病弱教育の真の目的は「病気を改善・克服する3ことではない。病気や障 害と共に生きる子どもの「人間的健康の実現(上野,1975)」である。そ の目的に向かって、現実とのかかわりを通して自ら変容していく子どもに 添っていくのが学校教育の果たす役割であると考える。ζの章では、第3 章、第4章で得られた結果を参考にして、病気の受容に向けた児童生徒へ の心理的援助のあり方について検討し、卒業を控えて情緒不安定になるこ とが予想された気管支喘息の高等部女子の予防的カウンセリング事例を考
察する。
第1節 病弱養護学校における病気受容への心理的援助
1.病弱養護学校の特性
1)児童生徒による病弱養護学校の評価
病弱児の語りやアンケート調査結果から、病弱養護学校は子どもから、
①管理され自由を束縛される場として、②疾患に関する知識をはじめ差別 問題や生命を学ぶ場として、③病気をもつ仲間たちや教師との出会いの場 として、④病気や内向的な性格のため地元の学校にはなじめなかった子ど もたちが小集団の申でゆとりを取り戻し、自分を表出できる場として、み なされていることが明らかにされた。
本研究におけるアンケート調査では、病気に対する気持ちの変化のきっ かけとして養護学校における友人や教師との出会いや支えが全体の約 30%、同じ病気の仲間との出会いを加えると全体の50%近くを占めていた。
また、語りでは病気体験の積極的な面として友人との出会いが挙げられて いた。これらのことから、病弱養護学校における病気体験の質的な変容の 可能性が示唆された。
2)児童生徒による教師の評価
サポート源としての教師は全体の約2%〜6%の割合だった。割合は低 くても教師をサポート源として選んでいる子どもが存在するという事実は 重要であると考える。教師は病気のことで悩んだときに相談する相手とい
うよりも、むしろ落ち込んだときに元気づけてくれたり、うれしいことが 起きたとき喜んでくれる者として捉えられており、日常的なかかわりの中
で病弱児に「添う人」としての教師の姿が示されていた。また、面接では 病気を受容している2人が教師の言葉を自分の人生訓として、自分を支え る ≦守ザとして捉えており、教師の存在や言葉が、病弱児の支えや守り になり得ることを示唆している。
教師への相談内容は学校ストレッサーである勉学、進路、友人関係に関 する悩みが多い。学部別にみると、小学部の児童は友人関係の悩みや情緒 不安定なとき、中学部・高等部の生徒は自分自身に関する悩みが多い。こ れらの調査結果から、病弱養i護学校の児童生徒は教師に対して学校ストレ
ッサーへの援助および発達課題の解決への援助を求めていると考えられた。
教師に期待する援助の中でも、面接におけるE子の「社会や人生につい て教えてほしいjという書葉は注目するべきであると考える。挨拶や言葉 遣い等のマナーなど社会常識の指導にとどまらず、生き方そのものに対す
る援助が求められていた。
2.病弱養護学校における心理的援助 1)病気受容への心理的援助
語りと調査結果から、病気の受容と積極的・実存的な生き方、将来への 展望、ソーシャル・サポート、自分の病気への理解、自己効力感や自尊感 情の高さ、自己受容との関連が明らかになった。すなわち、病気を受容し ている者は①生き方の態度が積極的・実存的であり、②時間的展望をもち、
未来志向的である。③周囲の人々に支えられているという実感をもち、病 気のことで困ったときや不安なとき相談相手をもっている。④自分の病気 を理解していると考えており、⑤自己効力感や自尊感情が高く、⑥自己受 容的である。
これらのことから、病気受容への援助とは病弱児がfよりょく生きる」
ことへの援助に他ならないといえる。
2)心理的援助の観点
病弱養護学校における児童生徒の病気受容に向けた心理的援助は、次の 4つの観点から捉えることができる。①臨床援助の観点、②学校の「場」の 観点、③病弱児の特性の観点、④発達的観点。
以下、各観点からみた援助について考察する。
(1)臨床援助
病弱児の人間的健康の実現を援助するためには、個々の子どもに対して
「人問が生きる意味全体への開かれた関わり(久留,1989,p。3)」によう 統合的・継続的・連携的な臨床援助が必要である。
医学や心理学における臨床観、治療観、教育や編祉における発達観、援
助観が、ゑ入み入商に統合された時、臨床援助としての開かれた人間的 接近が展弱されてくるのである。一+人の人間(病み、苦しみ、発達につ まずく存在〉に対して、医師も看護婦も、カウンセラーも、担任教師も、
彼に関わる人闘すべてが、共通的、連続的人間観に立脚する時、「臨床援 助」という関わりが成立する(久留,1989,p.3,傍点は著者による)。
1ife−spanの観点から、病弱児を取り巻く各専門領域が共通の人間観を 基盤として子どもにh◎1istic approachを展開していく中で、その子ども にとっての生きる意味が確立し、lifeの肯定がなされる.。そのapproach の一端を教育は担っているのである。
(2)病弱養護学校という「場」を生かした援助
伊藤(1998)は学校という「場」(トポス)に独特の条件として、①鷺 常生活の場であること、②教育をH的とした、異なる立場の構成員からな る独自のシステムであること、③生徒集団が発達途上であること等を挙げ、
学校のf場」としての性格(学校風土・学級風土)に着目することで、ヂ場」
を生かした展開や風土自体を快適なものにしていける可能性を示した。
病弱養護学校という「場」では、伊藤の挙げた条件の他に、④在籍する 児童生徒集団が病弱であること、⑤比較的小集団であること、⑥多くの児 童生徒の日常生活場所が病棟や寄宿舎であること、⑦医療機関と提携して いること、等が挙げられる。病弱養護学校における心理的援助はこれらの
「場」の条件を生かすことが望ましいと考えられる。例えば、空間の狭さ と少数の濃密な入間関係は「制限が多い」噛由がない」とみなされる一方 で、「病気」という共通基盤のもとにある子どもたちにとっては安心して自 分を出せる場である。また、小集団ゆえに教師は個々の子どもの状態が把 握しやすいので、学校における子どもの様子から病態に対する不安や恐れ など情緒不安定な心理状態を読み取りやすく、医療機関との連携のもとに 早期に心理的援助を行うことができる。
(3)病弱児の特性に応じた援助
病弱養護学校においては、病弱児独自の心理的危機に関連する個人的課 題の克服が援助の重要なポイントとなる。
病弱児の心理的危機は、障害や病気にかかわりなく起こる一般的危機、障 害や病気が直接的に起因する一次的危機、障害や病気が間接的に起因する 二次的危機の3つに分けられる。
①一般的危機:事故、負傷等。
②一次的危機;中途で障害者になった場合や徐々に障害が進行・重度化し ていく場合。あるいは潜在していた疾患が発症する場合。青年期において
障害・病気を受容して自分のボディ・イメージや自己概念を形成していく ときの葛藤、等。
③二次的危機:乳幼児期における母子関係の不全や親の罪悪感からくる過 保護など。あるいは子どもが病気になったことで起こる家族内の人間関係 の危機、等。
従って、援助体制の基本的な枠組みは一般校と共通であるが、病弱児対 象として独自の援助も考慮されなければならない。
(4)発達段階に応じた援助
病弱児の場合、病気による心理的状況の差が考慮されなければならない。
例えば、病気の受けとめ方や、教師への相談の内容・相談に対する期待は 自我の成熟度や発達段階によって異なっている。また、中学部の生徒は自 己像のとらわれから病気に対して逃避的・受動的になる場合があるという ように、心理的援助の焦点や援助する上での留意点も異なる。従って、病 気受容に向けた心理的援助は、児童生徒の発達段階や自我の成熟度に応じ て行うことが必要である。
3)心理的援助を病弱養護学校で行う意義
病弱養護学校で病気受容に向けての臨床援助を行う意義として以下のこ とが挙げられる。
①病気受容への援助は「よりょく生きること」に対する援助でもある。こ れは「病気と共に生きる子どもの人台的健康を実現する」という病弱教育の
目的とも一致しており、教育の営みの中で援助を実現できる。
②病気の受容は日常的な生活の中で社会的諸関係を通してなされる(黒岩,
1991)。従って、子どもは1日の大半を過ごす病弱養護学校の「場」にお いて教師との日常的な関係の中で援助がなされるのが適切であると考える。
③自分や友人関係に関する雑題、進路問題、自立に向けての取り組み等を 含めて「よりょく生きること」に関する援助を子ども自身が教師に求めて
いる。
④病気を否定的に受けとめている者は自己や他者・社会・時間から分断さ れ、孤立状態にある。学校で行う臨床援助は、継続的に子どもの成長を見 守ることが可能なことからf時間」との、集団から「他者」との、各関係 機関との連携から「社会」との「連続性」を保障することが可能である。
⑤サポートの有無は病気の受容に関連しているが、調査結果から「サポー トがない」と感じている子どもが各学部に存在し、全体の5%〜13%を5 めている実態が明らかにされた。こういつた子どもたちに対して仲間や教 師との関係づくりに養護学校の小集団の「場」を生かすことが可能である。