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金平 輝子

ドキュメント内 30人合体.PDF (ページ 40-44)

財団法人東京都歴史文化財団理事長   

「個」の確立と異文化との共存 

暦が変わるだけなので、あまり 20 世紀と 21 世紀を区別したくはないが、これからは「個」

としての責任が重要になってくると思う。もう一つは、文化や観光など、人と人とのつなが りを温めあうものを大切にする社会になってくるのではないか。今や「国家」というものは オリンピックの時くらいしか意識されないが、やや対立の概念の方が強い言葉に感じられる。

これからは、国家というよりも、「文化」と「文化」の共存―異質の「文化」をどのように 認め合っていくかということ―の方が重要になってくる。何年も日本で税金を払っていなが ら、いつまでも「外国人」扱いされるとの声もあるが、今は、さまざまな人種が、同じ街の 八百屋で野菜を買っていくような時代である。互いの文化を尊重し、自然な形で共存する人 間社会への移行はすでに始まっている。 

 

横のつながりとしての文化

ここで言う文化とは楽しむこと。歌舞伎やオペラばかりが文化なのではなく、もっと日常 に根づいたような、広い意味で用いたい。お祭りで一つの神輿を担ぐように、人と人とのつ ながりの中に自然に存在するものが文化である。今の世の中はいろいろと縦割りで動いてお り、国や自治体はその典型で、昔は縦割りの中で互いに競い合って満足してきたが、それだ けでは物足りなくなってきた。今求められている人間の生活や文化というものはむしろ横の つながりであり、時には土地を超え、国を超えるものである。 

文化は感動が原点であり、感動が欲しい人は寄り合うものだから、仕事とは全く違った新 しい共通のものを持とうとするとき、そこに文化が生まれてくる。喩えれば「ごった煮」。

一つの鍋に、私は里芋、私はコンニャクというように入れて、出来上がったものはごちゃご ちゃしているかもしれないが、そこには自分も参加して一緒に作ったという喜びや、複雑な 味わいがある。今は意外に若い人たちがそういうものを再発見しようとしていて、地域に伝 わる技能を掘り起こしたり、継承していく動きがある。

むしろ、そういうところが一番抜けているのは、日本の繁栄のために一番貢献してきた世 代かもしれない。自分の人生の一番体力的に豊かな時期には、そういう部分に目を向けずに、

代わりに物を一生懸命作ってきた。物を作る喜びはあったかもしれないが、多少義務感的な、

効率優先主義的な部分があったと思う。 

 

女性の自己主張と少子化の問題

これからは女性も、自己主張するのが美徳であると思う。自分を主張し、表現するという ことは、「私」を通して何かを実現しようとすることであり、遠慮せずに大いに自己主張す るべきである。ただ、当然相手も自己主張するから、そこの折り合いをどうつけるかは責任

を持たねばならないが、主張しないうちから折り合ってはいけない。

例えば育児は素晴らしい仕事だけれど、「女だからやれ」と言われてやるものではく、や はり選択するべきものだと思う。女性が、というよりも、夫婦二人で選択すべきもの。その 際、まず選択する主体としての個がなければならない。個の存在が大切であるということに はそういう意味がある。

少子化を考えるときに、女が働くからいけないとか、単にさぼっているのだとか、すべて 女性に原因があるように言う人もいるが、別に女性がさぼっているのではなく、様々な社会 の情勢が複雑に絡み合っている。戦後の教育とも無縁ではないと思う。次第に「自分」や「個」

というものが、男性にも女性にも尊重されるようになって、その結果出生率が自然な形で減 ってきたのだと思う。

具体的な少子化の原因は相当複数に求めなければならない。教育費が高いことや、住宅の 問題もあるだろう。しかし、昔は狭くても子沢山の家はあったわけだから、やはり人間の生 き方が変わりつつあるということを受け止める必要がある。高齢化は自然な減少だが少子化 は自然ではないという言われ方をしているようだが、それは違う。そんなに簡単に少子化を 抑えようと思ってはいけないし、できると思ってもいけない。 

もちろん、火が消えたような街というのは寂しく、にぎわいのある社会がよい。にぎわい とは、人数が多いこともあるが、色々な人と人が混じりあうことの楽しさでもある。街のに ぎわいの中に、さまざまな国の人も、障害のある人もない人もいて、さらにそこに小さな子 供の声もあったらどんなにいいかと思うし、そういうにぎわいのあるところには活力や仕事 も生まれてくるであろう。

だからと言って、子供を生むことがノルマのように言われるのでは女性もかなわない。結 婚して子供を持って、人と人のつながりを大事にして生きようという選択をしてこそ、本当 の家族も生まれるし、生まれた子供も幸せになるのだと思う。周りで子育てを自然に楽しん でいる人を見たら、自分も育児を選択肢の中に入れようとするのではないか。今は子育てす る女性は、楽しむどころか、まなじりを決して健気に頑張っている。男性のほうも、理屈で は分かっているが、自分はやはり仕事優先というのが多い。

「個」の確立について

年金も医療も税金も、あまりに家族単位、世帯単位でありすぎると思う。私たちの社会で は、「個」として生きられる仕組みが意外にできていない。女性のアルバイトが税金の面か ら一定に抑えられている例もある。今では女性の年金も確立したということだが、実際はあ くまでもアディショナルな程度にすぎない。 

離婚したり夫と死別したら専業主婦は大変である。そこで専業主婦も無年金にならないよ うに、本当の意味の女性の年金の確立をしようという動きもあるが、一方で働く女性からす ると働かない女性の分まで自分たちの保険料から出すことに疑問を感じてしまう。制度によ って女性が二分されかけている。 

地方文化の尊重とこれからの東京

東京一極集中は最近ではやや沈静化してきたようだが、それでも東京と地方ではまだかな りの格差がある。特に情報の発信が、極端に偏っていると思う。例えば NHK も、東京でばか り番組を作っているようなところがあった。本局のスタッフだけに番組を作らせるのではな く、地方から地域の話題をもっと発信したら、地方にも文化の芽が出るだろうし、人も育つ だろう。

今までは、東京の人が自分のところが文化の発信地であって受け手ではないというような 奢った部分があったかもしれない。経済が集中することによって日本の活力を示さなければ ならない時期はその必要もあったかもしれないが、これからはそうはいかない。分散しても 拠点づくりはできるし、特に情報社会になってくると、必ずしも東京にいる必要がなくなる。

今のままでは東京は文化のない街になってしまう。

いろいろと地方から発信されるものを謙虚に受け止めて、共存できるようになれば、東京 にも真の意味での心の豊かさが出てくるのではないか。ただ物をたくさん作っているとか持 っているとか、それを誇りにするようではいけない。東京にはない豊かさが地方にあること も認めなくてはならない。 

選択肢の幅を広げる基盤整備

昔は高齢者と言えば「高齢者対策」と考え、高齢者を画一的に見ていた時期があった。高 齢者はあまり遠くへ行かない、だから近くにホールでも作って、囲碁将棋ができればいい、

等々。しかしこれからの高齢者は、交通機関はいくらでもあるし、エスカレーターなども整 備されてきて、距離や高低差は気にならなくなってきている。だから近くにホールを作るよ りは、アクセスを整備したほうが、選択肢の幅が広がっていい。高齢者には時間はたくさん あるのだから、アクセスさえ整備されていれば遠くても構わない。そういう社会基盤の整備 にお金をかけて欲しい。

人間を障害者や高齢者といった属性で区別して特別な政策を採るより、誰もが普通の人が 行くところに行けるように、ハード面での社会基盤を整備するべきだ。同じことが女性にも 言えて、女性が社会参加できる、職業参加できるような仕組みづくり、ソフトの基盤整備が 必要である。

高齢者だから市民ホールのポットのお茶でよいのではなく、高齢になるほど美味しいもの を食べたい。帝国ホテルにしようか、パレスホテルにしようかというような選択肢は狭めな いで欲しい。素敵なところへ行くために、おしゃれもするわけだから。

一人一人が生き生きできる社会には、活力がある。いい生活を楽しもうと思えば皆働く。

個として責任を持って自分の生活をしたい。女だから、高齢者だから、障害者だからといっ て閉じ込めてはいけない。特に高齢者は数が多くなるから、閉じ込めている場合ではない。

ドキュメント内 30人合体.PDF (ページ 40-44)