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 現在、中学生の進学率が90%を超える中にあって、特殊学級卒業生の進路先 は、養護学校高等部や就職、施設、進学等、多岐に渡っている。岡山県下の養i護学 校には高等部が設置され、障害児を対象とした職業訓練センターも開設されたもの の、特殊学級卒業生にとって進路選択の幅は満足のいくものとは言い難い。学校教 育において、個々の生徒に適切な教育が提供されていたとしても、進路先が適切で あったかどうかは疑問も残るところである。 「適切な教育とは何か」ということを 考える場合、教育目標が大きな問題となる。何を目指して教育を施すのか。仮に、

中学校卒業の時点を出口と仮定するならば、中学校特殊学級教育は出口に大きく左 右され、規定されてきたと言えよう。

 1960年代は、職業人として自立することに目標が置かれる一方「生活か教科 か」という論争の出発点ともなった時期である。 「生活」と「教科」が渾然となっ て新しい特殊学級教育が模索されようとしている現在、1960年代の教育内容、

教育方法から学ぶべき事柄は多い。

 中学校特殊学級において、当時、その重要性が指摘されていた職業に関する教育 に関して、迫(1985)は、戦後の作業学習の変遷を大きく3段階に分け、 「精神i薄 弱教育における「作業」感は、1965年頃を境にして大きく分かれる」と指摘

し、その要因として以下の3点をあげている。

 (1)憲法に定められた民主主義の思想が社会状況の変化と共に育っていったこ

    と。

 (2)憲法に定められた「権利保障」の意識が浸透し、どんなに障害の重い子ど     もにも生きる権利、教育を受ける権利がある、という考えかたに至ったこ

    と。

 (3)憲法で定められた教育目標は一般教育だけにあてはまるのではなく障害     児教育においても同じである、という共通理解を得たこと1)。

 1966年から79年まで、岡山県教育委員会指導主事だった吉田三郎氏による

と「養護学校義務制に関心が移る71年頃までは、特殊学級が適切な教育を探究 し、さまざまな実践が行われた時期であった。」と当時を振り替える。65年当時 の岡山大学付属中学校特殊学級担任は「特殊学級でありながら児童の能力に応じた 指導ができていないというのがそのころの私たちの悩みでした。」2)としている。

 在籍生徒に視点を移して考えると、現在の特殊学級は、重度化、少人数化する一 方で、通級制度も始まり、生徒の実態に適した多様な形態を持つ特殊学級の在り方 が模索されている。戦後の中学校知的障害特殊学級数の推移を比較すると(表1)全 国と比べ、岡山県は比較的早期から特殊学級設置に積極的であったことが分かる。

実数 10000

全国の特殊学級数:

0

1955年 60年  65年忌 70年  75年  80年  85年  90年  95年

 実数 200

岡山の特殊学級数

100

0

1955年 60年  65年  70年  75年  80年  85年  90年  95年

表1 中学校特殊学級数の推移

 1960年から70年頃までの推移を比較すると、全国の方は比較的穏やかな増

加を見せているのに対し、岡山県は、特に60年から65年にかけて急激に増加し ている。開設当初から64年頃までは量的に増加した時期であり、その後72年頃 までは量的な増加に加えて、質的な拡大を見た時期であった。 「単級設置から複数

設置の傾向をとり、その複数の中には、IQ別に編成するものも見られるようになっ た。」3)65年頃までの急激な拡充によって、その後、 「対象児の多様化や重度化 およびそれに応ずる教育課程や教育方法の開発の問題、早期教育あるいは高等部な

どの後期中等教育の問題」4)が生じてくる。

 このように、特殊学級が1965年前後に急激な量的拡大を見せた背景として

「長い歴史の中で、人々の心の中に巣くってきた心身障害児(者)に対する不当な 偏見と差別観は、学校教育法話23条〈就学猶予・免除〉の存在を今日まで容認

し、すべての児童が当然もっているべき被教育権を障害児から奪っていた。…戦後 のわが国におけるこうした障害児童に対する教育施策の立遅れを指摘することがで きよう。…これらの子どもを持つ親の団体(育成会)を中心に、障害児の教育の機 会均等を要求する全国的な活発な運動の展開と、戦後、年が経過するにしたがって 徐々に浸透しつつあった社会一般の人権思想は、以後の障害児に対する教育行政・

福祉行政の進展の上に大きな影響を与えてきた」5)ことが考えられる。 「しかし、

この量的増加は反面において新しい幾つかの間題を生み出しつつあったが、その一 つに 入級希望者の減少傾向 を挙げることができる。 r今や、特殊学級はあって も入ってこない問題…(杉田裕、精神薄弱問題白書1965)と述べられているよう に、入級児の募集難の現象が出現し、昭和40年頃から一部で憂えられていた特殊 学級の 促進学級化 も昭和49年には全国的な傾向となり『特殊学級の存在事態 が精神薄弱児をつくり出しているのではないか』という疑問さえ語られ、そのため の対策が求められていた。この現象の背景には、わが国の社会に依然として残留す る偏見や無知の問題が考えられる。」6)

 また、このような急速な特殊学級数の増加は「精神薄弱児やその教育につての知 識に乏しい教師の大量増加」7)を招くことにもなった。

 1963年に文部省より「養護学校小学部・中学部学習指導要領精神薄弱教育

編」が示されるまで、1953年の「教育上特別な取扱いを要する児童生徒の判別 基準」以外、教育現場に影響を与えるような施策は施されなかった。1969年に

「特殊教育の基本的な施策のあり方について」という画期的な報告がなされたもの

の、具体的な影響力は持つに至らず、その後、中重度児に特殊教育の中心は移って ゆく。いわば、1960年代前半までは、創設期の混沌とした状況から真の特殊学 級教育を求めて関係者が立ち上がった時期であり、在籍児童の増加に伴い特殊学級 教育がその教育内容・方法について模索していた時代であるといえよう。

 教育内容や教育方法は、対象とする児童・生徒によって決定されるといっても過 言ではない。学級数が急増し、多様化した生徒に、当時の特殊学級教育はどう対応 したのか。時代背景は異なるものの、転換期にある現在の特殊学級教育は、ユ96 0年代の状況から学ぶべきものがあるのではないかと思われる。これからの特殊学 級教育を考えてゆく場合、この年代に絞って調査をすすめ、特殊学級の教育学的意 義を明らかにすることは有益であると考える。

       註

1)迫ゆかり「戦後精神薄弱教育における『作業学習』の変遷」

 川島書店、p286、1987。

r障害者教育史』

2)岡山大学教育学部付属養護学校『付属十年史』、p。18、1975.

3)岡山市教育委員会r岡山市特殊教育の歩み』、p.1、1972。

4)前掲書2)、p22。

5)前掲書2)、pp.39−40。

6)前掲書2)、pp.40−41.

7)前掲書2)、p,42。