• 検索結果がありません。

3 中国の対外貿易と人民元為替レート

3.2 人民元為替レートの現状

3.2.1 人民元為替制度の推移

1949年以来、中国の為替レート制度は数回調整されてきた。1949 年から1952 年まで、

中国は単一の管理変動為替レート制度を採用していた。この時期の人民元為替レートは国 内外の物価の比率を参照していた。1953年から1972年まで、中国は固定相場制を採用し た。この時期、中国全体の経済は社会主義による計画経済体制下では、海外との取引は殆 どなかった。人民元為替レートは1米ドル対2.46人民元に固定された。1973年米中2国 間の国交正常化により、人民元為替レートが固定相場制から通貨バスケット制へと移行し た。貿易相手国と中国の輸出入をウェイトとして、バスケットの通貨のウェイトを決定さ れる。1978年に、改革開放政策が開始された後、中国は、1980年に国際通貨基金(IMF)

に加盟し、為替制度改革に取り組むこととなる。1980年12月には資本取引のうち、海外 からの直接投資の受け入れによる外商投資企業の進出が開始され、海外からの外貨資金の 借入も始められた。外商投資企業については外貨の保有は自由とされた。

そして、1994年からIMF8条国への移行し、為替管理のさらなる改革に取り組み始めた。

42 具体的に、まず、1994年1月に人民元対ドル為替レートの一本化が実施された。それまで は主に非貿易取引に適用される「公定レート」と貿易取引に従事する企業が外貨使用枠を 売買する「調整センターレート」の2種類の為替レートが存在し、調整センターレートは 公定レートに比べて大幅に人民元安水準にあったが、1994年1月1日に1ドル=8.7元の 水準で公定レートを大幅に人民元安とすることによって一本化を行った。それと同時に、

人民元の為替レートは「市場の需給を基礎とした、単一の、管理された変動相場制」に移 行した。次に、1994年初めに輸入企業については、一定の証拠文章をもって外国為替専門 銀行において外貨を購入することができた。この段階で経常取引にかかる人民元の交換性 が条件付きで認可された。1994年1月以降、人民元の為替レートは「管理された変動相場 制」に移行したが、アジア通貨危機において、他のアジア通貨の対ドルレートが大幅に切 り下げられる中、人民元は切り下げを回避し、1998年初めから事実上の米ドルペッグに移 行し、2005年7月21日まで、8.28元弱のレベルで事実上固定された。

3-2 人民元為替レート制度

階段 年代 為替レート制度

計画経済時期

1949 -1952年 浮動相場制(米ドル参照)

1953-1972年 固定相場制(米ドル参照)

1973-1979年 通貨バスケット制(米ドル参照)

経済移行時期 1980-1993年 二重相場制

社会主義市場経済時期

1994-2005年 固定相場制(米ドル参照)

2005年- 管理フロート制・通貨バスケット制

出所:楊 凱文(2015)より作成

人民元は、1994年にそれまでの公定レートと市場レートを統合して以来、実質上のドル ペッグを採用してきた。つまり、人民元対米ドルの名目為替レートがほぼ一定となるよう に為替介入を行ってきた。ところが、中国対外貿易の急成長、と外貨準備の急増加の下で、

人民元の改革の必要性を指摘する声が大きくなる。特に、米国は表立った批判を控えつつ

43 も、人民元改革の必要性を中国側に訴えていた。理由は以下の2点である。第1に、2000 年以降、中国の対米輸出額が急増した。中国が2000年には日本を抜いて1位となり、その 後も日本との差を拡大していった。第2に、米国の貿易収支は、2001年から2005年にか けて急増して、対GDP比6%を超えるようになった。米国だけではなく、EU,日本などの G7国も人民元について批判することとなった。その背景の下で、2005年7月21日に、中 国政府は為替レート制度を以下の4点のように改革とすると発表した。1.通貨バスケット を参照する管理フロート制へ移行させる。21日人民元対米ドルレートは1ドル8.11(前日

比約 2%の切り上げ)とする。2.ドルペッグをやめて、市場の需給に基づき通貨バスケッ

トを参照する管理フロート制に移行する。3.毎営業日の取引終了後に決まる「終値」が翌 日の中心レートとする。日々の変動は、対ドルで中心レートの上下 0.3%を堅持する。4.

中長期的には、通貨バスケットを参照しつつ、市場の情勢を見ながら、より弾力的なもの とする13

公告より、人民元為替レート1日に上下0.3%まで変動を許すとしたものの、その後の 実際の変動幅は、結果的には非常に小さいものとなった。人民元は、米ドルに対して大き く変動しないように、日々為替介入が行われている。また、長期的にはわずかながら増価 するように、「終値」が調整されていた。2006年1月4日から、「終値」方式が改められて、

中心値は1日の主要な外国為替取扱銀行の提示する取引レートの平均で決められるとされ るようになった。対米ドル増価のズピードはそれ以前に比べて、若干早くなっていた。そ のように、中国政府は巨額の介入を行いつつも、人民元の緩やかな上昇を容認し、2008年 半ばまでに米ドルに対して約20%程度の切り上げを行った。しかし、2008年金融危機の影 響で、一度固定相場制に戻ったが、2010年6月まだコントロールの下で、変動相場制に移 行した。

新たな為替レート制度が導入された当時、中国と米国の間では、貿易不均衡の拡大をめ ぐって紛争が高まっていた。米国の貿易赤字は 2000 年ごろから対中赤字が対日赤字を上 回り、2004年には米国の貿易赤字に占める中国の割合が4分の1に達した。この結果、米 中間で貿易摩擦が激化し、米国は中国の輸出商品に対する輸入制限や関税の導入などの措 置を講じた。また、米国議会は、中国人民元の過少評価に問題がるとして、為替レートの 切り上げを求めた。しかしながら、為替レート制度の変更後も、中国の貿易黒字は増加を

13 伊藤(2006)より。

44 続け、2005年の1020億ドルから2008年の約3000億ドル、3年間で3倍に拡大した。ピ ーク時の黒字約6000億ドル(2015年)は2005年の6倍に拡大した。これらは、硬直的な 為替レート制の下での人民元の切り上げが十分ではなく、過小評価の解消が進んでいない 可能性を示唆している。したがって、人民元の為替レート制がより柔軟にさせるという要 求がある。