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調査寺院地域の概要
山梨教区は全九一ヶ寺を有する教区であり︑今回調
査を行ったA寺は山梨市(山梨組)にB寺とC
寺は
笛吹市御坂町(双方とも八代組)にD寺は甲州市勝
沼町
に(
八代
組)
︑
E
寺は富士吉田市に(都留組)ある︒山梨市は山梨県の北東部に位置し︑その北端を埼玉
県と長野県と県境を接している面積約二九
O M
︑人
口
約三万九千人の市である︒平成十七年三
月に
山梨
市︑
牧丘
町︑
三富村が合併して誕生した︒新宿駅より直線
距離で九
O M
強(
以下
︑
直線距離はいずれも役所まで
聞 の 十 距 五 離分 て ほ 掃 ど 唱車 2 で
息
よ 山書 者冬 草 聖
用 一 ) 時 距
の 哩
ニ 離Q
で 刀
2
。車で時 笛吹市は
山梨県中央よりやや
東に位置する面積
二
O
二一刷
︑人 口約 七万
二千人の市で︑平成十六年十月
に石
和町
︑御
坂町
︑
一宮
町︑
八代町︑境川村︑春日居
町の六町村が合併して誕生した︒その後平成十八年八
研究ノート
月には芦川村を編入し︑現在県下第二位の人口を誇る︒
新宿駅まで直線距離で約九六回︑電車で市役所最寄り
の石和温泉駅まで一時間三五分︑車で一
時間
三
O
分ほ
ど(中央自動車道利用)の距離である︒
甲州市は山梨県中央よりやや北東部に位置しその北
端は埼玉県と接する面積約二六四刷︑人口三万六千人
の市である︒平成十七年十一月に塩山市︑東山梨郡勝
沼町︑大和村の三市町村が合併し発足した︒新宿駅か
ら直線にして約八七回︑電車で市役所最寄りの塩山駅
まで
一時間三
O
分︑車で一時間
三
O
分ほどの(中
央自
動車道利用)距離にある︒
富士吉田市は
山梨
県南
東部
︑
富士山の北麓に位置す
る面積約
一二 二
凶︑人口約五万三千人の市である︒新
宿駅より直線距離で八四回︑電車で富士吉田駅まで
時間強︑車で一
時間
三
O
分ほど(中央自動車道利用)
の距離である︒
東京から近い順に甲州市︑山梨市︑笛吹市と並んで
いる
この
三市はいずれも
J
R中央本線と中央自動車道 が通っており︑東京までのアクセスも良いまた富士︒
τt 口
田 市 は J R 大 駅月 より 富 士 急 行 線 が ま た 自 動 車 道 路としては中央自動車道河口湖線が通っており︑乙ち
らも東京までのアクセスがよい︒これらの市を取り巻
く状況として共通する点は︑果樹や稲作を中心とした 農業や織物産業といったこれまで地域経済を支えてき た主力地場産業が︑高齢化や経済的問題から衰退しつ つあり︑それらは次世代へと継承することができない
状況にあるという点である︒
(宮
坂直
樹)
A 寺
(兼 務関 連寺 院
ア 寺
・ イ
寺
・ ウ 寺 )
はじめに
A寺
は山梨市にあり︑甲府盆地の北東部の丘陵地帯
にある
寺で
ある︒地域の多くは果樹栽培を行っている
が︑近年は農家の跡を継ぐ者がなく︑結婚しない人も
多く︑絶家の増加という問題を抱えている︒
住職について
住職(昭和十九年生)は︑大学卒業後︑東京都庁︑
世田谷区役所を経て︑二四歳のとき山梨に戻り山梨市
役所に入所した︒定年まで勤務し︑最後は収入役を務
めたが︑山梨に戻ってきた理由は﹁いつかは戻ってこ
なきゃいけない﹂と思っていたからであり︑また父で
ある先代住職も市役所で働いていたからだという︒﹁山
梨は田舎なので︑寺との兼職に関してもまだ理解があ
る﹂とのことである︒先代住職である父が遷化するま
ではア寺の住職であったが︑先代住職遷化に伴い︑平
成四年にA
住寺
職︑
イ寺兼務住職に就任した︒その際
にア寺の住職には子息が就任した︒
なお︑子息(昭和四七年生︑ア寺住職)は大正大学
を卒業した後︑山梨に戻ってきて市の関連団体で働き
ながら法務を務めている︒ 地域の変化と現状について
194
ぶどうとももの栽培農家が多い︒
かつ
ては
米︑
小麦
︑
蚕の飼育を行う家が多かったが︑昭和三
0
年代に果樹栽培へと変わった︒しかし現在では︑農家は高齢化が
進み︑跡を継ぐ人は皆無であり︑近隣でもっとも若い
農家は五
O
歳代であるという︒かつてはぶどうや桃は高くても売れたが︑現在は外国からの輸入に押されて
売れゆきが悪い︒また︑季節をずらして四月や五月に
ぶどうを収穫する場合には︑冬から重油を燃やしてビ
一 一
lル栽培をするためコストがかかってしまい︑利益が大きく出ない︒﹁重労働でも儲けが多ければ若い人
も農家をやるだろう︒しかし︑重労働でかつ儲けが出
ないのでは誰も農家をやらない︒﹂という状況で︑放
置されたままになっている畑が多くある︒また家が絶
えてしまった空き家も多くあり︑寺のある地区では
二五
O
軒のうち約二五軒が空家となっている︒若い 人は
︑
サラリーマンとして山梨市︑甲府市︑笛
研究ノート
吹市︑塩山市などで働く人が多い︒三
0 1
四O
分で通
えるという︒
また
︑
二時間以上かかるが︑東京まで通つ
ている人もいる
︒三
O
歳代ぐらいの場合では︑四割ほどが地元に残っているが︑家の長男である場合が多い
という
︒昔は市役所などは﹁長男はなんとかしてあげ
ょう﹂と優先的に採用することもあったが︑現在はない︒
また︑近年には
NEC
などの工場が撤退してしまうなど︑ますます若い人の就職口が減っていて︑地元に残
りにくい状況になっている︒なお︑大学進学のために
東京に出た人は︑東京で就職し地元には戻ってこない
ことが多いという︒
寺院の変化と現状
檀家は約一五
O
軒であり︑寺のある地区に七O
軒(地区の全世帯は二五
O
軒)︑市内を中心として県内に四O
軒︑県外の東京(八王子が多い)︑神奈川︑静岡などに
四
O
軒がある︒県外の檀家は分家となり県外に出たのちに墓地を取得した人が多いが︑もともとの檀家で県 外に移住した人もいる︒県外に移動した人が離檀する
ということはこれまでほとんど無い︒なお︑境内墓地
は七
0 1
八O
軒で
︑
ほかは地域の共同墓地が多い︒ほ
かに他寺院の境内墓地に墓地を所有しているが︑
の檀家になっているという家が十軒ある︒この十軒は
A寺と墓地のある寺両方との関係を継続しているのだ
が︑なかには﹁A寺との縁を切って墓地のある寺の関
係一本に絞りたい﹂と言ってくる家もあるという︒
A寺のある地区で現在起こっている大きな問題は︑
結婚できない人が非常に多いということである︒五
O
歳以上で結婚していない男性が多くいる︒農家を継が
ずサラリーマンになった人は結婚できる場合が多いが︑
中途半端に農家を手伝っている人は結婚できないこと
が多いという︒このことから家が途絶えてしまい無縁
となる見込みの檀家が多くあり︑例えば寺
を含
む﹁
隣保
﹂
では七軒中四軒は絶家になる見込みである︒
﹁あ
と十
年
もすると︑絶えてしまう家が益々増えるだろう﹂という︒
数年前︑永代供養墓を作ったが︑今後これを利用する A寺
事例が増加する見込みだという︒また︑男子の跡継ぎ
がおらず︑婚出して他家へ嫁いだ娘が墓の面倒を見て
いる場合も多く見られる︒
なお︑山梨市は空いた家や耕地に新たな人を呼び込
むために﹁空家パンク﹂という制度を設けているが
これを利用する人は賃貸(月三
万)
で別荘として利用
して
いる
場合
が多
く︑
﹁ 終
の住処﹂として移住する人は
ほとんどいない︒
葬式
は︑
かつては自宅でおこなうことが多かったが︑
十年ほど前からほぼ一
OO
%
葬祭場で行うようになった︒これに伴い︑葬列も組まなくなった︒また地域の
人(
隣保
)
の手伝いは受付程度になった︒
現在︑僧侶の人数は
一 一
一
1
四人が多く︑家によっては七人でやる︒今のところ﹁人数を減らしてくれ﹂と
檀家に言われることはない︒しかし﹁代が変わりサラ
リlマンとして働く人々が主にな
って くる と
︑憎侶の
人数を減らしてくれという人がほとんどになるだろう﹂
との見込みを持っている︒ 東京などに住んでいる檀家で︑葬式を他の僧侶(知
196
り合いの僧侶や葬儀社依頼の僧侶)に頼む場合も多い
が︑戒名だけは
A
寺で付ける︒勝手に戒名をつけ葬式を行
い︑
寺に遺骨だけを収めに来るという事例はない︒
葬式への参列人数に変化は見られない︒四
1
五百人の参列者が集まるのが普通で︑多い場合は七
1
八百人が参列する︒年団法要の参加人数は三
0 1
五O
人くらいで顕著な変化は見られないが
一 二
1
四人の参列者での法事も見られるようになっ
てき
た
︒
この地域では︑五年ほど前にお盆の時期が七月から
八月に移動した︒これは地区会が勝手に決めてしまっ
たことで︑果樹栽培の関係でのことである︒しかしこ
のことによって棚経をやめてしまった寺も多く︑
A寺
も例外ではないという︒
兼務寺院について
現在イ寺を兼務している︒山を一つ越えたところに
ある寺院で︑曽祖父の代から兼務している
︒檀家は