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神権の誓詞と聖約

ドキュメント内 歴代大管長の教え (ページ 160-170)

「主の祝福は,主の聖なる神権を持ち,主を代表する人々の 働きを通して,聖徒たちにも世の人々にももたらされます。」

ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から

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951 年 4 月 9 日,41 年間使徒として奉仕した後で,ジョセフ・フィールディン グ・スミスは十二使徒定員会会長として支持された。支持を受けてから間もな く,スミス会長は会衆に向けて説教をした。そして,その召しについて次のよう に思いの内を分かち合った。

「この度召された職が非常に大切なものであることを知っています。謙けんそんに させられます。……

わたしは,イエス・キリストの福音と教会の会員であること,そして奉仕の機 会が与えられていることに対して主に感謝します。このような弱いわたしではあ りますが,わたしが望むことはただ一つ,それは自分の能力の限りを尽くして与 えられた召しを尊んで大いなるものとすることです。」1

スミス会長は神権者たちに,召しを尊んで大いなるものにするよう頻繁に勧 告した。大管長は神権の召しを尊んで大いなるものにしたいという自身の願い について公に話すことはあっても,2 実際にそれをどのように果たしているかに ついて語ることはめったになかった。しかし,一度,友人であり,十二使徒定員 会会長として前任者であったジョージ・F・リチャーズとともに果たした神権の 奉仕の業について語ったことがあった。

「 40 年間というもの,ジョージ・F・リチャーズ会長とともに会議や大会に出 席し,様々な務めを果たしてきました。……

わたしたちはシオンのステークの端から端まで一緒に旅をしました。昔,中 央幹部は二人一組でシオンのステークを訪問していました。鉄道の通っていな い地域には ― そういう所が多かったのですが ―『ホワイトトップス』とい う名で知られたスプリング仕様の軽馬車で出かけました。遠隔地に出かけると きは通常 2 つ,頻繁に 3 つか 4 つのステークを訪問したものです。

ステーク大会とステーク大会の間にも,ステーク内の様々な入植地やワード で毎日集会を開きました。そのような旅の多くはでこぼこ道を,ときには道らし

第 12 章

1971 年 8 月,英国地域大会で説教するジョセフ・フィールディング・スミス大管長。

着席しているのは,左から右へ ―マリオン・G・ロムニー長老,

リチャーズ・L・エバンズ長老,ハワード・W・ハンター長老。

い道もない所を通り,夏はひどい土ぼこり,冬は身を切るような寒さの中,深い 泥や大雪に遭遇することもしばしばでした。」3

大管長会秘書を務めたフランシス・M・ギボンズ長老は,スミス大管長がど のようにその神権の召しを尊び大いなるものにしていたかについて次のように 語っている。「〔大管長は〕その権能を完全に認識していましたが,その行使 に当たっては常に柔和で控えめな姿勢を崩しませんでした。彼の性格には傲ごうまん

や気取りや尊大さは微じんもありませんでした。偉ぶったり,自らの職の権限 を誇示したりすることは一度もありませんでした。」4

ジョセフ・フィールディング・スミスは,大管長として総大会の神権部会で 5 回にわたり説教し,兄弟たちに神権の召しを尊んで大いなるものとするように 励ました。この章における教えは,そのうちの 4 つの説教から抜粋したもので あり,特に 1970 年 10 月 3 日の説教から重点的に引用している。神権部会で 行われた説教ということから,この章の言葉は男性に向けられている。しかし,

これらの言葉には,神権の権能が教会のすべての会員にとって大きな祝福であ るという理解が含まれている。一つの説教の中で,スミス大管長はこう述べて いる。「神権の祝福が男性に限定されていないことは,わたしたち全員が知っ ていることだと思います。これらの祝福は,わたしたちの妻や娘たちにも,そし て教会のすべての忠実な女性にも注がれています。このような善良な姉妹たち は,戒めを守り教会で奉仕することによって,主の宮の祝福のために自らを備 えることができます。主は,御自身の息子たちが手にすることのできるあらゆる 霊の賜たまものと祝福を娘たちにも用意しておられます。なぜなら,主にあって女な しに男はなく,男なしに女はないからです〔 1 コリント11:11 参照〕。」5

ジョセフ・フィールディング・スミスの教え

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男性は神権の職を受ける際に交わす聖約について明確に理解するべきである メルキゼデク神権の誓詞と聖約について皆さんの注意を喚起したいと思いま す。もしわたしたちが,神権の職を受けるときに交わす聖約と,その召しを尊ん で大いなるものとすれば与えられる主の約束を明確に理解しているならば,永 遠の命を受けるためにしなければならないことをすべて行おうという強い動機 となると思います。

さらに言わせていただければ,このより高い神権にかかわることはすべて,

神の王国で永遠の命を得ることができるようにわたしたちを備えることを考慮 し,目的としているのです。

第 12 章

1832 年 9 月にジョセフ・スミスに与えられた神権に関する啓示の中で主は,

メルキゼデク神権は永遠であり,福音をつかさどって,あらゆる時代に真の教 会の中に存続し,神の知識にかかわる鍵かぎを持つと言っておられます。また,そ れによって主の民は聖きよめられ,神の顔を見て主の安息に入ることができるよう になるのです。「この安息とは,主の完全な栄光のこと」です。(教義と聖約 84:17 - 24 参照)

さらに,アロン神権とメルキゼデク神権の両方について,主は次のように言っ ておられます。「だれでも忠実であって,わたしが語ったこれらの二つの神権を 得て,自分の召しを尊んで大いなるものとする者は,御たまにより聖められてその 体が更新される。

これらの者は,モーセの息子たち,またアロンの息子たちとなり,アブラハム の子孫となり,神の教会となり,神の王国となり,神の選民となる。

主は言う。この神権を受けるすべての者は,わたしを受け入れるのである。

わたしの僕しもべたちを受け入れる者は,わたしを受け入れるからである。

また,わたしを受け入れる者は,わたしの父を受け入れる。

そして,わたしの父を受け入れる者は,わたしの父の王国を受けるのである。

それゆえ,わたしの父が持っておられるすべてが,彼に与えられるであろう。

これは神権に伴う誓詞と聖約によってである。

それゆえ,神権を受ける者は皆,わたしの父のこの誓詞と聖約を受け入れる のである。わたしの父がこれを破られることはあり得ず,またこれが取り消さ れることもあり得ない。」

聖約を破り,それから完全に離れてしまうことに対する罰とともに,次の戒め が与えられました。「……自分自身について気をつけ,永遠の命の言葉を熱心 に心に留めるようにしなさい。

あなたがたは,神の口から出る一つ一つの言葉に従って生きなければならな いからである。」(教義と聖約 84:33 - 44)6

アロン神権を持つ皆さんは高位の神権に属するこの誓詞と聖約をまだ受け ていませんが,主から授けられた偉大な力と権能を持っています。アロン神権 は備えの神権であって,後に授けられるほかの大いなる祝福を受けるにふさわ しくなるようにわたしたちを教え,訓練してくれます。

執事や教師や祭司として忠実に奉仕すれば,皆さんは経験と技量と能力を増 し加え,メルキゼデク神権を受けて,その召しを尊び大いなるものとすることが できるようになります。7

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神権者は,神権の召しを尊んで大いなるものとし,

神の口から出る一つ一つの言葉によって生きることを約束する 皆さん御存じのように,協定とは少なくとも二者の間で交わされる契約およ び合意のことです。福音における協定,すなわち聖約の場合,二者とは天にお られる主と地上の人を指します。人は戒めを守ることに同意し,主はそれに応 じて人に祝福を与えることを約束されます。福音そのものが新しくかつ永遠の 聖約であり,主がその民に提供してくださる同意と約束と祝福をすべて含んで います。

したがって,わたしたちがメルキゼデク神権を受ける際は,聖約によってそれ を受けるのです。わたしたちは神権を受け,神権の召しを尊んで大いなるもの として神の口から出る一つ一つの言葉によって生きることを厳粛に約束します。

主の側は,わたしたちが聖約を守るならば,御父が持っておられるすべて,すな わち永遠の命を受けると約束なさいます。これより偉大な,または栄光に満ち た合意が考えられるでしょうか。

わたしたちは時々漠然とした言い方で,神権を尊んで大いなるものにすると 口にすることがあります。しかし,啓示が教えているのは,長老,七十人,大祭 司,祝福師,そして使徒として,自らの神権の召しを尊び大いなるものとするこ とです。

人が持つ神権とは,人類の救いのためにあらゆることを行えるよう,地上の 人間にゆだねられた神の力と権能です。神権の職あるいは召しとは,その神権 に特別に定められた業を行うために授けられる,教え導く割り当てを指します。

これらの召しを尊んで大いなるものとする方法は,その特定の職を持つ人々に よって行われるよう定められた業を行うことです。

自らの義務に心から忠実であるかぎり,どのような職にあるかは問題ではあ りません。職に上下はありません。しかし,管理運営上の理由で,一人の神権 者が管理者として召され,管理下にあるほかの人の働きに指示を与えることは あります。

わたしの父ジョセフ・F・スミス大管長はこう言いました。「この神権から来 る職で,その神権そのものより大いなるもの,あるいはそのようになり得るもの はありません。職の権能と力は神権から来るものです。どのような職も,その 神権に権能を与えることはありません。どのような職によっても,その人の神権 の権能が増し加えられることはありません。むしろ,教会におけるすべての職 は,その力と徳と権能を神権から得ているのです。」

ドキュメント内 歴代大管長の教え (ページ 160-170)