。

 除飾各該螢一律遵照勤加演習外,理合附片奏聞。

 再,磁位既係損 ,慮請免其造冊報錆,合併陳明。伏祈聖豊。謹奏。

道光12(1832)年5月1日の上奏文では,林則徐は道光帝に天門(20),鳥戟(2D【図23】

という大砲を設置し,砲撃に備えることを上奏している。

 訓練された兵は優れた兵器となり,軍装は大砲で固めれば,敗北することはなく,軍事 力を得るだけでなく,(大砲は)軍隊の訓練の助けとなる。林則徐が管轄する4つの螢は,

旧式の大砲が数多く残っており,前河道総督嚴娘は山東省克州府の緑螢兵に天門,鳥戟の 二っの大砲を設置し砲撃に備えさせ,各将備に大砲を模倣して造るように訓令を出し,随 時陣を備えて訓練させた。林則徐は着任後,各磨に調査点検させたところ,有名無実とい うことはなかった。林則徐が管轄する4つの螢に,天門大砲16機,鳥戟16機を造り,1 つの重さは56斤(334㎏219.2g)から32,3(190㎏982.4g)斤であり,規定通りに製造 されており,射撃訓練を行なっておけば問題なくすべて軍事力となる。前河道総督嚴娘か ら引き継いだ後,兵隊を発し訓練するとともに,新式の大砲と旧式の大砲を入れ替えるよ

う命令すると上奏している。

      ピ・  幽難、

      【図23】天門・鳥戟

         r林則徐記念館」にて筆者が撮影したものである。

※天門,鳥戟の詳細は不明だが,【図23】は2006年3月に筆者が福建省にあるr林則徐  記念館」へ行った時に撮影した写真である。恐らくこれに似たものだと考えられる。

【註】

(1)『清國行政法』第1巻下(第4章「地方官磨」第1節「支那本部」第4款「巡撫」)

  (汲古書院,1972年)より引用。

(2)椿帰とは,堤防工事のことをいう(前掲『中國河工辮源』)。

(3)副將とは,総兵官,正二品,從二品。清朝に於いて,陸軍大佐の稻であった(『歴   代職官表』総兵副將,國朝官制)。

(4)参將とは,官名。総兵,副総兵の次官。清,之に因る。副將の下に位するもの。陸   軍中佐に相当した(『清會典事例』兵部,官制,直隷緑螢二)。

(5)游撃とは,官名。清の陸軍少佐。中軍官のことである(『清國行政法汎論』皇室,

  隻龍賓星)。

(6)都司とは,都指揮使司をいう。清代は,四品武職とし,陸軍大尉に当った(『清國   行政法汎論』讐龍寳星)。

(7)守備とは,官名。清代に至っては,都司の次に守備を置き,僅かに五品の武職とし   た(『清會典事例』兵部,職制,輩月衛守備選法)。

(8)千総とは,明の官名。清制では一哨の長官で,五品,或は六品の官。我が陸軍少尉   に当った(『清會典』兵部)。

(9)把総とは,官名。清代に至り,武官の末級となり,位は千総に次いだ(『清會典事   例』兵部,緑螢庭分例)。

(10)外委とは,清代,定員外に任命した武員をいう(『清國行政法』汎論,武官仕途種類,

  行伍)。

(11)馬歩とは,馬兵を指し,騎兵。緑螢,馬兵をいう(『六部成語』兵部,馬兵,注解)。

(12)兵丁とは,兵役に服する壮丁をいう(『六部成語』兵部)。

(13)將備とは,軍隊を指揮する将軍のことをいう(『清會典事例』兵部)。

(14)弁兵とは,下級の武官をいう(前掲『大漢和辞典』)。

(15)挾甘とは,陳西甘粛両省をいう(『清會典事例』吏部,各員吏額)。

(16)督臣とは,総督をいう(『清國行政法汎論』地方官磨,支那本部総論,沿革)。

(17)楊遇春とは,清,崇慶の人。字は時齊。詮は忠武。官は陵甘総督に至り,一等昭勇   侯に封ぜられる。大小敷百戦,未だ微傷をも受けず,世に副將という。又,戦う毎   に黒旗を張り,時に楊家軍と稻せられた(『清史稿』巻353)。

(18)前掲『林則徐集』39〜40頁。

(19)註(18)前掲『林則徐集』に同じ。

(20)天門とは,大砲の名称であると考えられる。詳細は不明である。

(21)鳥戟とは,大砲の名称であると考えられる。詳細は不明である。

ドキュメント内 林則徐の黄河・運河治水事業について (ページ 80-85)