5. 考察
5.4 形容詞と事象のアスペクト的解釈
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形容詞I 形容詞II 形容詞III 形容詞IV 形 容 詞 が 本 質
的 に 性 質 を 表 す対象
・事象 ・事象 ・人(動作主) ・人(経験者)
形 容 詞 が 表 す 性質の意味
・速度 ・難易度 ・ 人 の 内 面 的 な状態
人の感情
形 容 詞 が 念 頭 に置く事象
・ 主 体 を 含 む 事象
・ 主 体 ( と 客 体)を含む事 象
・ 動 作 主 と し て の 主 体 を 含む事象
―
述語対象語、被 修 飾 語 に 現 れ うる個体
・事象
・ 事 象 に 参 与 する主体
・事象
・ 事 象 に 参 与 する客体
・人
・ 人 が 主 体 と し て 参 与 す る事象
―
表 29 形容詞と事象とその参与者の関係
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(420) Firmenchef Luca di Montezemolo ist der ständigen Niederlagen längst überdrüssig.
(=(355)) <形容詞IV、到達>
(会社の会長ルカ・ディ・モンテゼーモロは絶え間ない敗北にとっくにうんざりして いる。)
(421) Alphonso Kpanda war des Tötens müde. (=(368)) <形容詞IV、達成>
(アルフォンソ・クパンダは殺すのにうんざりしていた。)
形容詞IVとは異なり、形容詞I, II, IIIは、共起する事象を表す語句が、状態ではなく 出来事(活動・到達・達成)を表すものであることが多いという点で一致している。す なわち、形容詞は事象が有界的(到達・達成)か、無界的か(活動・状態)ということ よりもまず、事象に展開がある(出来事である)ということを求めている。ただし、形
容詞I, II, IIIが何らかの出来事を表す語句と共起する際、文全体で表される出来事がア
スペクト的にどのように解釈されるかという点には、有界的相/無界的相の別が関係す るようである。
まず、形容詞Iでは、どのような語彙的アスペクトの語句と結びつくかを問わず、そ の出来事は時間幅があり、その中で事態が展開する「活動」タイプとして解釈される。
例えば、langsam が (422) のように活動タイプの出来事と共起すると、langsam はその まま「(あなたが)話す」という出来事の動作の展開が「遅い」ことを表していると解 釈される。しかし、langsamが (423) のように到達タイプの出来事と共起すると、langsam は「(彼が)目覚める」という一瞬の状態変化に性質を当てはめているとは捉えられな い。この場合の langsam は、その状態変化に至るまでの時間幅を想定し、そこで「(彼 が)目覚める」という出来事が「遅い速度で」展開していくことを表していると解釈さ れる。schnell が到達タイプの出来事と結びつく場合にも、出来事の開始や終了という、
状態が変化する局面を想定される。ただしこの場合は、出来事が「速い速度で」展開し ていくことを表すというより、状態が変化するまでの時間経過が「速い」ことを表し、
そこから転じて「すぐに」という意味が引き出されるのではないだろうか。いずれにせ よ、形容詞Iは根底では「活動」というアスペクトを優先しているのだと思われる。120
(422) „Sprechen Sie langsam und deutlich.“ (=(137)) <形容詞I、活動>
(「ゆっくりそして明瞭に話してください。」)
120 なお、形容詞Iのschnellが「状態」と結びつく場合も、形容詞は「すぐに」という意味 合いで解釈される。その際、状態は有界的な「到達」として再解釈される(例えば „die
Beamten sind schnell vor Ort“「警察官たちは速く現場にいる」→「すぐにその場に着く」)。
一方、langsamには状態と結びつく事例が見られなかった。この違いは、Maienborn (2003),
Schäfer (2013) が指摘するように、schnell では事象を外側から有界的に捉えうる一方、
langsamではそのような解釈ができないということによるものだと思われる。
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(423) Neun Wochen lang lag er im Koma, wachte dann langsam wieder auf. (=(162)) <形
容詞I、到達→活動的に解釈される>
(9週間、彼は昏睡状態にあり、それから徐々に再び意識を回復していった。)
一方、形容詞IIでは、どのような語彙的アスペクトの語句と結びつくかを問わず、出 来事のアスペクトは時間幅がなく事態の展開だけがある「到達」タイプとして解釈され る。言い換えれば、「出来事が実現する」という点に焦点が当てられる。例えば、schwer が (424) のように到達タイプの出来事と共起すると、schwerはそのまま「(人が)イワ シを捕まえる」という瞬間的な出来事の実現が「難しい」ことを表していると解釈され る。しかし、schwerが (425) のように活動タイプの出来事と共起すると、schwerは「(誰 かが)それを説明する」という活動の展開が「難しい」ことを表しているというよりも、
そもそもその活動が成立することが「難しい」ことを表していると解釈される。つまり、
schwerが表す性質が当てはめられるのは、「説明する」という活動が実現している状態
へ変化する局面であり、その点で到達的である。
(424) Die Sardine ist schwer zu fangen, sie kann den Weg in die Freiheit finden, so lange das Netz noch offen ist. (=(210)) <形容詞II、到達>
(イワシは捕まえ難く、網がまだ開いているうちは逃げ道を見つけてしまう。) (425) Das ist schwer zu erklären. (=(171)) <形容詞II、活動→到達的に解釈される>
(それは説明し難い。)
形容詞Iが「活動」の読みを、形容詞IIが「到達」の読みを優先させているのに対し、
形容詞IIIの2語には共通して優先させる読みがない。形容詞IIIではvorsichtigが「活 動」の読みを優先させている一方、leichtsinnigは「活動」「到達」のどちらの読みも可能 であるようだ。
まず、vorsichtigは、状態を除いた3つの語彙的アスペクトの語句ともよく結びつく。
しかしそれがどのような出来事の語句であれ、時間幅があり、その中で事態が展開する
「活動」タイプとして解釈される。例えば、vorsichtig が (426) のように活動タイプの 出来事と共起すると、vorsichtig はそのまま「(アンドレア・ビューヒュラーが)話す」
という時間のかかる出来事が「慎重に」行われるという動作の方法を表していると解釈 される。しかし、vorsichtig が (427) のように到達タイプの出来事と共起すると、
vorsichtigは「(私が)始める」という一瞬の状態変化に性質を当てはめているのではな
く、一瞬で終わるはずのその状態変化を、時間をかけて「慎重に」行うという、動作の 方法を表していると解釈できる。
(426) Andrea Büchler spricht vorsichtig, wählt ihre Worte mit Bedacht. (=(249)) <vorsichtig,
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(アンドレア・ビューヒュラーは注意深く話し、自分の言葉を選ぶ。)
(427) Oder soll ich ganz vorsichtig anfangen? (=(282)) <vorsichtig, 副詞的、到達→活動 的に解釈される>
(それとも私は完全に慎重に始めるべき?)
一方、leichtsinnigは基本的に、状態タイプと達成タイプの事象を表す語句とは結びつ かない。また、出来事のアスペクトの解釈に関しても、vorsichtig とは異なり、「活動」
と「到達」のどちらを優先するということもないようである。例えば (428) の「(人は)
運転する」は活動タイプの出来事で、leichtsinnigの表す性質はその出来事が展開する間 ずっと当てはめられると解釈できる。つまり、運転中の振る舞いが軽率なのである。一
方、(429) の「(学生が)助言を受け入れる」は到達タイプの出来事であり、その出来事
が成立する一瞬にleichtsinnigが表す性質が当てはめられると考えられる。「軽率に」何 かを行うことは、継続的でも完結的でも、どちらもありうる。
(428) Gerade dadurch überschätzt man sich und fährt leichtsinniger als gewöhnlich. (=(290))
<leichtsinnig, 活動>
(まさにそれが原因で人は自分を過大評価し、普段よりも軽率に運転する。)
(429) Viele Studenten nehmen den Rat jedoch leichtsinnig an […] (=(253)) <leichtsinnig, 到達>
(多くの学生はその助言をしかしながら軽率に受け入れる。)
このように、形容詞I, II, IIIでは、それぞれ形容詞ごとに事象(特に出来事)に優先 的に求めるアスペクトが決まっており、それにより事象を表す語句の語彙的アスペクト を問わず、文全体で表される事象のアスペクト的な解釈が決定されるようである。
さらに、「うんざりした」という気持ちの対象として、共通して無界的な事象を求め る形容詞 IV の 3 語にも、事象の解釈に関する対立が見られる。もっぱら „nicht müde
werden“(飽きずに~する)という構文で用いられるmüdeは、その時点以降も続く事象
に言及する語で、その後いつまで続くのかという終了点を意識していない。例えば
(430) では「(彼が)それを繰り返し言う」のは述語動詞が表す時点以降のことであり、
それがいつまで続くのかは定かではない。その行為が続いている限り、主体の「彼」は それに「うんざりしない」のである。反対に、überdrüssigとsattは述語動詞が表す時点 までに続いている事象に言及する語で、それまで続いてきた事象を外から捉えている。
そして、その後それが続くかという点に関しては焦点を当てていない。例えば、(431) や
(432) では、überdrüssigやsattが表す感情の主体である「スイス人たち」や「彼ら」が、
それまでに継続された「議論」や「争い」にうんざりしているのだと思われる。述語動
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詞が表す時点での主体の感情を表し、その時点で事象は(少なくとも心理的には)区切 りがつけられる。その後さらに同じ出来事が続くかどうかは、文脈によるのだと思われ る。
(430) Und er wird nicht müde, es wieder und wieder zu sagen. (=(307)) <müde,(これから 続けられる)活動>
(そして彼は飽きもせず、それを繰り返し言う。)
(431) Aber die Schweizer sind der Diskussionen überdrüssig. (=(334)) <überdrüssig,(それ まで続けられてきた)活動>
(しかしスイス人たちは議論にうんざりしている。)
(432) Den ewigen Streit mit ihren Müttern haben sie gründlich satt. (=(345)) <satt,(それ まで続けられてきた)活動>
(彼らの母親との長期にわたる争いに、彼らは根本的にうんざりしている。)
形容詞I~IVのそれぞれの事象の解釈に関する対立には、事象を区切りあるものとし て外側の視点から捉えるか、あるいは事象の終了点を意識せず、出来事の内部の展開に 目を向けるかという、「有界的/無界的」な対立が共通している。
なお、leichtsinnigは少々特殊な位置づけであり、事象に優先的に求めるアスペクトが
はっきりしていない。ただ、leichtsinnigはvorsichtigと違い、(429) の「(学生が)助言 を受け入れる」のように到達的な事象と結びつくと、動作や行為の様態というより、そ れに対する評価を表しているように思える。形容詞II(leicht, schwer)も同様であるが、
何かを「軽率に/簡単に/難しく」行うというのは、主体が意識して行えることとは言 い難い。むしろ、何らかの事象を成立させたとき、それが「軽率だった/簡単だった/
難しかった」という評価を与えることができるのではないだろうか。この点で、形容詞 IIとleichtsinnigは共通するものがある。
表30にあるような、形容詞が事象に求める有界性の違いと、表29で見た、形容詞が 事象の参与者に求める主客の違いに応じて、前章の調査で確認された、表31のような 形容詞ごとの統語的な出現環境の異なりが生じるのだと思われる。