大阪産業大学教授
2050 年 ま で の 経 済 社 会 を 規 定 す る 重 要 事 項
建設省が所管している社会資本というのを前提として考えれば、グローバル化という動向 が今後 50 年において重要であろう。その影響は日本人の歴史的経験が少ないので計り知れ ないが、グローバル化によって日本社会が質的に変革してゆくのである。
日本がグローバル化するにあたっては、他民族や異なる文化の立場に立てるかということ が基礎になる。その点について日本人くらい無知な民族はいないのではないか。例えば、広 島、長崎の原爆についても、原爆を落としたことによって戦争による死者を最小限にとどめ たという認識が世界の大勢であることを日本人は知らない。
また、国土構造を考える上で環日本海圏という発想があるが、その中に東京や大阪は入っ ていない。しかし、ロシア・中国などにとって、環日本海圏というのを考えるときに、太平 洋側にある東京・大阪・仙台などを抜きにしては考えていない。グローバル社会を迎えるに あたって、社会資本整備にあたってもこうした他国からの視点が必要になってくるだろう。
2050 年 ま で の 日 本 経 済 と 人 々 の 意 欲
世界経済の中で、人口減少などによって、定量的な面での日本経済のウエイトは相対的に 低下していかざるを得ないであろう。
特に日本の経済社会において危機的なのは、「意欲のなさ」である。意欲がないと経済は 発展しない。高齢化が問題といわれることがあるが、貧しさを経験している高齢者の方が意 欲があり、豊かな中で生まれ育ってきた大学生など若者に戦闘意欲が全くない。
ヨーロッパやアメリカは長い闘争の歴史を経ており、18 歳になったら親元から離れ、学 生生活は奨学金のみで厳しい生活をするなどの、若者の意欲を保つ社会システムがある。日 本のように、豊かさの中で育てられ、衣食住に全く危機感がなければ、人間というのは意欲 のない怠惰な動物に成り下がってゆく。
現在の日本の富を築いてきたのは、貧しさの上に立った勤労意欲であった。ところが、今 の日本はコスト高になって単純労働では競争できない。そこで、日本が衰退しないようにす るためには、いかに頭を使うか、言い換えれば、いかにして日本が世界の「知的資本」にな るかということにかかっている。そして、このような「知的資本」と、社会に貢献する心と いう高貴な心と高いモラルを結集することが、今後の日本のリーダーにとって重要な課題で ある。
都 市 圏 と 地 方 圏 の 関 係
今までの日本列島の地域構造を一言でいうと、首都圏が資本の本拠地であり司令部である
のに対し、地方圏が首都圏へ労働力を提供し、生産現場であってきたという構造である。そ うした中で、日本経済全体が労働で稼ぐ経済から頭脳的な経済に変わったために、東京一極 集中が起こってきたのである。また、サラリーマンの社会の中では皆が本社を志向し、これ が東京一極集中の基礎的なエネルギーであったとも言える。今後、地方圏に分散化が進んで ゆくかということは、地方圏自体が労働力を提供するだけの経済から脱却できるかどうかと いうことに尽きる。
今回の新全総では、地方の自立ということを主張したが、これはオーソドックスな見方で ある。地域は、まず意欲があり、次に競争に打ち勝つことで自立してゆく。今の日本の経済 社会を前提にとると、中央政府が集めている金というのは日本の GNP の約 10%と私は見て いる。単純に考えれば 90%は自由競争の中で動いているわけであり、その自由競争の中で 打ち勝てないかぎり、地方が道を開けないのは当然である。地域で自由競争が働くためには、
マーケット獲得が必要である。ただし、単純に競争したのでは、3,200 万のマーケットがあ る東京の方が、140 万しかない鹿児島県よりも投資効率がはるかに良い。しかし、そこで知 恵が必要で、鹿児島には東京にない個性、例えば文化、自然、特産物があるので、それを売 り込むべきである。
今後の地域政策として、市場放任型と福祉政策型のどちらを採用するかという問いがある が、日本で市場原理に任せるといっても、その市場原理が自己中心的になってしまっている。
日本は、これまで 2,000 年間お客のいない社会、自給自足型の農業経済であり、これは近年 においては、欧米大企業のように社会に利益を還元することのない大企業の姿勢にも現れて いる。その一方で、福祉政策で保護する社会というのは極めて社会主義的な個人の責任なき 社会である。例えば、住宅は個人が建てるべきだし、社会が面倒をみる必要はない。今後の 地域政策として、私としてはこのどちらも採り得なくて、両者を組み合わせた特有のシステ ムを考えなければならない。
地方圏の将来は、自らが何も頼らず、自ら造っていく以外にない。ただし世界的な尺度で みれば、東京・大阪という二つの巨大都市を近距離に持つ日本の地方圏は恵まれており、そ れを活用して自立していくべきである。また、地方圏の農村は、大都市の近くの農村と同じ 条件で比べれば不利であるが、それも知恵で克服できる。全国の離島の中で人口が増大して いるのは東京から一番遠い小笠原と石垣島であり、メロン市場の中で大きいマーケットを取 った夕張はもともと石炭の町である。
今 後 の 社 会 資 本 に 期 待 す る こ と
私は現在の社会資本の状況を非常に憂いている。例えば道路でいうと、アメリカ本土では Inter‑State Highway が、東西 3,000 キロ、南北 1,000 に縦横 10 本ずつある。アメリカでは 走行車線 1 車線の Highway などなく、通行料は原則無料である。道路の持っている経済的価 値としては、日本の高速道路とアメリカのInter-State Highwayとは比較にならない。競 争力に大きな影響を与えている。
これは道路だけでなく、空港、新幹線、港湾でも同じである。物流というのは、体で例え れば血液であり、低コストで体中を血液が巡らなければならない。採算性をもとに必要性を 議論するのは納得できない。港湾が釣堀になっているという批判があるが、海外への食料・
原料依存が非常に多い中で、外国の船を、いつでも迎え入れる施設を持っていなければなら ない。逆にいえば、空いているのが正常な状態であり、港に船が常に停泊しているというの が異常な状態である。
近年、社会資本整備に対して批判の声が大きくなっているが、政府はそれにかき回され過 ぎている。長期を見据えて必要なものは着実に整備すべきで、景気の調整や短期的成果のた めからのみ投資がされている。国土の未来から発想されなければならない。
人口が少なくなって活力がなくなるときに、最後の頼りは整備された社会資本である。言 い換えれば、一国の成長力がなくなって、人口が減ったときに、その力を無駄なく発揮でき るだけの社会資本が国土に作られているかどうかがその国の未来を決める。かつて世界を制 覇したオランダは、それ以降人口も増えず経済力も弱くなったが、日本人よりはるかに豊か な生活をしている。なぜかというと、立派な道路・空港・鉄道などの社会資本を持っている からである。一方、社会資本が整備されず、経済が衰退した例としてポルトガルが挙げられ るが、彼らの生活水準はオランダなどに比べられない。
最近、地方圏では社会資本をつくっても、生産性が高くないという指摘があるが、日本は 株式会社ではないのである。たしかに日本は高度成長に追われ、無駄な投資もあったかも知 れないが、長期を見て整備する社会資本という大きな眼を失ってはならない。投資の必要性 というのは政策における決断であって、必要性が高ければ無駄を省きつつ何を犠牲において も投資しなければならない。高速道路についても騒音がでるから建設反対であるという意見 が出ることがあるが、それは本質的な必要否定ではなく騒音に対する対策の要求であり、問 題の質が異なる。
高 度 情 報 化 と 交 通 政 策 に つ い て
高度情報化というと、すぐインターネットなどをイメージするが、それは道具にしかすぎ ない。最も密度の高い情報化というのは face‑to‑face の情報であり、日本が「知的資本」
を獲得するということで一番大事なのは、この face‑to‑face 情報をどう強くするかという ことである。インターネットは、一般市場に対しては強力な武器になり、単純な労働はネッ トワークを駆使して合理化すれば良いが、生産量が少なくて高付加価値で客が固定されてい る市場では、インターネットは何の役にも立たない。
したがって、情報の交流が進むと、人が移動する必要性が増大することになる。現在の高 速道路は旅客輸送において航空や鉄道のサポート的な役割であるが、今後は、新幹線の駅前 に安い駐車場が豊富にあるなど、高速道路と新幹線の接続が整備されることが重要になると 考えられる。パーク&ライドは通勤交通よりむしろ新幹線と高速道路でやれれば良い。ただ し、物流はモノに対する人間の欲求の限界があるため、早いうちに頭打ちになると考えられ