• 検索結果がありません。

本節では,以上で述べてきた自己表現に注目する二つのアプローチーヒューマニスティッ ク・アプローチと社会文化的アプローチーにおける自己表現の位置付けを対照し,自己表現を 第二言語学習・教育に取り入れていくことについて,両者の議論を総合し共通性を探る。

.自己表現と第二言語教育の目標としての自己認識の変容 1.1  共通点としての自己表現と自己認識の変容

前述のように,ともに自己表現に注目する第二言語教育研究であるヒューマニスティック・ア プローチと社会文化的アプローチの諸研究は,異なる時代背景と異なる理論基盤をもとに展開さ れてきた。

ヒューマニスティック・アプローチでは,第二言語教育の目的にまず人間性教育を置いている。

人間性教育の目的は自己成長(自己実現)にある。人間性心理学の理論から,自己成長のために は「自分Jを知ることが必要とされる。自分を知るためには他者という鏡が必要で、あり,他者と

自己を開示し表現し合うインタラクションを通して自分を理解することが可能になる。第二言語 でこのインタラクション,すなわち自己表現し合うことは,第二言語が本来自分のものではない 客体であることから,自分を客観視する上でより有効であると考えられる。ここに,第二言語教 育に自己表現を取り入れることの必要性が説かれ,自己開示・自己表現を主軸とする教室活動・

技法が開発・提唱されている。

社会文化的アプローチでは,言語の社会的性質と言語・人間の不可分性から,第二言語を学習 しそれを用いていくことは,自己を再構築し,変容していくことと捉えられ,また, Kramsch,  細川の論考に見られたように,この第二言語を学習することによる自己・他者認識の変容は第二 言語教育の目標としても捉えられていた。

このように,両アプローチの自己表現の位置付けを比較するとき,その論拠は異なっていても,

自己を表現することが自己の認識を変容させ,人間の変容・成長,そして社会の変容につながる とする点,そしてそれを第二言語教育の目標として捉える点は,両アプローチの主張に共通して いる。両アプローチともに,自己表現を通した自己の変容を目標とする第二言語教育を目指すも のと言える。

1.2  自己観

しかし,この類似点は,社会文化的アプローチの「自己」観がヒューマニスティック・アプロ ーチの基盤とするヒューマニズムの自己観を疑問視するものとして展開されてきたことを考慮す ると,安易に両者を同じものとみなすことは危険であろう。そこで,両者の自己観について検討 を行う。

Vitanova  (2005)は,ヒューマニズム思想,ポスト構造主義思想、,そしてパフチン派の「自己」

(self)観の比較を行っている。

ヒューマニズ、ムの「自己」は,統一的で一貫したアイデンティティを持ち,理性的・論理的思 考に基づき自由に選択・行動する,自律的な個人である。このような「個人主義的な」自己観に 対し,ポスト構造主義,パフチン派の「自己」は,社会的デ、イスコースの中で構築・再構築され 続けるものとして捉えられている。特にポスト構造主義では,パフチン派に比べ,より「自己J

「アイデンティティ」の分裂した(企agmented)性 質 が 強 調 さ れ ア イ デ ン テ ィ テ ィ

J

という用 語 の 使 用 を 避 け 主 観 性J(subjectivity)という用語を用いている。ポスト構造主義の自己一「主 観性」ーは,社会的デ、イスコースによって選択が迫られ,異なるディスコースの中では異なる「主 観性」が構成される。

これに対し,パフチン派の「自己

J

(sel血ood")は,ポスト構造主義と同様,その構築に社会 的デ、イスコースの力が大きく働き,その中で抵抗・闘争が生じることを前提としながらも,何か その人独自のもの,その個人だけに田有のものがあるとする。これは,個人はことばの社会的ス ピーチ・ジャンルに従うだけではなく,自分なりの感情的・意志的トーンを加えることができる とするパフチンの言語思想による。個人は能動的にスピーチ・ジャンルを用いてそのディスコー スを変え,自己を創造していくことができる。しかし,パフチン派の「自己」は他者が存在する ことではじめて全体となるとする点で(ことばの半分は他者のものであるから),ヒューマニズム の個人主義的「自己」とは異なる。

このように, Vitanova  (2005)の自己に関する論考は,ポスト構造主義,パフチン派の「自己j

観がヒューマニズムの自己観とは異なるものであることを強調するものであるが(Vitanova,2005:  151・154),ヒューマニズムの「自己」論にも多様な主張があることが考慮されていない。その中 で,ヒューマニスティック・アプローチの基盤とする人間性心理学の自己論は,ロジャーズの「自 己理論」に見られるように,自己認知,自己概念(現象学的自己)とその変容を中心とした理論 であり,現象学を背景に,自己の一貫性よりむしろ自己認識の不一致と可変性に注目している。

近年,ロジャーズの理論は社会文化的アプローチの基礎理論のーっともなっている構成主義 ( Constructivism)との類似が構成主義研究者からも指摘されている(菅村,2004)。社会文化的ア プローチの諸理論も現象学を背景としており,自己表現と言う観点からみれば

J

、ずれの主張も,

「自己概念J

r

アイデンティティ

J r

主観性」と言う用語と焦点の違いはあっても,第二言語で表 現していくことが自己の認識を変えるとしている点で共通していると見てよいだろう。

1.3  自己認識の変容のプロセスと制約

一方で、,この「自己」を形作る「自己認識」が言語で表現することによってどう変容するのか については, Vitanova  (2005)も指摘するように両アプローチの聞の相違が見られる。ヒューマ ニスティック・アプローチの基盤とするロジャーズ、の理論で、は,言語化することは経験をより明 確化することであるとし,それが必ずしも「正確Jであることは意味しないとしながらも,言語 の制約よりも自分の意志で自分の思うほうへと変えていけることのほうを強調している(ロジャ ーズ,1969)。これに対し,社会文化的アプローチでは,言語及びそれにもとづく社会的ディスコ ースの持つ制約の力が強調されている。ポスト構造主義では,ことばの持つ社会的力,ディスコ ースの持つ力によってほぼ決定され,パフチン派では主体の意志も働くが,半分は他者一社会的 ことばの力によって決められる。したがって,その変容のプロセスは,ヒューマニスティック・

アプローチでは個人内の心理的葛藤・抵抗は問題となるが,言語そのものの制約下にはないのに 34 

対し,社会文化的アプローチでは社会的文化的なものとの間の葛藤・抵抗で特徴づけられる。

この両アプローチの違いの背景には,次項で詳述する両者の言語観の違いが反映されていると 考えられる。ヒューマニスティック・アプローチの言語観では,言語の社会的・文化的,さらに 政治的性質がその論考において考慮に入れられていない。逆に,社会文化的アプローチの内,ポ スト構造主義では言語の個人的意味という側面には視点が向けられていない。両者の中間に位置 するのがパフチン派の立場であると言えるだろう。

2.

自己表現の言語論・言語学習論への位置付け

次に,自己表現がヒューマニスティック・アプローチと社会文化的アプローチの言語論,

学習論にどのように位置づけられているかという点から,両者の相違点と共通点を探る。

2.1  ヒューマニスティック・アプローチの言語論・言語学習論と自己表現

F雪五 Eコロ口

Moskowitzのヒューマニスティック・アプローチ(狭義)は,自己表現は言語論とは結び付け られていなかった。言語学習との関係についても,自己を表現することが学習者を内発的に学習 に動機づけるとするた、けで、あった。一方, Galyeanの合流アプローチ,縫部のホリスティック・

アプローチでは,自己を表現することと言語・言語学習とのつながりがモデル化されている。

自己を開示し,表現することを軸とした技法・活動(個人化技法 (personalstrategies)やヒュー マニスティック・エクササイズ)により,学習対象(認知)である目標言語に対して感情的なも の(情意)が生じ (meaningnodes),負荷される (atIectiveloadings)と,学習対象である目標言 語と学習者(自己)と間に結びつきが生じる。これによって自己の内面から言葉が生起してくる (内発言語(Ianguage企omWl出in))。このようにして目標言語は「感情レベルの次元と結合した」

(維部,1999:51),

r

自己の内的世界に生起するヒト的(personaI)意味」を持つ「個人的言語(personal language) 

(縫部, 1999:27)と し て 獲 得 さ れ る 。 こ の 過 程 は 個 人 化 (personalization)

J

という 概念で示される。

さらに,このように自己表現を主軸とした個人化技法を介して meaningnodesを生み出すよう な個体内・個体間コミュニケーションを通すことで,目標言語での思考・認識と伝達が発達する とともに,言葉が思想感情と結合し,単なる学習された言語知識とは異なり,言葉が「真の実用 性」を持つようになる(縫部,1999:50・51)。

2.2  社会文化的アプローチの言語論・言語学習論と自己表現

これに対し,社会文化的アプローチの諸理論では,ソシュール言語学に代表される客観主義的 言語観に対するアンチテーゼとして,言語を表現主体の立場から捉え,静的な性質に対する動的 な性質,形式に対する意味・概念が強調されている。言語の意味概念は静的なものではなく,社 会的相互作用の中で構築・再構築が繰り返される。このようにして,言語は社会的・文化的・歴 史的に規定された性質を持つ。

このような言語観を背景に,社会文化的アプローチの内,社会文化論では,学習者が社会的イ ンタラクションの中で言語で表現していくこと一言語化(Ianaging)ーを通して個人の概念的 思考が形成されていくこと,すなわち精神が発達していくことに注目した研究・理論が展開され ている。この点は,コミュニケーション活動の中で、表現を行っていくことで個の「思考

J

の充実 につながるとする細川の主張と一致する。また,細川のコミュニケーションの中で学習者自身が

「文法」を概念化していくとする主張は,社会文化論のLantolfの「概念中心の第二言語教育」と も底通する。

このように,社会文化論が言語学習の個人的なものと社会・文化的な物の接点を焦点としなが らも,社会的なものから個人的なものへとしづ研究の方向性を持っているのに対し,状況的学習 論では,より社会的・文化的側面に研究の焦点が置かれ,第二言語社会において第二言語で自己

を表現することが個人の社会的アイデンティティを構築していくことが強調されている。

一方,ポスト構造主義の思想、からは,言語の社会的・政治的性質が強調され,第二言語で表現 していくことは,その言語の社会的・政治的性格のもとで自己が作りかえられていくことと捉え られた。これに対し,パフチンの対話論派では,同様に言語の社会的性質による制約を認めなが らも,言語で表現していくことを社会的な言葉,他者の言葉に自分自身の意味・感情・意志など を付加し,自分を表現するための言葉としていく「専有化」として捉える。そして,

r

言語を学習 することは社会的な声と個人的な声の両方を行使することであるから,言語を学習することは,

そのスピーチ・コミュニティへの社会化 (socialization)のプロセスでもあり,また自分なりの意 味 (personalmeaning)を表現する手段としてのリテラシー獲得のプロセスでもある

J

(Kramsch, 

1 9 9 3 : 2 3 3 )

とし,このような言語学習を通して,学習者は母語とも目標言語社会の規範言語とも 異なる「自分のものとしての目標言語Jを獲得する。

このように,社会文化的アプローチの諸研究の間では,基盤理論と研究の方向性の違いによっ て,自己表現の言語・言語学習との関係の位置付けには違いが見られる。ヴ、イゴツキーの発達理 論に依拠する社会文化論では,インタラクション(またはコミュニケーション活動,対話)にお ける自己表現を個人の認知的・情意的発達を媒介する活動として位置づけているのに対し,パフ チン対話論派は対話の中で言語で自己を表現してし、く過程自体を「他者の言葉」を自分なりの意 味・感情・意志などを付加し,変容させ

r

自分のものにするJ

r

自分なりの意味を持つ言葉とす るJ

r

専有化 (appropriation)

J

学習の過程と見ている。両者の相違は研究の焦点の違いとも言える が,この内,後者のパフチン対話論派の自己表現の位置付けは,むしろ先述のヒューマニスティ

ック・アプローチの「個人化 (personalization)J概念との近接性が高いと言えるだろう。

3.

教育方法における自己表現の位置付け

最後に,教育の方法における自己表現の位置付けについては,両アプローチでは異なったスタ ンスがとられていた。ヒューマニスティック・アプローチの主張では,言語の個人化の前提とな る個人の内面の掘り起こしと学習対象との聞の情意的つながりの形成,また自己開示・自己表現 を促進するクラス内人間関係作りのための技法・活動として自己表現を軸とした特別な技法・活 動の開発とその使用の必要が強調されている。これがMoskowitzのヒューマニスティック・エク ササイズやGalyeanの個人化技法という具体的な教育方法として提示されている。

これに対し社会文化的アプローチの諸研究では,特定の教授法,教育方法の提唱は行わない・

行えないとする立場がとられ,固有の教室活動や技法の開発はほとんど行われていない。

4.

本章のまとめと両アプローチの接点

本章では,第二言語教育研究において自己表現を論考の中心に置く先行研究としてヒューマニ スティック・アプローチと社会文化的アプローチをとりあげ,その諸研究の理論について明らか にし,各論において自己表現がどう位置付けられているかを検討してきた。そして本節では,両 アプローチの理論・方法における自己表現の位置付けの共通点と相違点を検討した。

その結果から,両アプローチともに,自己表現を自己の認識の変容を促し,自己の個人的・社 会的・文化的変容,またそれを通した社会の変容を可能にしていくものとして位置づけており,

またそれを第二言語教育の目標として掲げていることがあげられた。第

1

節で述べた経部(1

9 9 9 )

の3つの教育観で、言えば,ともに変容の教育観に則っていると言える。全く異なるアプローチと

して捉えられてきた両アプローチであるが,自己表現主軸という観点からの検討では,両者が実 は共通した教育観に立つことが明らかになった。また,この両アプローチの掲げる第二言語教育 の目標は,多文化共生社会をめざす第二言語教育・日本語教育において特に重要であると考えら れる。

また,言語論・言語学習論における自己表現の位置付けについては,社会文化的アプローチの

3 6