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第2節 不正官僚の粛正
清朝時代の官僚層の腐敗は,清朝支配体制の弛緩をもたらすほど,目に余るものであっ た。そもそも,乾隆後期に芽生え,嘉慶帝時期に表面化した社会矛盾,軍隊の弱体化,官 僚層の腐敗等諸々を道光帝は継承しなければならなかった。
官僚層の腐敗が特に目立ったのは,治水事業に携わる官僚たちであった。このことにつ いて井上裕正氏は,
河工には様々な問題があった。なかでも宿弊であったのが河工担当官僚の腐敗である。
河工官僚として総督以下,多くの官僚が設置されていたが,かれらの多くは河工を陞 官発財の機会としてしかみなかった。かれらは工事費を着服して私腹を肥やしながら,
工事が完成すると功績があったとして出世できた。工事費を着服する方法としては,
堤防修復用の資材を会計上の使用額よりも少なく使ってカネを浮かした。(1)
と述べており,「節倹」つまり質素,倹約家であったとして知られている道光帝としては,
治水官僚の不正には頭を抱えていたと考えられる。
そこで,河東河道総督時代の「経世済民」型官僚林則徐について上奏文を史料として考 察していきたい。
(1)運河渡洪,黄河修築資材問題
『林則徐集』18〜19頁には,以下の史料がある。
「験催運河挑工並赴黄河雨岸査料摺」(道光十二年正月二十二目)
奏爲験催運河挑工,統計已完六分,現佃督筋趨 ,臣即赴黄河爾岸査料勘工,恭摺奏 所聖堕事:
霜照東省運河挑工,載至正月初六目巳 三分有鯨,経臣於奏報摺内聲明親往験催。
旬鯨以來,周歴沿河工次,南至縢汎之十字河一帯,北至波上等汎塘長各河,挨次履勘。
凡已経挑完工段,除出土外,其塾繋大塊堅沐,暴繋山積。詞之土人,倉稻歴年河凍未 見如今年之厚,是以挑工之費力,器具之損傷,亦較往年加至敷倍。
臣目観現挑之塵,先須墾起爾三層沐塊,或將凍土打籟,然後得施者拐。及至挑動 之後,不免滲水,錐経随挑随扉,而隔夜即又凍結昨已節交雨水,河泳尚在堅凝,其貼 邊塾厘之積弊,因土凍不能膠鮎,已無所施其伎。臣當將所挑寛深尺寸逐段丈量,験其 灰印誌椿,均相符合,尚無楡減情弊。惟沿限出土之路,漸被泥漿拗撒,逐條凍積,名 日泥龍,往往工段挑完而泥龍尚末除浄。錐擦各汎員弁稟稻,向係全工完後一律起除。
但日積日多,挑運更爲費事,且一経春雨,更恐沖入河心。臣復嚴筋工員押令夫役,凡 挑完一段即起浄一段泥龍,其已挑未浄之庭,官差夫頭均先量予懲責。並因鈍嘉汎主簿 督挑工内有稽偏於東岸之庭,錐量明丈尺無差,並非弊實,但不居中挑控,側注一邊,
則嘉西淺慮誠恐日久積沢,河身途窄,不可不防其漸。現値趨工緊急之際,臣先將該汎 主簿徐悔摘去頂戴,責令督夫加挑,展寛丈尺,務使一律均句,侯工竣時査験如果協宜,
給還頂戴,個不如式,立即杏革示徹。蕪蔵至正月二十一日,統計各況挑有六分工程。
此後天氣融和,施工自易爲力。
臣因黄河各磨購 料物,亟慮親往査験,並有督催土工勘 春鑛事宜,均難延緩,
即於拝摺後由濟起程,前赴豫、東黄河爾岸周歴履勘。惟査歴届験料往返不過半月,臣 於河務未能諸悉,必得將各工形勢細加膣察,諮訪研求,毎到一工,即不敢忽略走過。
且思料物爲修防根本,果皆堆壕結實,防険當自裕如,若査料之時稽任以虚作實,以蕾 作新,則冒項誤工,即無有甚於此者。臣惟有細加折験,計束稻斤,総當從實從嚴,不 敢補爲將就。但歳添爾料共有七千鯨壕之多,逐一親査,即不免多需時目。其運河未完 挑工,一時不及兼顧,惟當責成運河道往來量験,並督飾磨螢汎閑,妥速趨挑。現在祇 鯨四分工程,自可依限全完,不誤啓塙鋪水。臣佃随時密加稽察,如有草率楡減,即行 擦實嚴参,不敢稽有絢隠。
所有運河挑工已完分敷,並臣現赴黄河査験工料縁由,理合恭摺具奏,伏乞皇上聖
堕。謹奏。
道光12(1832)年1月22日の上奏文では,林則徐は道光帝に運河の竣深工事を調査し,
並びに黄河両岸に赴き資材を調査したことを報告している。
運河の淡洪工事の状況について,統計では6割完了となっている。また,1月6日締め では3割完了しているので,2週間弱であと4割残すのみとなっており,急ピッチで進め
られているのがうかがえる。
しかし,俊喋工事が完了した箇所では,竣漢された泥土以外に,砕いた大きな氷塊が山 のように積まれており,土人(土地の人)(2〉に問い質してみると,毎年の河の凍結時にお いては今年のような氷の厚さを見たことがなく,竣漢工事の費用と人力,器具の損傷は去 年に比べても数倍になっているという状況にあった。
また,実際に,林則徐自身が現地に赴き視察したところ,2、3層の氷塊をくだかなけ れば,竣喋工事ができない状況であると述べている。また,竣洪工事後の弊害として,堤 防から水が漏れるのを防ぐことができず,竣洪工事に従い泥土をかき出しているが,夜に なると凍結して前目に雨が降れば,河の氷はますます硬く凍り,堤防修復工事の技法であ る法面に泥土をつけることができないと述べている。
しかし,以上のような弊害に直面しているにもかかわらず,竣洪が完了した河幅と深さ を測ったところ,規定の数値に合致しており,また官吏が勝手に水量を減らすといった弊 害も出ていないと報告している。
この上奏文で,林則徐は治水事業の改善策を提案し実行している。それは,竣洪した泥 土が積んである堤防沿いの道では,泥土が投げ散らかされて積り,これらの泥土の塊が凍 結し,工事が完了した箇所でも未だ取り除かれていない。各汎(緑螢兵の派出所)(3)の員
弁(文武の官員)(4〉は,従来,工事がすべて完了した後に一律にこれらの泥土の塊を除去 していた。しかし,泥土の塊が目に目に積まれて高くなっており,一度に取り除くと運搬 費がかかり,また春になって雨に遭えば,泥土の塊が再び河の中に流れ込む恐れがある。
そこで,林則徐は凌深工事が完了した一区画ごとに泥土を取り除き,これによって経費の 節約につながるとして,官僚に強く命令している。
また,黄河両岸工事関係の資材の調査を実施している。資材を調査するにあたって,林 則徐は,資材は堤防工事の根本であり,探(積み重ねた資材)(5)が確実に備わっておれば,
治水は自ずと安定し,もし資材を調査し,無いものを有ると称したり,古いものを新しい と称したならば,資材の役割を果たさず,これほど弊害の甚だしいものはない。そこで「計 束稻斤(6)」,つまり資材の量と重さを量り,不正がないかどうかを確認している。
また, 「親往験催(7)(親ら往き験催し)」, 「予懲責(8)(懲責を予え)」, 「摘去頂 戴(9)(頂戴を摘去し)」,「杏革(10)(革を杏り)」,「親往査験(ll)(親ら往き査験し)」
とあるように,林則徐自身が幾度となく足を運んで現地を調査し,不正があれば官位を降 格させる処置をとっている。更に,林則徐自ら随時に密かに巡察し,もし工事のおろそか な箇所があれば,事実に基づいて,当該官僚を厳しく懲罰し,自分は彼らを庇い隠すこと はしないと道光帝に述べている。
(2)伽捕上三磨閾座修築問題
『林則徐集』20〜21頁には,以下の史料がある。
r佑修加捕上三磨間座工程摺」(道光十二年正月二十二目)
奏爲査明東省伽、捕、上三廉損壊間座,亟慮佑修,以資啓閉而利運行,恭摺奏祈聖堕
事:
籍照東省所轄運河縣長千有鯨里,全頼陛、堰、關、煽節節蓄牧,以利運行而資緯 挽。除例 歳修工程外,其有關牧水啓閉各要工,歴係逐年沽計,奏蒙恩准擾饗司庫銀 爾 理在案。臣到任後,査霰文谷,前河臣於上年冬間節次批准折修間工三案,均由道 庫塾項筋廉購料興辮,勒限本年重運未到之前如式完竣。臣因動用銭糧宜加愼重,當経 屡筋覆査各該開工程果否難以從緩,所佑銀敷果否樽節無浮,並於査工経過之庭親加履 勘,反覆推求,務使工蹄覆實。節擦運河道李恩繹確切聲覆,詳請具奏前來。
臣査湘河廉螺汎張荘開一座,居八間之中,地勢建領,最爲掘要。該聞建自前明萬 暦三十二年,至國朝雍正七年重修之後,迄今百鯨載未修。現量金門寛二丈三尺六寸,
將高一丈九尺二寸,雨焙由身、上下雁翅共長三十四丈二尺一寸。上承微山湖及牛山泉 並各路山河披水下注,淘湧南趨,以致底椿朽腐,不能撃載。金門、由身、雁翅各焙石,
均皆蟄裂脱落,滲漏串水,不一而足1槽石臓裂,参差下水;地平石衝拡殆壼,萬年紡 酎裂,難以下板關蓄1亟磨撤底折修。並査該開地虞低窪,必須加石一層,連奮共高二 丈四寸,除培面等石僅堪選作裏石十分之二,並鋪底石儘敷選用十之三四外,佑添料匠 夫工,連築塙斥水,挑控月河等工,共需例駕慣銀一萬三千六百六十雨零。
又,捕河廉陽穀況荊門上問一座,南距戴廟四十四里,河道縣長,北至下開僅止二 里,塘路短促,毎逢下間啓板,全頼該間嚴板關蓄,撃託上游水勢,掴送運行,實爲捕 河境内最要之匪。該開自嘉慶二十二年揖修加高後,歴経伏秋大況,波、運、沙、趙各 河之水瀕襲匪注,上則奔騰撞撃,下則急溜抽製,兼之漕船往來硫磁,以致金門、雨矯、
由身、雁翅等工酎損臓裂,滲漏過水,底石衝撚,椿木砂朽,間耳、萬年栃倶已損壊,
必須照薔折修,以供啓閉。除選用蕾石外,佑添料匠夫工連築煽扉水,共需例駕債銀一 萬二千七十八爾零。
又,上河磨堂博汎土橋間一座,南距梁郷間十四里,北距戴溝間三十里,地勢上下 懸殊,較之他間尤爲喫重。該閑自嘉慶二十年折修加高以來,歴被重空漕船往來確磁,
況脹湧溜撞撃,以致爾焙、由身、雁翅裏頭槽石臓裂歪斜,滲漏透水,間耳、萬年栃酎 損,間底衝拡,椿木朽階,難以下板,亟磨撤底折修。且該闇地勢過低,上届錐已加高,
傍形卑倭,漕船易於磁損,磨再加高一層,連蕾共高二丈四尺。除儘選茜石外,佑添料 匠夫工,連築煽尽水、挑控月河等工,共需例鴛債銀一萬六百三十二爾零。
以上三案,統共佑需銀三萬六千三百七十爾零,業経前河臣督同該道畳次駁減簿項 塾 。臣覆加勘霰,委係工程難緩,佑計無浮。合無仰懇皇上天恩,准於山東司庫照敷