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静 遍

、 第 二 明 遍

、 第 三 隆 寛

、 第 四 空 阿 弥 陀 仏

、 第 五 信 空

、 第 六 覚 瑜

、 第 七 聖 覚

、 第 八 明 禅 で あ り

、 明 遍 の 項 の な か に は 数 少 な い 遊 蓮 房 円 照 に 関 す る 貴 重 な 資 料 が 含 ま れ て い る

。『 和 語 灯 録

』の な か に も 名 前 が 出 て く る こ と や

、唯 一 信 空 の「 無 観 称 名 義

」 が 説 か れ て い る こ と 等

、 法 然 の 思 想 を 考 察 す る う え で

、 一 次 資 料 の 一 つ に 挙 げ ら れ る 著 作 で あ る

。 こ の

『 明 義 進 行 集

』 は 大 正 七 年

( 一 九 一 八

) に 黒 坂 勝 美 氏 に よ っ て

、 大 阪 の 真 言 宗 御 室 派 金 剛 寺 よ り

、 弘 安 六 年

( 一 二 八 二

) の 恵 鑁 に よ る 写 本 が 発 見 さ れ る ま で そ の 存 在 が 認 め ら れ て い な か っ た

。 こ の 発 見 は 大 い に 注 目 さ れ

、 た だ ち に 橋 川 正 氏

、 望 月 信 亨 氏

、伊 藤 祐 晃 氏

、 井 川 定 慶 氏

ら に よ っ て 研 究 さ れ た

。 三 巻 の う ち

、 第 一 巻 は み つ か っ て お ら ず

、 ま た 成 立 時 期 が 明 確 で な い こ と

、 他 の 法 然 文 献 と の 関 係 等

、 多 く の 問 題 を 有 す る も の で あ り

、 先 学 の 研 究 も こ れ ら を 解 明 す る こ と に 目 的 が お か れ て い る

。 中 嶌 容 子 氏 は こ れ ま で の 先 学 の 研 究 を

、① 筆 者

② 成 立 時 期

、③

『 明 義 進 行 集

』 と

、『 和 語 灯 録

』 等 に み ら れ る

「 進 行 集

「 信 行 集

」 の 名 で 引 用 さ れ て い る 典 籍 と の 関 係

④ 伝 存 し な い 巻 一 の 内 容

『 明 義 進 行 集

』 と 法 然 の 諸 伝 と の 関 係 と い っ た 五 つ の 点 に 分 け て 整 理 し て い る

① か ら

⑤ に つ い て

、 こ れ ま で の 研 究 成 果 を 端 的 に み て い く と

① 筆 者 が 信 瑞 で あ る こ と は 疑 い な い

② 明 確 に さ れ て い な い が

、 信 瑞 の 没 年 弘 安 二 年

( 一 二 七 九

) が 下 限

、 僧 伝 の 最 後 に 位 置 す る 明 禅 の 没 年 仁 治 三 年

( 一 二 四 二

) が 上 限 と さ れ て い る

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『 和 語 灯 録

』 に 引 か れ る

「 進 行 集

」 は

『 明 義 進 行 集

』 と み て よ い

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④ 巻 一 に 法 然 の 事 蹟 が 記 さ れ て い た で あ ろ う と い う こ と は 諸 説 一 致 し て い る

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⑤ こ こ は 先 学 に よ っ て 意 見 が 分 か れ る と し て い る

・望 月 信 亨 氏

…『 九 巻 伝

』・

『 四 十 八 巻 伝

』は

『 明 義 進 行 集

』の 記 事 に 依 っ て い る

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・ 伊 藤 祐 晃 氏

『 明 義 進 行 集

』 の 巻 一 が 信 瑞 の

『 法 然 上 人 伝

』 で あ る

・ 井 川 定 慶 氏

『 醍 醐 本

』 は

『 明 義 進 行 集

』 巻 一 の 原 本 か ら 稿 本 に 交 ぜ た も の

・ 三 田 全 信 氏

『 明 義 進 行 集

』 と

『 法 然 上 人 伝

』 は 別 個 の も の で あ る

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。 本 論 で は こ れ ら の 研 究 ふ ま え た う え で 進 め て い く

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第 一 節 釈 尊 出 世 の 本 懐 と 宗 義 各 別

― 一 期 物 語 か ら の 伝 承

本 節 で は

、 釈 尊 出 世 の 本 懐 や 宗 義 各 別 と い っ た 教 判 論 が 説 か れ る

「 十 七 条

」 と

「 十 七 条

」 に つ い て 考 察 す る

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第 一 項 釈 尊 出 世 の 本 懐 と 宗 義 各 別 に つ い て

「 十 七 条 御 法 語

」 第 二 条 一

、 内 容 と 問 題 点

「 十 七 条

」 に は 次 の よ う に 説 か れ て い る

。 又 云

、阿 弥 陀 経 等 ハ 浄 土 門 ノ 出 世 ノ 本 懐 ナ リ

。法 華 経 者 聖 道 門 ノ 出 世 ノ 本 懐 ナ リ

。云 々

。 望 ト コ ロ ハ コ ト ナ リ

、 疑 ニ 足 サ ル 者 也

。 又 云

、 我 安 置 ス ル ト コ ロ ノ 一 切 経 律 論 ハ

、 コ レ 観 経 所 摂 ノ 法 也

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こ こ で は は じ め に

、 釈 尊 が こ 娑 婆 世 界 に あ ら わ れ た 真 の 目 的 が 説 か れ た 経 典 は

、 浄 土 門 に お い て は

『 阿 弥 陀 経

』 等 で あ り

、 聖 道 門 に お い て は

『 法 華 経

』 で あ り

、 両 者 の 目 指 す と こ ろ は 異 な る の で あ る か ら

、 疑 い を か け る に は 及 ば な い と い う こ と が 説 か れ て い る

。 後 半 に は

、 私 が 安 置 し て い る す べ て の 経 律 論 は

、『 観 経

』 に 含 ま れ る と し て い る

。 出 世 本 懐 論 と は

、 釈 尊 が こ の 娑 婆 世 界 に 出 現 し た 真 の 目 的 を 論 ず る こ と で あ り

、『 法 華 経

』 第 一 方 便 品 に お い て

、 衆 生 を こ の 世 で 悟 ら せ よ う と い う 目 的 か ら

『 法 華 経

』 を 説 き 示 し た こ と が 釈 尊 の 出 世 の 本 懐 で あ る と さ れ た こ と よ り 生 じ た 問 題 で あ る

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。智 顗『 法 華 玄 義

』で は

、法 華 時 以 前 に 説 か れ た 経 説 は 随 他 意 語 で あ り 釈 尊 の 本 懐 で は な く

、今 経(

『 法 華 経

』) は

「 蔵

・ 通

・ 別 教

」( 不 融

) を 捨 て

、 た だ 円 教

( 融

) を 説 く 故 に

、 出 世 の 本 懐 の 経 で あ る と 説 か れ て い る

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。同 じ く『 法 華 玄 義

』二 下 で は

、『 法 華 経

』は 諸 々 の 経 説 を 総 括 し

、 み な こ の 経 に 極 ま る と い い

、 釈 尊 出 世 の 本 懐 が

『 法 華 経

』 を 説 く こ と と す る

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「 十 七 条

」 に 関 し て は

、 以 下 の 問 題 点 が あ る

・ 前 半 の 内 容 に つ い て は

、 こ の 一 節 の み か ら で も 理 解 し 易 い が

、「 疑 ニ 足 サ ル

」 と い う 一 節 が

、 何 に 対 し て い っ て い る の か 明 確 で な い

・ 後 半 の 内 容 は

、 こ の 御 法 語 の み か ら 理 解 す る こ と が 難 し い

・ 後 半 部 分 は は じ め に

「 又 云

」 と あ る こ と か ら

、 第 二 条 と す る か

、 第 三 条 と す る か 見 解 が 分 か れ る

( 出 世 本 懐 と 宗 義 各 別 と は 一 緒 に 考 え て も よ い か と い う 問 題

)。 ま た こ こ で

、 釈 尊 観 と い う こ と に 関 連 し て

、 本 節 の 考 察 を 進 め て い く う え で 重 要 な 論 文 が あ る の で 紹 介 し た い

。深 貝 慈 孝 氏「 善 導 の 仏 陀 観

」(

『 中 国 浄 土 教 と 浄 土 宗 学 の 研 究

』、 二

〇 二 年

) で あ る

。 深 貝 氏 は

、 善 導 浄 土 教 の 特 徴 の 一 つ と し て

「 仏 説 の 強 調

」 が あ る と す る

。 善 導 の 仏 陀 観 は 具 体 的 に は 釈 尊 を 指 す が

、 善 導 は 諸 仏 同 証 を 根 本 的 立 場 と す る た め

、 釈 尊 一 仏 を 通 じ て 仏 陀 の 仏 陀 た る 由 縁 を 明 ら か に す れ ば

、善 導 の 仏 陀 観 解 明 が 達 せ ら れ る と す る

。深 貝 氏 は

、 善 導 に よ る と

、五 濁 の 世 に 出 現 し て 弥 陀 浄 土 教 を 説 い た の は

、応 現 身 の 釈 迦 仏 で あ る

。 そ の 本 地 は『 大 般 涅 槃 経

』に 説 く 無 勝 世 界 の 仏 陀 で あ る

。( 中 略

)仏 陀 は 娑 婆 世 界 の 衆 生 の 苦 悩 を 見 る に 見 か ね て 応 現 し

、 釈 迦 仏 と し て 八 相 成 仏 し て 弥 陀 浄 土 教 を 説 い た と 見 る

。 と い い

、 さ ら に 深 貝 氏 は

、『 般 舟 讃

』 を も と に 善 導 は

、 釈 迦 仏 が 前 世 の 菩 薩 位 に あ っ た 時 は

、 前 仏 の 教 え に 随 順 し

、 長 時 劫 に 菩 薩 行 を 修 し た の で あ っ て

( 中 略

) 無 上 菩 提 尊 と な る こ と を 誓 い

、 願 が 成 就 し て 菩 提 の 果 を 証 得 し た と い う

。 こ れ は ま さ し く 報 身 の 仏 陀 で あ り

、 此 土 出 現 の 釈 迦 仏 の 本 地 身 で あ る

。 と い い

、 つ ま り は

、 善 導 の 仏 陀 観 の 底 で は

、 釈 尊 が 仏 陀 と し て 報 身 報 土 を 得 て い る と し

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そ の 真 身 の 仏 陀 が 真 土 を 捨 て て 娑 婆 の 衆 生 を 化 せ ん が た め に 八 相 成 仏 の 形 を と っ て 娑 婆 に 出 現 し た と と ら え て い る の で あ る

。 以 上 深 貝 氏 は

、 釈 尊 の 此 土 出 現 の 本 意 が

、 凡 夫 の 弥 陀 浄 土 往 生 を 説 く こ と に あ っ た と い う の が 善 導 の 見 方 で あ る と い う こ と で あ る が

、 さ ら に そ の 本 懐 が 前 世 に お け る 菩 薩 位 に あ っ た 時 か ら の も の で あ り

、 誓 願 が そ れ に あ た る こ と に 注 意 す べ き と し て い る

。 つ ま り 釈 尊 出 世 の 本 懐 が 前 世 の 発 願 の と き か ら の も の で あ る と い う こ と で あ る

。 い ず れ に し て も 善 導 に と っ て は

、 真 仏 と し て の 釈 尊 が

、 凡 夫 の た め に 娑 婆 に 応 現 し て 弥 陀 浄 土 へ の 往 生 を 説 き す す め た こ と が 重 要 で あ っ て

、 そ の 仏 陀 観 を も っ て

、 摂 論 学 派 の 念 仏 往 生 別 時 説 に 立 ち 向 か っ た と す る

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。 結 論 と し て 深 貝 氏 は

、 善 導 が

「 今 乗 二 尊 教

、 広 開 浄 土 門

」 と い う こ と を う け

、 凡 夫 の 念 仏 往 生 そ の も の は 弥 陀 本 願 が あ っ て の こ と で あ る が

、 実 際 問 題 と し て は

、 そ れ を 開 示 す る 釈 尊 の 遺 教 な く し て は 衆 生 と 無 縁 の も の で あ り

、 そ の 意 味 か ら も 釈 尊 は 発 遣 教 主 と し て 阿 弥 陀 仏 と 同 様 に 尊 ば れ

、 大 恩 あ る 本 師 と し て 報 恩 せ ら れ る べ き 仏 陀 で あ る と し て い る

。 こ の 論 考 は

、 本 節 だ け で な く

、 後 ほ ど

「 十 七 条

」 を 考 察 す る 際 に も 関 係 し

、 さ ら に は 法 然 教 学 の 基 本 を あ ら わ す 重 要 な も の と 考 え る

。 以 下

、 こ の 説 を ふ ま え て

、 法 然 教 学 と の 比 較 か ら は じ め て い き た い

。 二

、 法 然 教 学 と の 比 較 こ こ で は

、法 然 に お け る 釈 尊 出 世 の 本 懐 解 釈 に つ い て 整 理 し

「 十 七 条

」と 比 較 し た い

。 は じ め に

『 無 量 寿 経 釈

』 に は 次 の よ う に 説 か れ て い る

。 釈 迦 捨

テ ヽ 二

無 勝 浄 土

ヲ 一

玉 フ 二

穢 土

、本

テ 二

浄 土 之 教

ヲ 一

シ テ

衆 生

ヲ 一

ナ リ レ

ゼ 二

浄 土

ニ 一

。 弥 陀 如 来 捨

テ 二

穢 土

ヲ 一

、 出

玉 フ 二

浄 土

ニ 一

、 本

テ 二

穢 土

衆 生

ヲ 一

ナ リ レ

浄 土

ニ 一

。是 則

諸 仏

デ 二

浄 土

ヲ 一

玉 フ 二

穢 土

ニ 一

御 本 意

ナ リ

。善 導

。 釈 迦

ヨ リ

発 遣

。{ 云 云

} 是

大 意

ナ リ

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こ こ は ま さ に

、 先 ほ ど の 深 貝 氏 の 論 考 に あ っ た 仏 陀 観 が 法 然 の 詞 と し て 示 さ れ て い る と こ ろ で あ る

。 こ こ で 法 然 は

、 釈 尊 が 無 勝 浄 土 を 捨 て て 穢 土 に 出 現 さ れ る の は

、 浄 土 教 を す す め て 衆 生 を 浄 土 に 生 ま れ さ せ る た め で あ り

、 阿 弥 陀 仏 が 穢 土 を 捨 て て 浄 土 に 出 現 さ れ る の は

、 穢 土 の 衆 生 を 導 い て 浄 土 に 生 ま れ さ せ る た め で あ る と し て い る

。 法 然 は 善 導 の

「 釈 迦 此 方 発 遣

、 弥 陀 即 彼 国 来 迎

」 と い う 解 釈 を 受 け

、 浄 土 教 が 釈 尊

・ 阿 弥 陀 仏 二 尊 に よ る こ と を 強 調 し

、 発 遣 教 主 と し て 無 勝 浄 土 か ら 応 現 し た 釈 尊 を 尊 ぶ の で あ る

。 こ れ が 法 然 の 釈 尊 出 世 の 本 懐 解 釈 で あ る

。 次 に

『 三 部 経 大 意

』 に は 以 下 の よ う に 説 か れ て い る

。 我 世 ニ 出 ル 事 ハ

、本 意 唯 タ 弥 陀 ノ 名 号 ヲ 衆 生 ニ 令 聞

カ 一

タ メ ナ リ ト テ

、阿 難 尊 者 ニ ム カ ヒ テ

、 汝 好 ク 此 事 ヲ 持 テ 遐 代 ニ 流 通 セ ヨ ト

、 ネ ム コ 六 ニ 約 束 シ ヲ キ テ 後

、 跋 提 河 ノ ホ ト リ

、 沙 羅 林 下 ニ シ テ

、 八 十 ノ 春 ノ 天

、 二 月 十 五 ノ 夜 半 ニ

、 頭 北 面 西 ニ シ テ 涅 槃 ニ 入 リ 給 ニ キ

。( 中 略

) ア ル イ ハ 我 等 釈 尊 ニ ト ヒ タ テ マ ツ ル ニ コ タ ヘ タ マ フ コ ト モ ア リ キ

。 ア ル イ ハ 釈 尊 ミ ツ カ ラ ツ ケ タ マ フ コ ト モ ア リ キ

。 済 度 利 生 ノ 方 便

、 今 ハ 誰 ニ 向 テ カ 問 奉 ル ヘ キ

。 須 ク 如 来 ノ 御 詞 ヲ シ ル シ 置 テ

、 未 来 ニ モ 伝 ヘ

、 御 カ タ ミ ト モ セ ン ト 云 テ

、 多 羅 葉 ヲ 拾 ヒ テ

、 悉 ク 是 ヲ 注 シ 置 キ

、 三 蔵 タ チ 是 ヲ 訳 テ 晨 旦 ニ 渡 シ

、 本 朝 ニ 伝 フ

。 諸 宗 ニ 各 ツ カ サ ト ル ト コ 六 ノ 一 代 聖 教 是 也

。 而 ヲ 阿 弥 陀 如 来

、 善 導 和 尚 ト ナ ノ リ テ 唐 土

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