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ブルックヘブン国立研究所(BNL)

ドキュメント内 JAIST Repository https://dspace.jaist.ac.jp/ (ページ 58-64)

第3章 事例分析

3.2 ブルックヘブン国立研究所(BNL)

アメリカのエネルギー省(Department of Energy、以下 DOE と称す)配下の 国立研究所は、戦争の影響を否めない。プライス(1970)によると、「ジョージ・

ブラクストン・ぺグラムが、核エネルギーが国家の防衛の潜在力であることを、

政府にみとめさせるのに尽くし、1946 年発起大学グループの代表者となり、ニ ューヨーク地区の核科学センターを設立することを提案した。大学連合者の設 立と、ブルックヘブン国立研究所の創設に、重要な役割を果たしたのである (1970, p.6)」とある。第二次世界大戦終了後、マンハッタン計画の研究所から 大勢の科学者が辞めていくという事態に不安を感じたレスリー・グローブ将軍 は、核兵器開発をさらに進めるためには、連邦政府は大学の科学者と新しい関

係を築くことを目指した。このような経緯があり、冷戦の影響で第二次大戦中 に一時的に作られた施設が、1946-1947 年には国立研究所となった。大学や他の 国立研究所との差別化が模索されたが、BNL では純粋科学の研究が行われている 例が多い26

1990 年代に入り、米国で研究開発を行うすべての機関の役割分担が明確化さ れた。課題が複雑なうえ、研究開発にコストがかかるようになった結果で、基 盤整理などは主に国立研究所の、一方大学は引き続き、基礎研究に重点を置く 見通しがあった27

このようなアメリカの物理学の流れの中で、BNL は原子力の平和的利用に関す る研究を目的として、アメリカ NY 州アプトン基地の跡地を利用して、1947 年に 設立された。現在は、アメリカの DOE から委託されたブルックヘブン科学協会28 によって運営されている。約 3,000 人の職員を抱え、年間 4,000 人以上の訪問 者を受け入れている。DOE 配下の国立研究所として、研究者や地域のコミュニテ ィと協力し、適切に交流しながら素晴らしい研究成果と最先端の技術を生み出 すことを目標としている。大学や研究機関では建設・運営が難しい研究施設を、

アメリカ東海岸の研究者をはじめとして多くの研究者・学生に提供する役目も 担っている。高エネルギー・素粒子物理学を中心として、化学・生物学・材料 工学等幅広い研究部門を擁している(図 3-1 参照)。現在までに、7 件のノーベル 賞を受賞している。創設以来、BNL は加速器の共用施設として発展してきた。

初代 PHENIX グループ代表を務めた永宮氏は、BNL の歴史について、以下のよ うに語っている。「米国といえども最初からノーベル賞クラスの研究成果を生み 出す土壌があったわけでなく、20 世紀初頭に欧州の学問を米国に輸入し、その 後米国で花咲いたという歴史を経ています。科学が発展すると施設も大きくな ります。物理学者の I.I.ラービがハーバード、プリンストン、イエールなど米 東部の有力大学に働きかけて、一つの大学では造れない装置を一カ所で造ろう

26 Seidel(1983), pp.375-400, ローゼンブルーム & スペンサー(1998)

27 ローゼンブルーム & スペンサー(1998)

28 ブルックヘブン科学協会は、バテルとニューヨーク州立大学ストーニーブルック校によって 運営されている。バテルは、1929 年にオハイオ州コロンバスにて設立された NPO 研究機関で、

アメリカのエネルギー政策、環境政策、ホームランドセキュリティー等の新しい研究開発に関与 している。アメリカの DOE 配下の国立研究所(全米 7 か所)を管理・運営するほか、約 20,000 人のスタッフ・研究者のもとに幅広い研究を行っている。

http://www.bsa-hq.org/about/about.php, 2015 年 12 月 8 日アクセス。

としたのがブルックヘブン国立研究所です。ブルックヘブンからもノーベル賞 受賞者がたくさん出ました。ここへやって来た大学の研究者たちがすばらしい 成果を挙げたということです」29。プライス(1970)の頃から、BNL は「見えな い大学」の重要な拠点として多くの人々をひきつけていたが、現在においても 学生や若手研究者はこぞって BNL で研究をしたいと希望して集まってくるよう であった。BNL ウェブサイトのイベントカレンダー30を見ると、毎日のように様々 な研究会が開かれている。有名な研究者の講演も多く開催されており、たとえ ば格子ゲージ理論の創始者である研究者は特に若手から尊敬を集めていること を、複数の理論物理学者から聞いた。

BNL の職員で両親共にアメリカ出身の研究者は 1 割程度であり、今日 BNL は外 国人がいないとやっていけない状況にある。また、CERN とは異なり、BNL では 外国人の割合に制限をかけていないそうである。所長以外の経営幹部職に外国 人が登用されることもある31。戦争中にヨーロッパからアメリカに外国人研究者 が多数移ってきたため、歴史的に外国人を受け入れることに抵抗は少ないと考 えられる。また、CERN と研究者の交換制度があったことも、影響しているだろ うと S 氏は語った32。外国人を BNL 職員や訪問者として受け入れる支援体制が、

BNL 全体で整備されており、ビザ取得手続き等専門スタッフが配置されている。

CERN は最初から国際機関として作られており、世界中から実験の提案を受け 付けていた。アメリカも同じように世界中から実験の提案を受け付けるように 変わってきた。規模の小さい加速器の時代は、ビームラインを研究所が作って、

そこに 1 つ 2 つの大学が来て、1-2 億円の装置を作っており、研究者も 10-20 人 だった。加速器が段々大規模になると共に、100 人規模のコラボレーションが必 要になってきた。アメリカやヨーロッパの経験を元に、それと同じ方式を RHIC でも導入した。加速器を作る予算、装置製作の予算が出たとしても、実験装置 の予算が全部手当されるわけではないため、実験装置の製作などは、外国から 予算つきで参加する人がいれば、大いに歓迎される。

29 永宮氏インタビュー記事より

http://scienceportal.jst.go.jp/columns/interview/20081007_01.html, 2016 年 2 月 27 日ア クセス。

30 https://www.bnl.gov/events/, 2016 年 2 月 27 日アクセス。

31 O 氏インタビューより(2011 年 5 月 12 日実施)

32 S 氏インタビューより(2011 年 4 月 6 日実施)

BNL は、加速器の開発をはじめとしたプロジェクトがくるから研究所が存在し ている。プロジェクトのオーバーヘッドによって研究所が運営されている。よ って、加速器の運転を担う加速器部門(図 3-2 参照)や加速器を使って研究を行 う物理部門(図 3-3 参照)が充実している。2011 年 4 月の時点では、BNL の将来 の柱になる次期プロジェクトの検討中であった。

図 3-1 BNL 組織図 出典:BNL ホームページ33

33 https://www.bnl.gov/about/docs/org_chart.pdf, 2011 年 4 月 1 日アクセス。

図 3-2 加速器部門の組織図 出典:BNL ホームページより一部筆者加筆34

34 http://www.c-ad.bnl.gov/esfd/OrganizationalChart/CAD_Org_Chart.pdf, 2011 年 4 月 1 日 アクセス。

図 3-3 BNL 物理部門の組織図 出典:BNL ホームページより一部筆者加筆35

ドキュメント内 JAIST Repository https://dspace.jaist.ac.jp/ (ページ 58-64)