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表とこれら松江藩の統計資料を比べてみると,符合する箇所と 大きく乖離する箇所に分かれる。『成稼高書出帳』を元に作成した第7表では 1640 年から 1660 年代

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第1表 墨書・刻書土器一覧

矢野遺跡出土陶磁の組成グラフ第 4 表とこれら松江藩の統計資料を比べてみると,符合する箇所と 大きく乖離する箇所に分かれる。『成稼高書出帳』を元に作成した第7表では 1640 年から 1660 年代

に向けて上昇しているが,矢野遺跡の出土陶磁数は減少傾向にある。御立派の改革を記録した『出入 捷覧』 (第5表) では,1770 年代から 1790 年代に向けて藩収入が好転している様子が窺えるのである が,矢野遺跡の出土陶磁数は 18 世紀末に向けて下降し続けている。米価が高騰し,文化の発達した 18 世紀初頭と 19 世紀前半頃の上昇傾向は概ね一致しているといえる。こうした違いの原因は様々に 考えられるのであるが,一つには資料が持つ性格の違いがあるのではなかろうか。池橋氏が指摘して いるように『成稼高書出帳』は松江藩の収穫高を示すものであり, 『出入捷覧』も藩財政の資料である。

藩財政史料からは藩内全体の大まかな状況が推測できるものの,現実には小地域や職業などの諸様相 に分かれるとみるのが妥当な判断と思われる。逆に矢野遺跡の出土遺物は調査地内における局地的な 土地利用形態を反映してしまうので,より広範な様相を導き出す為には今後の資料の増加が必要であ る。

4.小結

 以上の矢野遺跡から出土した近世陶磁器について,年代的な傾向を整理した。

•  矢野遺跡における遺構からの出土する遺物数は極めて少なく,組成比のなかで陶器の占める割合 が高い。これは北陸および中国地方における 村落遺跡 の傾向とも一致する。

•  出土遺物数は 17 世紀前半代のものが最も多い。組成は肥前系陶器を主体とし,とくに砂目皿や 溝縁皿が大部分を占めている。この時期の事例として SD2841 があげられる。

•  17 世紀中頃の遺物が少ない傾向が認められる。様々な要因が考えられるが,生産地側で溝縁皿 などの雑器生産が中止されたことも原因の一つと考えられる。

•  17 世紀末から 18 世紀初頭頃の遺物数は増加する。18 世紀中頃から波佐見窯などの雑器生産が開 始されると,磁器の占める割合が高くなる。またこの頃から須佐焼の擂鉢が多く流入している。

•  18 世紀後半から 18 世紀末にかけての遺物が少ない。この遺物数の減少傾向は,藩財政の統計史 料と相反しており,調査地内の土地利用形態を反映したものか,より広範囲の地域的様相を示す ものかの検討は今後の課題の一つである。

•  19 世紀以降の遺物は再び増加するが,それまでの肥前系陶磁器を主体とした組成から,在地系 や石見焼の陶器を主体とする組成に変化している。

 以上,資料の有限性を認識しつつも矢野遺跡の近世陶磁器の様相の分析を行ってみた。原因は一つ に限定することなく,様々な事象が折り重なった結果を反映しているのであろう。

 文献記録は書き手側からの視点で描かれる行為であるのに対して,考古学資料は人間の行動を無作 為に投影したものである

(31)

。近世陶磁器は当時の生活実態を調べる貴重なデータを内在しているが,

今回読み手の力不足により考古学的な可能性を十分に引き出したとは言い難い。残念ながら今後の資

料の増加を待って再検討する必要がある。また同じ出雲松江藩内の町場,漁村,工房といった諸々の

カテゴリーとの比較が可能となれば,さらに矢野遺跡の実像に迫れるものと期待している。

 

(1)  根津美術館 2002『知られざる唐津−二彩・単色釉・三島手−』

(2)  島根県教育委員会 2007『余小路遺跡・小畑遺跡』

(3)  鈴木裕子 2007「江戸における 17 世紀後半〜 18 世紀前半の陶磁器碗の様相」『尾戸焼の経営とその周辺』四 国城下町研究会

(4)  九州近世陶磁学会 2000『九州陶磁の編年』

(5)  宮田進一 2008「江戸後期越中における庶民向け陶磁器の生産と流通」『江戸後期における庶民向け陶磁器の 生産と流通 (東海・北陸・甲信越編) 』九州近世陶磁学会

  藤田邦雄 2008「再興久谷からみる江戸後末期の庶民向け陶磁器の生産と流通」『江戸後期における庶民向け 陶磁器の生産と流通 (東海・北陸・甲信越編) 』九州近世陶磁学会

  福原茂樹 2007 年「広島・岡山地域の生産と流通」 『江戸後期における庶民向け陶磁器の生産と流通 (中国・四国・

関西編) 』九州近世陶磁学会

  陶胎染付は 陶器 に区分した。越中瀬戸と越中丸山は富山県の 在地系陶器 ,復興九谷は石川県の 在 地磁器 に区分した。 諸窯 には,越前,丹波,備前,萩,福岡,堺,明石,石見,須佐などを含む。 そ の他 には,不明,その他,中国を含む。

(6)  角川日本地名大辞典編纂委員会 1979『角川日本地名大辞典 32 島根県』角川書店

(7)  長佐古真也氏は,第 15 回日本貿易研究会「都市・町・村の陶磁器−誰が,どのように使ったか」における 発表のなかで,村落における廃棄が一箇所 (事例では川原) に集中したことに言及している。出雲地方にお いては,大正から昭和初期に峠の鞍部に陶磁器 (茶碗のカケ) を捨ていった経験談を得ている。また現在で も峠の分岐点 サイの神 近辺に陶器製置物などが載積する事例もある。

(8)  矢野遺跡からの出土は確認されなかったが,瀬戸・美濃系磁器製品は 19 世紀代より島根県内の各遺跡で出 土している。

(9)  東京大学埋蔵文化財調査室 1997『東京大学構内遺跡出土陶磁器・土器の分類 (1) 』東京大学構内遺跡調査 研究年報2別冊

(10)  19 世紀代の在地磁器窯 (久村・意東窯) では大型の猪口が生産されているが,出土した猪口はすべて肥前系 磁器であり,推定される年代は 17 世紀末〜 18 世紀前半代が2点,18 世紀後半代が1点である (残り1点は 時期不詳) 。18 世紀末以降に生産されたと思われる在地系や石見焼の捏鉢よりも遡る傾向にある。

(11) 松渓山窯元山本梅生氏談

(12) 長佐古真也 2009「東京都の遺跡における江戸後期 庶民向け陶磁器 の一様相」『江戸後期における庶民向 け陶磁器の生産と流通 (関東・東北・北海道編) 』九州近世陶磁学会

(13) 矢野遺跡からの出土は確認されなかったが,出雲の村落遺跡においても少量の京・信楽系小杉碗が出土し ていることを追記する。

(14)  北條ゆうこ 1998「近世阿波のしめなわ文茶碗」『徳島県立博物館研究報告』第8号   北條ゆうこ 2002「しめなわ文碗再考」『論集 徳島の考古学』徳島考古学論集刊行会

(15)  島根県教育委員会 2009『中国横断自動車道尾道松江線建設予定地内埋蔵文化財発掘調査報告書 16 六重城 南遺跡 瀧坂遺跡 鉄穴内遺跡』

(16)   江戸陶磁土器研究グループ 1996『江戸出土陶磁器・土器の諸問題』Ⅱ

(17)   成瀬晃司 1997「江戸遺跡出土資料による磁器碗・皿の変遷−文様,銘款を中心に−」『東京大学成構内遺跡 調査研究年報』1 東京大学埋蔵文化財調査室

  堀内秀樹 1997「東京大学本郷構内の遺跡における年代的考察」・「東京大学本郷構内の遺跡 陶磁器・土器 編年表」『東京大学構内遺跡調査研究年報』1 東京大学埋蔵文化財調査室

  島根県教育委員会 2001『石見焼関連遺跡調査報告1 (飯田A遺跡・長東坊師窯跡) −一般国道9号江津道路建 設予定地内埋蔵文化財発掘調査報告書Ⅴ−』

  瀬戸市文化振興財団埋蔵文化財センター 2006『江戸時代のやきもの−生産と流通−』

  長佐古真也 2008「江戸における慶長・元和・寛永期の陶磁器相〜千代田区内の一括資料による陶磁器編年 試案〜」『研究論集』XXIV 東京都埋蔵文化財センター

(18)   島根県教育委員会編 1999『小久白墳墓〜サエ (サイ) ノカミ信仰遺跡の調査報告書〜』

(19)   大橋康二 2004『シリーズ「遺跡を学ぶ」005 世界をリードした磁器窯 肥前窯』新泉社

  大橋康二 2004「17 世紀における肥前陶磁の流通と生活変化」『17 世紀の陶磁器と社会』関西近世考古学研 究会

(20)   堀内秀樹 2007「17 世紀の陶磁器からみた江戸社会」『17 世紀の陶磁器と社会−考古学から見た食住文化の 変化−』関西近世考古学研究会

(21)   長谷川博史 2000「中世都市杵築の発展と大名権力−十六世紀における西日本海水運と地域社会の構造転 換−」『戦国大名尼子氏の研究』吉川弘文館

(22)   岩崎仁志・井川隆司 2007「萩城下町における庶民向け陶磁器の動向−萩城跡 (外堀地区) 出土資料から−」 『江 戸後期における庶民向け陶磁器の生産と流通 (中国・四国・関西編) 』九州近世陶磁学会

  佐伯純也 2007「島根・鳥取地域における生産と流通」 『江戸後期における庶民向け陶磁器の生産と流通 (中国・

四国・関西編) 』九州近世陶磁学会

(23)   原宏 他 1981『日本やきもの集成8山陰』平凡社   伊藤菊之輔 1967『島根の陶窯』

(24)   山本典男 1997『砥部焼歴史資料』第1集 砥部焼伝統産業会館

(25)   安沢秀一 1991『松江藩・出入捷覧−松平不昧伝・別冊』原書房

(26)   池橋達雄 1995「寛永十五年寅年以来成稼高書出帳」『山陰史談』27 山陰歴史研究会

(27)   今井尭 他 1984『日本史総覧4巻 近世』1 新人物往来社

  松江藩は 1678 年に米一俵を京枡四斗と定めている (『島根県歴史大年表』) が,今回は安澤氏が『出入捷覧』

で算出に用いた米一俵を三斗五升に準拠している。

(28)   山本武夫 1979『気候の語る日本の歴史』そしえて文庫   『地理−小氷期江戸の寒冷化−』vol.37 1992 古今書院

(29)   林正久 2006「松江平野の地形とその形成過程」『絵図の世界−出雲国・隠岐国・桑原文庫の絵図−』島根大 学付属図書館

(30)   浜田周作 1995「17 世紀以降の山陰地方の気候変動」『島根県地学会会誌』10

(31)   鈴木公雄 1997『考古学がわかる事典』日本実業出版社

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