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【図13】演水煽
(東亜研究所第二調査委員会第二部会『中國河工醇源』1940年)より
(3)東河の拠護砕石工事
『林則徐集』29〜32頁には,以下の史料がある。
「訪査東河拠護砕石工程情形摺」(道光十二年三月二十六目)
奏爲遵旨訪査東河砕石工程情形,擦實覆奏,仰新聖竪事二
羅臣於上年十一月内在江南途次,承准軍機大臣字寄: 道光十一年十一月初二目 奉上諭: 本目嚴娘奏豫省上南、中河、曹考三磨瞼工酌勉砕石一摺,已明降諭旨,准 於豫省藩庫照敷機嚢起緊採運臭。此項砕石工程起於南河,道光七年九.月間始接嚴娘奏:
蘭儀磨柴煽十八帰以上,已將砕石蓋護,化瞼爲平。十八帰以下及下北十一墨,鑛修歳 無虚目,此外年復一年,更恐危瞼堪虞。現飾各道倣照柴塙砕石成案,分別佑 ,以爲 固工節費之計等語。是年蘭儀、下北爾磨,當経降旨准行。既用砕石拠護,則歳料防瞼 等項自磨節省,乃歴年以來砕石工程無歳無之,而其採 來年歳料及請擾防瞼銀雨並未 節省綜毫。究寛此項砕石工程是否於黄河有盆?如果有盆,何以歳料並不見節省,徒添 出砕石一項費用?林則徐係朕特簡,甫経到任,無所用其回護,此時亦不必亟亟,著明 査暗訪,悉心膣察情形,擦實覆奏。將此諭令知之。 欽此。 當経臣附片陳明,侯到 東河訪査情形,再行覆奏在案。
自到任以來,將砕石棺冊逐一検察,從前豫、東黄河本無施護成案,因道光元年前 爾江督臣孫玉庭、南河河臣黎世序會奏,以砕石工程實資輩固,並無流弊,東河從前未 施砕石,是以漫決頻伽,請救一髄照 ;即創始之初多費敷十萬金,而目後工固瀾安,
不惟節費,實可利民等語。旋奉諭旨,救令倣照兼 。二年春間,前河臣嚴娘復奏請於 北岸黄沁磨馬螢挑塒酌量試拠,縫因河勢不定,僅拠爾段而止。逡五年間,調任河臣張 井以南岸蘭儀廉柴塙工程瞼要,議耕砕石,爾次奏准施護一萬四千八百鯨方,該庭瞼工 因成平穏。治後北岸之下北、祥河、曹考,南岸之中河、下南等磨,先後倣照請 ,経
嚴娘節次奏准各在案。
査此項動用銭糧,除馬螢煽試施爾段不計外,自道光五年至十一年已施砕石,共用 銀六十五萬鯨爾,上冬佑 之上南等三魔方償七萬四千鯨爾,尚不在此敷之内。霰之歴 年採辮歳料及請擾防瞼銀爾,均未減少。誠如聖諭: 砕石工程如果有盆,何以歳料並 不見節省? 随於雨次上限,周歴査訪,並訥之年老兵民,威謂未 砕石以前,誠不知 其有濟與否,既辮之後,毎遇瞼工緊急,潰帰場陞,力加拗護,即不至於潰場,功敷甚 著等語。臣於伏秋槍瞼錐未経歴,而人言墾墾,異口同聲,因就帰前有石之庭細加測量,
悉心擶度。縁掃工勢成陸立,溜行迅急,毎易淘深,是以帰前之水輯至敷丈,而砕石斜 分入水,鋪作坦披,既以俣護帰根,並可紆回溜勢。《考工記》所謂 善防者水淫之 , 似即此意也。豫、東河限多係沙土,不能専侍爲固。隈輩而護之以帰,婦陸而護之以石,
総在迎溜最瞼之庭,始行佑樋。蓋東河採運砕石比南河遠近懸殊,方憤倍葎,難以多辮,
而其化瞼爲平,頻歳安瀾之敷,未嘗不資於此。是砕石之於河工有盆,實可断爲必然,
而非敢随聲附和者也。
惟何以未能省料之故,詰詞員弁兵夫,或謂施石本在塙前,祇能保帰段之不外游,
而不能禁奮婦之不下蟄。故錐有石之帰,伽不免揮要加鑛,惟較諸未経拠石之塙,需料 自然大減。但統計爾岸提工,長至二十鯨萬丈,而陛前之有帰者不過六千八百鯨丈,婦 前之有石者甫及二百七十鯨丈。豫、東河面寛闊,溜勢時有攣遷,此工閉而彼工生,購 料防瞼諸費即難概省等語。臣霰其所言,似亦近理。
然思用料之節省與否,天事居其半,人事亦居其半。讐如極瞼之工忽然漂閉,平緩 之庭忽又生工,毎非恒情所能測度,工生則料費,工閉則料省,此存乎天事也。亦有出 於人爲者,如順隈鐘掃,費料實多,惟溜到陛根,即不能不資以槍護,而工非自閉,亦 不能不逐歳加鑛。若工員果悉機宜,善掃溜勢,則於工之將生未生,預築挑矯,使之溜 向外趨,帰即可省。蓋撫溜者掃,而引溜者亦帰,観於帰前水深,其故可想。一壌得力,
可護敷段之工,則不須順限鐘帰,而所省無算臭。然若審勢未確,挑護失宜,矯守不住,
伽復退鑛順提掃,則劣費更不曹十倍。此又人事之難言者也。総之,有治人無治法,在 工人員果皆講明利弊,自無柾費之工,果皆激襲天良,自無妄開之費。至料物貯於陛上,
督道常川往來,注目溜心,不絢情面,似亦無可藏掩。伏讃皇上批臣前摺,有 如此勤 勢,弊自絶突。作官皆當如是,河工尤當如是 之諭。仰見聖明洞燭,訓勉至周,臣競 棟之鯨,永當服鷹遵守。大抵霰實査験,即歳料與砕石並用,未嘗無漸省之方。如其不 實,則錐裁去砕石一項,而他物稻是,亦可籍端滋弊。要在認眞督査而巳。
臣仰奉諭旨= 明査暗訪,不必亟亟。 謹於雨次巡工,反覆推求,悉心髄察,擦
實繕摺覆奏。
再,査東省運河各廉臨湖陛工,亦有兼用砕石之案,由來已久,歳錆銭糧無多,合 併陳明,伏乞皇上聖堕。謹奏。
道光12(1832)年3月26目の上奏文では,林則徐は道光帝に山東運河の拠護砕石(16)
の工程を訪査した状況を上奏している。
施護砕石とは,砕石を積み重ねて作る塙(堤防)(17)のことである。この砕石工事は南河
(18)において道光7(1827)年9月より前河道総督嚴娘によって行われており,蘭儀磨柴 煽(19)の上流より18掃(堤防保護物)(20)は既に完了しており安定しているが,下流より
18帰及び下北11墜は,休む間もなく工事を行っているが,まだ危険な状態であると林則徐 は報告を受けている。
前河道総督嚴娘は,蘭儀磨及び下北磨(21)は皇帝より工事着工の許可を得ているが,道光 帝は,「砕石工事は黄河において有益であるのかないのか。砕石工事を行なったならば,毎 年行う工事の資材を節約できるのではないか」と諮問しており,節倹政治家道光帝の一面 が表れている。それに対して林則徐は,密かに現地に訪問し誠意を尽くして詳しく調査し,
真実に基づいて再び上奏すると応えている。
そこで林則徐は,何故未だ資材の節約ができないのか,員弁(22)兵夫(23)に問い質したと ころ,砕石は本来婦の前に施されるもので,両岸堤防の長さは合計20萬丈(640k皿)あま りあり,堤防の前に帰がある所は6,800丈(21㎞760m)あまりにすぎず,婦があり砕石 があるところは270丈(864m)あまりしかない。よって殆どの箇所で砕石が投じられてい ないため歳料(24)を節約することができないとの調査報告を受けている。また,節約できな い理由に,天事が半分,人事が半分と述べ,自然条件をよくみて,また人事面もよくみて 工事を起こしたいと上奏している。
また,砕石工事にっいて林則徐が調査した結果,年老兵民はみな未だ砕石工事の経験が なく,有益になるのかどうかはわからないが,既に実施した場所においては,効果が著し く現れているとの報告を受け,道光帝に砕石工事の効果を合わせて上奏している。
(4)蘭儀臆察家棲の渥料問題
『林則徐集』32頁には,以下の史料がある。
「蘭儀磨票家棲淫料已躍乾補足片」(道光十二年三月二十六日)
再,蘭儀磨禁家棲淫料,遵旨責成接任之卸鳴鶴逐燥折瞭,並飾開節道張坦往來督 査。菰接稟覆:該庭存料三十二壕逐一折看,内有十二燥壕底潮渥一二尺不等,當就限 面鋪囑,旋乾旋堆,計折耗不及十分之一,已著落干卿保補完,験明並無短少。又擦克 折曹道徐受茎稟覆:曹河、糧河爾磨料探,堆手粗疏,業経該道督押翻堆結實完整,統 候覆験等情。臣於桃況巡防経過各該所工次,覆加親験,悉與該道等所稟相符。
除賠完料壕之撤任同知干卿保男候酌補外,合併附片陳明,伏祈聖堕。謹奏。
道光12(1832)年3月26日の上奏文では,林則徐は道光帝に蘭儀魔察家棲(25)の湿気た 楷料を乾燥させ補完させたと上奏している。
卸鳴鶴(26)に責任を持たせ壕(積み重ねた資材)(27)を一っ一っ乾燥させ,開蹄道張井(28)
に命令して監督調査させた。該当する箇所は,32壕の資材があり逐一調査したところ,12 壕の各々の底から1、2尺(32c皿〜64cm)が湿気ていたので,これらを堤防の法面に乾燥
しつつ敷き詰めたところ,消耗しているものを数えると10分の1にも及ばなかった,既に 干卿保に補完させ,完了しており,調査したところ誤差はなかった。また,克折道徐受茎(29)
によれば,曹河,糧河の資材は,乱雑に高く積み上げており,当該の道に命令してやり直 して確実に完了させ,現在再度調査を待っている状況である。桃沃時期には巡察し,該当 する箇所に赴き,繰り返し自ら調査すると上奏している。
(5)河南省山東省黄河桃況問題
『林則徐集』32〜33頁には,以下の史料がある。
「豫東黄河桃汎安瀾摺」(道光十二年三月二十六目)
奏爲恭報豫、東黄河桃況安瀾,仰祈聖豊事:
霜照黄河以節交清明二十目之内爲桃沃,先経臣於奏報運河挑工完竣摺内聲明赴工 巡防。嗣在工次察看水勢,並稽霰各磨稟報:本年清明以後,黄河節次長水,較之上三 年互有大小,要不越三尺鯨寸,且亦旋長旋落,尚少停滞。其有溜趨掃前及河勢坐濁之 庭,経臣於上次査料時即已霰定春鑛掃工,分飾起 。當此汎水長襲之際,春工恰巳報 完,臣随過随査,尚與原佑丈尺相符,均足以資抵禦。當餉磨螢妥爲防護,不准遽報男 案工程。其長堤増培土工,就已完段落牽計,已及六分有鯨,按段錐誠,亦無滲漏。問 有未能如式之庭,立即押令翻築,佃飾各道認眞督催,統限四月内一律全完,不任稽有
延混。
現在大河溜勢循順東趨,雨岸工程一律平穏。自三月初五目起至二十五目止,二十 目桃況已過,豫、東普慶安瀾,洵足上紆震塵。轄瞬大汎屈臨,一磨防守事宜,尤須先 期預備。新任河臣呉邦慶尚無來東準信,臣現伽親歴瞼要各工,詳愼簿書,以免臨時周 章。一得新漕渡黄之信,並擬前赴韓荘督放微山湖閲矯,均不敢梢存観望之見。
所有黄河桃況安瀾縁由,理合繕摺具奏,伏乞皇上聖窒。謹奏。
道光12(1832)年3月26目の上奏文では,林則徐は道光帝に河南省と山東省の黄河の桃 況が安定したことを上奏している。
河南省と山東省の黄河の桃汎の状況について,黄河は清明(30)(陰暦3月)20日において 桃汎の時期に入ったが,林則徐は,既に運河の竣蝶工事が完了したとの報告を受け,工事 箇所に赴き巡防した。工事箇所ごとの水勢を観察調査し,並びに各磨の報告を調査したと
ころ,今年の清明(陰暦3月)以後,黄河は次第に増水し,ここ.3年間に比べると大小は あるが,3尺(96c皿)を越えてはおらず,少し水が停滞している。帰の前には水が勢いよ く流れ,河流が湾曲しているところがあり,先だって資材を調査した時,既に春鑛掃工(31)
は施行が決定されており,早急に工事を起こすよう命令した。桃況で増水する時に,春鑛 帰工を完了させたとの報告があり,氾濫は防がれている。堤防工事を倍増させる工事は,
すでに6分あまりが完了しており,水が漏れ出ることもない。まだ規定通りに完成してい ない箇所では,すぐさま増築させ,各道に命令して4月以内に一律に完成させ,少しも遅 れることがないようにすると述べている。
現在,河流は東に安定して流れており,両岸の工事は平穏であり,3月5日から25日の 20日間の桃汎が過ぎ,河南省と山東省とも安泰であると上奏している。