ここまでは,各発達段階における子どもの発達と貧困 とのかかわりについて考察してきた。特に,胎児期と新 生児期・乳児期においては,堕胎や間引きといった子殺 しに焦点を当てた。この子殺しは,私たちが生活するこ の社会からの文字通りの排除である。胎児期から乳児期 における,自力で生きていく力がまだ備わっていない子 どもにとっては,養育者を中心にした周囲の大人たちの 貧困は,自らの死を意味する場合もあるのである。貧困 と社会的排除に関する論考は多いが,貧困による教育の 機会や労働市場からの排除だけではなく,それ以前に,
そのようなステージに至るまでに,貧困によるこの社会 からの排除,すなわち,実の親等による遺棄や殺害,餓 死や病死という生命の危険に,子どもたちは常に晒され ているという事実を改めて指摘しておく。
幼児期になると,多くの子どもたちは自らによる姿勢 制御も可能となり,自らの身体を動かすことによって,
種々の目的を果たすことができるようになる。さらに,
周囲の他者とことばによる日常的なコミュニケーション ができるようになる。とはいえ,この時期の子どもの行 動範囲は狭く,多くの子どもたちにとっては,その生活 時間の大半を過ごすことになる主な舞台は,養育者に よって保育所に預けられることがなければ,養育者と一 緒に生活する家庭ということになるだろう。しかし,貧 困によって,その家庭の維持が困難となったり,不安定
になったりして,その家庭から子どもが排除されてしま う場合もある。家庭そのものが離散等によって崩壊する 以外にも,子どもに対する暴力や虐待等の行為もまた家 庭からの排除の一形態としてとらえられるかもしれな い。このような結果から,児童養護施設に移り住むこと になる子どもも少なくないが,地方自治体等のまなざし からはもれてしまい,取り残されたままの子どもたちも いる。つまり,社会から排除された幼児期を過ごす子ど もたちもいる。
児童期になると義務教育機関に就学するので,戸籍が ある限りは,社会からは少なくとも「包摂」の手が子ど もたちに差し出されるはずである(その手からもれてい る子どもが今後はより一層問題になってこよう)。この 時期の子どもたちにとっての主な舞台は,学校である。
この学校での子どもたちについて具体的に考察していく ために,上記の三宅のフィールド研究に再び戻る。
先に紹介した,北海道内道央部の小学校4年生の1ク ラス(49名)を対象としたフィールド研究についてで ある。親の雇用形態のみからの観点ではC群の子ども たち14名全員が貧困世帯の子どもであるとは言えない だろうが,三宅が明らかにした点は,貧困世帯の子ども と学力の関係性よりも,公立小学校のクラスのメンバー 内における階層間の溝の発見であると言える。子どもた ち同士は,クラス外においては,A群の子どもはC群 の子どもとは遊んではおらず,C群の子どもからA群 の子どもに対して「ともだちにしてほしい」という作文 に書かれていた切ない願いが見られるように,A群の子 ども,つまり安定した定収入を得ていた上位の階層の子 どもたちは,C群の子ども,つまり貧困世帯の子どもと の間にある種の距離を意図的に設けていることが推測で きる。
さらに,注目すべき点は,ソシオメトリック・テスト では,学習場面と遊び場面の双方において,すべてのC 群の子どもがC群の子どもを一人も選んでいなかった という事実である。つまり,貧困世帯の子どもたち自身 は,自らと同じ貧困世帯の子どもと,学習場面において 一緒に勉強したいとは思わず,遊び場面においても一緒 に遊ぼうとは思っていなかったことが考えられる。上位 の階層の子どもたちによる意図的な距離の取り方が,上 位の階層の子どもたちによる貧困世帯の子どもたちに対 するある種の偏見のまなざしによるものだとするなら ば,貧困世帯の子どもたちが自らと同じ貧困世帯の子ど もたちと勉強も遊びも一緒にしたいとは思わないという 態度は,上位の階層の子どもたちの偏見のまなざしが貧 困世帯の子どもたちのまなざしにも内面化されていると も考えられ,そうであるならば,それはあまりにももの 悲しいことである。
また,三宅のフィールド研究からは,教員は上位の階
層の子どもと下位の階層の子どもに対して,意図的か非 意図的かは別にして,異なる対応をおこなっており,そ れらを子どもたちも理解していることがうかがえる。キ ング牧師暗殺の翌日に,アイオワ州の公立小学校で一人 の女性教員が差別に関する実験をおこなったことはあま りにも有名なことである(Peters, 1987 / 1988)。このよ うな実験ではなく,貧困であるという理由によって教員 が,他の生徒は異なる行動をとるようなことが半世紀以 上も前には起きていた可能性がある。しかし,貧困であ るという理由によって,教員が生徒に差別的行動をとる などということは現在では考えられない。一方で,教室 において,子どもたちが貧困世帯の子どもを排除するこ とは起こり得るだろう。子どもたちが自らとの相違に よって相手を攻撃したり,いじめたりする場合には,他 の子どもと異なる服装や所持品であったり,他の子ども たちが持っているモノを所持していなかったりすること が要因となることもあり得る。先述の通り,貧困の状態 は,結果的にこのような可能性を高めていると言える。
確かに言えることは,大人の社会においては,その信 憑性が揺らぐ「割れ窓理論」等と絡み合いながら,貧困 は犯罪とされる見方が強まっている。つまり,「能力主 義と労働倫理が支配する近代においては,状態としての 貧困は,能力の欠如と怠惰によって説明づけられやすい。
社会的な要因にではなく個人に内在する要因が強調さ れ,さらには悪の烙印が押され」,貧困そのものは犯罪 と見なされていくわけである(西澤,2011,pp.95-96)。
子どもたちの行動が,養育者を中心にした周囲の大人の 影響を強く受けるならば,子どもたち自身もこのような ものの見方のもと,貧困世帯の子どもたちを学校から排 除しようと努めるかもしれない。貧困が犯罪視されるな らば,貧困状態にある子どもへの敵視や蔑視に容易に繋 がることだろう。さらに,学校において能力主義と同時 に努力が重んじられている場合には,貧困世帯の子ども の排除は良心も痛めずにスムースになされるかもしれな い。何度も述べているように,貧困は能力の欠如ととも に,本人の努力不足と怠惰の結果であると見なされるか らである。だが,上記の通り,貧困世帯においては,経 済的なハードルがあまりにも高く,もはや子ども自身の 独力の努力でカバーできるようなレベルではすでにない のである。
おわりに
本稿では,発達心理学の基礎的な知見と貧困との関係 に触れてきたが,これまでの発達心理学の実験等による 知見の多くは,一部をのぞき,「絶対的貧困」の状態に ある世帯は排除されてきたのではないかと素朴に感じ る。つまり,その多くは,非「絶対的貧困」世帯を対象 とした発達心理学なのかもしれない。今後は,人間の精
神発達を環境から切り離しては考えられないのだから
(陳,1998),守られた温かな環境だけではなく,その〈外
部)にも発達心理学は出て行くべきなのかもしれない。
しかし,「相対的貧困」の指標からすると,すでに発達 心理学の実験研究においても貧困は知らぬ間に取り込ま れているだろう。冒頭の三宅和夫のような衝撃的な出会 いの体験はなくとも,知らぬ間に,私たちはいつもの実 験室やフィールドで貧困にすでに出会っているかもしれ ないのである。今後は,研究者自身がこの点により一層 自覚的になる必要があるのではないだろうか。
最後に,本稿においては,「絶対的貧困」と「相対的貧困」
という区分けをしながら,胎児期から児童期までの発達 段階について述べてきた。「絶対的貧困」と「相対的貧困」
は,社会科学的な定義であるが,本稿を通して,発達心 理学からの定義もまた可能ではないかと思える。つまり,
「絶対的貧困」の状態では,養育者は 生物 としても 子どもを育てることができず,手放さざるを得ない。し かし,「相対的貧困」の状態においては, 生物 として は何とか子どもを育てることができるけれども,社会的 存在としての 人間 として育てることは困難であると 言える。要約すれば,養育者が 生物 としても子ども を育てられない状態が「絶対的貧困」, 生物 としては 育てられても 人間 として十分に育てることが困難な 状態が「相対的貧困」という発達心理学からの定義もま た提唱できるのではないだろうか。
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