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年草案作成委員会で重点的に議論されたのは次の

3

点である。

a)任命と選出のシステ

ム、

b)給与体系の見直し、c)合理的な昇給体系の確立。本章では、これらの事項にもたら

された変更とその動機を

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年草案およびその注解に基づいて検討し、次いでピアノ科教授 に対する影響を考察する。

2-1. 任命と選出のシステム

1841

年のパリ音楽院総則では、教授は有給の正教授(professeur titulaire)と無給の助教授

(professeur adjoint)60で構成されていた。これらの役職は、いずれも王立劇場特別委員会

(commission spéciale des Théâtres royaux)の助言に基づき大臣が院長の作成した候補者リス トに基づいて任命することと定められていた61。ところが、1843年

2

14

日の省令は、王 立劇場特別委員会が院長のリストに

2

名の名前を加える権限を認めた。48年草案は、音楽 院における教育の責任者である院長オベールが指名しなかった人物が候補者一覧に加えら れることを「既存の総則によって確立された保証システムの改悪(d’altérer le système de

garanties établies par le règlement)」

62と見做し、反発した。その結果、50年総則では新しい

任命方式が採用されることとなった。採用方式の概要は次の通りである。

-正教授:音楽教育に関するクラスについては、それぞれ 3

名ずつ候補者の名前を記載し

2

つのリストに基づいて、大臣が任命する。2つのリストのうち、一方は音楽教育委員会 によって作成され、他方は院長によって作成される。劇朗唱クラスに関しては、劇学習委員 会と院長によって同様に

2

つのリストが作成される。音楽、劇朗唱の

2

部門のために作成さ れたこれら

2

種類のリストに基づいて大臣が任命を行う63

-助教授:院長が作成した候補者リストに基づいて大臣が任命を行う

64

このようにして、音楽院はとりわけ正教授の指名に内部人員の判断を反映されることがで きるようになった。院長の独断ではなく、パリ音楽院教授の代表と外部委員で構成される教 育委員会の見解に基づいて任命が行われるようになったことで、以前よりも民主的な手続き により候補者の指名が行われるようになった。

ところで、候補者リストに対するこの教育委員会の介入は、教授選出の方法において新た な局面を生み出すこととなった。

1848

年の再編成委員会では、「音楽院が人民の学校である」

以上は、「教授職がもっとも自由であると同時に確かな保証に包まれた基礎の上に成り立つ べきだ」65という前提に基づいて、教授採用を選抜試験に基づいて行うべきか、あるいは選

60 1841年パリ音楽院総則第13項。Cf. CP, p. 251.

61 同総則第14項。Cf. Ibid.

62 CP, p. 365.

63 50年総則第34項。Cf. CP, p. 257.

64 同前、第36項。

65 « …[L]a Commission, pénétrée de ce sentiment que le Conservatoire est une école populaire, a pensé qu’il convenait que le professoral fût institué sur les bases les plus libérales et, en même temps, entouré de réelles garanties.

Elle avait à choisir entre le concours et l’élection. » 「教授の受け入れ許可について、音楽院が人民の学校であ るとの考えを確信している委員会は、教授職がもっとも自由であると同時に確かな保証に包まれた基礎の 上に成り立つべきだと考えた。委員会は、選抜試験にするか、選挙にするかを選ばねばならなかった。CP, p. 364.

挙によって行うべきかが議論された66。草案の条文注解によれば、委員会の判断は次のよう なものであった。

大学のいくつかのファキュルテ[(学部)]で採用されている選抜試験には、実践的 な芸術の教育のように個人教育が問題とされる場合、重大な不都合がある。このよ うな芸術家は、もっとも高度な次元で極めて深い知識、完全な理論、輝かしい演奏 をまとめて所持することができても、生徒との直接的な関係において教師の天分で あるコミュニケーションの能力を欠いている可能性がある。選抜試験は、いくらか の美点を明るみに出す上では適しているが、この欠点を明らかにする上では役にた たない。加えて思春期の若者の教育が問題となっていること、性格、品行、良き名 声が厳格に欠かすべからざる条件であることを忘れてはならない。これらは選抜試 験での判断材料にはなりえないのだ。

これらの理由から、委員会は選挙に賛成の立場を表明する。委員会は、教授の採 用が教授たち自身によって成されるべきであること、そして音楽院は、音楽院に貢 献することができ、音楽院の仕事を分担するに相応しい教授を音楽院内に呼び込む ことを望んだ67

ここから、教授は音楽の技術的側面のみならず、指導力としての意思疎通能力、道徳的振 る舞いによっても生徒の人格陶冶に貢献すべきことが期待されていたことが分かる。またこ の注解は、この音楽院の権威を傷つけないために、教授と生徒の間に生じうる不適切な関係 を予防することも意識しているように思われる。男女のクラスは別個に設けられていても、

男性教授が女子クラスを受け持つことは珍しくなかった68。音楽院は、教授の人格が多感な 生徒たちに及ぼす影響を考慮に入れ、また教員と生徒間に生じうるスキャンダルを回避する ために選挙方式を採択したのである。

一方で、委員会は党派意識を生みやすい音楽院の体質がもたらす難点を指摘しつつ、あく まで教員の採用は、音楽院内外の人材を広く採用し、外部から転職を希望する候補者と内部 の候補者に対して中立を保つことを表明することで、国家的機関にあるべき公平性を担保し ようとした69

66 Cf. 48年草案。CP, p. 364.

67 « Le concours adopté dans certaines facultés universitaires a des inconvénients graves lorsqu’il s’agit d’un enseignement individuel comme celui d’un art pratique : tel artiste peut réunir au plus haut point les connaissances les plus profondes, la théorie la plus parfaite, la plus brillante exécution, et être dé- pourvu, dans ses rapports immédiats avec l’élève, de ce don de communication qui est le génie du maître. Le concours, propre à révéler certaines qualités, est impuissant à signaler ce défaut capital. De plus, il ne faut pas oublier qu’il s’agit d’une école de l’adolescence, et que le caractère, la moralité, la bonne renommée sont des conditions rigoureusement indispensables, qui ne peuvent pas être la matière d’un concours. Par ces motifs, la Commission s’est prononcée pour l’élection; elle a voulu que le recrutement des professeurs se fit par les professeurs eux-mêmes; que le Conservatoire fût investi du droit d’appeler dans son sein ceux qu’il juge capables de lui rendre des services, et dignes de partager ses travaux. » Ibid.

68 例えばピアノ科教授アンリ・エルツは31年半、フェリックス・ル・クーペは34年間の長きにわたり女 子クラスを担当した。

69 « Ce mode de recrutement avait des inconvénients qu’il importait de prévenir. Il fallait que l’élection fût large, universelle, que tous les professeurs du Conservatoire fussent appelés à l’exercer, et cependant il était nécessaire de régler l’exercice de ce droit, de faire qu’il ne se disséminât point sur des candidats trop nombreux, d’empêcher la brigue, les sollicitations, les influences, d’assiéger les juges électeurs, comme il n’arrive que trop souvent dans des corps illustres qui se recrutent eux-mêmes. Il convenait surtout que le Conservatoire ne fût pas suspect d’esprit de coterie et d’intérêt personnel. Les places vacantes étant ambitionnées par les artistes du dedans et du dehors, on devait

2-2. 給与体系の見直しと昇給体系の確立

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年草案は、教員の年俸を専門性や勤続年数に応じて

300~2 000

フランと定めると同時 に、条文注解で教員の給与について次のような見解を示している。「だが、この給与のヒエ ラルキーを提示しただけでも、容易ならざる仕事に身を捧げた芸術家の正当な願望がどれほ ど低い給料に減じられているかが分かる70」。

この年俸は、世紀中葉のフランスにおいてどの程度の水準だったのだろうか。1846 年、

パリは

120

万人の人口を擁していた71。1847 年にアンドレ・コシュ André COCHUT

(1807~1890)が調査から導き出した見積もりによると、大人と子どもを含むパリ市民の就 業状況の内訳は

48%が工業関連の手工業者、11%が商業従事者、17%が有産階級または自

由業者、

24%が奉公人および下層階級者となっている

72。このうち給料を受け取っている労

働者階級の年俸をコシュは男性で

909

フラン、女性で

391

フランと見積もっている73。この うち生活費に

1

日最大で

2

フランをかける男性は

10

万人以上、1 フランをかける女性は

75 000

人以上とされる74。同報告の中で、1日

2

フランを費やす男性の消費内訳は次のよう

に想定されている。

I-2-1. 12フランを費やす男性の出費内訳

N.B. 本表は上述のコシュによる報告 655頁、注2に基づき作成。

費目 年間の出費

(単位:フラン)

小さなアパートの家賃 100 パン (1キロ30サンチームのパンを1750g

費と仮定) 82

低品質ワイン(1ℓ50サンチームのワインを13

㎗消費と仮定) 55 その他の食品 292

衣類 100

照明、暖房、洗濯、家具新調、急の出費 101

この仮定に基づいて計算すると、365日間、この水準の生活を続けるには少なくとも

730

éviter qu’un système de promotions faites en famille pour faciliter l’avancement successif du plus grand nombre pût porter préjudice, aux talents qui gagnent leurs grades dans des travaux publics, comme font les autres dans l’enceinte

de l’école […]. » 「この採用方法には、重点的に予防すべき難点があった。選挙は偏見なく普遍的であり、

すべての音楽院教授が選挙[権]を行使するよう求められるべきであった。しかしながら、この権利の行 使を調整して、選挙権の行使が多くの候補者の上に拡散されすぎないようにし、かつまた権謀術数や請願、

影響力が選挙審査団を悩ませるのを防止する必要があった。というのも、こうしたことは人材を募集する 著名な人々の集団においてはごく頻繁に起こるものだからである。音楽院は、わけても党派意識や個人的 利害に係る嫌疑をかけられないことが望ましかった。空いたポストは内外の芸術家に熱望されるのである 以上、大多数の教員の継続的な昇進を容易にするために内々につくられた昇進システムのせいで、音楽院 内部で職位を得るのとなんら変わりなく[音楽院外の]公的職業において職位を得るような人材が不利を 被るという事態は避けなければならなかった」CP, p. 364.

70 « Mais le simple exposé de cette hiérarchie d’appointements prouve à quelle modicité se sont réduites les légitimes ambitions d’artistes voués à un travail difficile » CP, p. 365.

71 Louis GIRARD, Nouvelle histoire de Paris, La deuxième République et le Second Empire 1848-1870, Paris, Hachette, 1981, p. 135.

72 André COCHUT, « Paris industriel. Statistique de l’industrie à Paris, résultant de l’enquête faite par la Chambre de commerce pour les années 1847 et 1848 », Revue des Deux Mondes, nouvelle période t. 16, oct.-déc. 1852, p. 643.

73 Ibid., p. 655.

74 Ibid., n. 2.