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年、梨は昭和 35 年頃からである [千葉大学

ドキュメント内 Taro-桃山町の年表 (ページ 112-116)

報告2,14]

・無袋栽培の問題点とされていた果実の発育や着色は、

適正な摘果・上向き果の着果・着色期の新梢管理によ って、無袋栽培の技術体系を確立した。以来、山梨県 では早生・中生は無袋栽培が行われるようになった[山 梨県農業試験場報告3号,園芸学会研究発表要旨昭和3610月,14]

・昭和35 年から福島県園芸試験場は、同42 年にかけ て桃・桜桃などのコスカシバの生態と防除の試験を行 い、羽化産卵期は 9 月上旬がピークで、幼虫態で樹皮 下で越冬することがわかった。成虫の発生期に殺虫剤 処理で防除出来た[福島県園芸試験場研究報告1号(昭和43年),14] 昭和36(1961)年 ・919日、第二室戸台風、果樹園の被害甚大[46] 612日、国は農業基本法を制定し[21]農業・農村に

・この頃から桃・柿、等の落葉果樹がカンキツに転換、桃栽培は 選択的拡大を要請、農業構造改善事業等で施策を推進。

減少に転じる[58]

昭和37(1962)年 ・この頃以降、果樹園の肩掛け式草刈機が普及する。 ・背負い式草刈機が佐賀県で導入される[14]

・この頃から園内軌道モノラック・モノレールが設置され桃山町 ・山梨県東八代郡八代町の松森美富氏が白鳳の芽接ぎ の桃園・柿園・ミカン園で活用される[58] 苗から白鳳より7-10日早い品種を育成、この年初結果

・6月、農業用山田ダム完成、通水式[46] 「松森早生」と名付けたまつもり [40]

昭和38(1963)年 ・貴志川支流山田川の貯水池山田ダムが完成[17] ・福島県園芸試験場は昭和38年から同39年にかけて、

・県立定時制貴和高等学校が全日・3年制の男女共学となる[34] モ モ の 灰 星 病に つ い て 研 究 、 病 原 菌 は Monilinia bructicola であることを明らかにした[福島県園芸試験場研究報 2号,14]

昭和39(1964)年 ・10月、安楽川・奥安楽川・調月の三農協が合併、桃山町農協と ・318日、早川電機とソニーが初の電卓を発表。価 なる[7]。尼岡澤二氏が桃山町農協組合長に就任[同農協資料] 50万円[44]

・新高島橋が竣工[46] ・日本経済は高度成長から減速経済期を迎えオイルシ

・9月、田中功氏、桃山町長に就任[8] ョックで各種企業の輸出が減退。国鉄民営化となる。

東海道新幹線が開通、東京オリンピックが開かれる[日 本史年表,34]

・御茶屋御殿山に NHK テレビ塔建つ。岩出町宮の交 差点に郡内で初めて信号できる[60]

昭和40(1965)年 ・桃園はじめ、果樹園で接触型除草剤「パラコート剤グラモキソ 6 7 日、和歌山県は「みかん課」を新設、果樹・

ン」・「ジクワット剤レグロックス」等の使用が始まる[58] 果実行政の一元化を図る[14]

・桃山町予算152百万円、うち一般会計137百万円、 ・接触型の畑地除草剤「パラコート」「ジクワット」が 土木費3940万円、総務費2511万円、教育費262 農薬登録される[農薬取締法]

万円、農林費1292万円、公債費1千百67万円[7] 7月、名神高速道路が全線開通[46]

・3 月、山梨県下の桃園の土壌・根群の分布と果実品 質の関係を調査した結果、土壌深く根群分布の深い園 ほど桃の品質が不良(糖度低)で、土壌の浅い園ほど良 好であった。土壌及び根群分布と剪定方法との関係は、

慣行剪定区(剪定量 70-82%)、弱剪定区(30-63%)と品質 及び収量、収穫期の関係をみると、弱剪定区は慣行区 よりも僅かに糖度が高く、収量は1.18-3.08 倍となり、

収穫期が3-4日早くなった。以後、県内で普及した[園芸 学会研究発表要旨,14]

5 月、東海近畿農業試験場が、愛知県知多郡武豊町 南中根で、大久保 5 年生樹の蒸散及び園地面からの土 面蒸発量について、5-9 月に Chambaer 法で測定した結 果、蒸散量の最大は 8 月上旬にみられ、30 //日程 度で、他の果樹に比べて少ない。蒸発散量は 8 月に多

4.8mm/日前後で、生育期間の蒸発散量は平年時で

430mm前後である[東海近畿農業試験場栽培第2部作1研,14]

・ハイテク産業が躍進、先端技術・コンピュータの開 発導入による産業合理化が進み、経済大国日本となる。

自動車・電化製品の輸出が増える一方、食糧・木材が 大量に輸入される。原油価格が安定し円高差益のある 電力・石油・ガス間蓮企業が発展する[日本史年表,34] 昭和41(1966)年 ・桃山町農協は総合選果場(桃は重量選別機)を建設[7]、各地区の選 ・331日、日本の人口が一億人を突破[46]

果場を廃して一元的に集荷、選果を始める[58]

・丸元出荷組合設立、初代組合長に山内良太郎氏。

・10月、桃山町調月に旧桃山会館が完成、町営結婚式開始[8,46]

昭和42(1967)年 ・1月、安楽川地区に簡易水道施設完成[46] ・山梨県中巨摩郡白根町西野、芦沢達雄氏が大久保と 白桃の混植園から偶発実生を育成、「西野白桃」としてにし の はくとう 品種登録[40]

・洗濯機・掃除機・炊飯器が普及したが高齢人口が増 え社会福祉費が増大、進学率が高くなり教育費が増大、

国鉄民営化による合理化・鉱山業・造船業・繊維産業 の不況で人員整理や倒産が起こり、円高不況から自由 競争社会となる[日本史年表,34]

昭和43(1968)年 ・31日、旧安楽川地区に簡易水道が完成する[8] ・日本のGNPが米国に次ぎ世界第2位となる[44]

・5月、西武雄氏、桃山町農協組合長に就任。

・あら川第一生産組合設立。初代代表湯川良雄氏。

昭和44(1969)年 ・3月、神田三船神社の社殿、棟札等が国の重要文化財に指定[46]。 ・モモの連作障害は線虫が原因で殺線虫剤が効果ある

・8月、調月地区に簡易水道施設完成[8,46] ことを実証[富山県農試研究報告3号]

11月、井坂橋が鉄橋で架橋される[日本史年表,17,34] 5月、東名高速道路が全線開通[46]

・7月、アメリカのアポロ11号、月面着陸[46] 昭和45(1970)年 ・3 月、県営桃山開拓パイロット事業完成[46]。調月里子谷に完成 ・政府は米の在庫過剰から稲作転換奨励金を出して米

した調月パイロット団地25㌶では主にミカン類を植栽[58] の生産を抑える政策を推進[44]

・この頃から水田転作による桃の増植が盛んになる[58] ・県果樹園芸試験場がスプリンクラによる果樹病害虫

・桃の「いぼ皮病」はその後桃山町の桃園でも各地でみられ樹勢 防除法を確立[同試験場報告]

を損じ経済寿命が短かくなるものがみられる[58] ・農林省園芸試験場の桃園で枝幹に多数のイボを発生

・この頃から桃園の反射シートマルチが行われ果実の着色増進に し樹脂を出す病害を発見、病原菌を特定し昭和45年「い 効果出る[58] ぼ皮病」と命名[日本植物病理学会報364号]

・この頃から桃山町の桃園・カンキツ園にスプリンクラー防除施 設が普及する[58]

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