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第5章 “V 到”構造と方向補語構造の機能差異

5.4.2. 杉村(2011)の分析

杉 村(2011)は 、VxY が 〈 過 程 性 〉を 持 た な い と 主 張 し て い る も の の 、 自 ら こ れ と 相 容 れ な い 言 語 事 実 と し て 、 例(5-9)を 取 上 げ て い る 。(日 本 語 訳 も 杉 村 2011 か ら 引 用)

(5-9) 在 二 根 走 出 院 子 之 后 , 他 看 见 朝 阳 下 的 村 子 似 乎 还 是 昨 天 的 样 子 。 他 还 看 见 有 几 个 像 他 一 样 的 男 人 , 也 像 他 一 样 正 在 走 出 屋 门 或 走 出 院 落 。 门 声 此 起 彼 伏 。

(二 根 は 敷 地 を 出 て 行 っ た あ と 、朝 日 の 中 の 村 を 眺 め る と 、そ れ は 昨 日 と 変 わ ら ぬ 様 子 だ っ た 。 彼 は さ ら に 何 人 か の 自 分 に 似 た 男 を 目 に し た が 、 彼 ら も ま た 二 根 の よ う に 、 家 を 出 た り 、 庭 を 出 た り し て い た 。 戸 の 開 け 閉 め の 音 が そ こ こ こ で 鳴 っ て い た 。)

当 該 の 例 に つ い て 、杉 村 氏 は 次 の よ う な 分 析 法 を 示 唆 し て い る 。す な わ ち 、「 動 作 主 が 単 数 で は な く 複 数(す な わ ち “几 个 像 他 一 样 的 男 人”筆 者 注)で あ る こ と が 分 析 の キ ー の 一 つ に な る 可 能 性 が あ る 。」 と い う こ と で あ る 。 確 か に 、 例(5-9)に 限 っ て い え ば 、 動 作 主 が 複 数 で あ る 場 合 、VxYは 〈 限 界 性 〉 を 持 つ と し て も 、 複 数 の 瞬 間 的 な 動 作 が 行 わ れ る と 捉 え れ ば 、 “正 在”と 共 起 し う る の で あ る 。 し か し 、 上 述 の 分 析 で 説 明 で き な い 例 も あ る 。 次 の 例 を 見 て み よ う 。

(5-10) 这 时 我 听 见 了 在 石 楠 林 中 一 阵 簌 簌 的 响 声 , 我 抬 起 头 来 看 , 看 见 希 刺 克 厉 夫 正 在 走 下 山 庄 , 快 要 走 近 我 们 了 。 (CCL・[英] 艾 米 莉 ·勃 朗 特 著/杨 苡 译 《 呼 啸 山 庄 》)

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(そ の と き 、 カ ナ メ モ チ の 林 か ら 葉 の 擦 れ 合 う 音 が 聞 こ え て き た の で 、 頭 を 上 げ て 見 て み る と 、 ヒ ー ス ク リ フ が ち ょ う ど 山 荘 か ら 降 り て 、 私 達 の 方 に 向 か っ て き て い る と こ ろ だ っ た 。)

(5-11) 当 落 到 地 面 之 后 ,他 看 着 破 裂 、流 血 的 肌 肤 ,不 禁 感 到 有 些 挫 折 。但 是 没 时 间 去 管 这 些 了 , 他 抬 头 看 到 史 东 正 在 滑 下 绳 子 , 提 卡 的 脸 出 现 在 楼 上 开 口 的 地 方 。(CCL・[美]崔 西 ·西 克 曼 、 玛 格 莉 特 ·魏 丝 著/ 朱 学 恒 译 《 龙 枪 编 年 史 1》)

(地 面 に 降 り 立 つ と 、 彼 は 傷 だ ら け で 血 ま み れ の 肌 を 目 に し 、 い さ さ か の 挫 折 を 感 じ ず に は い ら れ な か っ た 。 し か し 、 そ れ を 気 に し て い る 時 間 な ど は な か っ た 。 顔 を 上 げ る と 、 史 東 が ロ ー プ を 滑 り 降 り 、 提 卡 の 顔 が 階 段 の 上 に 現 れ る の が 見 え た 。)

(5-12) 比 如 说 , 我 们 在 法 兰 西 研 究 院 的 院 子 里 看 见 的 , 就 不 是 一 个 院 士 正 在 走 出 院 子 去 叫 出 租 马 车 , 而 是 这 个 院 士 因 怕 摔 交 而 小 心 翼 翼 、 摇 摇 晃 晃 走 路 的 样 子 。(CCL・[法]M.普 鲁 斯 特 著/李 恒 基 、 桂 裕 芳 译 《 追 忆 似 水 年 华 》) (た と え ば 、 我 々 が フ ラ ン ス 研 究 院 の キ ャ ン パ ス で 見 か け た の は 、 一 人 の 研 究 員 が ち ょ う ど レ ン タ ル の 馬 車 を 呼 ぶ た め に キ ャ ン パ ス を 出 よ う と し た と こ ろ で は な く 、 そ の 研 究 員 が 転 ば な い よ う に 、 慎 重 に フ ラ フ ラ と 歩 い て い る 様 子 だ っ た 。)

上 記 の 例 で は 、 動 作 主(□ で 示 さ れ て い る)が 単 数 で あ る に も か か わ ら ず 、VxY は

“正 在”と 共 起 し て い る 。 よ っ て 、VxY と “正 在”と の 共 起 条 件 に つ い て 、 動 作 主 の 数 と い う 意 味 条 件 の 他 に 、 別 の 要 因 も 考 え な れ ば な ら な い 。 本 論 は 、 “正 在 / 正” と “在”の 意 味 機 能 の 差 異 に 注 目 し 、 そ の 原 因 を 探 っ て い く 。

5.4.3. 本 論 文 の 分 析

杉 村(2011)で は 、VxY が “正 在”と 共 起 す る 例 を 取 り 上 げ る 際 に 、「 目 撃 情 報 を 実 況 報 告 す る 場 合 」 で あ る こ と も 指 摘 し て い る 。 し か し 、 そ れ だ け で は な い 。 上 記 の 例 で は 、 “正 在 /VxY”は “看 见 , 看 到 , 感 到”と い っ た 知 覚 動 詞 の 目 的 語 で あ る

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と 同 時 に 、 い ず れ も 複 文 に お け る 従 属 節 に 生 起 し て い る 。27な お 、VxY は “正 在/ 正”と 共 起 す る が 、“在 ”と は 共 起 し な い と い う 統 語 的 特 徴 も 観 察 さ れ る 。こ の 二 つ の 現 象 の 間 に 如 何 な る 関 連 性 が あ る の か と い う 問 題 を 解 明 す る に は 、 や は り “正”

“在”“正 在”の 意 味 機 能 か ら ア プ ロ ー チ し な け れ ば な ら な い 。

三 者 の 意 味 機 能 に つ い て 早 く に 言 及 し て い る の は吕 叔 湘(1980/1999)で あ る 。 す な わ ち 、「“ 正 ”“ 在 ”“ 正 在 ” 表 示 动 作 进 行 或 状 态 持 续 的 意 思 。 其 中 “ 正 ” 着 重 指 时 间 ,“ 正 ” 后 不 能 用 动 词 的 单 纯 形 式 ;“ 在 ” 着 重 指 状 态 , 可 表 示 反 复 进 行 或 长 期 持 续 ;“ 正 在 ”既 指 时 间 又 指 状 态 。(“正”“在”“正 在 ”は 動 作 の 進 行 或 い は 持 続 を 表 す 。 そ の 中 、 “正”は 「 時 間 」 を 指 す こ と に 重 点 が あ り 、 “正”の 後 に 動 詞 の 単 純 形 式 が 後 接 す る こ と が で き な い 。28“在”は「 状 態 」を 指 す こ と こ と に 重 点 が あ り 、

「 繰 り 返 し 行 わ れ る 」或 い は「 長 期 的 な 持 続 」を 表 す こ と が で き る 。“正 在 ”は「 時 間 」 を 指 す 同 時 に 「 状 態 」 を も 指 す)」 と い う こ と で あ る 。

呂 叔 湘(1999)が い う 「 時 間 」 と い う 概 念 が 何 を 指 す の か 、 定 か で は な い 。 本 論 は 、肖 奚 强(2002)、张 亚 军(2002)、陈 前 瑞(2003)を 踏 ま え 、 “正”は 「 参 照 時 点 」 を 提 示 す る 機 能 を も つ(以 下「 参 照 時 点 提 示 機 能 」と 呼 ぶ)と 考 え る 。29つ ま り 、“正 VP”が 表 す 事 態 が 発 生 し て い る(或 い は 発 生 し た)と き に 、 別 の 事 態 も 発 生 し て い る あ る い は 発 生 し た と い う 意 味 で あ る 。 “在”は 主 に 動 作 行 為 の 進 行 や 持 続 の 状 態 に 焦 点 を 当 て て お り(以 下「 動 作 進 行 表 示 機 能 」と 呼 ぶ)、「 参 照 時 点 提 示 機 能 」を

27 益 岡(1997:1)は 日 本 語 を 題 材 に 、「 複 文 」 と 「 従 属 節 」 の 概 念 に つ い て は 次 の よ う に 規 定 す る 。 す な わ ち 、「 複 文 と は 述 語 を 中 心 と し た ま と ま り が 2つ 以 上 集 ま っ て 構 成 さ れ た 文 の こ と で あ る 。複 数 の ま と ま り を「 節 」と 呼 ぶ 。文 と し て 独 立 で き る 節 を

「 主 節 」、他 の 節 に 依 存 す る こ と で 一 部 を 構 成 す る 節 を「 従 属 節 」と 呼 ぶ 。」と い う こ と で あ る 。 本 論 は 上 述 の 概 念 を 中 国 語 に 援 用 す る 。 そ し て 、 例(5-7)の よ う な 、 中 心 語 を 修 飾 す る 連 体 修 飾 節 も 従 属 節 の 一 種 と み な す 。

28 吕 叔 湘(1980/1999)で は 、“正”の 後 に 動 詞 の 単 純 形 式 を 後 接 す る こ と が で き な い 例 と し て 以 下 の よ う な も の を 挙 げ て い る 。 例 え ば 、 “我 们 正 讨 论”は 成 立 せ ず 、 “着/呢” を 付 加 す る こ と に よ っ て 、は じ め て 成 立 す る 。例 え ば 、“我 们 正 讨 论 着 呢(我 々 は 正 に 議 論 し て い る と こ ろ だ よ)”な ど で あ る 。

29 こ れ ら の 研 究 で は 、“正”は 動 作 行 為 の 進 行 を 表 す と き 、主 に「 同 時 性 」を 強 調 す る と 指 摘 さ れ て い る が 、“正”は な ぜ ほ と ん ど 従 属 節 に 用 い ら れ る の か と い う 問 題 を 説 明 で き な い 。本 論 は 、“正”自 身 が「 参 照 時 点 」を 提 示 す る 機 能 を も つ と す れ ば 、こ の 問 題 を 解 決 す る こ と が で き る と 考 え る 。こ の 問 題 に つ い て ま た 稿 を 改 め て 論 じ る こ と に す る 。

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持 た な い 。 そ し て 、 “正 在”は 中 間 的 な も の で あ り 、 両 方 の 意 味 機 能 を 併 せ 持 つ こ と に な る 。「 参 照 時 点 提 示 機 能 」は 事 象 の 叙 述 に 必 要 な 前 提 的 、予 備 的 な 時 間 情 報 、 所 謂 事 象 成 立 基 盤 の 背 景 知 識 を 提 示 す る た め 、 “正 VP”の 表 す 事 象 は 背 景 的 事 象 (background event)と し て 捉 え ら れ や す く 、 統 語 上 は 自 律 性 を 欠 く 「 従 属 節 」 に 生 起 す る こ と が 多 い 。30一 方 、 “在”は 「 主 語 が そ の 時 あ る 動 作 の 過 程 も し く は 状 態 の 中 に 在 る 」 こ と を 話 し 手 が 判 断 す る 意 味 の 副 詞 で あ り 、 且 つ 話 し 手 は 意 図 的 に「 動 作 主 お よ び そ の 動 作・状 態 の タ イ プ の 存 在 の 前 景 化 」を 表 す た め(讃 井 1996、 2000)、 “在 VP”は 前 景 的 事 象(foreground event)と し て 捉 え ら れ 、 複 文 の 主 節 に 現 れ や す い 。そ れ で は 、“正 在”の 場 合 は ど う で あ ろ う 。前 述 の よ う に 、“正 在 VP”

は 「 参 照 時 点 提 示 機 能 」 と 「 動 作 進 行 表 示 機 能 」 と 両 方 を 持 ち 合 わ せ る 。 そ う す る と 、次 の よ う な こ と が 予 想 さ れ る だ ろ う 。つ ま り 、“正 在 VP”は「 参 照 時 点 提 示 機 能 」が 顕 著 に な る 場 合 は 、従 属 節 に 現 れ や す い が 、「 動 作 進 行 表 示 機 能 」が 顕 著 に な る 場 合 は 、 主 節 に 現 れ や す い 。

こ の 点 に つ い て は 、 通 時 的 研 究 に よ っ て も 裏 付 け る こ と が で き る 。张 亚 军 (2002)、付义琴・赵家栋(2007)、王 錦 慧(2015)な ど の 研 究 に よ れ ば 、近 代 漢 語(明 清)に お け る “正 在”は 通 常 従 属 文 に お い て 生 起 し て お り 、動 補 構 造 と も 共 起 で き る 。

(5-13) 眾 人 正 在 聽 得 詫 異 , 被 襲 人 一 說 , 想 了 一 想 , 倒 大 家 笑 起 來 。(《 紅 樓 夢 》 95回/张 亚 军(2002)か ら 引 用)

(み な は 聞 い て ち ょ う ど 不 思 議 に 思 っ て い た と こ ろ だ っ た が 、 襲 人 に ひ と こ と 言 わ れ 、 し ば ら く 考 え る と(思 い 至 り)、 い っ せ い に 笑 い 出 し た 。) (5-14) 卻 說 安 公 子 正 在 走 過 無 數 的 號 舎 , 隻 見 一 所 號 舎 門 外 山 牆 白 石 灰 上 大 書

“ 成 字 號 ” 三 箇 大 字 。(『 児 女 英 雄 伝 』 / 同 上)

(安 公 子 は と い え ば 、ち ょ う ど お び た だ し い 数 の 号 舎 の 前 を 歩 い て い た が 、 ふ と そ の う ち の 一 つ の 外 壁 の 白 石 灰 に 「 成 字 号 」 の 三 文 字 が 大 き く 書 か れ て い る の が 目 に 留 ま っ た 。

(5-15) 寳 玉 正 在 聽 見 趙 姨 娘 廝 吵,心 中 自 是 不 悅。(《紅 樓 夢》第60回/王 錦 慧(2015)

30 背 景 事 象 を 構 成 す る 意 味 役 割 は と し て 、 前 景 事 象 と 密 接 に か か わ り 、 そ の 成 立 基 盤 と な っ て い る 、空 間 的 ド メ イ ン の 構 成 要 因 で あ る[場 所]や[時 間]な ど が 挙 げ ら れ る 。 (Langacker1991を 参 照)。

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(宝 玉 は ち ょ う ど 趙 姨 娘 の 騒 ぎ 声 を 聞 い て 、 心 中 不 快 に 思 っ た 。)

上 記 の 例 が 示 す よ う に 、 明 清 白 話 に お け る “正 在”は 様 態 補 語 、 方 向 補 語 、 結 果 補 語 を 伴 う 動 補 構 造 と 共 起 す る と い っ た 現 代 中 国 語 に お け る “正 在”と 異 な っ た 統 語 的 振 る 舞 い 方 を す る 。 こ の 現 象 に 関 す る 研 究 は 、张 亚 军(2002)、 付义琴 ・赵家栋 (2007)、王 錦 慧(2015)な ど が あ る 。こ れ ら の 研 究 に よ る と 、明 清 白 話 に お け る “正 在VP”は “正 在(这 里/那 里)VP”に お け る 場 所 指 示 詞 “这 里/那 里”が 脱 落 す る こ と に よ っ て で き た 構 造 で あ り 、 そ の 意 味 機 能 は 現 代 中 国 語 に お け る “正 ”と 同 じ く 「 参 照 時 点 提 示 機 能 」 で あ る 。 ゆ え に 、 こ の 時 期 の “正 在”は 主 と し て 従 属 節 に 現 れ 、 且 つ 限 界 的 事 象 を 表 す 動 補 構 造 と 共 起 で き る と い う こ と で あ る 。 と こ ろ が 、 現 代 中 国 語 で は 、 “正 在”は 基 本 的 に 動 補 構 造 と は 共 起 で き ず 、 し か も 、 前 景 事 象 に 生 起 す る の が 一 般 的 で あ る 。 こ れ は お そ ら く “正 在”の 文 法 化 が 進 行 す る に 従 っ て 、 意 味 重 心 が “在”に 偏 り つ つ あ る と こ ろ に 起 因 し て い る と 思 わ れ る 。

だ が 、 “正 在”の 「 参 照 時 点 提 示 機 能 」 は 弱 ま っ て い る と は い え 、 完 全 に は 消 失 し て い な い と 思 わ れ る 。従 属 節 と い う 統 語 的 環 境 が 付 与 さ れ れ ば 、「 参 照 時 点 提 示 機 能 」が(あ る 程 度)顕 在 化 す る た め 、限 界 的 事 象 を 表 す VxY と 共 起 す る こ と が 可 能 に な る 。

こ の よ う に 考 え れ ば 、 中 根(2008)で 解 決 さ れ て い な い 問 題 ― “? ?正 在 跑 进 教 室”と い う 例 は な ぜ 不 自 然 な の か ― と い う 問 題 は う ま く 説 明 で き る 。つ ま り 、こ の 文 は 文 脈 か ら 切 り 離 し て 、 単 文 と し て 用 い ら れ た 場 合 、 一 般 的 に 前 景 的 事 象 と し て 認 識 さ れ る 。 前 述 の よ う に 、 前 景 的 事 象 に 用 い ら れ る “正 在”は “在”と 同 じ よ う に 、 「 動 作 進 行 表 示 機 能 」 が 顕 在 化 し 、 限 界 的 事 象 を 表 す “跑 进 教 室”と は 意 味 的 整 合 性 が 低 い た め 、 こ の 文 は 成 立 し 難 い の で あ る 。 逆 に も し こ の 文 を 従 属 節 と い う 統 語 的 環 境 に 置 け ば 、 文 の 許 容 度 が 高 く な る 。

(5-16) 我 路 过 他 们 班 级 的 时 候 , 看 见 小 王 正 在 跑 进 教 室 去 跟 同 学 借 钱。

(私 は 彼 ら の ク ラ ス の 前 を 通 っ た と き 、 王 さ ん が ち ょ う ど 教 室 に 走 っ て 入 り 、 ク ラ ス メ ー ト か ら お 金 を 借 り よ う と す る と こ ろ を 見 か け た 。)

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と こ ろ が 、 従 属 節 に お い て 、VxY と “正 在”は 共 起 す る も の の 、 用 例 数 は そ れ ほ ど 多 く な い 。 代 わ り に 、 “正”と 共 起 す る 例 が 圧 倒 的 に 多 い 。 こ れ は 恐 ら く 現 代 中 国 語 の “正 在”は か な り “在”に 近 づ き 、 〈 動 作 進 行 表 示 機 能 〉 が メ イ ン 機 能 と な り つ つ あ る か ら で は な い か と 思 わ れ る 。

(5-17) 有 时 候 ,从 树 林 的 间 隙 里 ,我 们 看 见 远 处 的 青 山 ,而 一 个 暗 褐 色 的 动 物 正 爬 过 山 去 。它 跑 得 那 样 快 ,我 们 说 不 上 它 是 什 么 动 物 。(CCL・《福 尔 摩 斯 探 案 集 》)

(あ る と き 、林 の 木 々 の 間 か ら 、遠 く の 青 々 た る 山 を 眺 め る と 、一 匹 の 濃 い 茶 色 の 動 物 が 山 を 登 っ て 越 え よ う と し て い る の が 見 え た 。 そ れ は 素 早 く 走 っ て 行 っ た の で 、 何 と い う 動 物 な の か は は っ き り と 言 う こ と が で き な い)

(5-18) 哈 利 勉 强 地 注 意 到 他 们 正 爬 过 肖 像 口 进 入 到 充 满 阳 光 的 公 共 休 息 室 ,并 且 模 糊 地 看 到 一 小 群 七 年 级 正 聚 集 在 那 , 直 到 赫 敏 叫 道 : “ 凯 蒂 ! 你 回 来 了 ! 你 还 好 吗 ? ”(CCL・[英]J·K·罗 琳 著/马 爱 农 译 《 哈 利 ·波 特 》)

(ハ リ ー は か ろ う じ て 肖 像 の 口 を 登 り 日 差 し の 降 り 注 ぐ 公 共 休 憩 室 へ 入 っ て 行 く 連 中 に 気 づ い た 。 そ し て ぼ ん や り と 七 年 生 の 学 生 た ち が そ こ に 集 ま っ て い る の を 目 に し た 。)

(5-19) 北 京 大 学 法 学 院 的 一 位 研 究 生 当 时 正 走 下 农 园 的 楼 梯,他 听 到 一 声 巨 响,然 后 发 现 很 多 人 开 始 向 外 跑 。(CCL・《 中 国 新 闻 网 》)

(北 京 大 学 法 学 院 の 院 生 は そ の と き ち ょ う ど 農 園 の 階 段 を 下 り て 来 た が 、 (突 然)大 き な 音 を 耳 に し た 。 す る と 、 多 く の 人 が 外 へ 逃 げ 始 め た 。) (5-20) 一 位 高 大 、佝 偻 的 英 国 人 正 走 下 跳 板 。汤 姆 斯 ·麦 肯 ·布 拉 德 ,他 那 模 仿 英

国 伯 爵 的 胡 须 使 人 一 眼 便 能 从 人 群 中 认 出 他 。(CCL・[美]厄 尔・德 尔・比 格 斯 著/孙 小 芬 、 刘 宝 芬、吕 玉 明 译《没 有 钥 匙 的 房 间 》)

(一 人 の 背 の 高 い 、 猫 背 の イ ギ リ ス 人 が 、 ま さ に 踏 み 板 か ら 降 り て き た と こ ろ だ っ た 。 ト ム ス ・ マ イ カ ン ・ ブ ラ ッ ト 、 イ ギ リ ス 伯 爵 を 真 似 し て 生 や し た 髭 の お か げ で 、 人 ご み の 中 で も 一 目 で 彼 だ と わ か っ た 。)

(5-21) 母 亲 似 乎 也 很 高 兴 ,便 对 正 走 下 床 的 孩 子 们 说 :“ 这 样 也 好 ,外 婆 从 此 不 养 黑 母 鸡 与 花 背 心 , 帮 你 妈 妈 照 管 菱 菱 与 元 元 了 。 ”(CCL・苏 青 《 归 宿 》)

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(母 も う れ し そ う に 、 ベ ッ ド か ら ち ょ う ど 降 り て き た 子 供 た ち に 言 っ た 。

「 そ れ で も い い わ 。 お 婆 ち ゃ ん は こ れ か ら 「 黒 母 鶏 」 と 「 花 背 心 」 の 飼 育 を や め て 、 お 母 さ ん を 手 伝 っ て 菱 菱 と 元 元 の お 世 話 を す る わ 」) (5-22) 他 俨 然 以 上 司 的 姿 态 ,轻 轻 地 把 道 袍 一 撩 ,迈 开 方 步 ,走 下 三 十 二 级 的 台 阶 ,

迎 着 小 火 车 走 来 ,向 着 正 跳 下 车 的 那 些 匪 装 打 扮 的 人 ,笑 嘻 嘻 地 扬 手 喊 道 :

“ 胜 利 了 ! 我 忠 实 的 勇 士 们 。 ”(CCL・曲 波 《 林 海 雪 原 》)

(彼 は ま る で 地 位 の 高 い 人 の よ う に 、 ひ ょ い と 僧 衣 を ま く り 、 鷹 揚 に 三 十 二 段 の 階 段 を 下 り て 、 小 さ な 汽 車 の 方 へ 歩 い て き た 。 車 か ら 降 り て き た 山 賊 の 格 好 を し た 人 た ち に 向 か っ て 、ニ コ ニ コ し な が ら 手 を 振 っ て「 我 々 の 勝 利 だ ! 忠 実 な 勇 士 た ち よ ! 」 と 叫 ん だ 。)

(5-23) 这 时 , 我 看 见 埃 美 特 ·卡 伦 、 爱 丽 丝 ·卡 伦 和 姓 黑 尔 的 那 对 双 胞 胎 正 钻 进 他 们 的 车 子 , 就 是 那 辆 亮 闪 闪 的 新 沃 尔 沃 。(CCL・[美]史 蒂 芬 ·梅 尔 著/ 覃 学 岚 、孙 郁 根、李 寅 译 《 暮 光 之 城 》)

(そ の と き 、 エ メ ッ ト ・ カ レ ン 、 ア リ ス ・ カ レ ン と ヘ イ ル 双 子 兄 弟 が ち ょ う ど 彼 ら の 車 に 乗 り 込 も う と し て い る の を 見 た 。 そ れ は ピ カ ピ カ の ボ ル ボ の 新 車 だ っ た 。)

(5-24) 我 忽 然 看 到 叔 叔 在 我 的 前 方 行 走 ,他 似 乎 摔 了 一 跤 ,裤 子 上 沾 满 了 泥 巴 ,他 的 头 发 乱 蓬 蓬 的 ,一 副 老 迈 不 堪 的 模 样 。他 正 走 进 树 林 ,朝 那 片 坟 地 走 去 。 (CCL・残 雪 《 掩 埋 》)

(私 は ふ と 、 前 を 叔 父 が 歩 い て い る こ と に 気 づ い た 。 彼 は 転 ん だ ら し く 、 ズ ボ ン は 泥 で 汚 れ て お り 、 髪 の 毛 は ぼ さ ぼ さ で 、 急 に 年 を 取 っ て し ま っ た か の よ う で あ っ た 。彼 は 林 に 入 る と 、あ の 墓 地 の 方 へ 歩 い て い っ た 。)

以 上 の 観 察 と 分 析 を 通 じ て 、VxYと “正”“正 在”“在”と の 共 起 関 係 は 、“正”“正 在”“在” の「 参 照 時 点 提 示 機 能 」 の 顕 著 度 と 深 く 関 わ る こ と が わ か っ た 。 つ ま り 、VxY は

「 参 照 時 点 提 示 機 能 」の 顕 著 度 が 最 も 高 い “正”と は 共 起 し や す い が 、「 参 照 時 点 提 示 機 能 」の 顕 著 度 が 最 も 低 い “在”と は 共 起 し 難 い 。そ し て 、そ の 中 間 に あ る “正 在” と は 共 起 す る も の の 、 少 数 に と ど ま る の で あ る 。 で は 、 同 じ く 限 界 的 移 動 事 象 を 表 す “V到 Y”は ど う で あ ろ う か 。

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(5-25) a.林 忠 、 鲁 汉 和 队 员 们 押 着 一 批 俘 虏 从 院 子 里 出 来 , 走 到 街 上 , 看 到 小 坡 从 另 一 个 院 子 里 赶 出 一 个 军 官 。 军 官 正 跑 到 井 边 , 把 匣 枪 往 地 上 一 掷 , 一 头 插 进 井 里 了 。(CCL・知 侠 《 铁 道 游 击 队 》)

(林 忠 、 魯 漢 と 隊 員 た ち は 捕 虜 た ち を 押 さ え つ け な が ら 、 敷 地 か ら 出 て き た 。 通 り に 出 る と 、 小 坡 が 別 の 家 か ら 一 人 の 士 官 を 追 い 出 し て い る の を み た 。 そ の 士 官 は 走 っ て 井 戸 の と こ ろ ま で 来 る と 、 モ ー ゼ ル 拳 銃 を 地 面 に 投 げ 捨 て 、 ド ボ ン と 井 戸 に 跳 び 込 ん だ 。)

b.*林 忠 、 鲁 汉 和 队 员 们 押 着 一 批 俘 虏 从 院 子 里 出 来 , 走 到 街 上 , 看 到 小 坡 从 另 一 个 院 子 里 赶 出 一 个 军 官 。 军 官 正 在/在 跑 到 井 边 , 把 匣 枪 往 地 上 一 掷 , 一 头 插 进 井 里 了 。

(5-26) a.大 妈 生 好 了 煤 球 炉 子 , 仰 头 看 着 天 色 , 小 心 翼 翼 地 抱 起 桌 上 的 大 包 袱 来 , 往 屋 里 收 二 春 正 走 到 房 门 口 , 顺 手 接 进 去 。(CCL・老 舍 《 龙 须 沟 》) (叔 母 は 石 炭 ス ト ー ブ に 火 を つ け る と 、 空 を 仰 い で 天 気 を 気 に し な が ら 、

テ ー ブ ル の 上 の 大 き な 風 呂 敷 包 み を 慎 重 に 抱 え て 、 屋 内 に 持 っ て 行 っ た 。 二 春 が ち ょ う ど 入 り 口 ま で 来 て お り 、 無 造 作 に 風 呂 敷 包 み を 受 け 取 っ て 中 へ 入 っ て い っ た)

b.*大 妈 生 好 了 煤 球 炉 子 ,仰 头 看 着 天 色 ,小 心 翼 翼 地 抱 起 桌 上 的 大 包 袱 来 , 往 屋 里 收 。 二 春 正 在/在 走 到 房 门 口 , 顺 手 接 进 去 。

上 記 の 例 に 示 す よ う に 、“V到 Y”は “正”と 共 起 す る が 、“正 在”“在”と は 共 起 し な い 。 こ の 現 象 も “正”“正 在”“在”の 機 能 の 相 違 と 関 係 す る と 考 え ら れ る 。

前 述 の よ う に 、 “正”は 主 節 の 事 象 と 従 属 節 の 事 象 を 、 同 じ 時 点 に し め 合 わ せ な が ら 、 二 つ の 事 態 の 「 同 時 性 」 を 表 す 。 言 い 換 え れ ば 、 複 文 で あ る “正 VP1,VP2” に よ っ て 表 さ れ る 二 つ の 事 態 を 、 ひ と く く り に し て 同 じ 時 点 に 属 す る 一 つ の 局 面 と し て 話 者 が 意 図 的 に 捉 え る の で 、VP が 限 界 的 事 象 を 表 す か 、 非 限 界 的 事 象 を 表 す か は 問 題 と さ れ な い 。 よ っ て 、〈 限 界 性 〉 の 程 度 が か な り 高 い “V 到 Y”と も 、

〈 限 界 性 〉 が そ れ ほ ど 高 く な い VxY と も 共 起 で き る 。

一 方 、 “在”は 話 者 が 「 主 語 が そ の 時 あ る 動 作 の 過 程 も し く は 状 態 の 中 に 在 る 」 こ と を 意 図 的 に 判 断 す る こ と を 意 味 す る た め 、 限 界 的 事 象 を 表 す “V 到 Y”と VxY と は 共 起 し な い 。