第1節 中学校特殊学級における職業教育
中学校特殊学級において何を教えるのかということは、教育理念や教育目標、教 育内容と絡んで根本的な問題である。それは、義務教育としては最終学校である中 学校というものを考えた時、何のために教育を行うのかという問題と表裏一体をな す中核的課題であると言えよう。
教育基本法の第1条において、教育の目的の1つが「勤労と責任を重んじる」こ とにあり、学校教育法の第36条2項において「社会に必要な職業についての基礎 的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力 を養うこと。」とある。これは、日本国憲法の第27条における「すべて国民は、
勤労の権利を有し、義務を負ふ。」という条項と合致する。このように、教育の目 的の1つに職業教育があることは間違いのないものと思われる。働くことで社会に 貢献し、自己の自立も出来うる。そしてそのことが国民としての義務をはたすこと
にもなるのである。これは日本国民である以上、障害をもつ者も同じである。しか し、社会的に不利な状況にある者も努力して何とか同じように働き、国民としての 義務を果たさなければならないということではない。だからこそ、個々の生徒の実 態に応じた教育を提供するために、特殊学級に係る教育課程の特例について、学校 教育法施行規則第73条の19には以下の様に規定されているのである。
「小学校又は中学校における特殊学級に係る教育課程については、特に必要があ
る場合は、第24条第1項、第24条の2及び第25条の規定並びに第53条第1 項及び第2項、第54条及び第54条の2の規定にかかわらず、特別の教育課程に
よることができる。」
中学校特殊学級に在籍する個々の生徒について、何が必要であり、そのためには 何を学習しなければならないのかということについて、一概に論じることには危険 である。何故ならば、それは時代背景や社会状況と大きく関わっているからである。
保江(1966)は、中学校教育にとって必要性の優先性を考える必要があるとし、
「必要性の優先性も時代的に変わることがある。経済、文化、思想の影響を受けて 変動することもある。」Dとしている。
戦後、新制中学校が設立された1947年(昭和22年)に、新しい教育課程の中 の必須教科として職業科が設けられた。杉田(1950)は、精神薄弱教育の目標とし て「従来の精神薄弱教育は題目として作業教育等を唱えながら、その実教科書をい かにして彼等におぼえさせるかに終止※していた。忍耐強く湿たんねんなこの道楽的 な教育は続けられてきた。犬や猿に芸を仕込むが如きである。彼等が三けたの割算 を紙の上でやって見たところで彼等の実生活がどれ位豊富になることだろうか。之 等の教養としての学問が社会的にいかに魅力のあるものとし彼等に迄扱われ、之等 の教育道楽の下に彼等の乏しい能力を搾取して来た者が如何に多かったか。既成の 教科書をいくら上手に彼等に仕込んでも之は単なる道楽に過ぎない。教育が意図す るものが生徒をよりよき社会人として大成させる事であるなら、彼等の乏しい能力 の上に一日も早く最少の社会生活能力を賦与する事でなければならない。作業教育 もこの様な点に於て取り上ぐべきであり、お嬢様のピアノ練習みたいな教養として の土いじりに終始してはならない。彼等の将来を考えれば先づ勤労人としての生活 であり、職業人としての豊かな発展こそ彼等への教育目標でなければならない。」2)
としている。その後、58年に中央教育審議会は、職業に関する学習については、
教科ではなく特別教育活動の分野で行うように位置づけた。特殊学級教育は、 「特 別の教育課程によることができる」とされるだけに、社会状況や教育思潮によって 左右されやすいという要素を持っている。
1960年代という時代背景を考えた時、60年に池田内閣が所得倍増計画を打
ち出し、高度経済成長が始まる時期と一致している。国民は滅私奉公して会社のた めに働き、日本の所得水準を急激に上昇させた。それに伴い大都市への人ロ移動が 起こる。また、60年安保の前奏といわれる教職員に対する勤務評定の実施問題が56年から59年にかけて起こっている3)。1960年代は、働くことについて国
民が一生懸命であり、生活を顧みる余裕が少なかったということができる。
岡山県における中学校教育に関する当時の資料にも「少なくとも現時点において中 学校を解する中正なる意見は中学校を職業指導の学校と解して、すべての教育がな されることが最も適切な考え方ではないかと思う。高校への準備教育学校というよ うなまちがった考えをこの教育に直接間接関係するものが反省すべき時ではないか
と思う。」4>とある。
当時の中学校における教育目標を拾い上げてみると、 「個々の生徒の特性や能力 を見つめ、明るいたくましい性格の形成につとめると共に、社会生活、職場生活の 中で生きぬいていこうとする働く基本的態度、社会的技術、対人関係の育成強化に つとめ、将来社会の一員として生活し得る素地を養う。」 (岡山市立石井中学校
『第2回岡山県特殊(精薄)教育研究大会』1963) 「実践的な市民の育成を目ざし て職業人としての体力、態度及び基礎的な技能を養い、社会人としての生活協調の 態度、文化人としての基礎学力を養う。 〈具体的目標>1.心もからだもじょうぶ な人に 2.自分で何でもする人に 3.人となかよくできる人に 4.人のため になる人に 5.カーぱいはたらく人に」 (津山市立北中学校『第3回岡山県特殊 教育研究大会要項』1964)等である。また、玉島北中学校教諭の1人は、第8回精 神薄弱教育研究全国大会岡山大会(1969)において、 「教育方法の一考察」と題し て玉島、浅口地区の実践を発表している。その中で、中学校における教育課程の基 本方針として以下の3点をあげている。
(1)働くことを通しての人間づくりと社会的自立ということをねらいとして、作 業学習、職業教育の占める割合を重視して編成する。
(2)生活に役立つ生きた知識・技能として習得させるために、内容を統合したり 合科をはかって編成する。
(3)指導計画および指導法などは、具体的で現実的な生活場面における直接的な 体験を通して、その生活能力を高めていくことを基本として編成する。
また宮城県の教諭は「教育の目標というものは社会によって変わっていくのは当 然である。10年前は すなおな愛される子ども にという目標であったようだ が、今やそんな型にはめることはできない。適応力をこそ目標とすべきである。子
どもに作業をさせるのも、単に技能をみがくことではなく、何のためにこれを習う かということを知らせることであり、体力づくりを一歩ずつ進めるとともに、小学 校段階で基礎学力を積ませて、中学校でそれを働かせる力をつける。そのために
は、社会の変化に応じて教育の内容も変えていくべきものである。」5)としてい る。また、研究討議の中で「ある会員から、作業学習に奉仕作業を取り入れ、将来 の職業人としての知識・技能・態度の育成を試みるべきだとの報告に対し、何のた めに精神薄弱児だけが奉仕作業をしなければならないのか、奉仕や義務の教育より も権利の主張をこそ教えるべきではないかというきびしい主張があった。これにつ いては助言者の山口薫氏が、精神薄弱という子どもは、言わば搾取されやすい人間 であり、弱い人間であるが、これがもし権利の主張のみをしていたとすれば、最初 に社会から押し落とされてしまうであろう。改革されるべきは、かかる弱い力の人 間を受け入れる社会全体の側であって、社会の改革を精神薄弱の子どもに期待する ことはむりである。したがって、精神薄弱児にいっさいの奉仕作業を捨てて権利の 主張のみ教えるべきだとは考えられない、と述べられた。」6)とある。
中学校における職業教育は、実社会と密接に関わっており、特殊学級卒業生の進 路状況から考えて、その重要性が主張されるのは当然である。現代においても、障 害児は人間らしく生きていくために真剣に学習しなければならないことが山ほどあ り、本当に学習しなければならないことが、いい加減な時間をすごさせることで潰 れてしまっている。という主張がある7)。特殊学級に在籍する個々の生徒に応じた 教育内容を選定することの難しさは言うまでもない。どのような在籍生徒に、どの ような教育内容が提供されていたのか、個々の事例から検討する必要があるものと
思われる。