第 3 章 専有化学習のための教育と自己表現活動
第 1 節 専有化学習における教育の役割
1
.教育の捉え方本論では,序において,社会的構成としての本研究の言語教室観・教育方法観を示した。再掲 すると,それは以下のように教室における学習一教授過程を捉えるもので、あった。
教室での学習一教授過程は 4つの主要構成要 素 一 教 師 (teachers).学習者(Iearners).活動・
タスク (tasks).文脈 (contexts)ーの相互作用を 介した社会的構成と捉えられる。
これら4要因は独立して存在しているのではな く,ダイナミックで絶えず進行するプロセスの一 部として,すべてが相互に影響しあっている。教 師は自分の教授・学習に関するピリーフに従って 活動を選択する。学習者は活動を自分個人にとっ て意味あるもの・私的なものとして解釈する。活 動(タスク,教科書・プリントなどの教材等を含 む)は,教師と学習者の接点である。教師と学習
者もまた相互に影響しあっている。教師の教室で 図3.1学習ー教授過程の社会的構成モデル の振る舞いは自分の価値観とピリーフを反映して (再掲 (Williams& Burden,1997・43) いる。また学習者の教師への反応は,学習者個人
の性格や,教師が彼らに伝える感情によっても影響を受ける。教師,活動,学習者はダイナミッ クな平衡状態にある。一方,学習が生起する場である文脈には,信頼関係や所属感などの情意的 環境 (emotionalenvironment) .物理的環境 (physicalenvironment) .学校全体のエトス,学校を超 えた社会的環境,さらに政治的環境や文化的状況が含まれる。これらは同心円状をなして教室で の学習を取り巻いているが,教室学習の参加者たち一教師・学習者ーもまた,この環境の形 成に影響を及ぼしている。どれか一つの要素に変化が起これば,それは他の要素に変化をもたら
し,学習のプロセス全体が変化する (Williams& Burden, 1997: 43・44)。
このように,社会文化的アプローチの観点からは,教室,そしてそこで行われる教授・学習は,
多要素が相互に関係しあうプロセスの中で構築・再構築される(され続ける)ものとして捉えら
れる。そして,この中で「教育」を考えるとき,それは教師という要因からこの学習一教授シス テム全体が学習を促進する方向へと移行するよう働きかけることであると言えるだろう。
2 .
専有化学習の前提条件従来の,そして現在の第二言語教育実践の現場にも依然圧倒的に見られる知識伝達型の第二言 語教育は,言語分析研究から客観的・静的な言語知識を教師・教材が学習者に伝授し,学習者が それを蓄積していくことを中心としている(Kramsch,1993: 236)。縫部(1999)は,このような
「言語材料を言語要素と言語技能といった最小単位に細分化し,項目積み上げ式指導法を取る」
教育観を,世界を「ブロックを積み上げてできたようなもの」と捉えるアトミズム(要素還元主 義)の思想に基づいた伝達 (Transmission)の教育観と呼んでいる(縫部,1999:12.第1章参照)。
一方,第二言語学習・教育を内的なコミュニケーションと対話を通した第二言語の専有化,さ らにそれを通した自己変容をも視野に捉える立場では,第二言語学習は文脈から切り離された知 識蓄積だけでは達成されないだろうことは容易に推測される。それでは,このような表現し合う ことを通してなされる専有化としての第二言語学習では,どのような教育の役割と方法が求めら れるのだろうか。
前章で提示したように,自己表現を通して言語を専有化していくということは,自己を表現し 合う対話的なインタラクションに能動的・主体的に参加していくことを通して,学習者が自己を 内省し新たな気付きを得ること,すなわち内的コミュニケーションを経て自分の内部に生じたも のを言語化していく過程であり,その中で目標言語を自分の言葉としていく過程で、あった。この ことから,学習が生起する前提として,自己表現を通した専有化としての言語学習では,まず当 然のことながら,学習者が自己表現を行うことが必要で、ある。そして,その自己表現の過程で専 有化が生起するためには,対話的インタラクションと学習者の能動性・主体性が前提として求め
られる。
社会的構成としての言語教室・教育観の立場からは,自己表現の促進,対話的インタラクショ ン,学習者の能動性・主体性のいずれもが一実際にはこれら3者はつながりあっているのだが 一,教室を構成する諸要素の相互作用のもとに構築されていくものとして捉えられる。この相互 作用の中で,教育・教師の役割として何が求められ,どのような方法が有効に作用することがで きるかを考察していくことが,この立場からの教育論に求められる。以下では,この立場から,
各前提条件ごとに,教育の役割と方法について論考する。
2.
自己表現の促進2.1 自己表現の促進・抑制要因
はじめに,自己表現を通した第二言語学習の第1の前提である自己表現の促進について,その 促進・抑制要因について検討し,それに対する教育・教師の役割について考察する。
自己表現を中心とした教室活動を考える上で,教室という場で自己を表現し合うこと,すなわ ち自己を開示すること,さらにそれを能力的に不十分な第二言語で行うことの抑制要因の存在が 問題として予測される。これは,特に学習者のより内面的・情意的な自己開示・表現を求めるヒ ューマニスティック・アプローチ批判の中でもしばしば指摘されてきた点である。以下では,こ れについて,心理学的要因,第二言語要因,教室の制度性という 3つの角度から取り上げ,これ
に対する教育の役割について検討する。
2
.2 自己表現抑制の心理学的要因自己開示を抑制・促進する要因については,心理学分野において,開示者個人に関わる集団特 68
性とパーソナリティー特性,状況的要因等,多くの要因が影響することが研究で明らかにされて いる(榎本,1997)。ここでは,榎本(1997)をもとに,心理学研究の見地からの自己開示を抑制 /促進する要因についてまとめる。
(1) 集団特性
集団特性には,性差,年齢差,文化差などがあげられる。第二言語教育と関連が深いと考えら れる文化差については,先行研究から,自己開示度(量的側面)の文化差は明らかで、あったが(欧 米では開示度が高くアジアでは低い),開示パターン(質的側面:開示しやすい/しにくい項目の 選択)については違いが見られなかった。ただし,榎本は,先行研究がし、ずれもアメリカで開発 された質問紙・調査方法をそのまま用いていることに問題がないとはいえないとし,各国個別の 文化に敏感な方法を用いることで質的な文化差も明らかになるのではないかと推測している(榎 本, 1997: 102・103)。その他の要因に関する榎本自身の調査と先行研究からは,一致した結果は得
られていない。
(2) パーソナリティー特性
自己開示と個人のパーソナリティー特性の関連については,心理学分野において,外向性/内 向性,男性性/女性性などの性格特性,自己評価,自己同一性などとの関連について多くの先行 研究がなされている。しかし,パーソナリティー要因についても,必ずしも一貫した結果が得ら れているわけではない(榎本,1997:118)。
(3) 状況的要因
集団差,個人差が開示者自身の要因であるのに対し,状況的要因は,開示相手あるいは状況に 関する要因である。これには,相手の人物の性別,両者の地位関係,部屋の環境,視線や身体的 距離などが含まれる。この内,諾先行研究から,自己開示に最も影響を与える状況的要因一榎 本の言葉では「どのような個人差をも打ち消してしまうほど強力」な要因ーとして,相手の開 示のレベルに従って自分の開示が決まる「自己開示の相互性の規範」の存在が明らかにされてい る。また,これに関連して,どの程度の自己開示が適切とされるかという自己開示の適切さに関 する社会規範が,自己開示のレベルを決める状況的要因となっている(榎本, 1997: 16)。
①自己開示の相互性
自己開示の相互性とは
r
相手の開示レベルに合わせて自分も開示しようとする傾向を表 したものであるJ
(榎本, 1997: 161)。自己開示の相互性を説明する仮説として, (1)信頼一 好意仮説(開示してくれた相手の信頼/好意に応えるため), (2)社会的交換仮説(ギブア ンドテイクの関係を保持するため), (3)モデリング仮説(そこで要求されている行動様式 が判断しにくい状況下で,手がかりとして相手の行動を模倣する)の3仮説が提唱されてい るが 3仮説のいずれもがある特定の状況の下で複合して相互性を成立させていると考えら れている(榎本, 1997:162・167)。一方,自己開示の相互性は広く認められる規範であるが,人間関係の性質によって例外が あるとされる。一つは,親密度に関連したもので,初対面の場合のように親密度が低い場合 や逆に親友間のように親密度が非常に高い関係、では相互性は成立しない。いまひとつは,役 割関係に関連したもので,教師一生徒,カウンセラ一一クライアント,牧師一信徒といった 役割関係では,相互性は成立しないとされる(榎本, 1997: 199)。
②自己開示の適切さに関する社会的規範
このような役割期待の存在する場での相互性の不成立/忌諒は,自己開示の適切さに関す る社会的規範に逸脱していることから生じる。自己開示の適切さに関する社会的規範は,自 己開示が相手にどのように評価されるかという,被開示者が自己開示さらにはその開示者に 対して行う評定に関わるものである。自己開示の適切さに関する社会的規範は,自己開示さ れた者が,自己開示から開示相手との人間関係をどう捉えるかという対人認知に関して重要
な役割を果たすものでもある(榎本,
1 9 9 7 : 1 8 0 )
。自己開示する者は,絶えずこのような被開 示者からの評価にさらされていることになる。以上,心理学分野での研究結果から自己開示の抑制要因についてまとめた。この内,集団特性,
ノミーソナリティー特性に関わる要因については諸研究の間で一致した結果は提示されていない。
また,これらの要因を変えることは困難であり,活動の選択や手法に教師の配慮を求めるもので ある。
一方,状況的要因は,その可変性から,言語教室における自己表現をどう促進するかを考えて いく上でキーとなる要因である。この内,自己開示の相互性は,自己表現が教室の他者との相互 作用のもとに促進あるいは抑制されていくことを示しており,自己表現を生起・促進する上での 人間関係の重要性を示すものである。自己開示を促進する人間関係については,ヒューマニステ ィック・アプローチの基盤をする人間性心理学,カウンセリング心理学の理論から,非審判的・
受容的関係の必要性が主唱されている。また,自己開示を促すとともにその人間関係形成を促進 するものとしてカウンセリング,セラピーの理論・手法を応用した活動・技法が提案されている (第 1章及び次節参照)。一方,社会文化的アプローチの諸研究では,例えば本論ではこのアプロ ーチに分類している日本語教育での自己表現を主軸とした教育論である細川
( 2 0 0 2 )
,細川( 2 0 0 7 )
の言語文化活動論や西口( 2 0 0 4 )
の自己表現中心の教育論においては,この点についてはほとんど論考はなされていない。ただし,両アプローチともに,この自己開示を促進する人間関係は対 話的インタラクションを通して時間とともに形成されていくものとして捉えている。
もう一つの状況的要因としてあげられた社会的規範は,人間関係の制度性に基づくものであり,
教室における教師一学習者の役割関係について再考し,相互的な開示が促進される集団のダイナ ミクスが形成されていくよう働きかけていくことが教育に求められる。これは
2 . 5
でとりあげる 教室の制度性と関わる点であり,そこで改めて論じる。2
.3 第二言語での自己表現次に,特に第二言語での自己表現のはらむ問題点をあげる。第二言語で自己表現を行おうとす る場合,その能力の制約が自己表現・自己開示を抑制することは容易に考えられる。一つには言 語能力そのものの不十分さから言語での表現ができないという実際的問題がある。しかし,もう 一つの重要な点は,異なる言語を用いることや能力の不十分さからくる心理的要因である。
後者について,八島
( 2 0 0 4 )
はことばによるコミュニケーションで人は自己を認知し,自己 を表現し,他者に対して自己を開く。それゆえ「自分が自由に操れないことば」を用いて自己表 現することに伴う心理を十分考慮する必要がある」とし話者が最も自由に操れる言語でないこ とば,多くの場合習得の途上にあることばを使う時に感じたり,学習するときに経験する不安」(八島,
2 0 0 4 : 3 0 )
を第二言語使用不安と命名している。このような不安は,特に成人の場合,本来の自分を呈示できないことによる不安・パニックを生じやすいとされる(八島,
2 0 0 4 :30
・3
1)。 また,H a r d e r
(19 8 0 )
はこの現象を" r e d u c e dp e r s o n a l i
句,"という言葉を用いて表現している。この ような不安・制約は,能力の低さにのみ由来するものではなく,言語によるディスコースの違い などにより,異なる様式で自己を表現しなければならないことにも起因する(八島,2 0 0 4 :7 0 )
。しかし,第二言語で自己表現を行うことは,マイナス要因としてのみ働くのではないことを示 す研究報告・論考もなされている。国内中学校英語教育を対象とした阿久津の研究(阿久津,