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第2図 板状素材の作出技術 (1:3 )

ドキュメント内 <88E290D55F3495AA8DFB2E696E6464> (ページ 150-154)

れなかった (米田 2008) ことの証左の一つとなろう。

②管玉製作技術の特徴

 本遺跡における管玉製作技術は,軟質の緑色凝灰岩を主体的に用い,まずは石核から横長の素材剥 片を剥離して,それを研磨によって方形に成形した後,板状素材の長軸に平行または直交するように 施溝分割を行うことで管玉の角柱状素材を作出している。この製作技術は研磨を多用した板状素材を 介在させる点でA技法の範疇で捉えられるが,特に石核から素材剥片を剥片剥離技術によって作出す る技術が顕著に認められることに大きな特徴がある。

 そもそも西川津技法は板状素材を介在させる管玉製作技術という大前提があるにも関わらず,寺 村 1990 による提唱以降,板状素材の表裏面を施溝して棒状素材を分割する点に注意が強く払われて きた。しかし,この点は西川津技法の一工程に過ぎず,場合によっては一次施溝が棒状素材の施溝と 誤認されかねない状況にさえあった。また製作技術の具体的な実態が明らかにされないまま,西川津 技法という技術名称や要約された製作工程が先行して解釈され,弥生時代管玉の製作技術論がしばし ば展開された。しかし,こうした状況に問題を提起し,西川津遺跡出土資料をもとに弥生時代管玉の 製作技術を再検討したのが丹羽野裕氏であった (丹羽野 2004) 。とりわけ丹羽野氏は板状素材の作出 技術に注目し,西川津遺跡では施溝は板状素材を作出することに目的があったことを強調した。他に も示唆に富む指摘がいくつかなされているが,このなかで板状素材を作出するにあたって施溝分割以 外に通常の打撃が行われている点にも触れている。丹羽野氏は,西川津遺跡では打撃で得られた板状 素材がわずかに確認できるものの,こうして剥ぎ取られた剥片は両面が少なからず湾曲しており,板 状素材の表裏面が平行かつ平滑になるまで研磨を行うことは,素材の規格が揃いにくく,労力も大き いのではないかと指摘している。逆に言うならば,一次施溝は,板状素材の分割後の研磨作業に多大

4 2

施溝

剥離

1 西川津

2 布田

3 古志本郷

4 山持 (6区)

な時間や労力をかけることなく表裏面が平滑な板状素材を作出でき,しかも規格性の高い管玉の角柱 状素材を多量かつ効率よく作出するのに極めて合理的な技術であると言える。こうした一次施溝に よって板状素材を多量に作出する技術は,西川津遺跡 (島根県教委 1980) ,タテチョウ遺跡 (島根県教 委 1990) ,布田遺跡 (島根県教委 1983・1991) ,石台遺跡 (島根県教委 1986・1989・1993) ,源代遺跡 (平田 市教委 1994,深田 2005) で顕著に認められる (第2図上) 。その分布範囲は島根県東部の松江平野を中 心とするが,その実施時期は弥生時代前期後半から中期を主体とし,後期後葉に収束する。

 一方,出雲平野に点在する玉作遺跡は,矢野遺跡のほか,源代遺跡,田畑遺跡,古志本郷遺跡

(出雲市教委 1994,島根県教委 2003) ,山持遺跡 (島根県教委 2007・2009) ,山持川川岸遺跡 (出雲市教委 1996) ,中野清水遺跡 (島根県教委 2004・2005・2006) ,白枝荒神遺跡 (出雲市教委 1997) が知られている

(島根県古代文化センター 2004,米田 2008) 。それぞれの遺跡では関連遺物の出土数が少なく,一時的で 小規模な生産にとどまる。また大半の遺跡では関連遺物が包含層からの出土であるために時期が特定 しづらい状況にあるが,石材や製作痕跡からそのほとんどが弥生時代の範疇に収まることは容易に想 定できる。これらの遺跡のうち,軟質の緑色凝灰岩を使用してA技法で管玉を製作する遺跡に,源代 遺跡や中野清水遺跡があげられる。前者からは施溝で板状素材を作出している資料,後者からは施溝 によって管玉の角柱状素材を作出している資料が認められる。また女代南B群碧玉 (石川県小松市菩提・

那谷産を含む) を用いたB技法による管玉未成品は古志本郷遺跡,矢野遺跡で1点ずつ見つかっており,

弥生時代中期中葉以降に北陸西部で盛行した管玉生産の影響を一時的に受けていた可能性がある。さ らに花仙山産の硬質碧玉を打割して管玉の素材を作出するC技法を行っている遺跡は,山持遺跡,山 持川川岸遺跡,古志本郷遺跡があり,時期は概ね弥生時代後期前半〜古墳時代前期の範疇で捉えるこ とができる。

 そしてこれらとは別に,軟質の緑色凝灰岩を用いながらも一次施溝を行わず,剥片剥離技術によっ て板状の素材剥片を作出していると考えられる遺跡として,田畑遺跡 (第3トレンチ竪穴住居跡) ,古 志本郷遺跡 (SI01,SI02) ,山持遺跡 (6区) がある (第2図下) 。前二者の遺跡では,弥生時代中期後 葉の竪穴住居から緑色凝灰岩の剥片がまとまって出土しており,出雲平野における管玉生産の地域性 や変遷を知る上で重要な位置付けにあると考える。出土した関連遺物は施溝痕が確認できず,一貫し た管玉の製作工程を示すものではない。また緑色凝灰岩の剥片は剥離技術によって作出されているこ とや研磨工程の資料が不明確であることから,一見するとC技法であるかのように見える。しかしこ れらの遺跡では石鋸を伴っている点も見逃すことはできず,矢野遺跡のように管玉の角柱状素材を作 出する際に施溝を行っている可能性も否めない。

 以上,断片的な資料ながら,出雲平野における弥生時代の管玉生産について整理したところ,出雲

平野では松江平野の西川津遺跡や布田遺跡のように一次施溝によって板状素材を作出する技術を主体

的に行っておらず,矢野遺跡のように板状素材を剥離で作出してから角柱状素材を施溝分割するとい

う技術が主体的に行われていた可能性がある。このことはA技法が主体的に行われた島根県東部の中

でも細かく見ると弥生時代の管玉製作技術に地域差が形成されていた蓋然性が高いことが指摘できよ

う。ただし,そのことを強調するには時期尚早の感は否めず,出雲平野の中でも関連遺物がまとまっ

て出土している田畑遺跡や古志本郷遺跡を対象として製作技術の再検討を進める必要がある。そうす ることで,矢野遺跡における管玉生産の評価や位置付けがより明確なものになるだろう。

(1) 肉眼観察では本遺跡の矢野B〜D遺物群は古志本郷遺跡から出土した緑色凝灰岩と色調,質感,風化等の 諸属性は酷似した印象を持つ。ただし,藁科 2005 の産地分析では田畑遺跡,古志本郷遺跡出土玉材は産地 不明と推定され,厳密には本遺跡の遺物群とは一致しない。

(2) 西川津技法及びA技法の製作工程・遺物の名称については,寺村 1990,大賀 2001・2002,稲葉 2002 で各々 記されているが,ここでいう「板状素材」「角柱状素材」「一次施溝」「二次施溝」という用語については丹 羽野 2004 の定義に準ずる。

(3) 本遺跡から出土したサヌカイトの藁科哲男氏による産地分析では, 208 −7が馬ノ山産と推定されている。

馬ノ山産安山岩は京都府市田斉当坊遺跡 (財団法人京都府埋文センター 2004) などで石針として使用されてい るため,本遺跡でも石針の素材として馬ノ山産安山岩が搬入されている可能性も考えられる。

(4) 島根県内では弥生時代後期前半の玉作遺跡が明確ではないものの,大賀 2001・2005 によって弥生時代中期 をもってB技法が衰退する一方で,後期に緑色凝灰岩や花仙山産碧玉を用いたC技法が出現することが明 らかにされている。

(5) 遺物群が一致するか否かは,その設定領域の範囲にも大きく関わってくることを念頭に置いておく必要が ある。そのため,同じ遺物群でも当該原産地の領域幅を明らかにしない限り,同一原産地を特定すること には繋がらない。このことは藁科哲男氏の御教示による。

(6) 岡山県九番丁場遺跡 (岡山県教委 2002) では,弥生時代後期前葉の竪穴住居から施溝分割された直方体素材 が出土しており,B技法の終焉を示す資料と考えられる。

参考文献

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出雲市教育委員会 1989『神門地区遺跡詳細分布調査』

出雲市教育委員会 1994『出雲市埋蔵文化財調査報告書』第4集 出雲市教育委員会 1996『山持川川岸遺跡』

出雲市教育委員会 1997『白枝荒神遺跡』

稲葉千絵 2002「Ⅱ 甑谷在田遺跡D地点の調査 ⅱ遺物 5管玉製作関連遺物」『甑谷 清水町埋蔵文化財発掘 調査報告書Ⅳ』清水町教育委員会

邑智町教育委員会 2001『沖丈遺跡』

大賀克彦 2001「弥生時代における管玉の流通」『考古学雑誌』第 86 巻第4号 日本考古学会 

大賀克彦 2002「日本列島における管玉生産の成立」『甑谷 清水町埋蔵文化財発掘調査報告書Ⅵ』福井県清水町 教育委員会

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河村好光 1986「玉生産の展開と流通」『岩波講座日本考古学 3 生産と流通』岩波書店

財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター 2004「市田斉当坊遺跡」『京都府遺跡調査報告書』第 36 冊

島根県古代文化センター 2004「古代出雲における玉作の研究Ⅰ−中国地方の玉作関係遺跡集成−」『島根県古代 文化センター調査研究報告書』22

島根県古代文化センター 2005「古代出雲における玉作の研究Ⅱ−中国地方の玉製品出土遺跡−」『島根県古代文 化センター調査研究報告書』28

島根県教育委員会 1980『朝酌川河川改修工事に伴う西川津遺跡発掘調査報告書Ⅴ (海崎地区3) 』 島根県教育委員会 1983『一般国道9号松江道路建設予定地内埋蔵文化財発掘調査報告書Ⅳ』

島根県教育委員会 1986「石台遺跡」『馬潟川河川改修に伴う発掘調査』

島根県教育委員会 1989「石台遺跡」『国道9号バイパス建設予定地内埋蔵文化財発掘調査報告書』

島根県教育委員会 1990『朝酌川河川改修工事に伴うタテチョウ遺跡発掘調査報告書Ⅲ』

島根県教育委員会 1991「布田遺跡」『一般国道9号松江道路建設予定地内埋蔵文化財発掘調査報告書Ⅷ』

島根県教育委員会 1993「石台遺跡Ⅱ」『馬潟川河川改修に伴う発掘調査』

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