年にミラノ勅令(Edictum Mediolanense)の内容によって、キリスト教が公認され、全帝国市 民の信教の自由が保障される。そして、 年のフランス革命の基本原則を記した人間と 市民の権利の宣言(Déclaration des Droits de l'Homme et du Citoyen)と年に作成した世 界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)においても、人は宗教の自由に対する権 利を有すると決められている。「信教の自由」は人権の一方面と思われつつ、普遍的な認識 となってきた。
言葉の意味からいえば、「国教」と「信教の自由」は矛盾な存在である。もし国民が信奉 すべき宗教があれば、「自由」の意味は消えてしまった。これは極めて明確なことである。
明治時代までの日本では、「国教」はなかった。江戸時代にキリスト教弾圧の事件があった としても、それは強制的な信教ではなく、社会的なタブーを示したと思われる。ある意味で は、明治時代まで日本には「信教の自由」が存在していた。
二
二、、西西洋洋のの風風潮潮とと前前代代のの遺遺風風
しかし、西洋から来たものはやはり新鮮なもので、それを抱くのはその時代の人々の心に ある悸動であった。自分を見直す時に、西欧の様々な方面を参照することが多く存在してい た。「大日本帝国憲法」における「宗教」の部分は、その例として考えられる。
明治()年月に伊藤博文は手択本の「大日本帝国憲法」を書いた。内閣罫紙が つかわれ、赤い書き込みあり、「浄写三月案」とも呼ばれる。第二十八条は「日本臣民ハ安 寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」という内容で、後 に正式に発布された「大日本帝国憲法」にいて、この部分の内容がそのまま採用された。伊 藤博文の赤い書き込みの内容は以下のとおりである。
中古西欧宗教ノ盛ナル、之ヲ内外ノ政事ニ混用し以て、流血ノ禍ヲ致シ。而シテ東方諸 国ハ又厳法峻刑以テ之ヲ防禁セント試ミタリシニ、四百年来奉教自由ノ説始メテ苚芽 ヲ發シ以テ、仏国ノ革命北来ノ独立ニ至り、公然ノ宣告ヲ得。漸次ニ各国ノ是認ヲ経、
現在各国政府ハ或ハ国教ヲ存シ、或ハ社会ノ組織又ハ教育ニ於テ依一派ノ宗教ニ偏袒 スルニ拘ラズ、法律上一般ニ各人ニ対シ奉教ノ自由ヲ予へザルハアラズ・・・・・・而 シテ国教ヲ以テ偏信ヲ強ルハ、最モ人知自然ノ発達ト学術上競争ノ進化ヲ、障害スル者 ニシテ、何レノ国モ政治上ノ威権ヲ用イテ、以テ宗教学術無形ノ問題ヲ制圧セントスル ノ権利ト機能トヲ有せザルへし。
伊藤博文によれば、宗教が盛んであれば政治環境は安定できない。これは中古西欧から得た 教訓で、それに対して東方諸国は「厳法峻刑」で宗教の隆盛を防止していた。信教の自由は フランス大革命に至って、宣言のなかに記録された。その後、各国はそれを認めて、良好な 社会秩序が維持できるようになった。もし国教があれば、それは「人知自然ノ発達」と「学 術上競争ノ進化」の障害となり、宗教学が権威に制圧されるべきではない。このような考え
に基づいて、当時の憲法には「国教」についての内容がなく、西欧の「信教の自由」が現れ るようになった。
三
三、、歴歴史史のの鏡鏡ににああるる川川合合清清丸丸のの姿姿
憲法が作られていた期間、川合清丸たちは「国教」を目指して努力をしていた。日本国教 大道社は明治 ()年に成立し、社主は山岡鉄舟、主幹は川合清丸である。機関誌は
『大道叢誌』(号~号)、事務所は東京にあった(明治年―明治年 本郷区龍岡 町麟祥院内、明治年―明治年 本郷区駒込吉祥寺町吉祥寺境内、明治年―大正 年 小石川区関口町鳥尾邸隣地)。教育機関としての大道学館(明治年―明治年)は 一時期存在していたが、大正()年に解散された。
山岡鉄舟は社主といっても、それは名目のことで、川合清丸は事実のリーダと考えられる。
河合清丸はどういう人物なのか。彼の全集は 年代に出版され、十巻からなっている。
巻ごとに序文があり、具体的な情報を以下のようにまとめている。
巻数 標題 序文を寄った人物 序文を寄った人物の身分
第一巻 三道並行篇 床次竹二郎 政治家、衆議院議員、内務大臣、鉄道大 臣、逓信大臣、政友本党総裁。
第二巻 神道即国体門 清浦奎吾 官僚、政治家。位階は正二位。勲等は大 勲位。爵位は伯爵。
第三巻 神道即国体門 江木千之 明治時代から大正時代にかけての日本 の文部・内務官僚、政治家。
第四巻 儒道即経世門 井上哲次郎 明治時代の哲学者。帝国大学で日本人初 の哲学の教授。
第五巻 仏教即解脱門 秋野孝道 明治時代から昭和時代前期の僧。曹洞宗 大現駒沢大学長、曹洞宗管長。 第六巻 仏堂即解脱門 関精拙 明治から昭和にかけての臨済宗の禅僧。
臨済宗第七代天龍寺派管長。
第七巻 諸子即百家門 頭山満 明治から昭和前期にかけて活動したア ジア主義者の巨頭。
第八巻 経世時論篇 徳富蘇峰 明治から昭和戦後期にかけてのジャー ナリスト、思想家、歴史家、評論家。 第九巻 経世時論篇 三宅雪嶺 日本の哲学者、国粋主義者、評論家。
第十巻 詞藻及手束篇 加藤熊一郎 仏教学者、作家、教育家。雄弁学弁論 に関する著作を多く残した。
これらの人物は年代に各分野の有名人である。彼らが川合清丸についての評判(部分)
年にミラノ勅令(Edictum Mediolanense)の内容によって、キリスト教が公認され、全帝国市 民の信教の自由が保障される。そして、 年のフランス革命の基本原則を記した人間と 市民の権利の宣言(Déclaration des Droits de l'Homme et du Citoyen)と年に作成した世 界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)においても、人は宗教の自由に対する権 利を有すると決められている。「信教の自由」は人権の一方面と思われつつ、普遍的な認識 となってきた。
言葉の意味からいえば、「国教」と「信教の自由」は矛盾な存在である。もし国民が信奉 すべき宗教があれば、「自由」の意味は消えてしまった。これは極めて明確なことである。
明治時代までの日本では、「国教」はなかった。江戸時代にキリスト教弾圧の事件があった としても、それは強制的な信教ではなく、社会的なタブーを示したと思われる。ある意味で は、明治時代まで日本には「信教の自由」が存在していた。
二
二、、西西洋洋のの風風潮潮とと前前代代のの遺遺風風
しかし、西洋から来たものはやはり新鮮なもので、それを抱くのはその時代の人々の心に ある悸動であった。自分を見直す時に、西欧の様々な方面を参照することが多く存在してい た。「大日本帝国憲法」における「宗教」の部分は、その例として考えられる。
明治()年月に伊藤博文は手択本の「大日本帝国憲法」を書いた。内閣罫紙が つかわれ、赤い書き込みあり、「浄写三月案」とも呼ばれる。第二十八条は「日本臣民ハ安 寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」という内容で、後 に正式に発布された「大日本帝国憲法」にいて、この部分の内容がそのまま採用された。伊 藤博文の赤い書き込みの内容は以下のとおりである。
中古西欧宗教ノ盛ナル、之ヲ内外ノ政事ニ混用し以て、流血ノ禍ヲ致シ。而シテ東方諸 国ハ又厳法峻刑以テ之ヲ防禁セント試ミタリシニ、四百年来奉教自由ノ説始メテ苚芽 ヲ發シ以テ、仏国ノ革命北来ノ独立ニ至り、公然ノ宣告ヲ得。漸次ニ各国ノ是認ヲ経、
現在各国政府ハ或ハ国教ヲ存シ、或ハ社会ノ組織又ハ教育ニ於テ依一派ノ宗教ニ偏袒 スルニ拘ラズ、法律上一般ニ各人ニ対シ奉教ノ自由ヲ予へザルハアラズ・・・・・・而 シテ国教ヲ以テ偏信ヲ強ルハ、最モ人知自然ノ発達ト学術上競争ノ進化ヲ、障害スル者 ニシテ、何レノ国モ政治上ノ威権ヲ用イテ、以テ宗教学術無形ノ問題ヲ制圧セントスル ノ権利ト機能トヲ有せザルへし。
伊藤博文によれば、宗教が盛んであれば政治環境は安定できない。これは中古西欧から得た 教訓で、それに対して東方諸国は「厳法峻刑」で宗教の隆盛を防止していた。信教の自由は フランス大革命に至って、宣言のなかに記録された。その後、各国はそれを認めて、良好な 社会秩序が維持できるようになった。もし国教があれば、それは「人知自然ノ発達」と「学 術上競争ノ進化」の障害となり、宗教学が権威に制圧されるべきではない。このような考え
に基づいて、当時の憲法には「国教」についての内容がなく、西欧の「信教の自由」が現れ るようになった。
三
三、、歴歴史史のの鏡鏡ににああるる川川合合清清丸丸のの姿姿
憲法が作られていた期間、川合清丸たちは「国教」を目指して努力をしていた。日本国教 大道社は明治 ()年に成立し、社主は山岡鉄舟、主幹は川合清丸である。機関誌は
『大道叢誌』(号~号)、事務所は東京にあった(明治年―明治年 本郷区龍岡 町麟祥院内、明治年―明治年 本郷区駒込吉祥寺町吉祥寺境内、明治年―大正 年 小石川区関口町鳥尾邸隣地)。教育機関としての大道学館(明治年―明治年)は 一時期存在していたが、大正()年に解散された。
山岡鉄舟は社主といっても、それは名目のことで、川合清丸は事実のリーダと考えられる。
河合清丸はどういう人物なのか。彼の全集は 年代に出版され、十巻からなっている。
巻ごとに序文があり、具体的な情報を以下のようにまとめている。
巻数 標題 序文を寄った人物 序文を寄った人物の身分
第一巻 三道並行篇 床次竹二郎 政治家、衆議院議員、内務大臣、鉄道大 臣、逓信大臣、政友本党総裁。
第二巻 神道即国体門 清浦奎吾 官僚、政治家。位階は正二位。勲等は大 勲位。爵位は伯爵。
第三巻 神道即国体門 江木千之 明治時代から大正時代にかけての日本 の文部・内務官僚、政治家。
第四巻 儒道即経世門 井上哲次郎 明治時代の哲学者。帝国大学で日本人初 の哲学の教授。
第五巻 仏教即解脱門 秋野孝道 明治時代から昭和時代前期の僧。曹洞宗 大現駒沢大学長、曹洞宗管長。
第六巻 仏堂即解脱門 関精拙 明治から昭和にかけての臨済宗の禅僧。
臨済宗第七代天龍寺派管長。
第七巻 諸子即百家門 頭山満 明治から昭和前期にかけて活動したア ジア主義者の巨頭。
第八巻 経世時論篇 徳富蘇峰 明治から昭和戦後期にかけてのジャー ナリスト、思想家、歴史家、評論家。
第九巻 経世時論篇 三宅雪嶺 日本の哲学者、国粋主義者、評論家。
第十巻 詞藻及手束篇 加藤熊一郎 仏教学者、作家、教育家。雄弁学弁論 に関する著作を多く残した。
これらの人物は年代に各分野の有名人である。彼らが川合清丸についての評判(部分)