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和漢混淆文への展開――『今昔物語集』を中心に――

ドキュメント内 古代日本語の因果関係を表す接続表現 (ページ 73-83)

第二章 原因理由の接続表現「 (が)ゆゑ(に)」

第二節 原因理由の接続表現「 (が)ゆゑ(に)」について

四 和漢混淆文への展開――『今昔物語集』を中心に――

三節までに、漢文訓読文と和文とのそれぞれにおける「ユヱ(故)」の接続表現を確認し てきた。接続助詞的に用いる「活用語連体形+ガユヱ(故)」は漢文訓読的表現として定 着しつつ、「活用語連体形+φ ユヱ(故)」は漢文訓読文では消滅したが、和らげた表現 として平安中期以降の和文に用いられていると考えられた。ここでは、いわゆる和漢混淆 文の『今昔物語集』における実態を整理するとともに、『今昔物語集』の用例の文体的解釈 を考える。

以下、『今昔』に見られる「ユヱ(故)」の原因理由接続表現を①から⑥までの形式に分 けて挙げておく。

①「体言+ノ故ニ」

(35)其ノ罪ノ故ニ此ノ苦ヲ受ク。(今昔・巻二ノ37)

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(36)嫉妬ノ故ニ遠助不思懸ズ、非分ニ命ヲナム失ヒテケリ。(今昔・巻二十七ノ21)

②「体言+ノ故也」

(37)阿闍梨ノ云ク、「我レ、君ノ病ヲ祈テ試ム。此レ偏ニ、利益衆生ノ故也」ト。(今 昔・巻十六ノ22)

(38)……名ヲ頼時ト改ム。亦且ハ守ノ同名ナル禁忌ノ故也。(今昔・巻二十五ノ13)

③「活用語連体形+φ 故ニ」

(39)今、我ニ會ヘル故ニ阿那含果ヲ得タル也ト。(今昔・巻二ノ30)

(40)其ノ女、遂ニ心直ナル故ニ、神仙此ヲ哀テ、神仙ニ仕フ。(今昔・巻二十ノ42)

④「活用語連体形+φ 故也」

(41)其ノ後偏ニ、持経者、「此レ、法花経ノ霊験ノ至セル所、金峰ノ蔵王ノ守リ給フ故 也」ト知テ、(今昔・巻十二ノ39)

(42)但シ、高市麿田ノミニ雨降テ、余ノ人田ニ不降ズ。此レ偏ニ、実ノ心ヲ至セレバ、

天此レヲ感テ、守加フル故也。(今昔・巻四十ノ41)

⑤「活用語連体形+ガ故ニ」

(43)三寶ヲ嫌ムガ故ニ、寺塔ノ邊ニ不近付ズ、若シ道ヲ行ク時ニ僧ニ値ヌレバ、目ヲ塞 テ還ヌ。(今昔・巻七ノ3)

(44)汝ヂ、今、懃ニ懺悔スルガ故ニ、我レ、力ヲ加ヘテ、可令讀シ。(今昔・巻十四ノ 13)

⑥「活用語連体形+ガ故也」

(45)「……而ルニ、今日ノ杖ヲ負ニ、杖ノ當ル所、不強ズシテ、年来ニ不似ズ。此レ、

母ノ年老テ力ノ衰ヘテ弱ク成レルガ故也ト思ガ悲キニ依テ泣ク也」ト。(今昔・巻九 ノ11)

(46)此レヲ思フニ、海ニ入テ日来漂フト云ヘドモ、遂ニ命ヲ生キ身ヲ存スル事ハ、此レ 偏ニ、釋迦如来ヲ念ジ奉レル廣大ノ恩徳也、亦、此ノ二ノ人、信ヲ深ク至セルガ故也。

(今昔・巻十二ノ14)

上記の六形式の巻ごとの用例数を【表 5】に示した。【表 5】から、「故」を含む表現形 式は、天竺震旦部と本朝仏法部とを中心に分布していることがわかる。用言接続の用例数

(229=③57+④44+⑤113+⑥15)は体言接続の用例数(17=①10+②7)を遥かに超え ており、用言接続の用法が定着していることが窺える。

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【表 5】『今昔』における使用状況

体言接続 用言接続

体言+

ノ故ニ

体言+

ノ故也

活用語連体 形+φ故ニ

活用語連体 形+φ故也

活用語連体 形+ガ故ニ

活用語連体 形+ガ故也

巻一 0 0 5 2 10 2

巻二 2 0 7 2 7 0

巻三 1 0 8 2 6 0

巻四 1 0 1 3 1 1

巻五 0 1 0 3 3 0

巻六 0 0 5 1 10 1

巻七 0 0 2 0 12 0

巻九 0 0 2 3 6 3

巻十 1 0 1 6 4 2

天竺震旦部 5 1 31 22 59 9

巻十一 0 2 0 1 5 0

巻十二 0 0 1 3 8 1

巻十三 0 0 4 1 5 0

巻十四 0 0 3 3 4 1

巻十五 1 0 3 2 4 1

巻十六 0 1 4 3 5 2

巻十七 1 1 5 3 3 1

巻十九 1 0 0 2 3 0

巻二十 1 0 3 2 12 0

本朝仏法部 4 4 23 20 49 6

巻二十二 0 0 0 0 0 0

巻二十三 0 0 0 0 1 0

巻二十四 0 0 1 1 1 0

巻二十五 0 2 0 0 1 0

巻二十六 0 0 0 0 0 0

巻二十七 1 0 0 0 0 0

巻二十八 0 0 0 0 0 0

巻二十九 0 0 0 0 1 0

巻三十 0 0 0 0 0 0

巻三十一 0 0 2 1 1 0

本朝世俗部 1 2 3 2 5 0

合計 10 7 57 44 113 15

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個々の分布を見ると、体言接続の①と②は、漢文訓読調が強い天竺震旦部と本朝仏法部 に偏っている。体言接続の例は『今昔物語集』では多くないが、「体言+φ 故」の形では なく、必ず「ノ」を挟む形をとっている。これは漢文訓読文では「体言+ノユヱ」の形の みを使うことに影響されたと考えられる。③から⑥までは用言接続のものであり、『今昔物 語集』では「活用語連体形+φ 故」と「活用語連体形+ガ故」と両方の形が見られる。そ の中で、③と④の「活用語連体形+φ 故」のように、「故」が形式名詞として、原因理由 を示す接続助詞のように使われる点では、和文の用法と共通しているが、分布の上では、

訓読調の強い巻二十以前を中心に用いられていることが注目される。⑤と⑥の「活用語連 体形+ガ故」も漢文訓読文に定着した表現であり、『今昔物語集』では天竺震旦部と本朝 仏法部を中心に用いられている。ただし、「活用語連体形+φ 故」は③と④の文型による 偏りはあまり見られない一方、「活用語連体形+ガ故」は⑤の「活用語連体形+ガ故ニ」に 偏っている点に相違が見られる。これは漢文訓読文には「活用語連体形+ガユヱニ」の例 が圧倒的に多いこととかかわりがあると考えられる。それに対して、「活用語連体形+φ 故」は「活用語連体形+ガ故」の傾向と異なり、④の「活用語連体形+φ 故也」が多く見 られ、より自由に用いられている。

【表 5】によると、「活用語連体形+φ 故」と「活用語連体形+ガ故」は、総数(それ

ぞれ 101、128)と巻ごとの分布において近い傾向が見られる。ここでは、和文に用いら

れる「活用語連体形+φ 故」の形が『今昔物語集』においては、いわゆる漢文調の強い部 分に偏っている点を問題にしたい。

『今昔物語集』においては、原因理由の接続表現の中で、「体言+ノ故」「活用語連体 形+ガ故」のような漢文訓読文の用法を継承しているものと、「活用語連体形+φ 故」の ような和文にも見られたものが、いずれも漢文調の強い部分を中心に混在していることに なる。これは、一見して従来いわれてきた『今昔物語集』の文体は巻二十を境に前半は漢 文訓読文体、後半は和文体に傾くという説と矛盾するように見えるが、三節までに明らか にしたように、「活用語連体形+φ 故」と「活用語連体形+ガ故」とは和と漢の対立関係 をもつもの(17)ではないと考えられる。接続助詞のように使われる「活用語連体形+φ 故」

の形は和文の一般的類型というよりは、訓読文脈から作られた翻訳的な表現として、『今 昔』のような和漢混淆文に取り入れられたと考えられるのではなかろうか。すなわち、「活 用語連体形+φ 故」の形は、仏教漢文に多く見られた「動詞+故」の構造に基づいて成立 したものの、平安中期以降になると、漢文訓読文ではその訓法が「活用語連体形+ガ故」

71 に統一されたこと

によって淘汰され たが、より自然な 日本語表現として、

僧侶の実用文体で ある和漢混淆文に は用いられ続けた と考えられるので ある。

それに関わる事

実として、院政鎌倉期の和漢混淆文である説話や軍記物語において、用例が増加する傾向 が見られることが挙げられる。それらの作品を時代順に並べ、【表6】に用例数を示した。

【表 6】に示したように、和漢混淆文的な特徴をもつ説話と軍記物語においては、「活

用語連体形+φ 故」と「活用語連体形+ガ故」と両方見られ、とりわけ、『沙石集』や『延 慶本平家物語』など鎌倉期の漢字片仮名交じり文作品においては、「活用語連体形+φ 故」

が優勢となっている。

前節で取り上げた和文では、漢文訓読的用語を選択する際には、生硬な語感をもつ「活 用語連体形+がゆゑ」を忌避して、比較的和文に馴染みやすい「活用語連体形+φ ゆゑ」

を用いる意識があったと考えられた。これに対し、院政期の漢字片仮名交じり文『三宝絵』

から『三教指帰註』までは、用言に接続する「故」の用例がまだ少なく、そのうち、「活 用語連体形+ガ故」の形で多く用いられている。このような事象は、院政期は本格的な和 漢混淆文に至る萌芽期としての性質をもつ時期であり、より訓読調的表現が優位な時期だ と考えられる。鎌倉期になると、説話や軍記物語において、漢文訓読の影響を受けた和文 にも用いられた「活用語連体形+φ 故」が物語の叙述や会話文や論説部分などに幅広く用 いられ、用例数が多く見られるようになり、和漢混淆文の用語として定着していったと考 えられよう。この点は、体言接続の場合も同様で、和文的な形式である「体言+φ 故」と ともに、漢文訓読文に源をもつ「体言+ノ故」は院政期では少ないものの、鎌倉期の説話 と軍記物語において定着していく様が窺える。

これらの点から、院政期の『今昔物語集』で、漢文訓読調の「活用語連体形+ガ故」は 巻二十以前に用いるが、それの性質とは異なる「活用語連体形+φ 故」も巻二十以前に多

【表 6】和漢混淆文における使用状況 体言+

φ故 体言+

ノ故

活用語連体 形+φ故

活用語連体

形+ガ故

三宝絵 0 0 2 5 7

法華百座聞書抄 0 2 1 2 5

金沢本佛教説話集 2 1 2 6 11

三教指帰註 0 1 9 16 26

沙石集 8 27 136 7 178

十訓抄 2 1 25 5 33

延慶本平家物語 8 8 71 34 121

高野本平家物語 15 7 15 7 44

35 47 261 82 425

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く用いており、本朝世俗部には用例が少ないことは、「活用語連体形+φ 故」が未だ漢文 訓読的語感をもつ表現として、自由に用いる段階には至っていないことを示していると考 えられる。しかし、後の鎌倉期の作品には、両方が同時に見られるとともに、「活用語連 体形+φ 故」が優勢となってくる。鎌倉期の「活用語連体形+φ 故」はもはや漢文訓読文 の影響というより、いわゆる和漢混淆文の用語として定着していると評価できるものであ る(18)

五 結 び

以上、接続助詞的に用いる「ユヱ(故)」の各文体における使用実態を見ることを通し て、漢文訓読文から和文、和漢混淆文への展開を検討してきた。要点は次のようである。

平安時代の漢文訓読文において、体言接続では「体言+ノユヱ」の形が定着した。用言 接続では、初期の訓点において、「活用語連体形+φ ユヱ(故)」が「活用語連体形+ガユ ヱ(故)」とともに自由に用いられていた。平安中期になると、「活用語連体形+φ ユヱ(故)」 の訓法は次第に姿を消したが、「活用語連体形+ガユヱ(故)」の訓法が定着し、複合辞「(活 用語連体形)ガユヱニ」が固定化した原因理由の接続表現となった。このような表現の固 定化は、平安初期から平安中期を過渡期として平安後期以降に漢文訓読語が定型化すると いう傾向を反映したものとして捉えられる。

和文において、体言接続では、「体言+φ ゆゑ」が中心に用いられ、平安中期以降の作 品に、漢文訓読の影響によって、「体言+のゆゑ」も見られた。用言接続では、漢文訓読的 な表現として「活用語連体形+φ ゆゑ」が、原因理由の接続表現として取り入れられた。

用例が平安中後期の作品に集中していることは、これらの作品に平安初期の和文からやや 変質した性格が見られることを反映していると考えられる。すなわち、これらの作品では、

語彙・語法・表現などの面では、和文体を基本にしながら、漢文が出典となる部分や、漢 文に馴染んでいた人物の会話文や、様々な地の文(仏教行事・重大場面など)の中に、漢 文訓読の要素が見られ、和漢混淆の現象が現れ始めたと考えられる。

院政期になると、用言接続では、「活用語連体形+ガ故」と「活用語連体形+φ 故」の 両形を同時に用いる傾向が、『今昔物語集』のような和漢混淆文で顕著に見られた。『今 昔物語集』などにおける「活用語連体形+φ 故」は、漢文訓読的用法をそのまま踏襲した というよりも、和漢混淆文の中で勢力を延ばし、定着した用語と位置付けられる。あるい

ドキュメント内 古代日本語の因果関係を表す接続表現 (ページ 73-83)