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第 4 章 テアル構文の主語

4.3 B 型テアルに見る文法関係

4.3.1 主語性を示す名詞句

ここまで繰り返し見てきたように、B型パーフェクト・テアル文には統語上の主語が 存在するというのが本論文の主張である。A型テアル文と違い、再帰代名詞や尊敬語の 主語テストにもパスし、結果状態を表すタ形連体修飾節においてもA型テアル文とは異 なる振る舞いをすることから、たとえ音形がなくても必ず主語が存在すると言える。

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(98) a. pro#i 自分iの部屋に花子を招いてある。

b. 太郎iが自分iの部屋に花子を招いてある。

(99) a. pro# 飛行機のチケットをすでにとっておありになる。

b. 部長が飛行機のチケットをすでにとっておありになります。

そして、(98)(99)のように、主語が音形を持っていようがいまいが、内項(対象)が 存在する場合には、それは目的語として対格(ヲ格)で標示されるのが普通である。

しかし、これまでも見てきたように、B型テアル文において、内項がガ格を伴って表 出する場合もあることを改めて強調したい。次の例に見られるように、内項の格標示が ガであってもヲであっても文の意味に変わりはない。

(100) a. 父がレストランを予約してある。

b. pro# レストランを予約してある。

c. pro# レストランが予約してある。

前述したように、多くの理論言語学的な研究では、対象の項がガ格であれば自動的に受 動型(A型)、そうでなければ能動型(B型)と分析されている。しかし、(100)の文は どれも(主語が明示された文ではその内容だけを除いて)同じ意味を表わす。つまりこ れら三種類の形式はすべて、アスペクト的にはパーフェクトであり、意図的な行為が行 われた後の効果だけが残っているというB型の特徴を備えている。本論ではB型テアル 文において対象の名詞句がガ格であるかヲ格であるかの違いは格の表出の問題として捉 え、A型・B型の本質的違いは格標示ではなく統語的な外項の有無であると考えている。

既に見たように、ガ格を伴うB型テアル文においては、ガ格名詞句が主語性を示さず、

むしろ表出していない音形のない名詞句(pro#)が主語として機能している。対象の名 詞句がガ格で表されたB型テアル文について、これまで観察してきたことをまとめると 次のようになる。

(101) 対象がガ格で現れるB型テアル文に見られる現象

1. ガ格名詞句が「自分」の先行詞になれず、真の先行詞は目に見えない主語である。

ジョンが自分の家に呼んである。(6)を再掲

2. ガ格名詞句に対する尊敬語は不可能で、敬意は見えない主語に向けられる。

会長が呼んでおありになる。(19b)を再掲 3. ガ格名詞句に対する謙譲語が可能である。

会長がお呼びしてある。 (35)を再掲 先生がお招きしてある。(37b)を再掲

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こうした観察から得られた結論は、B型テアル文では、対象の意味役割を持つ名詞句が ガ格で現れていても、それ自身は主語ではなく、それとは別に目に見えない主語(pro#) を持つということである。

(102) a. pro# ジョンが自分の家に呼んである。

b. pro# 会長が呼んでおありになる。

c. pro# 会長がお呼びしてある。

d. pro# 先生がお招きしてある。

ここまでの考察から、B型テアル文の特徴についてまとめる。

(103) B型テアル文のまとめ

1. B型テアル文では語幹動詞の第一項(動作主)が常に外項として統語構造上に存在 すると考える。

2. その項は音形を持った名詞句の場合もあれば、音形のない名詞句の場合(pro#)もあ る。

3. 外項が音形のない名詞句の場合、第二項がガ格を持つ場合がある。

4. この場合、表面的にはA型テアル文と区別できないが、目に見えない第一項(動作 主項)の解釈がA型テアル文の場合と大きく異なる。

B型(パーフェクト)テアル文の意味的解釈を次のように考える。

(104) [1]ある動作主が、ある特定の意図を持って行為を行い、

[2]その結果として、ある効果が存続している。

B型の場合は話者にとって了解済みの(あるいは推測できる特定の)目的がなければ ならない(原沢2007など)。(98a)は次のように対象をガ格で標示しても解釈が変わる ことはない。

(105) pro#i 自分iの部屋に花子が招いてある。

この文が統語的な主語(pro#)のあるB型テアル文であると考えれば、この事実は説明 がつく。主語が話者であるというのが最も自然な解釈であるのは、先に触れたように、

この文型に人称制限がかかることに起因する。同じ理由で、(100a)のように動作主が顕

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在化しているB型テアル文を不自然に感じる話者もいるようである。文献によっては動 作主が表出しているテアル文を非文としているものさえある(Muraki 1986など)。次の 小節でこの人称制限について詳しく考察する。