なかったと思われる。」3>この時の実態調査によると、特殊教育の対象とすべき者
の出現率は、4.25%であったが、1967年(昭和47年)の調査では2.07%
となっている。
文部省が1965年から始めた「判別と就学指導」の講習会用のテキストとして
「心身障害児の判別と就学指導」が刊行された。その中の「第4節 精神薄弱」で は、 「米国精神薄弱学会(AAMD)の定義を紹介しながら、精神薄弱の概念規定に 関する新しい考え方を提示した。文部省の見解として示されたわけではなかった が、その後の精神薄弱の概念のとらえ方に大きな影響を及ぼした。」4)情緒障害と いう用語についてもこの中で初めて使用された。67年度の「児童・生徒の心身障 害に関する調査報告書」においては、情緒障害の類型を「登校拒否の疑い、神経症 の疑い、絨黙の疑い、自閉症の疑い、脳の器質的障害の疑い、その他」5)としてい
る。太田(1988)は「わが国における自閉症の最初の症例報告は昭和27年
(1952)5月に鷲見たえ子によってなされた。それ以来、原因論、症状論、疾病論 など様々に論争が繰り返されてきたが、近年、発達障害という観点から脳になんら かの器質的、機能的障害を仮定する見方が定着したかに思われる。しかし、その治 療法に関する結論は、いまだでていない。」6)としている。
1962年度には「養護学校小学部・申学部学習指導要領精神薄弱教育編」が出 された。このときは、IQ 50〜60程度の子供達、つまり特殊学級対象者を想定し て各教科の目標・内容が構成された。
1970年度の第1回改訂では、IQ 40〜50程度、つまり養i護学校対象者のう ち中度の子供達を対象に作成された。結果として特殊学級対象者は除外され、重度 化を考慮した生活科や養護・訓練の新設、重複障害者への特例事項の設定等が行わ
れた。
1979年度の第2回改訂では、IQ 50以下の全ての子供を対象に作成された。
中出、重度、さらに重複障害の子供達を想定して各教科の内容・目標が構成され、
訪問教育対象者についても言及した。
なお、特殊教育諸学校の学習指導要領が全障害一本化されたのは、79年度版か
らである。
また、中央教育…審議会答申の変遷は、宮崎(1992)によると「昭和28年が特殊 学級に、昭和34年が特殊学級と養護学校に、昭和46年忌重複:障害者に、昭和 62年が通途学級教育に、それぞれウエイトが置かれてきたことが分かる。」7)と
ある。
1959年の岡山県教育委員会資料「特殊児童判別の基準とその取り扱いについ て」8)によると、岡山県の基準は、文部省の判別基準とほとんど同じだが、国の判 別基準が白痴(IQ25〜20以下)、痴愚(IQ20ないし25〜50)となっているのに対
し、白痴(IQ25以下のもの)、痴愚(IQ25〜50程度)と若干異なっている。
1959年(昭和34年)中央教育審議会答申「特殊教育の充実振興について」に おいて「その程度の重い児童・生徒は主として養護学校において、軽い児童・生徒 は主として特殊学級において教育を行うのが望ましい」という障害の程度で区分す る考えかたが提示された。
1960年から70年頃にかけての特殊学級の増加傾向に、全国と岡山で明らか な差がでていることは前述のとおりである。特殊学級が比較的早くから設置された ということは、 「管理職も昔は特殊教育を熱心にせざるをえなかった」 (岡山県健 康の森学園養護学校長 出雲井員氏へのインタビュー調査より)という言葉の通 り、関係者による熱意の他、育成会の特殊学級増設運動も見逃せない。事務局が指
導課にあった1959年(昭和34)〜1962年(昭和37年)の育成会としての
「主な成果は特殊学級の増設だったと考えられる。」9>その背景として「文部省は 昭和31年の調査で、精神薄弱児の出現率を4.5%と過大に出し、義務教育学齢児 劇中の精神薄弱児数を75万〜80万として特殊教育計画を立て、その計画の誤り が、当時促進学級的特殊学級を作ったことにもなる」10)と考えられ、 「県教育委員 会では、文部省の意向をうけて特殊学級設置を急速に進めることを考え、その方策
として、精神薄弱者育成会の組織を全県下に急速に拡大することを計画した。」11)
としている。
また、1967年の調査で、文部省が精薄児の出現率を2.07%とした同じ年、
厚生省は、出現率を0.5%としている。「このくいちがいは、文部省は教育上の立 場から軽度を含めたのであり、厚生省は、自立できないものとして中重度にしぼっ
たため」12)と考えられる。
1978年、文部省は「教育上特別な取り扱いを要する児童・生徒の教育措置に ついて」 (文初特309号)通達し、 「境界線児は、精神薄弱児なのか健常児なのか よくわからないため特殊教育の対象から除外した。」13)なお、 「心身の故障の判断 に当たっての留意事項」として「精神発育の遅滞の程度を明確にするための標準化 された知能検査の厳密な実施並びに生育歴及び現在の心身の状態(身辺自立、運動 機能、社会生活等)についての調査並びに家族、友人、学校等本人の発達に影響を
もつ環境の分析などを行った上で、総合的見地から慎重に行うこと。」14)とある。
教育行政施策に伴い、能力観は時代とともに変化してきた。そして、教育行政施 策を動かしてきた理念も、その背景にある教育思潮や社会状況によって変わってき たということができる。
註
1)全日本特殊教育研究連盟編『日本の精神薄弱教育一戦後30年一第6巻一地域史皿 西日本』日本文化科学社、p.36、1979。
2)文部省r特殊教育百年史』東洋館出版社、pp.391−392、1978。
3)宮崎直男r障害児教育改革論』明治図書、p.12。
4)前掲書2)、pp.393−394。
5>前掲書2)、p.484。
6)太田正己r自閉症児教育方法史』文理閣、p.3、1988。
7)宮崎直男『通級学級教育が始まる函明治図書、p.19、1992。
8)岡山市教育委員会r特殊教育のあゆみ』岡山市教育委員会教育課程資料第21 集、1959。
9>岡山県精神薄弱者育成会『会報(岡山県精神薄弱者育成会20周年記念誌)』、
p.15、 1976。
10)前掲書9)、p.11。
11)前掲書9)、p.ユ1。
12)前掲書9)、P.11。
13)前掲書3)、p.13。
14)文部省特殊教育課特殊教育研究会r特殊教育必携〈第二次改訂〉』第一法規、
p.240、 1987。
第2節 在籍生徒の変遷
(1)岡山市の場合
表1は、1954年度(昭和29年度)岡山市教育委員会が「普通学級に収容して
教育することに適さない児童・生徒」を調査した結果であるユ)。
表1 岡山市の中学校特殊学級在籍生徒
知能指数 24以下 25−49 50−74
@ (白痴) (痴愚) (魯鈍)
ы
75−89
i境界線) 90以上
4032
_色」一』」_墾一一劉 3476
計 .iユ」墜⊥』■_塑
7508%(約) 0.2 2。1 6.0 (調査入数 男4382,女3806 計8188) (調査中学校10校)
これによると、白痴3名(男1女2)、痴愚14名(男8女60.2%)、魯鈍1 71名(男89女82 2.1%)、境界線児492名(男252女240 6.0%)
となっており、およそ5〜6%に達することが判明したとしている。そこで、1学 級の収容人員の基準を15名とし、次のような該当児を集めることとしている。
1)IQ 75以下50までのもの。
2)ひとりで通学できるもの。
3)学級・学校の一員として共同生活のできるもの。
4)小学校は第2学年から第5学年まで、中学校は第1・2学年該当者。
5)定員に余裕のある場合、前項以外のもの2)。
この調査結果に従い、特殊学級の設置計画として、 「岡山市の東・西・南・北の 各地区に小学校1個学級あて、計4学級。中学校は、南・北の各地区に1個学級あ て、計2学級を第1次の目標」とし、 「設置の順序は、小学校2個学級を設置後、
中学校1個学級を設置する」こととしている3)。これにより、1957年度(昭和32 年度)石井中学校に特殊学級が新設され、編入学区として全市があてられてい
る。生徒は「主として、鹿田・御心両小学校の卒業生、ならびに近傍の小学校卒業 生の中から入学者を選考収容した。」4)とされる。
当時の岡山市教育委員会資料によると、 「精神薄弱児の持つ一般的な特徴」とし て次のようにある。
.(1)正常なものから考えると、単純すぎて馬鹿らしいような仕事に対しては、固 執性が強い。その反面、能力に対してやや過重な仕事については、注意散漫 で、飽きやすい。しかし、一応自分でやって見たがる。
(2)初対面の人の前でも、自分を飾るということなく、馴れ馴れしく話しかけ、
愛想よく、こっけいなところがある。
(3)自分の興味あることには、時間のたつのも忘れているが、気の進まないこと には、無関心で横着な点が多い。
(4)精神の発育が遅滞しているだけでなく、ほとんどのものは、肢体不自由、言 語障害、あるいは性格異常などの二重、三重の不利な条件をもっている。
(5)だいたいに食欲旺盛というより、満腹してもなお足らないと言う貧欲さを
もっている5)。
また、市教育委員会は「学校教育の対象として特殊学級に収容するものは、理想 としては、魯鈍級(IQ50〜75)とせられ、促進学級的な立場からは、境界線児
(IQ75〜85)を収容するのがよいとされている。しかし、現実に特殊学級をのぞい て見ると、軽症の痴愚級(IQ40〜50>は相当数はいっている。これらは指導に相当 困難を感じるが、根気よく指導すれば、伸びはきわめて遅々として目立たないが長 い目で見ればたしかに変わってくる。よって学校教育の対象は、軽症痴愚以上のも のであり、これらのものはなんとか社会的に自立できるものと信じている。」6)と
している。
次に、岡山市における1968年度から71年度までの中学校特殊学級と施設・
養護学校について示す。表2は中学校における学級数と在籍生徒数の変遷である。
この時期、特殊学級数の増加の推移については「大きく2つの時期に分けられる。