4.2.1 筆者による仮説と実験の実施
筆者は、[
y
]調音がうまくできない学習者の発音矯正を数多く行なってきた結果、調音 がうまく行かない原因をほぼ3種の型に収斂できると考えるに至った。具体的には、
A
・・・ ・・・ 最初は正しい[y
]を発出できても、唇が緩むことによりほぼイ ーになってしまう。特に第2声と第4声の時に出現し易い。第3声の時 も時々出現する。最初からほぼイーになってしまう場合もある。B
・・・・・・ 最初は正しい[y
]を発出できても、舌の先が下の歯の裏から離 れることによりユー、またはほぼユーになってしまう。最初からユーに なる場合もある。107
C
・・・ ・・ 円唇も前舌高位もともに安定せず、全体的に何の音を発出して いるのか不明瞭。の3種である。
A
の原因は円唇が緩んでしまうのであり、B
の原因は、舌先が下の歯の裏 から離れ、舌全体が後ろに引かれて中舌的になってしまっているのである。C
の場合は、円唇も緩み、舌の先も下の歯の裏にぴったりついていないと考えられる。
A
が第2声と第4声の時に出現し易いのは、音程の変化を唇の形を変えることで実現しようとする、誤っ た代償行為と考えることができる。長谷川(1990)も
因日语里没有这个元音,有的学生舌位高度不够,前移不够。有的日本学生嘴唇 的撮度不够紧。(下線は筆者)
と、筆者のいう
A 、 B
2種と共通する問題を挙げている(1995、附録2、p.23)。正しい[y
]調音では、舌先表は確実に下の歯の裏に押し付けるようにする。これは本来、その部分よ り後ろの部分、すなわち前舌後部から後舌にかけての脇舌が口蓋に対し持ち上がって確実 に安定的に付くための支えの役割をする。また、もし円唇が正しく行なわれていて、頬が 凹むほどになっていれば、口角脇の内部が舌側にしっかり付くはずである。筆者の知る限 りこのような構えを持続的に要求する調音は日本語にはなく、学習者にその身体感覚を自 身で知覚させることがポイントの一つになると考えた。但し、任意の慣れない身体感覚が すなわち正しい調音の前提になるのではなく、各種の調音要素、すなわち円唇、舌先表の 下歯の裏への付着、前舌から後舌にかけての脇舌の口蓋に対する付着という条件が揃って いることが前提である。学習者が一度できた調音を再現する際、まず細部の構えをチェッ クした上でこの身体感覚で最終的な確認を行なうのが良いと考える。上記の学習者の調音 がうまく行かない原因3種のうち、
A
、B
2種では、学習者が慣れない身体感覚を自身で解 消してしまっているのである。C
は慣れない身体感覚を少し感じながらもそれを徹底でき ない状態である。筆者はこの身体感覚をポイントの一つにして、[y
]発出のための改善案の考案を試みた。
1.この発音が正しく行なわれた場合、まだ中国語のウムラウトに未習熟な日本 語母語話者なら口の前の方に今まで感じたことのない、少々窮屈で変な感覚 が生じる可能性があるということを学習者に告げる。但し「未習熟」と言っ
てしまうと学習者が過度に緊張または委縮してしまう結果、発音改善がうま
く行かない可能性があるので、筆者は学習者を十分にリラックスさせる目的 で実際には「普通の日本語母語話者なら」と言うことにしている。
2.開口度の狭い円唇、および「イー」の両立を指示し、調音させる。
108
実際には以下のような言葉で試してみた。筆者はこれをクリニックと称している。
1.この音を発した時普通の日本人だったら口の前の方に少し窮屈で変な感じが生じ るはずです。
2.まず、唇を小さく丸く開け、唇を左右からすぼめて、日本語のユをなるべくしっ かり準備してください。でも音はまだ出さないでください。
3.舌の先が下の歯の裏についていて、この頬の内側(手で場所を示しながら)が舌 の横についていることを確認してください。
4.その構えを何も動かさないで無理やりイーと言ってください(下線部を強調して 言い、実際の音も聞かせる)。
このクリニックを行なった結果が表4Bである。
被験者8名は、みなすでに中国語学習をある程度行なったことがある。学習の方法、時 期、時間、場所は様々で、それらをなるべく忠実に、しかしごく簡単に記述してある。ク リニックを行なった時期は平成20年2月から6月にかけてである。表の一番左の欄は被 験者者1~8番を配し、その右の欄には「被験者がそれ以前発音を獲得した主な方法・場 所」を記した。まずクリニックを行なう前に、被験者にピンイン表示の「
yu
」を見せ、4回発音してもらい、それをテープレコーダーに録音した。これまでの経験から、第1声と の組み合わせが最も容易であることがわかっていたので、1番N.K.氏以外は第1声を4回 発音してもらった。N.K.氏が最初の被験者で、その当時は第1~4声すべてをしようと考 えていたが、途中から考えを変えて、第1声のみにした。後から考えると全声調をしてお いた方が良かったかもしれない。
クリニックは上記説明を含み10~20分ほど行なった後、再度「yu」を4回発音して もらった。この時新しく獲得した情報をなるべく調音に生かすよう依頼し、またそれを録 音した。後日,クリニック以前と以後の録音はCDに移し、その番号は被験者イニシャル と同じ欄に<>をつけて表示してある。この8名の録音を、ネイティブの中国人(女性、
当時51歳)に聴いてもらい、クリニック以前とクリニック以後の発音を評価してもらっ た。この中国人は筆者がu(wu) の実験を評価してもらった人と同一人物である。
109
表4B ×-良くない △-あまり良くない ○-まあまあ良い ◎-大変良い
4.2.2 実験の結果
その結果、効果があったのは、8名中6名で75%を占める。実は、筆者自身、有効率 がもう少し高いと思っていたのだが、案に相違して75%だったのは、少々残念であった。
しかし、1番N.K.氏が×から◎に2段階も向上したことは大変うれしいことであった。ま た、8名全員が、しっかりとしたイー、すなわち張り母音のイーの舌位をとることを知ら ず、狭い円唇と組み合わせた後、固定したまま音を発することを明確には知らなかった。
8名の被験者は、今後[
y
]調音を行なう際、この2つのポイント、すなわち「狭い円唇」と「しっかりとしたイー」、およびそれに伴う身体感覚を思い出して再現しようと努めれば、
調音を再現できる確率が高い。1番が
A
タイプ、すなわち円唇が途中で緩んでしまう。2 番、5番、6番、7番がB
タイプ、すなわち「ユー」かほぼ「ユー」になってしまう。8 番がC
タイプが全体的に不明瞭と大体分類できるが、2番と3番「ほぼ問題なし」も、被 験者自身の自信のなさから判断して微弱なC
タイプと考えることもできる。ネイティブによる発音の評価 番号 イニシャル
性別 <CD>
被験者が発音を獲得した 主な方法・場所
問題のタイプ クリニック以前 クリニック以後 第1、2、3、4声 ◎ +1段階
1 N.K.
女 <51>
大学で約1年
大体良いが 途中で唇が緩む
Aタイプ
第1、2、3、4声
○
(第2声少し劣る)
2 S.K.
女 <52>
中国で個人教授週2を3か月 北京の大学留学1年半
「ユー」になる
Bタイプ
第1声4回
× ○ +2段階
3 M.S.
男 <53>
大学で1年 ほぼ問題なし 第1声4回 ○
○ 変化なし
4 Y.K.
女 <54>
大学で2年
都内の中国語教室で3年
ほぼ問題なし 第1声4回 ○
○ 変化なし
5 M.K.
女 <55>
都内の中国語教室で1年 「ユー」になる
Bタイプ
第1声4回 △
○ +1段階
6 K.T.
女 <56>
都内の中国語教室で2年 (但し発音の時期抜けた)
ほぼ「ユー」
になるBタイプ
第1声4回 △
○ +1段階
7 E.U.
女 <57>
独習半年、カルチャーセンター3か月 都内中国語教室2年半
ほぼ「ユー」に なる Bタイプ
第1声4回 △
○ +1段階
8 K.K.
男 <58>
大学で2年 不明瞭なCタイプ
両唇音[
β
]が混じる
第1声4回 △
○ +1段階
110