礎となった[神奈川県園芸発達史/富樫常治,川崎市生田/上原守氏,14]。 明治 18(1885)年 ・伊都/那賀郡の柑橘同業者団体[南陽社:明治10(1877)年設立、段 ・この年、フランスのボルドー大学教授/ピエール・ミ 頃 村の堀内爲左衛門社長]が温州みかんの北米輸出を始め、日本最初 ラルデによって、石灰乳に硫酸銅液を加えた乳剤が葡 の輸出となる[8]。明治22(1889)年2千箱、同23年1万6千箱を輸 萄の病害駆除薬として発見され、以来、農業用殺菌剤
出[7,8,27]。 として用いられ、「石灰ボルドー液」として世界各地で
使用されるようになる[21]。
・岡山県御津郡柏谷村の山内善男氏が天津水蜜や上海 水蜜に害虫被害が多いので梨にならって袋掛けし良い 結果得る[14]。
・岩出小学校開校、溝川小学校を併合[60]。
明治19(1886)年 ・この年(桃山町領域の村は)段村・段新田村・市場村・元村・神 ・3月1日付け小学校令(抄):第1条、小学校を分けて
田村・最上村・調月村・脇谷村・大原村・善田村・黒川村・野田 高等科・尋常科とする。第3条、児童6歳から14歳に 原村・垣内村・細野中畑村・峰村・根來窪村[地方行政区画便覧]。 至る8 ヶ年を学齢とし、父母/後見人らは学齢児童に普 通教育の義務を課す。第6 条、父母/後見人らは小学校 の経費に充てるため、児童の授業料を支弁するものと する。第13条、小学校の教科書は文部大臣の検定した ものに限る[12-下,34]。
明治20(1887)年 ・小学校の学科:尋常科(4 ヶ年):終身・読書・作文・習字・算数 ・宮城県刈田郡蔵王町では明治以前から在来種の桃が
・体操・唱歌。高等科(4 ヶ年):尋常科の学科に加え、地理・歴史 広く栽培されていた。明治20年頃、接木技術が伝わり、
・理科・図画・女子では裁縫が必須教科となる[12-下,34]。 福島から半夏桃・伊達すんばいが入り栽培が進歩したはん げ
[宮城県農業改良課/宮城県の果樹1952年,14]。
明治21(1888)年 ・8月30日、調月村に台風被害[19]。 ・各村にこれまであた連帯責任の[五人与=五人組]が 廃止される[12-下,34]。五人組は、江戸時代、古代の五保 制にならった庶民の隣保組織。五人与と書き、五人組 合ともいい、地方によっては十人組もあった。その長 を五人組頭、または判 頭 と称した。戦国時代、下級武はんがしら 士の軍事編成にも五人組がみられたが民間の組織とし て制度化されたのは江戸幕府成立以後。初めはキリシ タンや浪人の取締りを主眼としたが、後には法令の遵 守、相互監察による犯罪の予防・取締り、連帯責任に よる貢租の完納に重点がおかれるようになった[21]。 明治22(1889)年 ・4 月 1 日、市町村制施行により段村・段新田村・市場村・元村 ・2月11日、大日本帝国憲法が発布される[21]。第一条、
・神田村・最上村が合併して安楽川村となる。脇谷村・大原村・ 大日本帝国は万世一系の天皇是を統治す。第五条、天 善田村・黒川村・野田原村は奥安楽川村に、調月村は調月村(村役 皇は帝国議会の協賛を以て立法権を行う。第十一条、
場は薬師寺・大日寺を使用)として存続、垣内村・細野中畑村・峰 天皇は陸海軍を統帥す。第三十三条、帝国議会は貴族 村・根來窪村は細野村となる[12-上,16]。安楽川村・奥安楽川村・調 院・衆議院を以て成立す[12-下,34]。
月村・細野村が成立。細野村初代村長として新井常五郎氏就任[49]。 ・4月1日、和歌山県が市制町村制施行、1市2町229
・4 月 1 日、那賀郡田中組段村・同段新田村は安楽川村に合併。 村を設置[24]。
高野村は田中村に合併[12上,34]。桃山町史[8]には明治24年とある。 ・8月19日、大洪水で県下の死者1,400人以上[7]。
・8 月 15-19 日、暴風雨で大洪水、新田浦の堤防が決壊、安楽川 ・農科大学(後の東大)教授/玉利喜造(たま り き ぞう,1856-1931,安政 3 村の平坦部が浸水被害[7]。貴志川大洪水、調月村大水で浸水家屋 ~昭和6)がワシントンネーブルオレンジ(ブラジルのバ 多し[19]。 イア地方原産)を日本に初めて導入[果物の博物学]。
明治23(1890)年 ・和歌山県那賀郡(安楽川村壇)の堀内仙右衛門(1844-1933,現紀の ・4月2日、皇紀2550年を記念して橿原神宮が創建さ 川市,旧桃山町出身)、堂本秀之進(1864-1940)・藤井孫八・藤田繁 れれ、10 月 30 日、政府の教育方針を明記した教育ニ
之助ら温州ミカンを米国カルフォルニア州に輸出するが、彼地産 関スル勅語「教育勅語」が渙発されるかんぱつ [44]。 のネーブルオレンジに圧倒される。このためネーブル苗2本を日 ・岩出に吉村製糸工場、創業[60]。
本に導入。彼等が中心になってミカン輸出会社である南陽社でミ ・細野村役場を中畑に置く[49]。 カン輸出は順調に伸びなかったが、有田地方より品質劣る紀北地
方のミカン農家にとって海外市場はきわめて重要であったといわ れる[村上節太郎著/柑橘栽培地域の研究(1967年)]。
・この年(明治23 年47))、安楽川村段の堀内仙右衛門(爲左衛門47)) 氏らが米国からワシントンネーブルの苗木 2 本を輸入、繁殖して 百合山で栽培。日本のネーブル栽培の先駆けとなる[27]。・明治 27 年、安楽川村段の堀内爲左衛門氏、庭先の老樹にネーブルを高接 し、同29年、初めて9果の結実をみる、美果で味頗る佳なり[47]。
明治24(1891)年 ・村別戸数:安楽川村954、奥安楽川村335、調月村428、細野村208、竜門村387、田中村1,074[12上,16]。
・段新田から和歌山市田中町の問屋に出荷の桃売立伝票一例:大肉二荷七十七銭九厘・小肉二荷六十六銭七厘[22]。
・那賀郡役所、新築移転[60]。
明治26(1893)年 ・8月17日、調月村に台風被害[19]。 ・明治 27 年 7
月、和歌山・奈良両県の有志が和歌山-五条間を通る紀和鉄道会社を設立[12下,34]。
明治27(1894)年 ・細野村より日清戦役に浦市松氏はじめ7名出征、無事凱旋[49]。
明治28(1895)年 ・この頃、安楽川村神田高巣尾山待尾に田中村から突如侵入、両 ・岡山県赤磐郡可真村の小山益太郎氏が上海水蜜桃と
村の境界標木が引倒される。安楽川 4 か村住民が委員を派遣し談 アーリー・クロフォードの自然交雑実生から黄肉の 判[7]。・10月5日、紀和鉄道会社が設立、鉄道院から紀ノ川南岸ル 「金桃」を発見、その後岡山県を中心に栽培されたきんとう [40]。 ートの打診あるも安楽川村議会では反対意見続出[7]。
明治29(1896)年 ・8月30日、調月村に台風被害、この年、隔離病舎設置[19]。 。神奈川県橘樹郡大島村(現川崎区大島)の吉沢寅之助 氏が新種桃「伝十郎」を開発、後に「伝桃」と命名す る[川崎区史研究会:小泉茂造氏]。
明治30(1897)年 ・12 月 27 日、水源確保・土砂流出防止・風致保持を目的に県は ・岡山県小田郡新山村の長尾円澄氏がアーリー・リバ 保安林を設定。奥安楽川村田鶴木 81町3 反8 畝、神田鷹巣尾73 ーと上海水蜜桃の実生から「土用水蜜桃」を発見、関ど ようすいみつとう 町1反8畝、神田亀沢55町9反7畝、調月村調月里子谷54町、 西地方の主要品種となり明治-大正時代に広く栽培され 田中村竹房最初扇平52町4反9畝が保安林となる[12]。 た[40]。
・この年以降、安楽川村段の堀内爲左衛門氏らネーブル苗木を年 々30万本、果実2万5千箱を収穫して各地に輸出、世に爲左衛門 氏をネーブル王と呼ぶ[47]。
明治時代 ・明治時代の肥料:明治20年頃までの肥料は、厩肥・
(1868-1912年) 堆肥・人糞尿・草肥などの他、販売肥料として魚肥・
油粕・米糠、などが使用された。明治30年頃から大豆 粕・硫安・燐鉱石等の輸入が激増するとともに、国内 でも人造肥料の製造が盛んになり、明治末には魚粕な どの使用が減少した[明治園芸史第8編,14]。
明治31(1898)年 ・段新田の宇田辰之助・宇田由吉氏ら5人が攝津に出かけ 上 海水 ・神奈川県橘樹郡田島村の吉沢寅之助氏が「伝 十 郎」しやんはいすい でんじゆうろう 密・天津水蜜の剪定や袋掛、病害虫駆除等の栽培を実地研修、穂 を発見、戦前には関西地方の主要品種となる[40]。
みつ てんしんすいみつ せんてい
木を求めて持ち帰る[47]。桃の品種、栽培技術導入。 ・この年、一本管型(手押し)噴霧器が国産化[14]。
・4月、紀和鉄道会社が五条-橋本間、5月に和歌山-船戸間の鉄道 ・明治32年10月付那賀郡長/秋山徳隣訓令、郡内町村のりさと を完成させ、船戸-橋本間は安楽川を通り紀ノ川南岸を通す計画を 役場宛:県令を以て小学校の設備規則改正令を発布。
提示。しかし安楽川の村民は猛反対、結局船戸から紀ノ川を渡っ 現に寺院・民家を仮用して校舎としているものは、今 て河北を通すことになり安楽川・調月に鉄道は来なかった[12-下,34]。 後 2 ヶ年度以内に必ず新築、または相当の設備となす
・・この年、調月村の小西傳松氏・政之助氏兄弟が植木技術を他 こと[12上,34]。 産地に学び、調月の苗木/植木づくりの大本となる[7]。
明治32(1899)年 ・10 月、那賀郡会議員 30 人が選出され、安楽川村の千田勘十郎 ・町村歳出予算額:安楽川村2,427円66銭、置く安楽
・奥安楽川村の殿尾喜代蔵・調月村の津田織之助が選出[12上,34]。 川村918 円26 銭、調月村1,247円49 銭、細野村622 円7銭、粉河町7,527円90銭、岩出村4,287円92銭、