稲賀 繁美
今、石原さんのほうからきちんとしたご挨拶があったので、その後で私がしゃべるというの もちょっと格好がつきません。何分あったかな。止めてくださいね。
レジリエンスという言葉を使うということで、始めました。結局これはすごく悪い使われ方 をしてしまっている言葉だ、ということがはっきりしました。これだけでも大切なことだと思 います。言ってみればレジリエンスresilienceという言葉は、今回の皆さんの話題を集めるた
めの一種のルアー、疑似餌であったかもしれません。だけど、それによって結局、一つの問題 が持ち上がってきたということ、これが大切だったと思います。
私、手が三本もありませんので、討議資料を参照しながら、ここでマイクを手にして立って おしゃべりするのがちょっと難しいのですけれども、一つ言えることは、外国語の語彙をその まま使うのが、時として極めて危険だということがある。翻訳したときに、そうとは気づかず 話がずれてしまうのです。カタカナ語の流用は、日本の行政ではほとんど自動化して行われて いますけれども、大体そこでは何かが(意図的に)隠(さ)れています。
例えば、コンプライアンスcomplianceという言葉がありますけれども、あれは服従という 意味ですね。服従しなさい、屈服することが正しいのですよ、と政府が言っているわけです。
それから、エンパワーメントempowermentという言葉があり、行政用語としては少数派への 権限付与を意味しますけれども、これは今日、詳しくは展開しませんが、それなら力がない人 は、権利を認められない、ということになる。無力は悪、という価値観ですが、それはおかし いと私は思います。力をつけていくということは必要ですけれども、力がない方は、じゃあ見 捨てていい、ということにはならないはず。
レジリエンスにも同じようなことがございます。これはボールがもともとぽんぽんとはじけ るという、そういう意味のラテン語から来ていますけれども、今、辞書を見ますと面白いこと に「意地をはって敗北を認めない」というのがレジリエンスなのですね。これ、どこかの超大 国の、そろそろ「元」になるはずの大統領が言っていることですね。
それで、今日の午前中の三つの発表、素晴らしい発表だったと思います。宋琦さんの提起さ れたことは、これは日本だけではなくて中国、インド、そして非キリスト教圏が近代において 国家と宗教をどのよう扱っていったか、どう扱えばよいのか。これはとても個人研究では手に 負えない。総研大の文化科学の中で共有すべき大きな問題だと思います。
それから、金丸さんのおっしゃったこれは、本当に文理融合なんて綺麗事で推奨されますけ れど、現場に行くと、それが実践できなければ、通用しない、そうした現実があると。それか ら、「上のほうから」という言葉が出ましたけれども、行政から入ってくると、これは尺度が 合わないのですね。それで現場で何が起こってしまうかということについても、これは大変貴 重な話。そして、環太平洋という圏域の置かれた環境を見ていかなくてはいけない。これは文 理なんて超えた話です。そこへの出発点になる話だったと思います。
それから、三人目の前山さんと後藤先生、これも大変大切な話で、つまり文理融合なんて簡 単に言いますけれども、そこで一体情報をどのように扱っていくのか。この情報、インフォ メーションという言葉も、実は日本語では実に雑駁に使われています。データとインフォメー ションとどう違うのでしょうか。そういうこと一つ分からないような情報教育がなされていま す。そうした欠落を考えていく必要がある。さらに本当なら、おふたりの議論を今から広げて いくべきところですが、残念ながら、この場では時間もございません。
長くしゃべり過ぎました。簡略な指摘にとどめますけれども、今日、ヘリテージheritageと いう言葉が出てきました。ユネスコでもintangible heritage が指定され、そのまま放置すれば 絶えていって、なくなってしまいそうな文化を、行政の力によって何とか生き残らせよう、生 き返らせようとしています。しかし、そうした財政援助の介入のおかげで現場が修復不能な変 質をこうむってしまうという事態も発生している。これはユネスコで無形文化財保護運動に従 事している現場の方たちが一番よく知っていらっしゃいます。
そのヘリテージという言葉、これは日本語でいうと「遺産、相続」というものですね。次の 世代に継いでいくという営みであり、さきほども話題になりました。ところで、日本語だと、
これは「継ぐ」という言葉は「償う」という言葉と極めて近く、密接につながっています。と ころが英語圏ではheritageという言葉と、例えば「償う」compensateとは、語源として全然 つながらないのですね。両者は欧米語の認識ではほぼ無関係です。
「償う」ということはどういうことかというと、その出発点に、実は喪失や欠落があります。何か 失われてしまったものがある。その取り戻せないものをどうするか。後に残された我々として、この 喪失や損失にどう対処していくか。そのことが実は「次の世代に継ぐ」という営みに含まれている。
我々の日本語の世界では少なくとも「継ぐ」と「償う」についてそのような連続した考え方がある。
今日、2日目のシンポジウムで面白かったのは、「欠損する身体」の事例です。「ひとつ目」
とか「片腕」、「片足」、これはなぜでしょう。私が思いますのに、つまりそれは失われてし まったものがあるという事実を出発点にして、それを次の世代に継いでいくという意識ではな いか。これは柳田國男が早くから指摘していて、ドイツ語ではEinseitigkeitつまり「片側性」
などとも呼ばれますが、ここには、「欠損」をそれとして残す意思がある。そうした「異形」
を石に刻んだ人たちには、子孫に残す「遺産」のはたすべき役割について、大きな知恵が働い ていたのではないか、という様に思われます。というのも、その「欠けた」部分、空隙に「霊」
が宿り、今にまで残るわけですね。そのことは大変大切だと思います。
そして、そうした喪失の体験から歌が生まれ、詩が生まれます。我々は身近な人を亡くした ときに突然、歌が出てきます。それから詩が。なぜかそのときだけは自分が詩人になったよう に、不思議と出てまいります。鹿踊りも、その起源では同様の先祖儀礼です。おそらくは、も はやとりかえせない「喪失」を埋めるために、歌や詩が湧いてくる。だがその湧いてくる源 は、自分たちのご先祖であり、そのご先祖は喪失としてしか残っていない。―resilienceの意 味をもう一度問い返すうえでも、とても貴重な機会だったと思います。
この調子でやっていくと収拾がつかなくなりますので、このあたりでやめますけれども、今 日、玄侑宗久さんの話が出てきました。彼の芥川賞受賞作「中陰の花」について、日文研の二 代所長だった河合隼雄は「仏になるというのはほどけることだ」というのですね。つまり、個 というものがあったのだけれども、それがこの世からあの世に行くことで、「ほどける」とい うわけです。そのように解けること、この世にあった人たちは「仏」になっていく。それを 我々はどう見送っていくのか。そこに実は我々の生きざまがあります。
アーカイブズを作るときに、ストックとフローという話がありましたけれども、私がそこに 噛み付いたのは、実はそのためでした。ストックを作るためにはフローが必要なわけです。そ の両方の関わりということが、実は文化の生態、さらには生命現象でありまして、それを基礎 に情報学を考え直していく、これも大変いい機会になったと思います。
最後に、全員のお名前をお呼びできませんけれども、今回COVID-19の大変な状況の中で、
前例がない文化フォーラムを企画立案し、実現に漕ぎつけてくださった、石原さん、前山さん、
岩下さん、金丸さん、服部さん、宋さん、王さん、伊藤さん、本当にありがとうございました。
事務の方にも本当に普段にはないような努力をしていただきまして、これも私、はたで見てい て本当に感動いたしました。「つなぐ」という言葉が出ましたけれども、この経験を来年度以降 の下級生の人たちに、それこそ繋いでいく、開いていく、そうした「継承」ができればなによ りと思いますし、その大変いい「遺産」を残すきっかけになったのではないか、と思います。