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「政治的構成要素」

ドキュメント内 エジプト 2012 年憲法の読解 (ページ 46-56)

定義された。「政体」ではなく,「政府」ḥukūmaの語が用いられているが,意味内容は同 じと考えられる。この内容構成は,1923年憲法1条ともよく似ていて,「エジプト」を主 語として,「主権を有する国家である」dawla dhāt siyāda,「自由で独立する」hiya ḥurra mustaqilla,「その主権は分割されず,割譲されない」mulk-hā lā yujza’u wa-lā yunzalu ‘an shay’ min-hu,「その政府は世襲制で,その形式は代議制とする」ḥukūmat-hā wirāthiyya

wa-shakl-hā niyābīとされた。1954年憲法案と1923年憲法の間では,「主権国家」と「自

由独立」の要素が共通するが,政体の名称は「議会代議制共和国」と「世襲制政府・形式的 代議制」と異なる。1923年憲法(および同内容の1930年憲法)は,「主権の不可分」を述 べた唯一の過去憲法である。

このように,各過去憲法の第1条と比べると,「主権国家」「独立」「不可分」という要素 を有する点で2012年憲法1条は1971年憲法よりも,むしろ立憲君主制であった1923年憲 法の内容構成に似ている。ただし,政体の定義は異なり,この点では2007年改正1条を受 け継いでいる。

第2項は,「エジプト人民」al-sha‘b al-miṣrīを主語として,「アラブの共同体およびイス ラームの共同体の一部である」こと,ならびに,「ナイル川流域・アフリカ大陸・アジアと の繫がり」および「人類文明への寄与」が述べられる。1971年憲法1条で「エジプト人民は,

アラブの共同体の一部であり,その完全な統一の達成に努める」と定められていたように,

国家を超える広域の「共同体」al-ummaとして想定されていたのは,「アラブ」al-‘arabiyya だけであった。これに対し,2012年憲法はここに「イスラーム」al-islāmiyyaを追加した。「ア ラブの共同体の一部」という規定は,1956年憲法で採用されて以来,1958年憲法,1964年 憲法および1971年憲法と,その後のすべての憲法に採用されてきた。いわば1952年革命 のメルクマールを体現するものであり,社会主義などの政治イデオロギーにも影響されな かった。したがって,「アラブの共同体」の採用は1952年革命体制の継承であるが,そこに「イ スラームの共同体」を加えたことは,そうした従来の路線を大きく逸脱するものともいえる。

2012年憲法が「イスラーム的」と評される所以の一つである。

なお,「ナイル川流域」および「アフリカ大陸」については「所属/含まれること」

intimā’の語が用いられ,「アジア」には「延長」imtidād,「人類文明」には「参加/貢献」

yushārikuなどが用いられた。これらは,エジプトをとりまく多種多様な繫がりを表したも

のであるが,過去憲法のいずれにも見られない新規表現である。

〈関連条項〉

(1923: 1)

2条〔国教・公用語,シャリーアは法源〕

イスラームは国教とし,アラビア語は公用語とする。イスラームのシャリーアの原則は,

立法の主要な法源である。

〈解説〉

第2条は,国教・公用語の規定である前半部と,イスラームのシャリーアを規定する後半 部からなる。1971年憲法(1980年改正)から一切変更のない「維持」の条項である。

本条の表現は,前後二文からなり,前半の一文で「国教」dīn al-dawlaと「公用語」

lughat-hā al-rasmiyyaを指定し,後半の一文で「イスラームのシャリーアの原則」mabādi’

al-sharī‘a al-islāmiyyaを「立法のため」li-l-tashrī‘の「主要な法源」al-maṣdar al-ra’īsīと定 める。1971年憲法2条と比べると一言一句変更がないが,さらに過去憲法にさかのぼると,

通史的変化を経てきたものであることがわかる。

まず,前半の「国教・公用語」規定は,1971年憲法から1923年憲法まで(二文の間のコ ンマの有無というほんのわずかな違いをのぞき)同一の表現が用いられている。(アラビア 語を議会の公用語とすることは,すでに1879年国民法や1881年基本法の時代から求めら れていた。)しかし,この「国教・公用語」規定は,その時々により置かれた位置が異なっ ていた。1971年憲法では第2条であり,後述するシャリーア規定の問題から「憲法2条問題」

と称されたが,この条項が第2条の座を得るようになったのは,当の1971年憲法からであ る。その前の1964年憲法では,この条項は第1編「国家」の末尾である第5条とされていた。

1958年憲法ではこの条項は採用されず,1956年憲法では第1部「エジプト国家」の末尾の 第3条に置かれた。そもそもこの条項が,憲法の冒頭部に置かれるようになったのは1956 年憲法からのことである。1923年憲法から1954年憲法案においては,巻末の「一般規定」

の編に置かれ,本憲法でいえば第220条「カイロを首都とする」といった一般規定の条項 と併置されていた。この意味において,1952年革命体制が実は後の「憲法2条問題」の火 種を用意していたともいえる。

後半部は,1971年憲法の制定時にこの「国教・公用語」規定に追加された一文である。

当初は,「イスラームのシャリーアの原則は,立法の主要な源泉の一つである」とゆるやか に表現していたが,1980年改正で「主要な源泉の一つ」maṣdar ra’īsīという語に定冠詞 al-を付けたため,「主要な源泉である」と限定されるようになった。この変更は,「憲法2条問題」

と呼ばれる世俗国家論争を引き起こした。2012年憲法の起草段階においても,この表現の 削除を求める勢力,さらなる精緻化を目指す勢力,これを護持したい勢力の間で意見がぶつ かりあい,結局,現在あるように一切変更しないことになった。なお,「イスラームのシャリー ア」の精緻化を求める声が根強く残ったため,第2条とは別に「シャリーア」の定義を示す 第219条が追加されることになった。

〈関係条項〉

3条〔キリスト教・ユダヤ教のシャリーア〕

エジプト人のキリスト教徒およびユダヤ教徒のシャリーアの原則は,彼らの身分,宗教的 事柄および精神的指導者の選出を組織する諸立法の主要な法源である。

〈解説〉

第3条は,キリスト教徒とユダヤ教徒に関する憲法上・立法上の特別な扱いを定める。

2012年憲法で初めて採用された「新規」の条項である。

本条は,「憲法2条問題」として知られる「イスラームのシャリーア」規定への批判に応 えて,同じく「啓典の民」と見なされるキリスト教徒とユダヤ教徒に対する憲法上の特別規 定を設けたものである。前条に示したように,第2条の後半部では,「イスラームのシャリー アの原則は,立法の主要な法源である」と定められた。これに対し本条では,「エジプト人 キリスト教徒およびユダヤ教徒のシャリーアの原則は」を主語とし,「~を組織する諸立法 の主要な法源である」al-maṣdar al-ra’īsī li-l-tashrī‘āt al-munaẓẓima ~を述語とする同様の 文章構造が用いられている。違いは,第2条では「立法/法律の制定」al-tashrī‘の一語であっ たのに対し,本条では「諸立法/諸法律の制定」al-tashrī‘ātと複数形が用いられ,さらに「彼 らの身分法,宗教的事柄および精神的指導者の選出を組織する」として,この規定が関わる 事例が示されたところにある。

エジプトのキリスト教徒は,コプト派正教会を筆頭に全人口の約1割を占めるといわれ,

きわめて重要な「マイノリティ」である。他方,ユダヤ教徒はもともと国内に存在していた ことが知られるが,20世紀中葉のイスラエル建国による数次の中東戦争や民間資本の国有 化などを経て,国内のユダヤ教徒の数は激減したといわれる。本憲法においては,これらキ リスト教徒・ユダヤ教徒のみが,「シャリーア」規定を受けるべき存在として言及されてい る。この「啓示宗教」の重視は,本憲法の前文において,「アッラーの預言者たちと彼らが 伝えた天の啓示をその懐に抱き」iḥtaḍanat anbiyā’ allāh wa-risālāt-hu al-samāwiyyaとい う表現にも見出される。なお,エジプトではすでに相続や婚姻に関わる近代法制において,

イスラーム教徒とキリスト教徒をそれぞれ異なる「身分法」lā’iḥa al-aḥwāl al-shakhṣiyya で対応する体制がとられている。

〈関係条項〉

なし

4条〔アズハルの権限,大ウラマー機構〕

高貴なるアズハルは,独立した総合的イスラーム機構である。アズハルは,自らに係るす べての事柄の実施を,独占的に管轄する。アズハルは,エジプトおよび世界におけるイスラー ムの布教,宗教諸学およびアラビア語の普及を担う。シャリーアに係る事柄については,高 貴なるアズハルに付属する大ウラマー機構の意見が聴かれることとする。

国は,アズハルがその目的を実現するために十分な財政基盤を保障する。

アズハル総長は,独立し,罷免されない。大ウラマー機構の構成員のなかからアズハル総 長を選出する方法は,法律で定める。

これらはすべて,法律の組織するところによる。

〈解説〉

第4条は,エジプト国内のイスラーム関係機構の頂点に立つアズハル機構について,その 権限と管轄を定める第1項,国家による財政保障を定める第2項,アズハル総長の権限およ び選出方法を定める第3項,上記項目の法定性を述べる第4項から構成される。2012年憲 法で初めて採用された,「新規」条項である。

第1項は,二つの文章からなる。一つめは,「高貴なるアズハル」al-azhar al-sharīfを主 語として,その性格規定を行うもので,「独立した総合的イスラーム機構」hay’a islāmiyya mustaqilla jāmi‘aであり,「独占的に~を管轄し」yakhtaṣṣu dūna ghayr-hi bi-~,「~を担う」

yatawallā ~と権限を述べる。この文章構成は,本憲法の第3編「公権力」の第3章「司法権」

や第4編「独立機構および監査機関」に新たに加えられた諸機構・機関の規定によく似ている。

第1項の二つめの文では,第2条で言及された「イスラームのシャリーア」に係る事柄 について,アズハル傘下の「大ウラマー機構」hay’a kibār al-‘ulamā’の「意見が聴かれる」

yu’khadhu ra’yことが明記される。この大ウラマー機構の詳細は,憲法では特に規定され

ない。

第2項では,アズハルの「財政基盤」al-i‘timādāt al-māliyyaは「国が保障する」takfalu

al-dawlaことが述べられる。これは,同様の国家機関や公的機構に関する規定においても

ほとんど見られない,強力な支援を定めたものである。

第3項では,国内で最高の宗教権威を有する地位である「アズハル総長」shaykh

al-azharの独立性およびその任免方法が定められる。従来,アズハル総長は大統領により選出

されていたが,本憲法では「大ウラマー機構」成員の互選による選出を定めた。アズハル 総長には,裁判官や重要な司法関係者と同じく,「独立し,罷免されない」mustaqill ghayr qābil li-l-‘azlという強い身分保障が与えられている。

このアズハル総長の任免については,1930年憲法にのみ先例が見られる。1930年憲法は

ドキュメント内 エジプト 2012 年憲法の読解 (ページ 46-56)