Cauchyの積分定理には色々な形があるけれど、この授業で教科書のやり方を採用しなかっ
た理由を説明する。
Cauchyの積分定理は、もともとは次の形で述べられることが多かったそうである。
定理 8.6 任意の区分的に C1 級な単純閉曲線 C と、C の囲む領域 D の閉包 D を含む (ある)開集合で正則な f に対して、
∫
C
f(z)dz = 0.
単純閉曲線がいつでも領域を囲むことは、証明が必要なこととはみなされていなかった。19世 紀の末頃、それは明らかなことではなく、証明を要することだと認識されるようになり、Camille
Jordan (1838–1922) が最初にその証明を試みたことにちなみ、この定理は今では Jordan 曲
線定理(Jordan curve theorem, Jordan 閉曲線定理) と呼ばれている(という説明を一松 [1]
で読んだことがあり、受け売りしているだけ。Wikipediaによると、最初に定式化したのは、
Bolzano-Weierstrass の定理で有名な Bolzano であるとか。)。
Jordan曲線定理は、明らかとも思えるその主張の簡単さからは想像できないほど、証明す
るのが大変である。
そこで関数論のテキストでは、20世紀の途中から、徐々にJordan 曲線定理の利用を避ける ようになり、今では Jordan曲線定理を前提とするテキストはほとんどない。
それではどうするかというと、大まか、次の二つのやり方がある。
(1) (この授業のやり方) 簡単な曲線(三角形や長方形の周とか)、簡単な領域 (円盤領域や星型
領域) から始め、それで円盤におけるCauchy の積分公式を導いてしまう。正則関数の性
質や Laurent 展開、留数の議論をするのはそれで十分である。それ以降、必要があれば、
• 曲線 C の点 a の周りの回転数n(C;a)を導入してトポロジカルな(位相幾何学的な) 問題を処理する
• ホモトピー形の Cauchy の積分定理を導入する などを行う。
(2) 次の定理からスタートする。
定理 8.7 Cの領域 Dの境界は、1つの区分的C1級単純閉曲線C の像になっていて、
C の進行方向の左手に D を見るようになっているとする。このとき、D を含むある 開集合で正則な任意のf に対して
∫
∂D
f(z)dz = 0.
閉曲線C が一般に領域を囲むかどうかは問題にしないで、領域Dがあることを仮定する ところから始めるのが、(細かいようであるが)話を単純化する工夫である。実際に定理を 応用するとき、領域 D は確定していることが多いので、その存在を示すための一般化に 労力をつぎ込まない、ということである。
それでこの定理はどうやって証明するかであるが、それについてはGreenの定理を使う。
Cauchy-Riemann 方程式ux =vy, uy =−vx が成り立つので
∫
∂D
f(z)dz =
∫
∂D
(u dx−v dy) +i
∫
∂D
(v dx+u dy)
=
∫∫
D
(−vx−uy)dx dy+i
∫∫
D
(ux−vy)dx dy
=
∫∫
D
0dx dy= 0.
この方法の長所の1つとして、Green の定理は、D の境界が、有限個の互いに交わらな い単純閉曲線の和である場合に拡張した形で述べられていることが多く19、これを使うと
Cauchyの積分定理も便利な形(定理 8.1) になることがあげられる。
一方、短所としては次のものがあげられる。
(a) 普通のGreenの定理は、ux, uy, vx, vy の連続性は仮定するので、Cauchy の積分定理 の仮定、または関数 f の正則性の定義に、導関数 f′ の連続性を含める必要がある。
(b) Green の定理の証明にはそれなりの手間がかかる。ここをどうするかはちょっと悩ま
しい。多くのテキストで、Green の定理は微積分で習うことだからと言って、証明は 他の本に丸投げしてしまうことが行われているが、無責任であると思われる。誠実な 本には、堀川 [11], 小平 [12] がある(どちらも素晴らしい本であるが入手しづらい)。
[11] では、Green の定理を簡単な場合に限って、きちんと親切に説明し、それを用い
た Cauchy の積分定理を使って関数論を展開している20。
(c) 曲線が、領域の境界をなすものに限られるので、例えばポテンシャルを構成したりす るときに少し面倒になる。
色々考えた末に、この講義では (1) の路線を選んだ。結果的には多数派に所属したことに なる。
(ここは前に述べたことの繰り返し) 一方で、定理8.1 は使ってもらっても構わない。普通、
その場合一番気になるのは導関数 f′ の連続性なのだが、この講義ではそれは証明済みなので (「正則関数は無限回微分可能」)、そこはまったく気にする必要がない。堂々と使ってもらっ て結構である。
9 正則関数の性質
9.1 正則関数の零点とその位数
2014年度の講義ではもっと後になってから(§11.2) 説明したが、この辺でやっておくべきで あった。正則関数が f(c) = 0 を満たすとき、次の2つのいずれか一方が成り立つ。
(i) (∀n∈N∪ {0})f(n)(c) = 0.
(ii) (∃k∈N) f(c) =f′(c) = · · ·=f(k−1)(c) = 0, f(k)(c) = 0.
(ii) の場合はf(z) = (z−c)kg(z), g(c)̸= 0 を満たす正則関数g が存在する。多項式の場合に、
同様の命題 (g(z)∈C[z]とする) が因数定理と帰納法で導かれることに注意する。
19しかし証明をきちんと書いてある本は和書では杉浦[10]くらいしかない。
20余談になるが、以前微積分を担当していたとき、色々考えた末に、Greenの定理で無理をせず、証明が比較 的簡単に済む場合に限り、後はその限定版の定理だけを使って議論を展開した。関数論でもそれと同じことをす れば良いということだが、そういう書き方をしている本がなぜかあまりない。[11]の議論の進め方は腑に落ちた。