第 7 章 取締役の合理的な交渉プロセス④ 経済的な補償と取引保護条項
7.4 交渉費用がサンクする場合
交渉費用がサンクしない場合、交渉の結果としてパレート効率的な状態が実現するが、
交渉費用がサンクする場合、1 − Z − Z > 0が満たされても、交渉は行われず取引不成立に 終わる可能性がある。このことを、1期限りの提示ゲームを例に示そう。1期で終わる交 渉ゲームを最後通牒ゲーム(ultimative gameあるいはtake-it-or-leave-it offer game)とい う。通常の最後通牒ゲームでは、ステージ1で買収会社 のパイの配分として、
, ∈ U = & , | + = 1, ≥ 0, ≥ 0'
を提示し、ステージ2で買収対象会社 がそれを受け入れるか拒否するかを決める。買収対 象会社 が受け入れれば、買収会社 の提示 , で配分が決まりゲームは終わる。もし、
買収対象会社 が拒否したならゲームは終了し、両者の利得は0である。
このゲームの部分ゲーム完全均衡は、
ステージ1では、買収会社 は , = 1,0 を提示する。
ステージ2では,買収対象会社 は全ての提示 , ∈ Uを受け入れる。
である。この戦略が部分ゲーム完全均衡であることは、後ろ向き帰納法でチェックできる。
ステージ2で買収対象会社 は拒否しても利得は0である。したがって、 ≥ 0の配分を拒 否するインセンティブはない。ステージ1で、買収会社 は ≥ 0なら買収対象会社 が受 け入れるので、最も利得が高い配分 1,0 を提示する。
この戦略に従えば、交渉の結果として買収会社 がパイの全てを得ることになるが、配分
, = 1,0 はパレート効率的である。買収会社 が圧倒的に有利な立場にいるという点
で特異な状況といえるかもしれないが、交渉費用がかからなければパレート効率性が達成 するというCoase (1960)の主張は成立している。
次に、通常の最後通牒ゲームを拡張し、提示の前に交渉費用を支払う交渉を考えよう。
ステージ0で、買収会社 、買収対象会社 は交渉費用としてZ , Z > 0を支払うか否かを 決める。この意思決定は独立かつ同時に行われ、両者がこのコストを支払ったならステー ジ1へ進む。どちらかがコストを支払わなければ、交渉は開かれずに終わる。交渉が開か れなかったときの両者が受け取る配分は0である。したがって、利得は、交渉費用を支払 っているなら−Zgであり、支払っていなければ0である。例えば、買収会社 がZ を支払い、
買収対象会社 が支払わないとしよう。このとき、交渉は開かれず、両者が受け取る配分は 0である。買収会社 はZ を支払っているので利得は−Z である。それに対し、買収対象会 社 は支払っていないので、利得は0である。このような費用のかかり方は、実際に交渉が まとまらなくても、一度支払ってしまえば負担しなければならない費用であるから、費用
94 はサンク(埋没)するという。
両者が交渉費用を払ったとして、ステージ1では買収会社 が配分、
, ∈ U = & , | + = 1, ≥ 0, ≥ 0'
を提示し、ステージ2へ進む。ステージ2では、買収対象会社 が受け入れるか拒否するか を決める。買収対象会社 が受け入れれば、買収会社 の提示 , でパイの配分が決まり 交渉が終わる。もし、買収対象会社 が拒否したなら、両者のパイの配分は0で交渉は終了 する。買収対象会社 が受け入れたときの両者の利得は、交渉費用を差し引いた − Z , − Z である。一方、買収対象会社 が拒否したときの利得は−Z ,−Z である。
この交渉の部分ゲーム完全均衡を後ろ向き帰納法で求める。ステージ2では、提示 , を受け入れたときの買収対象会社 の利得は − Z である。拒否した場合は−Z であるから、
− Z ≥ −Z ならば、拒否せずに受け入れる。よって、買収対象会社 は ≥ 0を満たす提
示ならば受け入れる。ステージ1で、買収会社 はこのことを予想し、最も自分の利得が高
くなる , = 1,0 を提示する。つまり、交渉が開かれさえすれば、買収会社 はパイの
全てを取ることが出来る。買収対象会社 は、ステージ0で、交渉が開かれれば全てのパイ を買収会社 に取られ、利得は−Z で交渉が終わることを予想する。交渉費用を支払わなけ れば交渉は開かれず、そのときの利得は0である。よって、買収対象会社 はコストを支払 ってまで参加しない。つまり、交渉費用を支払わないことが買収対象会社 の支配戦略にな っている。買収対象会社 が交渉費用を支払わないことを所与とすれば、買収会社 が交渉 費用を支払っても交渉は開かれない。このときの買収会社 の利得は、交渉費用を支払った 場合は−Z であり、支払わなければ利得は0だから、買収会社 も交渉費用を支払わない。
以上をまとめると、部分ゲーム完全均衡は次のようになる。
均衡戦略
ステージ0で、両者は交渉費用Zgを支払わない。
ステージ1で、買収会社 は配分 , = 1,0 を提示する。
ステージ2で、買収対象会社 は全ての提示 , ∈ Uを受け入れる。
この戦略に従う限り、1 − Z − Z > 0であっても交渉は開かれない。つまり、非効率性が 生じることになる。交渉が一度開かれれば買収対象会社 の交渉費用は戻ってこないため、
1,0 を受け入れても拒否しても利得は−Z である。このため、交渉が開かれてしまえば、買 収対象会社 の交渉力は全くないので、実現するパイの配分は 1,0 となってしまう。費用が サンクすれば、費用を支払った後で買収会社 は買収対象会社 の交渉費用を保証する配分 を提示するインセンティブはないのである。この結果を予想する買収対象会社 には、取引
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が成立すればパレート効率的配分を実現しうる場合でも、交渉費用を支払うインセンティ ブがない。
この交渉費用のサンクによって生じる問題は、不完備契約理論のホールドアップ問題と 同じ構造を持つ。買収対象会社 が支払う費用Z を人的資本投資の費用と置き換え、パイ1 を人的資本投資による利益の増加分と読み替えれば、事後的な交渉により投資のリターン が全て買収会社 に取られてしまうので、買収対象会社 に投資をするインセンティブがな く、効率的な投資が行われない歪みが生じてしまうのである。
このことを確認するために、買収対象会社 が提示された配分を観察した後に交渉費用Z を支払うケースを考えよう。このケースは、交渉が開かれた後に費用を支払うので、サン クしない費用といえる。
ステージ0で、買収会社 は交渉費用Z を支払うか否かを決める。買収会社 が支払わな ければ、交渉は開かれず交渉は終わる。このときの両者の配分は0であり、利得も0であ る。買収会社 がZ を支払えば、交渉はステージ1へ進む。ステージ1では、買収会社 が 配分、
, ∈ U = & , | + = 1, ≥ 0, ≥ 0'
を提示し、交渉はステージ2へ進む。ステージ2では、買収対象会社 は、交渉費用Z を支 払うか否かを決める。支払わなければ、交渉は終わり取引は不成立になる。この場合、配 分は0である。買収会社 は交渉費用が損失となり、利得は−Z である。買収対象会社 は 交渉費用を支払っていないので、利得は0である。買収対象会社 が交渉費用を支払えば、
ゲームはステージ3へ進む。ステージ3では、買収対象会社 が提示 , を受け入れるか 拒否するかを決める。受け入れたならば、提示された配分 , で交渉はまとまる。その ときの利得は − Z , − Z である。拒否した場合は、取引不成立となり、配分は 0,0 で、
利得は −Z , −Z であるこのゲームの構造では、買収会社 の提示を観察した後に、買収対
象会社 は交渉費用を支払うかどうかを選択できる。つまり、買収対象会社 にとって、交 渉費用はサンクしない状況になっている。
このゲームの部分ゲーム完全均衡を後ろ向き帰納法で求めると、次の戦略が部分ゲーム 完全均衡になる。
ステージ0で、買収会社 は交渉費用Z を支払う。
ステージ1で、買収会社 は配分 , = 1 − Z , Z を提示する。
ステージ2で、買収対象会社 は提示された配分 , が − Z ≥ 0を満たせば、交渉 費用Z を支払う。 − Z < 0ならば、交渉費用を支払わない。
ステージ3で、買収対象会社 は全ての提示 , ∈ Xを受け入れる。
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この戦略に従う限り、両者は交渉費用を支払い、配分 , = 1 − Z , Z で交渉がまと まる。買収対象会社 の均衡利得は0であるが、 , = 1 − Z , Z はパレート効率的配分 である。つまり、交渉によりパレート効率的配分が選択される。