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福井 康子

ドキュメント内 30人合体.PDF (ページ 95-99)

都市経済研究所主任研究員   

2050 年までの経済社会を規定するキーワード 

50 年といえば、一国の盛衰、時には消滅も起こり得る長さである。戦後 50 年間の日本人 は、良いものも悪いものも皆捨てて、アメリカが用意してくれた仕組みに乗って、ここまで 頑張ってきた。その間経済的には先進国に追いつき追い越したが、経済ばかりに力を入れす ぎたことで歪みが生じ、多くの分野での積み残しもある。 

今後の 50 年のシナリオは何通りもある。何らかの分野でトップランナーの一員として走 り続けるのか、可もなく不可もない中庸の国となるのか、あるいは国際競争に勝てずに敗者 となるのか。それを決定づけるキーワードは、グローバル化、多元価値、他者への寛容性、

個人の確立、自己責任、といったものになるだろう。 

既に、日本の努力とは無関係なところでグローバル化が大変な勢いで進展している。経済 面でも、倫理面でも、国境・地域・階級というような境界が取り払われ、それぞれのマーケ ットや個人の嗜好によって異なる評価軸が多元的に存在する世界になる。それは一つの成績 表では評価できない世界だ。そのような世界になったとき、日本人の弱さが露呈するのでは ないか。 

日本人は江戸以来、未だに精神的な鎖国を続けている。一定の境界の中ではうまく競争も できるが、他者に対しては相変わらず寛容性、柔軟性に欠ける。それが突然多元価値の世界 に放り出されたら、重度の指示待ち症候群に罹っている日本人は、自己が確立していないた めに何を頼りにしてよいかわからず、精神分裂に陥るだろう。 

日本人にとっては、これからの 50 年間は、多元価値の中で自己を確立するという、かつ てない試練の時代になる。 

 

多元価値と能力主義 

多元価値は個人の生き方にも地域の発展にも反映され、たった一つの価値観や評価軸とい うものはなくなっていく。雇用体系について言えば、従来の終身雇用体系は崩れ、個人の資 質に応じて報酬が配分される制度が浸透するだろう。 

能力主義については、弱者切り捨ての制度で、日本には向かないとの批判も多いが、言い 換えれば、自分にあった場所で、自分にあった量の仕事をこなし、それにふさわしい報酬を 得るということである。つつましくてもいいからあくせく働きたくないという人はそれでい いし、やはりお金が欲しいとなれば、今まで以上に働けばよい。逆に、自分の仕事が正当に 評価されなければ、働く気も起きないのではないか。今のような北欧型の再分配方式は、そ の時はハッピーかもしれないが、頑張っている人の負担が増すばかりで次の成長の芽が育た ないので、いずれは社会主義国・共産主義国が潰れたのと同じように内部崩壊するだろう。 

むしろ、一時の痛みは伴うとしても、能力主義が浸透すれば、皆頑張って働くから、あち こちに経済成長の芽が出てくる。それがサステナブルな社会というものだ。 

海外に目を向ければ、例えばアメリカは能力主義が非常にはっきりしており、アメリカ ン・ドリームがいまだに生きている国である。国の成り立ちが移民によるために、今も流れ 込む大量の移民を制限できず、それゆえ極端な貧富の差も生じてしまっているし、失業率も 増えている。しかし大量の移民は、出てきた国よりもチャンスがあるから来るのであって、

やはりアメリカにはそれだけの魅力があると言える。 

 

女性の社会進出と雇用制度 

出生率等については、教科書的な答えで言えば、M字カーブを克服し出生率を上げている 他の国のシステムを見習って取り入れれば多少の効果はあるかもしれない。しかし、日本の 女性を取り巻く問題は、そもそも終身雇用制度と深く結びついている。 

夫が終身雇用で一生一つの会社に尽くし、妻はそれを補佐するのがこれまでの常識であっ た。会社においては失敗は許されず、敗者復活の機会は政治家など特殊な職域でしか認めら れていない。最近でこそ働く女性も増えているが、彼女達は企業の中では男性と同じ「戦士」

であり、「母」として認められているわけではない。したがって出産はハプニングであり、

即ドロップアウトとなる。 

中途採用の制度が一般化し、一度職場を離れても、それまでの仕事は評価され、いつでも 社会復帰できるような世の中になり、それと同時に、女性が子供を生むことが当然であると いう認識が浸透しないと、本当の意味で女性が働きやすい社会にはならない。そういう意味 でも前述の能力主義が浸透した社会になれば、雇用が流動化するため、女性もより働きやす くなるだろう。 

 

日本経済の方向性 

もうそろそろ日本経済全体が不況だとか、何%の成長率だとか、何%の失業率だとかいう 議論は止めてもよいのではないか。今まで右肩上がりの経済の上にあぐらをかいて改革を怠 ってきた業種が叩かれ、外資に攻め込まれるのは自業自得であり、他に頑張っている企業が あれば、トータル0%成長でもよい。 

これからの経済がどうなるかは、二者択一だと考えられる。一部の人々の突出した成果が その他の人々に吸い取られ、一様に行き渡る見せかけのハッピー社会がよいのか、それとも、

中には本当に貧しい人も出てしまうが、頑張った分だけ正当に評価されるシステムを持った 社会がよいのか。 

それを決めるのは国民だ。頑張った時は評価されて、しかも落ちこぼれても人並みの生活 はできるなどという都合のいい社会はあり得ない。そろそろ国民も、「国」という、無限に お金があって、望めば何でも出てくるドラえもんのポケットのようなものがあるというよう な幻想は捨てて、「国」は自分の財布と同じだという認識を持って、真剣にやりくりを考え

るべきだ。 

 

首都圏への集積と地方圏への分散 

人も産業も、市場原理で動く。価値観ですら市場原理が働いている。日本の情報・行政・

財政(税収)が東京に集中している以上、人や産業が東京に集まるのは当然であり、それを 分散したければ、情報・行政・財政をまず動かす必要がある。地域のイメージアップだけで は何も変わらない。よく言われることだが、3ゲン(権限、財源、人間)を分散させること が必要。国の人材を地方に移すことも有効だ。 

首都機能の分散の問題については、集中の利益より弊害の方が大きくなってきたというこ とだろう。地形から言っても、日本は縦に長く、同心円状にはなっていないので、一極集中 には向いていない。また、リスク分散という観点からも、ある程度の分散は必要だと思う。 

 

地域の望ましい発展 

国の混乱期、開発途上の時には国が地方を牽引するのもよい。ただしここまで発展した社 会においては、地方分権型の社会の方がいろいろとチャレンジできる。 

そのためには国民の意識改革が必要である。ドラえもんのポケットに喩えたが、やはり国 と国民では離れすぎていて、自分の財布と考えるにはどうしても実感に乏しい。県などの単 位であれば、税金の使い道も分かりやすいし、選挙も自分たちの首長を選ぶという意識が高 まるだろう。そのためには税金などの財源を渡していく必要がある。 

今までは人と地域のつながりは、出身や親の居所など、自分の意志とは関係ないつながり として捉えられ、消極的なセレクションでしかなかった。しかし、これからは「この街が好 きだから」という意識が人と地域をつなぐコミットメントの唯一の鍵になる。そのためには、

会社と同じで、その地域を「自分が育てた」という実感が必要となってくる。自分の仕事が 正当に評価され、会社の実績が上がったり、それが税金等を通じて地域に還元されるような 社会になれば、自分が育てた「私の会社」、「私の街」という意識が強まり、愛着が湧いて くる。 

それにはある程度経済的に自立した都市で、最低でも 50 万人くらいの人口は必要だろう。

過疎の地域を無理に振興させることはまず不可能だ。山村、離島などにナショナルミニマム という理由で税金を使いすぎるのは、そろそろやめる時期ではないか。 

 

社会資本整備の現状と将来について 

インフラ整備をナショナルミニマム整備と新時代対応型整備(戦略的インフラ)とに分け ると、前者は減って行く方向にあると思う。日本の背骨にあたる部分はこれまでの成長の中 で十分に整備された。その他の地域についてはまだ多少の整備は必要かもしれないが、基本 的にはメンテナンスにシフトしていくだろう。 

それよりも、国を挙げて整備すべきは、まず情報インフラであろう。背広や英語と同じで、

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