第2章 北朝鮮の外資政策と外資系企業の現状
② 勝利(ポベータ)プロジェクト
勝利(ポベータ)プロジェクトは、ロシアが2014年10月に北朝鮮側との間で、20 年間かけて3,500 キロの北朝鮮内の鉄道を改修・補修することで合意した事業のこと である。このプロジェクトの総投資額は250億ドルと伝えられ、事業費用にはロシア 側企業が参加する石炭・レアメタル等の地下資源開発・販売事業の収益が充てられる ことになっている。
ロシアの主な参加企業のうちでも中心的な役割を担うモストビク社によれば、ロシ ア側企業が資源開発・販売を通じて得た収益が露朝合営会社に提供され、その資金を
鉄道現代化事業に投資するという構造になっている87。
この事業を進めるため、すでに露朝間の合営企業が設立され、ロシア側投資者が
70%の持分を所有している88。
ロシア・モストビク社と北朝鮮・鉄道省との間で合意された内容によれば、ロシア 側が施設、技術、設計、全体の管理運営を担当し、いくつかの北朝鮮国営企業がこれ を現地で実行することになる。すなわち、北朝鮮労働者が相当数雇用される条件が含 まれており、ロシア側管理者が現地に派遣されて教育などを行うということである。
しかし、この事業については、主力企業であるモストビク社がロシアの裁判所から 破産宣告を受け、同社代表が横領の容疑で逮捕されるなど、事業への参加が困難とな る事態が発生している。しかしながら、この事業は予定通りに進むものとみられる。
ロシア極東開発相が、2015年の時点で、ロシアのコンソーシアムであるブリッジ・グ ループが勝利プロジェクトの第 1 段階である平壌―南浦間の鉄道設計・建設準備事業 を2015年末までに完了させる計画であると表明しているためである89。また、ロシア 企業が同プロジェクトの一環として、北朝鮮の有用鉱物埋蔵地を評価するための地質 調査を実施するため、北朝鮮側との協議を行っているという90。
4.北朝鮮の外資導入政策
(1)北朝鮮の外資導入政策の変遷と現状について
北朝鮮は、外資に対しては伝統的に「海外経済膨張と略奪のための手段」という見方 であった。しかし、1980 年代の「合弁法」の制定、在日朝鮮商工人からの合弁投資な どを経て、1990年代からは、「経済特区」設置を通じた外国直接投資の誘致を本格化す ることとなった。
① 1990~2010年:経済特区の設置と失敗
1990 年前後の旧共産圏の崩壊等の結果、北朝鮮は資本主義圏からの外資導入を通じ
87 ロシア鉄道公社ウェブサイト(2014年10月30日検索)
88 ロシア鉄道公社ウェブサイト(2014年10月30日検索)
89 聯合ニュース(2015年2月26日付)
90 ロシア極東開発省ウェブサイト(2015年6月15日検索)
た経済成長政策を推進することに舵を切った。その最初の具体例が「羅津・先鋒自由経 済貿易地帯」である。この背景には、冷戦後時代の国際環境の変化を利用した国際協力 の新たな枠組みとして UNDP(国連開発計画)が中心となり推進した「図們江地域開 発計画」があった。その内容は、中・ロ・朝3国の国境線である図們江河口地域を中心 に北東アジアの関連国が交通物流、産業育成、観光、環境などの分野で多国間の協力を 行う構想であった。北朝鮮は1992年から図們江河口に隣接した羅津・先鋒地区を「特 恵的な貿易および中継輸送と輸出加工、金融、サービス地域」(自由経済貿易地帯法第 2条)として開発に着手した。当時の外資導入の構想は金日成総合大学のキム・スヨン 教授(当時)の東京での講演(1995年10月)で以下のようにまとめられている91。
「共和国(注:北朝鮮)ははじめから国内市場重視の経済発展モデルを選んだ。これは 内部蓄積を源泉で国内市場需要を自体生産(自力のみによる生産)で満たし、自己資源、
資本、技術、人材を活用して国内経済を建設することである。北朝鮮が処した主観的(戦 後のゼロ状態からの復興)・客観的(資本主義国家の対北朝鮮封鎖)条件をよく反映した ことである。これは自立的民族経済建設方針で確立され、その過程は対外経済交流と密 接な関係を持って社会主義、資本主義国家と交流拡大を図ってきた。その結果、1980 年代相互依存がより深化し、対外経済交流の新しい段階としての発展が要求され、貿易 一辺倒から合弁、合作(1984年合弁法)に発展した。1990年代に冷戦構造の緩和によ って理念を越えた経済交流が世界的な趨勢になっており、また、北朝鮮の対外経済交流
の 70%を占めた社会主義圏の崩壊が北朝鮮の自立的経済建設路線の政策変化を要求す
るようになった。すなわち、国内経済発展の自体の 要求と協力交流という世界経済の 推移という主・客観的条件で、1991 年 12 月、羅津先鋒自由経済貿易地帯が創設され たのである。1993年12月の党中央委員会第6期21次総会で 第3次7カ年計画の総 括を通じて、①新技術の導入、②外貨収支の均衡、③地域協力の強化を通した北東アジ アの平和安全保障、④貿易第1主義の貫徹、などを目標とした新しい経済開放政策を持 ち出すようになった。」
91 「朝・日輸出入商社」主催の講演会(1995.10.25)で、キム・スヨン教授は「朝鮮民主主義 人民共和国の対外経済政策と羅津・先鋒自由貿易地帯の展望」の主題で講演した。
図表 55 北朝鮮の羅津・先鋒経済貿易地帯の開発構想
しかし、北朝鮮が経済特区を開発しようとした時期は経済が最悪の危機状態に陥った 時期であった。さらに1997~98年のアジア通貨危機の発生など国際情勢の変化により 北朝鮮は外資誘致に成果を上げることができなかった。その結果でもあるが、北朝鮮は 外資に対し保守的立場に戻り、金日成死後の統治者である金正日総書記は「軍事優先政 治」の政策を取り上げ、国防力強化と自立的民族経済建設路線を堅持する伝統的路線を 強化した。一方、外資誘致のための法制度整備だけは推進されるが、1998年9月の憲 法改正を通じて個人所有の制限緩和、経済運営における原価・価格・収益性などの概念 の重視と共に、特別経済地区(経済特区)が明記されるようになった。
2000年までの羅先経済特区での投資契約額は5億2,000万ドル、そのうち実行され た投資はホテルなど観光分野、通信分野、水産物加工分野などに約2億2,000万ドルに 上るとされる92。その後、羅先特区への投資誘致は政府の積極性の欠如もあり 2010 年 まで停滞した。2009年にはUNDPの大図們江地域イニシアティブ(GTI)からも脱退 した。
また、羅先特区の開発が停滞していくなかで第2の経済特区が設置されるが、中朝国 境の西側にある鴨緑江河口の新義州地域がその対象となった。2002年9月に「新義州 特別行政区基本法」が制定されるが、その内容は総面積132km2に香港の制度と同じく 特別行政区が立法権、行政権、司法権を50年間変更なしで持ち、北朝鮮政府は外交・
国防以外には関与しないという大胆な開放であった。開発の分野は国際的金融サービス、
92 「金森委員会」の訪朝時のヒアリング(2000年7月)による。
複合型経済貿易地帯
東北アジア貨物中継基地 輸出加工軽工業基地 金融・観光・サービス基地
↑ ↑
・港湾設備能力の優位性 ・無汚染海岸(120km)
・中国、ロシア、日本を結ぶ ・湖(晩浦、藩浦)
交通の要地 ・七宝山
▽ ▽ ▽
・通過貨物非課税 ・ 10工業団地建設 ・金融、通信、観光、貿易
・輸送網の拡充・現代化 ・外国人単独投資認定 などの総合サービス団地建設
貿易、商業、工業、先端化学、娯楽、観光分野となっていた。北朝鮮が作成した青写真 によると、新義州は特区中心地(行政、金融、商業)、工業団地、空港・物流地域、居 住団地、国際会議センターなど七つの地域に分けて開発することとなった。工業団地の 計画図には情報技術(IT)団地と軽工業団地を建設し、カジノなどの遊戯施設も入る。
しかし、最初の行政長官(オランダ国籍の華僑である楊斌氏)が中国での非合法的経営 のため中国政府に逮捕され、中国の支援は無いまま新義州特区の開発は頓挫した。
② 2010~11年:金正日政権末期の中朝共同開発による特区建設
2010年に入り、金正日政権は中国の経済力を利用した経済建設に踏み切った。2010 年1月27日に既存の羅先経済貿易地帯法を改正し、既に1月4日に羅先特別市に昇格 した羅先市の経済貿易地帯を「特恵的な貿易および投資、中継輸送、金融、観光、サー ビス地域」として開発することを明記した。そのうえ、3度にわたる金正日総書記の訪 中により中朝間の経済協力の土台が作られた。その具体例が中国と共同しての経済特区 開発と管理である。2010年10月に羅先経済貿易地帯と黄金坪・威化島経済地帯の二つ の経済特区に対する中朝政府間の経済協力協定を締結し、「中朝共同開発・共同管理計 画要綱」を2011年2月には作成した。その後6月9日、羅先市にて中朝共同開発・共 同管理の着工式が行われ、12 月には新しく「黄金坪経済地帯法」を制定し、中朝ビジ ネスによる共同開発を法制化した。しかし、金正日総書記の死後、中朝間の経済協力の 責任者であった張成沢が2013年10 月に粛清されたことによって中朝共同開発の動き は2015年まで停滞することになった。