第 6 章 存在文とテアル文
6.2 存在文の類型
存在文についての先行研究を概観すると、古くから、ある場所における存在を表わし、
有生・無生の区別でイルとアルが使い分けられるタイプの構文と、所有文に代表される ような有生物でもアルで表わせるタイプの構文に分けて分析されてきたことがわかる
(三上1953、久野1973、柴谷1978、寺村1982など)。久野(1973)は次の例を出して、存
在文のアルと所有文のアルは同じ形式として扱えないことを示している。
(2) a. 太郎ニ弟ガアル。 所有文
b. *京都ニ(大勢ノ)外人ガアル。 存在文 (久野1973:53)
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(2b)のように存在文でニ格場所句が現れ、かつガ格名詞句が有生物105の場合は、アル
が許されないことを指摘している。さらに所有文に現れるガを、「目的格を表わす「ガ」」
(久野 1973:48)として、「お茶が飲みたい」「太郎が好きだ」などにおけるガ格名詞句
と同一のものと扱っている。
本論でも存在文と所有文の区別は基本的で重要なものであるとして考察を行う。
(3) 存在文
a. 台所にお母さんが{いる/*ある}。 b. 台所にパンが{*いる/ある}。
(4) 所有文
a. 太郎に(は)妹が{いる/ある}。 b. 太郎に(は)車が{*いる/ある}。
広く存在表現全体を整理した先行研究のひとつに西山(1994)がある。西山の分類は以下 の通りである。
(5) Ⅰ 場所表現を伴うタイプ
(a)場所・存在文(例:机の上にバナナがある。)
(b)所在文(例:おかあさんは台所にいる。)
(c)所在コピュラ文(例:おかあさんは台所です。)
(d)指定所在文(例:その部屋に誰がいるの。…洋子がいるよ。)
(e)存現文(例:おや、あんなところにリスがいるよ。)
Ⅱ 場所表現を伴わないタイプ
(a)実在文(例:ペガサスは存在しない。)
(b)絶対存在文(例:太郎の好きな食べ物がある。)
(c)所有文(例:山田先生には借金がある。)
(d)準所有文(例:フランスには国王がいる。)
(e)リスト所在文(例:甲:母の世話をする人はいないよ。
乙:洋子と佐知子がいるじゃないか。)
(西山1994:116-117) 西山はイル・アルの使い分けには言及していないが、存在表現を網羅して、「場所表現を
105 久野(1973)の言葉では「高等動物」。
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伴うタイプ」と「場所表現を伴わないタイプ」に大別し、意味論的観点からさらに下位 分類している。
金水(2006a)は西山(1994)の分類をほぼ踏襲し、「場所表現を伴うタイプ」を「空間的存
在文」、「場所表現を伴わないタイプ」を「限量的存在文」とし、意味論的考察を深めた。
「空間的存在文」は存在の対象物が物理的な空間を占める表現、「限量的存在文」はある 集合の要素の有無(多少)について述べる表現と定義した。また、存在動詞に主語と場 所名詞句を項にとる二項述語と、主語のみをとる一項述語の2類型を認め、イルとアル の使い分けを示した。
(6) a. 二項存在動詞:「いる」は有生の主語のみを選択する。つまり主語の有生・
無生の区別によって、「いる」と「ある」が厳密に区別される。
b. 一項存在動詞:「いる」は有生の主語のみを選択するが、「ある」は有生の 主語も無生の主語も選択することができる。
(金水2006a:17-18)
そして、空間的存在文には二項存在動詞が、典型的な限量存在文には一項存在動詞が使 われるとした。金水の存在動詞の類型では、二項存在動詞の場合、場所句と「主語」(ガ 格名詞句)が必須項である。一項存在動詞の場合は、ニ格名詞句は付加詞106の扱いとな る。金水によれば所有文も限量的存在文の一種なので、一項動詞が使われ、所有文のニ 格名詞句は必須項ではないことになる。
しかし、4 章でも示したように、統語的な研究では伝統的に所有文のニ格名詞句は主 語性を示すテストを通過し、主語として扱われてきた。本論でも所有文のアルはニ格主 語とガ格目的語をとる二項述語と捉える。
(7) 太郎に 妹が ある
主語 目的語
(8) a. 山田先生に 親戚がたくさん おありになる(こと)
b. 太郎iに 自分iの車が ある(こと)
柴谷(1978)は、所有文は述語がアルの場合に限られ、イルが使われた場合は存在文であ
るとしている。
106 金水(2006a)の言葉では「随意的な修飾語句」
131 (9) a. 太郎には子供がある。 [所有文]
b. 太郎には子供がいる。 [存在文]
柴谷(1978)によれば、この場合(9a)だけが所有文で、(9b)は存在文ということになる。
しかし、岸本(2005)は述語がアルの場合でもイルの場合でも所有文になり得ることを 様々な証拠を挙げて示している。岸本(2005)はニ格名詞句を複雑な場所表現に変換する ことで、存在文と所有文の違いを示している。
(10) a. ジョンには、子供がいる。
b. ジョンのところには、子供がいる。 (岸本2005:166)
(10b)のようにニ格を複雑な場所句とすると、もはや所有文としての解釈はなくなり、
存在文となる。この場合、子供はジョンの子供である必然性はなくなり、所有関係では なく空間的な存在を表わすことになる。しかし、(10a)は所有関係を表わす解釈しかな
いため、(10a)と(10b)は同義ではなくなる。これに対してアル所有文では同じ操作を
行なって、存在文にすることができない。
(11) a. ジョンには、子供がある。
b. *ジョンのところには、子供がある。 (岸本2005:166)
つまり、空間的な存在を表す(10b)(11b)の存在文においては、ガ格名詞句と動詞が有 生・無生の対立に関して一致していないといけないが、(10a)(11a)の所有文において は、そのような一致が強制されないということなのである。一致の有無が存在文と所有 文では大きく異なっていることを示している。
岸本(2005)は所有文と存在文の文法関係を次のように定めた。
(12) a. 所有文:[ 主語-に 目的語-が {ある/いる}]
b. 存在文:[ (場所-に) 主語-が {ある/いる}] (岸本2005:168)
岸本(2005)によれば、アルもイルも同じように所有文および存在文に現れるということ
になる。
本論では所有文に関しては岸本(2005)と同じ立場をとるが、存在文に関しては別の立 場をとりたい。岸本(2005)に倣い、所有文は動詞がアルであってもイルであっても二項 の能格型構文とする。存在文に関しては、西山(1994)、金水(2006)に倣い、場所句を必須 項とする。そして、イル存在文はガ格名詞句を主語とする二項述語イルによる非対格自
132 動詞文と考える。
(13) a. 所有文:[ 主語-ニ 目的語-ガ {アル/イル}]
b. イル存在文:[場所-ニ 主語-ガ イル] c. アル存在文:[場所-ニ 目的語-ガ アル]
アル存在文も二項述語のアルによって構築されたものだが、ガ格名詞句が目的語の性質 を持った主語無し構文であると主張する。アル存在文ではガ格名詞句が常に無生物であ るため、主語性を示すテストを適用することができず、その根拠を示すことが非常に難 しい。しかし同時に、当該名詞句が主語であるということも示せないにもかかわらず、
主語とされてきたことに、疑問を呈したい。
アル存在文のガ格名詞句が主語ではないという強い根拠は示せないが、弱い根拠は示 すことができる。岸本(2005)は存在文におけるガ格名詞句の主語性、所有文におけるニ 格名詞句の主語性を示すために、3 つの主語性のテストを利用している。これを順番に 見ていこう。一つ目は再帰代名詞のテストである。
(14) a. ジョンiに自分iの子供が{ある/いる}(こと)
b. *自分iの友達に子供iが{ある/いる}(こと) (岸本2005:169)
これにより、所有文においては動詞がイルであってもアルであっても、等しくニ格名詞 句が主語であり、ガ格名詞句が主語ではないことが示されている。
二番目はコントロールPROによるテストである。コントロールPROは主語位置にし か現れない。典型的なコントロール述語である「ほしいと思う」を使って、PROが主語 位置に限定されることが示されている。
(15) a. 私は、ジョンiに[PRO i花子をほめて]ほしいと思った。
b. *私は、メアリーiに[ジョンがPRO iほめて]ほしいと思った。
(岸本2005:169)
このテストをイル存在文に適用すると次のような結果が得られる。
(16) 私はジョンiに[ここにPROiいて]ほしいと思った。 (岸本2005:170)
このように、予測通りイル存在文のガ格名詞句が主語であることが示されている。一方、
イルを使った所有文においては、ニ格名詞句が主語であり、ガ格名詞句が主語でないこ
133 とがわかる。
(17) a. 私はジョンiに[PROi子供がいて] ほしいと思った。
b.*私は子供iに[ジョンにPROiいて] ほしいと思った。 (岸本2005:170) 埋め込み節の所有文において、主語のニ格名詞句がPROになることは問題がないが、目 的語のガ格名詞句がPROになることはできない。
しかし、岸本(2005)はアル存在文にはこのテストを適用していない。これはアル存在 文においては場所句も対象の句も無生名詞句でなければならないからであり、コントロ ールPROを使ったテストが適用できないからである。「お湯が沸く」のような非対格自 動詞の無生物主語の文がコントロール節で埋め込むことができないことと並行的である ように見える。
(18) a. 私は、[お湯が沸いて]ほしいと思う。
b. *私はお湯iに[PRO i沸いて]ほしいと思う。 (岸本2005:170)
しかし、(18b)の非文法性は「お湯」が無生物であるからだけなのだろうか。「沸く」と
同じ非対格自動詞文でも、次の文なら可能だと思われる。
(19) 私は庭の桜iに[毎年PROi咲いて]ほしいと思った。
つまり、この文の判断が正しければ、非対格自動詞文であっても動詞が自発的な変化を 表すものであれば、その主語位置にコントロールPROを許すということになる。
では、アル存在文の場合はどうなっているのだろうか。アル存在文にPROを入れて試 した結果が次の文である。
(20) *?私はりんごiに[机の上にPROiあって]ほしいと思った。
確かにこの文では、コントロールPROがガ格名詞句の位置に現れることができない。し かしその理由はガ格名詞句が無生物であるからではないと思われる。上記の例文で示し たように、自発的な変化を表す非対格自動詞文のガ格名詞句にはPROが現れることがで き、そのことからガ格名詞句が主語としての機能を果たしていると結論づけることがで きた。しかし無生物であることが即PROを禁じることに繋がらないことがわかった以上、
アル存在文においてPROが許されない理由としては、むしろガ格名詞句が主語としての 機能を果たしていないと考えた方が(20)の非文法性の説明としてはより妥当なものであ