第 1 章 中国の社会主義市場経済についての諸見解の検討 はじめに
第2節 社会主義市場経済についての中兼和津次の見解
中兼(2010)は、体制移行の概念について、経済体制を構成する主要な制度である資源 配分制度と所有制度との2つの制度が、現実に、資源配分制度は計画制度から市場制度に、
所有制度は公有制から私有制に移行してきた、と見る。すなわち、経済体制は社会主義体 制から資本主義体制に移行してきた。次に政治体制は民主制と独裁制との2種類の制度が あり、この政治体制と経済体制との組み合わせとしての政治経済体制は、①国家社会主義 体制(「社会主義経済と権威主義的政治」、「公有制、計画メカニズム、共産党という独裁政 党による支配」)、②先進資本主義体制(自由民主主義体制)(「資本主義経済と民主主義的 政治」、「私有制、市場制度、民主制」)、③開発独裁体制(「資本主義経済と権威主義的政治」、
「私有制、市場制度、独裁制」)、④理想的社会主義体制(または民主市場社会主義)(「社 会主義経済と民主主義的政治」、「公有制、市場制度、民主制」)との4種となる。その①の 政治経済体制からの移行は、①→②、①→③があるが、①→④の移行については④が現実 に出現していない、と述べている94。そして、経済体制の移行に関して「社会主義体制から 資本主義体制への移行は標準的だ」95と述べており、その移行の理論的根拠が中兼(2010)
第3章「体制移行の理論的根拠」96で示されている。本節では中兼の言うところの経済体制 の移行、つまり経済体制としての社会主義体制から資本主義体制への移行についての見解 を、なかでも計画制度から市場制度へ、公有制度から私有制度への移行の根拠を中心にし て検討する。
93 呉(2007)、24頁。
94 中兼(2010)、6-9頁。
95 中兼(2010)、18頁。
96 中兼(2010)、65-107頁。
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2‐1 社会主義経済から資本主義経済への移行についての中兼の見解の概要 と検討
2‐1‐1 社会主義経済から資本主義経済への移行についての中兼の見解の概要 中兼は経済体制としての社会主義体制から資本主義体制への移行は現実であったが、そ れだけに留まらず、社会主義体制には移行が不可避になる基本的欠陥が内在していると述 べている97。中兼(2010)は、その基本的欠陥を説明するにあたり体制の持続可能性、また は逆に持続不可能性を示している。その持続可能な経済体制とは、次の3つの条件を満た さなければならない98、と述べている。
①「情報量と情報処理能力の対応」のバランスがとれている…情報量の増大に応じた情 報処理能力が必要である。経済全体の情報処理制度は、市場か計画でしかない。
②「情報の対称性と刺激ないしは刺激(誘因)両立性(incentive compatibility)99」…
例えば、企業内の企業長と労働者間での垂直的な情報は非対称であってはならない、企業 長と労働者間に刺激(incentive)が両立していなければならない。
③「体制自体が不断に発展していくダイナミズム」…体制を構成しているアクターが自 ら将来のことを自律的に判断出来る、そうした行動を刺激するシステムがそなわっていな ければならない。多くの人々を長期に安定的に突き動かす動機付けの方法は、社会的関係 の維持や自己利益の保持だと思われる。
以上が3つの条件である。
続いて以上の3つの条件と表裏一体の関係になるが、社会主義経済モデルの非持続性と して次の4つの理由があげられている100。
①「資本主義市場経済モデルは巨大な情報処理メカニズムである市場を核に据え、補助 的に計画メカニズムを用いる、その結果、政府が処理する情報量は社会主義経済モデルよ りもはるかに少ない」、計画経済モデルでは情報量が資本主義市場経済モデルよりも増大し、
計画当局が情報を処理しきれない。
②「資本主義市場経済モデルでは、全てのアクターに自律的決定権が与えられている」、 経済体制を動かす主たるアクターである企業と消費者とは一部が他と切り離されても存続 できる、社会主義とくに集権的計画経済モデルでは中央制御部分を壊すと経済全体が大混 乱に陥る。
③「資本主義市場経済モデルの方が〔社会主義経済モデルよりも〕制度間の整合性が比 較的よくとれている」。この制度間の整合性は、経済体制について「資本主義体制では私有
97 中兼(1999)、205頁、中兼(2010)、75頁。
98 中兼(2010)の第3章「体制移行の理論的根拠」第3節「体制の持続可能性」で述べら れている、76-80頁。
99 中兼は刺激、誘因という用語に英訳を付しており、それは、「刺激(誘因)両立性(incentive compatibility)」…中兼(2010)、77頁、「誘因または刺激非両立性(incentive
incompatibility)」…中兼(1999)、206頁であり、複数の刺激・誘因が矛盾なく存在する
状態を表わす「刺激(誘因)両立性」は、本稿第1節で示した呉敬璉の主張する「単一の 利益主体」と共通性がある。
100 中兼(2010)、80-81頁。
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制と市場との組み合わせが、国家社会主義体制では公有制と計画の組合せが、それぞれ『親 和的』な構造を作っていると考えられる。市場と私有制がより親和的であることは歴史的 にも理論的にも確かめられている」101、と述べられている、また「公有制と市場は整合的」
かについては、市場は所有権の自由な移転により成り立っているが、公有制は所有権の自 由な移転が困難であり、公有制と市場は整合性が無い102、と述べられている。
④「資本主義市場経済モデルでは競争メカニズムが働き、企業と人々(家計)は時には 競争相手を叩きのめそうとするすさまじいダイナミズムを持つ」、「社会主義計画経済モデ ルでは官僚的統制が効き」、下位はいつも上をみて行動する、行動が外向きではなく内向き である、社会主義体制は「自律的ダイナミズム」に欠ける。
以上が4つの理由である。
また、中兼(1999)は計画経済の致命的な欠陥として次の3点を提示している103。
①「情報処理能力の不足、あるいは情報量と情報処理能力のアンバランス」。計画体制が 採用されない理由は、消費者の意思を無視する、現実に必要とされる膨大な数の財やサー ビスを国家が計画することは不可能だからである。
②「誘因または刺激非両立性(incentive incompatibility)」。中央の計画当局と企業、企 業のトップと労働者といった、異なる人間や組織の間の誘因が一致せず、嘘や偽善が蔓延 する。
③「能動的精神と欲望の創出の失敗」。社会や経済をダイナミックに発展させる精神ある いは欲望、その精神を生みだす制度的装置がない。社会主義計画体制は結果平等主義の精 神であり、人々を内向きにする。
以上が3つの欠陥である104。
以上の中兼の提示する持続可能な経済体制の3条件、社会主義経済モデルの非持続性の 4つの理由、計画経済の致命的な3つの欠陥を纏めてみると、社会主義計画経済の非持続 性は次のようなものに纏められるだろう。
①「情報量と情報処理能力」については、社会主義計画経済モデルでは情報量が増大し 情報処理能力が不足する。
②「誘因または刺激」については、社会主義計画経済モデルでは、その各組織・成員の 間の誘因・刺激(インセンティブ)が一致しない。
③「ダイナミズム」については、社会主義計画経済モデルでは自律的決定権、自律的ダ
101 中兼(2010)、86-87頁。
102 中兼(1999)、208頁。
103 中兼(1999)の第6章「市場体制への移行―比較体制論的考察」第2節「社会主義市場 経済と市場社会主義」で提示されている、205-207頁。
104 中兼(2009)「今日の時点から見たブルスとコルナイ:偉大なる社会主義経済研究者の 理論に対する批判的検討」『比較経済研究』第46巻第2号(2009年6月)、Web Site、
「http://www.Jst.go.jp/article/jjct/46/2/2_25/_pdf/-char/ja/」、20011年4月18日参照、26 頁、にて、(国家)社会主義をイ)公有制、ロ)計画(ないしは非市場)、ハ)独裁制、の3 つの構成要素からなるものと定義すると、その欠陥は3点ある、と記しているが、それら も、当該3つの欠陥(中兼〔1999〕、205-207頁)と同様の内容である。
42 イナミズムに欠ける。
以上の3点は、先に示した3条件、4つの理由、致命的な3つの欠陥に共通な事項であ る。さらに、
④「制度間の整合性」については、資本主義市場経済モデルの方が社会主義計画経済モ デルよりも制度間の整合性が比較的よくとれている。
以上の4点に纏められる。
そして、以上の4点は、前述(第1節「社会主義市場経済についての呉敬璉の見解」)で 確認した呉の市場経済と計画経済との比較において呉が提示している計画経済における資 源配分が成り立つための2つ条件、「完全情報」と「単一の利益主体」とが必要(単一の利 益主体については、市場経済では利益による制約、所有権による制約が存在する)とに相 通ずる。
以上の根拠により、計画経済は非持続的であり、公有制は計画経済と親和性があるが、
その計画経済が成り立たずに、または公有制は市場との整合性が無く、非持続的である、
したがって、経済体制としての社会主義体制から資本主義体制への移行は不可避と帰結さ れている。以上の中兼の見解のなかの、「情報量と情報処理能力」、「誘因または刺激」と「自 律的ダイナミズム」、「制度間の整合性」について、次の中兼の見解の検討で取り上げる。
2‐1‐2 社会主義経済から資本主義経済への移行についての中兼の見解の検討
(1)「情報量と情報処理能力」について
中兼の論理は、「資本主義市場経済モデルは巨大な情報処理メカニズムである市場を核に 据え、補助的に計画メカニズムを用いる。その結果、政府が処理する情報量は社会主義経 済モデルよりもはるかに少ない。計画経済モデルでは、計画当局は全ての企業と地域(場 合によっては消費者)に対して指令を下すわけであるから、その分情報量が増大する。(中 略)新しい欲求といった未知の情報を処理できないし、嘘の情報がながれたとき、たちま ちの内にシステム全体はダウンする」105と、つまり、計画経済は市場経済に比較して情報 量が多くなりその情報を処理しきれなくなる、と述べている。この中兼の主張は、前述(1
-2「市場経済と計画経済との比較についての呉の見解の概要と検討」1-2-1「市場 経済と計画経済との比較についての見解の概要」)で確認した呉の主張する計画経済におけ る資源配分が成り立つための2つ条件の内の 1 つである「完全情報」に関する呉ならびに ハイエクの論理に共通している。
中兼の論理は市場経済の政府と計画経済の政府とを比較して、その政府が処理しなけれ ばならない情報量、すなわち政府が必要とする情報量の多少を取り上げているが、この論 理は、前述(1-2「市場経済と計画経済との比較についての呉の見解の概要と検討」1
-2-2「社会主義市場経済についての呉の見解の検討」(2)「『必要な情報量』について」) の呉の見解についての検討結果と同様に市場経済の政府が必要とする情報量には個々の企 業が必要とする情報量は含まれておらず、個々の企業内の情報量を含めた社会全体で見て
105 中兼(2010)、80頁。