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児童養護施設の子ども・退所者の主体的営み

ドキュメント内 1.「子どもの貧困」の発見 (ページ 105-109)

児童養護施設の子ども,退所者の主体的営みとして 最も注目されるのは,「NPO法人 社会的養護の当事者 参加推進団体日向ぼっこ」などに代表される当事者活 動である。イギリスでは30年以上前からこうした活動 が盛んで児童福祉政策にも影響を与えてきたが(津崎,

2010),日本では2000年を過ぎた頃から各地で児童養 護施設退所者を中心とした当事者団体が立ち上げられ活 動を開始した。「日向ぼっこ」(東京:2006年発足)の ほ か に も,「CVV(Childrenʼs Views & Voice)」( 大 阪:

2001年発足),「社会的養護の当事者参加民間グループ こもれび」(千葉:2008年発足),「社会的養護の当事者 推進団体なごやかサポートみらい」(愛知:2008),「地 域生活支援事業ひだまり(現・レインボーズ)」(鳥取:

2008年発足),「だいじ家」(栃木:2010年発足)など がある。これらの当事者団体はそれぞれ規模や団体とし ての方針が少しずつ異なるが,たとえば「日向ぼっこ」

では,①社会的養護のもとで生活していた人たちが集え る「居場所づくり」,②相談援助や進学・資格取得のた めの学習サポート,施設や里親家庭を巣立つ直前直後の サポートといった「サポート活動」,③勉強会の開催や 記録,児童福祉施設への訪問活動を通した「『児童福祉 施設や里親家庭で生活している・いた人の声』の集約活 動」,④行政や援助機関への報告,催しや講演などの開催,

通信・出版物などの発行などによる「『児童福祉施設や 里親家庭で生活している・いた人の声』の普及啓発活動」

といった活動を展開している(NPO法人社会的養護の 当事者参加推進団体日向ぼっこ,2009)。これらの活動 内容からもうかがえるように,児童養護施設の子ども・

退所者の当事者活動は,現状変革のための政策提言や社 会に向けた啓発活動のみならず,仲間同士が支えるとい う意味合いにおいてセルフヘルプ・グループとしての機 能も有している(内田,2011)。

こうした当事者活動を,児童養護施設の子ども・退所 者の主体的営みとしてさらに深く理解していくのに有 効と思われるいくつかの分析枠組みを提示する。第一 に「ソーシャル・ネットワーク」が挙げられる。施設の 子どもは退所後に希薄なソーシャル・ネットワークのな かに置かれることが多いため,社会的養護当事者活動へ の接触は,有効に作用するソーシャル・ネットワーク獲 得における選択肢のひとつとなりうる。次に「ナラティ

2)その代表的人物として,生後3日で乳児院に預けられ高校まで児

童養護施設で育ち,その後社会の偏見や無知を乗り越えて茨城県 高萩市市長に就任し,現在も精力的な活動を続ける草間吉夫氏を あげることができるだろう(草間,2006)。

ヴ・アプローチ」が挙げられる。野口(2009)はナラ ティヴ・アプローチにおける対象水準をミクロ,メゾ,

マクロの3つのレベルに整理した。それぞれ,個人をめ ぐるナラティヴ,集団や組織のナラティヴ,社会全体を 覆うようなナラティヴに対応している。当事者活動の分 析においては,たとえば,当事者団体内部で紡がれるナ ラティヴがどのようなものであるのか,それが参加者個 人のナラティヴとどのように相互作用するのか,また,

当事者団体が社会に発するナラティヴは社会的養護に関 する社会的ナラティヴおよび実際の制度,社会的養護経 験者が置かれる状況にどのような影響を与えるのか,と いった問いを立てることができよう。これらは「貧困」

という本稿のキーワードにより即して考えるならば,当 事者活動のナラティヴが「貧困についての言説」(Lister, 2004 / 2011)にどのような影響を与えるのかという問い としても提起できよう。他にも,貧困と関連させて児童 養護施設・退所者の主体的営みを分析する枠組みとして は,「貧困状態にある人が行う主体的行為の形式」(Lister,

2004 / 2011),「排除状態からの『脱出』過程に着目する

アプローチ」(谷口,2011),「子どもを中心に据えたア プローチ」(Ridge, 2002 / 2010),あるいは「リジリエン ス(resilience)」などがあげられよう。

最後に,ここで論じた児童養護施設の子ども・退所者 の主体的営みを強調しすぎることの危険性についても若 干触れておく。現代社会において,そもそも貧困とは個 人が主体性を発揮することを妨げる大きな要因になりう るものであり,また,主体性が発揮されずに貧困状態の ままに置かれることは個人の自己責任とみなされやすい

(中村,2010)。さらに湯浅(2007)が指摘するように,

貧困の人たち自身でさえ,自らの置かれた状況を自己責 任として解釈する傾向がある。貧困状態にある人々の行 為における主体性(agency)を認めることと貧困を本人 の責任だとすることのあいだには紙一重の違いしかない

(Lister, 2004 / 2011)。また,主体的営みによって貧困状 態を脱し社会的に成功を収めた者ばかりに注目が集まる と,社会政策的に検討されるべき問題が覆い隠されるよ うな事態も起こりかねない。こうしたことを踏まえると,

貧困の問題を考える際には,社会の問題と個人の主体的 営みを同時に視野に入れること,あるいは両者を統合的 に捉える視点が不可欠であると思われる。さらに,個人 と社会の視点に加えて,「地域」という次元の問題も忘 れるべきではない。それは地域が,構成員間の具体的な 相互交渉が目に見える形で展開されうる行動空間だから である。前述したように児童養護施設の子ども・退所者 は地域の中で孤立する傾向があり,だからこそ「当事者」

の立ち上がりが必要とされた側面がある。これは地域コ ミュニティのサポートにおける「貧しさ」を示している といえるかもしれない。以上のように,児童養護施設の

子ども・退所者の主体的営みを強調しすぎることは,貧 困を含む社会的不利を自己責任とみなす視点につながり やすく,また,個人要因以外に検討されるべき問題を棚 上げにする可能性もはらんでいるのである。

お わ り に

本稿では,貧困など様々な理由から生まれた家庭で育 つことのできない子どもを社会が養育する仕組みである 社会的養護を「制度化されたアロケア」と捉え,日本に おける社会的養護の主流である児童養護施設で暮らす子 ども,および退所者の体験に焦点を当て,その特徴を論 じた。そこから見えてきたのは,社会的養護という制度 化されたアロケアの機能不全であった。しかし,そうし た状況下であっても,施設で暮らす子ども・退所者が当 事者団体を立ち上げて互いを癒し,さらに社会的養護の 現状や社会の認識を変えるべく社会に働きかけるという 主体性を発揮する様子が,主体性を強調しすぎることの 危険性も含めて,確認された。

他方,現代の日本社会には,子どもを生んだ母親は責 任を持って育てなければならないという,産むことと育 てることの強力な結合の規範がある(吉田,2009)。内 田(2011)はそうした状況を踏まえて,「里親養育も含む,

多様な生育のあり方が承認されることが,生育家族のも とで養護されていないという意味での『普通ではない』

という感覚を相対化し,生きづらさを軽減させることに なる」と述べ,それが「望ましい方向ではある」としつ つも「子どもの育ちのための資源を家族に依存し,その 裏返しとして家族の責任を強く問う日本社会であるから こそ,生育家族のもとで育たなくてもいいというオルタ ナティブの『物語』が簡単に受け入れられる可能性は低 いだろう」と論じている。

確かに現状をみるかぎり内田の主張には首肯せざるを えない。しかし,歴史的に見れば,家事・育児に専念で きる専業主婦というカテゴリーは,産業化が進み男性の 賃金だけで家計が賄えるようになった一時期の産物とい えそうであるし(箕浦,2010),さらにいえば,親が自 ら産んだ子を愛し養育すべきであるという母子間の絆 の規範(母性イデオロギー)もまた近代的産物である

(Badinter, 1980 / 1991)。こうした規範を内包する核家族 制度の成立にはもちろん歴史的・社会的必然性があるが,

一方で,核家族制度は家族内における人的資源の乏しさ という脆弱性も持ち合わせており,共働きでの子育て,

失業,親の高齢化といった局面で困難に陥ることが多く,

現代社会ではこれらが次々に社会問題化している(天木,

2010)。そのため近年では改めてコミュニティのあり方 が問いなおされ,人々のつながりをいかに築きなおすか という議論がおこっている(広井,2009)。さきほど 「 地域」 に言及したのも,この論点と関連することであっ

ドキュメント内 1.「子どもの貧困」の発見 (ページ 105-109)