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◎相当程度必要 對芒r的必要

「やや必要

原料の配合 ○△◎○ △△△◎△ ○△○△○ △△◎○◎ 精密さ、測定力必要 成   型 ◎△○△ ◎△◎◎◎ ○△○○△ ○△△◎○ 巧ち性が必要 み が き ◎△△△ △△△○○ ◎△○○○ ○△○◎△ 注意力、忍耐力必要 塗   装 △△△△ △△△◎◎ ◎△△○△ ◎○◎○△ 手先の器用、観察力

(必要要素に対する生徒の能力と実態)

A

B C D 実       態

1 力仕事はできるが、巧ち性が乏しいので細かい仕事はできにくい。

搗ア性がなく仕事を絶えず変わりたがる。

2 手先が器用でどんな作業でも立派にやりとげる。研究的であると同 桙ノ動作の機転がきき能率的に仕事をすすめる。

3 巧ち性が乏しく作品製作に時間がかかる。自信がないためすべてが チ極的で指示された範囲内の仕事しかできにくい。

4 手先は器用で細かい仕事もできる。やや気むらなところがあり、失 sすると極端に消極的になって仕事を途中やめにすることがある。

5 手先は器用で、きれいな仕事をする。協調性が乏しく自分かってな s動をとることがある。

6 理屈はよくわかっているが、手先は器用でなく仕事にさえがみられぬ。

ナ算的な考えも強く誠心誠意の仕事ができにくい。

7 単純作業以外はできにくい。(たえず指示を与えてやることが必要)

8 不器用だが経験を生かしてどの作業もできる。塗装はかなりできる。

◎すぐれている ○普通 △やや劣る

(各工程に適応する生徒)

作業工程

作業上必要な項目

適応する生徒

計量ますの目盛が正確に読める。正しく計算できる。原料の調合

原料の配合 割合をまちがえない。固さの加減を判断する。全体が均一になる 1②34⑤⑥78 ように混ぜる。根気強く作業する。

型の凹凸を記憶する。厚さが均一になるように詰める。中心部よ

成   型 り側面部へ詰めていく。凹部は特に強く押す。縁は平らになるよ 1②3④⑤67⑧

うに仕上げる。

凹部の中までみがく。凸部のみ、みがきすぎないようにする。み

み が き 12③456⑦8

がきの程度でペーパーを変える。ペーパーを無駄なく使う。

混合色の出し方を工夫する。塗料の濃さを加減する。むらになら 塗   装 ないように塗る。古色の出し方を工夫する。使用後の道具をきれ

いに始末する。塗料、溶剤の取り扱いに気をつける。 1234⑤67⑧

(火気、毒性に注意させる)

(『第9回岡山県特殊教育研究大会要項』pp.90−911970)

 この時の生徒のIQは、83・84・78・62・96・100・30以下・90

である。 「適性による作業の分担」では「作業は、個人別に一貫して行う方法と、

適応する工程に生徒を分けて分業的に行う方法の2つが考えられる。しかし、能力 差の激しい本学級の場合は、一貫作業の方法では完成までに要する時間に長短を生

じ、また、成型、塗装などの面では作品に不揃いができて困ることが多いと予想さ れる。従って、各自の能力・適性を十分発揮させることと、規格品の量産などを考 えて分担作業の方法をとることにした。」15)とあり、各工程に必要な要素を抽出 し、生徒の能力と実態が必要とされる要素にどのように適合するかを分析してい る。これと非常によく似た指導案が1983年の文部省研究指定校(茨城県勝田養 護学校)の中に見られ、それについて宮崎(1995)は「この活動では何を身につけ

させるとはっきりしている」16>と高く評価している。

 このような作業内容の分析を当時行っていたという点について、津山市の取組み は評価できるのではないかと考えられる。しかし、 「指導の立場」において「飾り 物として使用されることを念頭におき、気品・美しさなどが備わった作品を作る

ように心がける。能力差に応じて作業を分担させ、流れ作業によって仕事の能率を 上げるようにする。」17)とあり、個々の生徒に適した教育ということよりも作業能 率や作品の完成度といったことが問題にされていた様子がうかがわれる。

 障害児にとって就職することは当時かなり厳しい状況であったことが考えられ る。その様な状況の中で、卒業して働く力をつけることに学校教育は躍起になって いたと言えよう。教育内容に引きずられる形で教育方法が決定づけられ、生徒一人 一人に適した教育は、職業教育という流れの中でその方向性を見失っていた。しか し、津山市立北中学校の様に、教材分析を行い、生徒個々の持つ力と照らし合わせ て適切な題材を与えようとした極めて現代的な事例も存在しており、現在から未来 に通じる教育方法も芽吹いていたと見ることができる。

      註

1) r第2回岡山県特殊(精薄)教育研究大会』、p.27、1963。

2)岡山市立石井中学校『平成6年度特殊学級要覧』、p.8、1996。

3)前掲書2)、p.8。

4) r第8回精神薄弱教育研究全国大会岡山大会要項』、p.44、1969。

5)岡山県特殊教育研究会r特殊教育Vo1.2』、pp.151−152、1964。

6) 「しとんよ」とは岡山弁で、「しているんだよ」の意味。当時、付属小学校は   給食、中学校は弁当であったが、養護学級は給食であった。

7)前掲書5)、pp.150−160。

8)前掲書5)、pp.161−164。

9) 『第7回岡山県特殊教育研究大会要項』、p.46、1968。

10)前掲書9)、pp.47−51。

11)前掲書9)、p.51。

12) 『第3回岡山県特殊教育研究大会要項』、p.21、1964。

13)前掲書12)、p.21。

14)前掲書12)、p.22。

15)前掲書12)、p.90。

16)宮崎直男r障害児教育で効果的な指導案の作り方』明治図書、p.45、1995。

17)前掲書12)、p.86。

第3節 個別指導における方法論

 岡山県特殊教育研究会が1966年に出した『精神薄弱教育〈学級経営・学習指 導〉』によると、個別指導と集団指導について次の様に記されている。

「学習の能率、便宜上からとられるようになった一せい指導の方式に対して、児 童・生徒の興味・自発性が尊重される教育思想が起こってくると、個人差に応じた 教育、すなわち学習者個人の能力に応じてそのペースに合わせて指導する方法が望 ましいとされてきた。…等能力ということを前提としている一せい授業では、有意 義な指導は行いがたいことになる。個人差に応じた指導、個別指導が、精薄児の指 導に重要となるのである。だからといって、ひとりひとり教えるというのではな い。それでは、残り児童は遊んでいるということになりかねない。そうではなく、

全員が活動しているのだが、精神薄弱児おのおのは、自分の能力を十分に発i揮でき るよう学習しているという指導が必要なのではなかろうか。さらに、個別指導の意 味を考えるに、指導内容の進展が個別的という意味と指導内容そのものが個別的と いう意味が考えられる。精薄児の個別指導を考える際には、一定の道順を通るの

に、速い遅いを認めることがたいせつであるが、個人国々に応じたいくつかの道を 選ばせることを考えることも重要なのではないだろうか。個別指導を有効なものに するためには、指導者は、個々の精薄児の知能・学力・性格・興味・適性・身体生 理などの要因をできるだけ細かにつかんで、指導計画を立てねばならないことにな る。…知識・技能の指導の上から能率がよい個別指導の場でも、教師と個々の生徒 とのつながりで学習される面が強く、生徒と生徒のつながりによる学習という面が 弱くなりやすいので、社会性を養うということは果されないものである。社会性が 育成されるのは、集団においてであり、ここに集団指導の必要性が生じてくる。」

1)

 1960年代の個別指導を考える場合、教育内容を能力別グループによって効率 よくこなす、つまり、始めに作業内容ありきと言うタイプのものと、先ず各生徒の 実態と目標をしっかり定めた、現在でいう個別指導に近いタイプのものとに分かれ る。1時間の授業というものを考えた時、多様な生徒が在籍する場合、いかに個々

の生徒にあった指導をするかということは非常に難しい。作業学習で言えば、個々 の生徒にあった内容が全て作業工程の中に含まれていれば良いが、含まれていない 場合、石井中学校の例の様に異なった作業をその生徒のために用意するということ になる。すなわち、同じ授業内で異なった作業を行うということが考えられる。教 科の授業であれば、例えば数学の授業における玉島東中学校の例の様に、加減をし ている生徒もいれば乗法、除法をしている生徒もいるといった個々に適した内容の 学習をするということが通常行われている。数学として皆で何か1つのものを完成 するということはあまりない。作業学習は職業教育と直接結びついている様に考え

られがちなので、作ること、完成させることに力点がおかれ、その過程で、実社会 において必要とされるさまざまな力をつけてゆこうとする。作業学習において、

個々の生徒に適した指導を施すためには、その場しのぎの技術ではなく、生徒個々 の教育目標を見据えた教育をしてゆく必要がある。

 複数の多様な生徒に対する教育方法として、上述の様に、個別指導と集団指導の 意義について記述されているが、その関係性について「あたかもこの指導法が相反 するもののようにみえるかもしれないが、おのおのの目標を考えてみると、一・方の みで効果ある指導がなされるというものではない。1時問の授業を見ても、その内 には個別指導・集団指導がまたは一斉指導が行なわれている。個別指導・集団指導 がふさわしい場面に配慮されて、真の効果ある指導が確立されるのである。」2>と

している。授業場面として考えた場合には上記の様な記述も納得できるが、一人一 人のライフステージを考えた場合、教育目標とも絡んで難しい問題である。その点 について当時の文献には「精薄児教育にカリキュラムが取りあげられた頃、個人カ リキュラムが必要だと叫ばれたものだった。経験のない私達は、それをもっともな こととして、個人カリキュラムを最後の仕事として膨大な仕事を夢みたものだっ た。ところが実際、何年かを経験してみると口ではいい得ても、全体のカリキュラ ムさえ出来かねる現状、程遠い将来を思わざるを得なかったのである。」3)とあ

る。

 教育方法を支えるものは、生徒と教材の徹底した理解であろう。生徒の理解とい