前節までで、トルコにおける反原発運動の展開過程を振り返ってきた。1970年代にアッ クユ周辺の漁民らを中心に始まった反原発運動は、専門家やジャーナリストによる啓発活 動から、チェルノブイリ原発事故を経て、1990年代には幅広い市民が参加する集会やデモ、
裁判闘争などを含む社会運動へと発展した。より詳細な展開過程については、巻末資料5の 年表にまとめた。
社会運動論では社会運動が採用する手段は「レパートリー」と呼ばれ、レパートリーには 請願、会合、ストライキ、行進、建物の占拠、交通妨害、放火、身体的危害を意図した他者 攻撃などが含まれる[タロー2006: 50]。社会運動は昔から受け継がれた既知のレパートリ ーを用いることもあれば、既知のレパートリーの周辺で革新をなし、レパートリーを拡張す ることもある。
タロー[2006: 166-177]は、社会運動のレパートリーの主要な側面を、以下の三つに分
類している。1 つ目は、暴力的敵対であり、最も古く、最も直接的なレパートリーである。
だが国家が暴力手段を独占する近代において、当局との軍事的対決で勝利することは困難 であり、参加者にとって非常にリスクが高く、運動への共鳴者を制約することにもなる。し たがって、現代の民主主義国家で用いられるレパートリーのほとんどは非暴力的なもので ある。2つ目は、ストライキやデモなどの慣習的レパートリーであり、当該社会で一般に知 られ理解される手段を指す。新たに登場した運動の手段は、時間や空間を越えて伝播し、次 第に慣習的なレパートリーとして受け入れられる。慣習的レパートリーはほとんどの場合、
合法的手段として受け入れられているため、参加者の負うリスクも低く、最も用いられるレ パートリーである。3つ目の側面は、創造的攪乱である。これは慣習的レパートリーを発展 させた手段や、それまで用いられなかった新しい手段である。創造的で攪乱的な手段には、
人々の予測しない行動で当局の意表を突き、メディアの関心を集める効果がある。攪乱的レ パートリーは、次第に制度化され、慣習的レパートリーに落ち着く場合もある。現代では慣 習的レパートリーとなり、手続きが定められた合法的手段であるストライキやデモも、当初 は攪乱的な直接行動として始まった。
なお、創造性や攪乱性は、必ずしも慣習的なレパートリーとかけ離れたものとは限らない。
慣習的レパートリーの枠内であっても、参加者たちはその周辺で様々な革新を試みる。慣習 的なデモ行進に特別な衣装を着て参加したり、創造性に富んだスローガンを掲げたりする
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ことなどがその例である。こうした革新は運動を活性化させ、長期的には全く新しいレパー トリーを生む可能性もある[タロー2006: 179]。
5-1. 反原発運動の慣習的レパートリー
トルコの反原発運動では、当局者への攻撃や施設の破壊といった暴力的レパートリーは 避けられており、暴力的衝突が起きるのは、当局が公聴会への市民参加を妨害するなど強硬 手段に訴えた場合に限られる。運動の中心となるNKPも、平和的な非暴力行動を活動の指 針としている。非暴力行動が選択される背景には、それが有効なレパートリーとして世界的 に認知されていることのほかに、1980年クーデターの影響が考えられる。1970年代の社会 運動の過激化が1980年クーデターの要因ともなり、クーデター後は市民社会が厳しく統制 され、社会運動が禁止された。そのため、1980年代以降にトルコで登場した社会運動は、
当局との暴力的衝突を避ける傾向にある。
1970年代にエイジェがアックユ周辺の漁民を中心に開始した反原発運動は当初、エイジ ェやジャーナリストらによる啓発活動を主なレパートリーとした。原発問題への関心が広 がるにつれ、TMMOBなどの専門家も出版や講演を通じて啓発活動を担うようになった。
1986年のチェルノブイリ原発事故でトルコに放射能汚染が広がると、科学者や医師が独 自の調査を行い、放射性物質による食品の汚染や健康被害について警告した。また原発に反 対する署名キャンペーンなども実施されたが、クーデターの影響が色濃く残る時代背景の 下、反原発運動のレパートリーは限定されていた。
1990年代になると、反原発運動に集会やデモ行進、裁判などの新たなレパートリーが加 わり、慣習的レパートリーとして一般化していった。1990年代に発展し、2000年代以降の 運動にも引き継がれた慣習的レパートリーの一つが、毎年の記念日におけるイベントの実 施である。まず、トルコにも大きな影響をもたらしたチェルノブイリ原発事故の発生日であ る4月26日には、トルコ各地で集会やデモ行進、シンポジウム、コンサート等が行われる。
なかでもシノップで開催される反原発集会は、トルコ各地から参加者が集まる最も大きな イベントである[図3-10]。シノップ反原発集会では毎年、昼前に街のはずれから中心部の 広場に向けてデモ行進が始まる。デモ隊が広場へ到着すると集会が始まり、司会者が参加団 体名を読み上げた後、参加者によるスピーチが続く。集会の最後には音楽家らによるコンサ ートが開かれ、参加者らは踊りながら演奏を楽しむ。こうしたデモ行進の時刻や通過コース、
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集会ステージのタイムスケジュールなども慣習的レパートリーとしてパターン化している。
また集会当日や前日にシンポジウムや、写真や風刺画の展示が行われることもある。
1990年代のアックユ反原発フェスティバルが毎年8月上旬に開催されていたように、反 原発運動は広島・長崎の原爆投下記念日にもイベントを実施してきた。トルコの反原発運動 は核兵器への反対も訴えており、原発と核兵器を結び付けるフレーミングによって原発事 故の危険性を訴えている(第5章で詳述)。
福島原発事故のあった2011年以降は、その発生日である3月11日にも各地で原発反対 を訴えるイベントが実施されるようになった[図3-11]。イスタンブールのガラタ橋での人 間の鎖(2013年)や日本国総領事館前での抗議行動(2014年、2015年、2017年)はその 一例であり、NKPは毎年3月11日に原発反対の声明文を発表している。
反原発イベントが行われる記念日としては他に、キャーズム・コユンジュの命日である6 月25日や、世界環境の日である6月5日がある。これらのイベントは必ずしも記念日当日 ではなく、記念日が平日の場合はその前後の週末に実施されることも多い。
裁判闘争は制度化された手段を用いた慣習的レパートリーである。トルコでは伝統的に、
民主・世俗・法治国家の原則を守る存在として司法府への信頼が厚い[間1998b: 162]。反 原発運動も司法府の役割に期待し、アックユ原発の入札無効化などでは裁判闘争が成果を 上げてきた。だが近年はエルドアン政権の強権化により司法府の独立性が損なわれ、反原発 運動にとって不利な判決が増加している。
図3-10: シノップ反原発集会(2015年)
筆者撮影(2015年4月25日、シノップ)
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5-2. 創造性と祝祭性
トルコの反原発運動はメディアや世論の関心を集めるため、慣習的レパートリーにとら われない創造的攪乱も用いてきた。国際環境団体のグリーンピースは、ゲリラ的な直接行動 を行うことで世界的に有名である。トルコでもグリーンピース地中海は、イスタンブールの タクシム広場の占拠、メルスィンの高層ビルやボスポラス大橋での横断幕掲揚、原子力関連 企業の会議に潜入してのアピール行動などを行ってきた。NKPや他の環境団体も、人間の 鎖やダイ・インなど、メディアや世論の関心を集めるための行動をレパートリーに取り入れ てきた。
集会やデモ行進といった慣習的レパートリーの中にも、創造性や祝祭性が取り入れられ てきた。先述のように、トルコの反原発集会にはしばしば、音楽の演奏や踊り、演劇などが 伴い、祝祭的な雰囲気が漂う[図3-12]。メルスィンNKPのA10氏はイベントの祝祭性を 重視することについて、「人々がまず同じ場に集まることが大切であり、そこから対話や議 論、学習が始まる」のであり、「祝祭的な雰囲気を作ることで、より多くの参加者を集める
図3-11:
グリーンピース地中海による3月11日のメモリアルイベント
会場には福島原発事故の避難者の写真や、東京での反原発デモの写 真も展示された。
筆者撮影(2017年3月11日、イスタンブール)
92 ことができる」からだと語った40。
1990年代から反原発運動に参加してきたジャーナリストのA11氏は、反原発運動の集会 やデモ行進における祝祭的な雰囲気は、トルコの政治文化に由来するものだと説明した。ト ルコでは従来から、労働運動のストライキやボイコットへの参加者がハライ(トルコのフォ ークダンス)を踊るのが慣例であった。ハライや音楽は「人々の希望を高め、連帯を強める ため」に用いられてきたという。また、1970年代の社会運動が警察や敵対勢力との衝突で 多くの死傷者を出したことを挙げ、「運動は恐ろしい経験であってはならず、希望や幸福と 共に行われるべき」であり、「運動は恐ろしいものではないと示すために、音楽があり、祝 祭的で愉快な運動を行うようになった」と話した。そして「考えの異なる人々に対しても、
一緒に歌い、踊ろうというメッセージを送っている」という41。
創造性や祝祭性は、運動組織が発行したチラシや、集会・デモのプラカードや横断幕のメ ッセージにも表出される。これらが文化的なフレーミングとして機能している点について は、第5章で論じる。
40 筆者によるA10氏への聞き取り。2019年4月17日、メルスィン。
41 筆者によるA11氏への聞き取り。2019年4月20日、イスタンブール。
図3-12: 反原発イベントで踊る参加者たち
筆者撮影(2016年7月11日、アックユ) 筆者撮影(2019年4月27日、シノップ)