第 5 章 角運動量 57
5.2 スピン角運動量
こうしてAML(θ)は比例定数を除いてPLM(cosθ)に等しいことがわかる。
PLM(x)は正規直交条件
∫ ∞
0
e−xxMPLM(x)PLM′(x)dx= (L+M)!
L! δL,L′ (5.69) を満足する。YLM の規格直交条件(5.37)を満足するように係数を決めると
YLM(θ, ϕ) = (−1)M+2|M|
√
2L+ 1 4π
(L− |M|)!
(L+|M|)!PL|M|(cosθ)eiM ϕ (5.70) が得られる。これからYLMが一般に次の関係式を満足することがわかる。
YL−M(θ, ϕ) = (−1)M[YLM(θ, ϕ)]∗ (5.71) 特に、M = 0の場合は
YL0(θ, ϕ) =
√2L+ 1
4π PL(cosθ) (5.72)
また、球面調和関数の完全性条件は
∑∞ L=0
∑L M=−L
[YLM(θ, ϕ)]∗YLM(θ′, ϕ′) = 1
sinθδ(θ−θ′)δ(ϕ−ϕ′)
=: δ(Ω−Ω′) (5.73) で与えられる。両辺を立体角で積分∫
· · ·sinθdθdϕすると1に等しくなる ことに注意しよう。
以下に、球面調和関数の例を書き下しておく。
Y00 = 1
√4π Y1±1 = ∓
√ 3
8πsinθe±iϕ, Y10 =
√ 3 4πcosθ Y2±2 =
√ 15
32πsin2θe±2iϕ, Y2±1 =∓
√15
8π sinθcosθe±iϕ, Y20 =
√ 5
16π(3 cos2θ−1)
(5.74)
5.2. スピン角運動量 67 ゼロなので、スピン角運動量は粒子の実空間での運動を記述する量ではな く、その内部自由度に由来するものだと考えられる。軌道角運動量の古典 極限は ℏL を一定に保ちつつℏ→0、L→ ∞ なる極限をとることで得ら れる。これに対して、素粒子のスピンの値 S は粒子に固有の定数で有限 なので2、古典極限をとるとゼロになる。このようにスピン角運動量は古 典対応物をもたない粒子に固有の量子数である。電子に固有のスピン角運 動量という概念は1925年にG. UhlenbeckとS.Goudsmitにより導入され た。一般にスピンという概念は1927年にPauliによって導入された。
スピン角運動量 ℏS は、軌道角運動量とは異なり空間座標に依存しな いので波動関数の一価性の制約は受けず、整数と半整数の両方の値を取り 得る。
S= 0,1 2,1,3
2,2,· · · (5.75)
軌道角運動量の場合と同様に、スピンが ℏS の粒子は 2S + 1 個の成分 M =S, S−1,· · ·,−S を持っている。電子の場合は、磁場をかけるとエ ネルギー準位が2倍に分裂する(これをゼーマン効果という)ことから内 部自由度が2であり、従って、電子のスピンはℏ/2であることがわかる。
陽子や中性子のスピンも ℏ/2である。他方、光子のスピンは1、重力子は 2、ヒグス粒子は0である。半整数スピンの粒子はフェルミ粒子、整数ス ピンの粒子はボース粒子と呼ばれ、前者はフェルミーディラック統計、後 者はボースーアインシュタイン統計に従う。
スピン角運動量は軌道角運動量と同じ交換関係を満足する。
[ ˆSx,Sˆy] =iℏSˆz, [ ˆSy,Sˆz] =iℏSˆx, [ ˆSz,Sˆx] =iℏSˆy (5.76) 5.1節で導かれた行列要素に関する公式 (5.29)、(5.31)、(5.34) は交換関 係だけから導かれたので、スピンの場合も同様の公式
⟨S, M+ 1|Sˆ+|S, M⟩ = ℏ√
(S−M)(S+M + 1) (5.77)
⟨S, M−1|Sˆ−|S, M⟩ = ℏ√
(S+M)(S−M + 1) (5.78)
⟨S, M|Sˆz|S, M⟩ = ℏM (5.79) が成立する。これからSˆx, Sˆyの行列要素
⟨S, M + 1|Sˆx|S, M⟩ = ℏ 2
√(S−M)(S+M+ 1) (5.80)
⟨S, M −1|Sˆy|S, M⟩ = −iℏ 2
√(S+M)(S−M+ 1) (5.81)
2粒子が同じでも軌道角運動量はいろいろな値をとりうるが、スピンは素粒子を識別す る量子数なので、スピンの値が異なる粒子は異なる粒子であるとみなされる。
が得られる。
これらの関係式は波動関数のスピン成分の変換則を与える。スピンがS の波動関数は
ψS(M) :=⟨S, M|ψ⟩ (5.82) で定義される。これにスピン演算子Sˆi (i =x, y, z) が作用すると、波動 関数は次のように変換される。
SˆiψS(M) := ⟨S, M|Sˆi|ψ⟩
= ∑
M′
⟨S, M|Sˆi|S, M′⟩⟨S, M′|ψ⟩
= ∑
M′
Si,M M′ψS(M′) (5.83) ここで、行列要素SiM M′は(5.77)-(5.81)で与えられる。
特別な場合として、スピンが1/2の場合は、スピン演算子を Sˆi = ℏ
2ˆσi, (i=x, y, z) (5.84) と書き、ˆσi をパウリ行列(Pauli matrices)という。パウリ行列は交換関係 [ˆσx,σˆy] = 2iˆσz, [ˆσy,σˆz] = 2iˆσx, [ˆσz,σˆx] = 2iˆσy (5.85) を満足する。行列要素の公式 (5.77)-(5.79) を用いてパウリ行列を書き下 すと
ˆ σx=
( 0 1 1 0
)
, σˆy = (
0 −i i 0
)
, σˆz = (
1 0 0 −1
)
(5.86) となる。パウリ行列はエルミートでかつユニタリーであり
ˆ
σ2x= ˆσ2y = ˆσz2 = ˆ1 (5.87) を満足する。ここで、ˆ1 は2行2列の単位行列
ˆ1 = (
1 0 0 1
)
(5.88) である。パウリ行列は (5.85)の交換関係に加えて反交換関係
{σˆx,σˆy}= 0, {σˆy,ˆσz}= 0, {σˆz,σˆx}= 0 (5.89) を満足する。ここで、{A,ˆ Bˆ} ≡AˆBˆ + ˆBAˆである。(5.87)と(5.89)をま とめると
ˆ
σiσˆj+ ˆσjσˆi= 2δij (5.90)
5.2. スピン角運動量 69 が得られる。
パウリ行列 σˆx,σˆy,σˆz と単位行列 ˆ1 で任意の2行2列の行列を表現で きる。特に、2個以上のパウリ行列の積はパウリ行列の線形和として書け る。たとえば、
ˆ
σxσˆy =iˆσz, σˆyσˆz =iˆσx, σˆzσˆx=iˆσy (5.91) (5.87) と(5.91)をあわせると次の公式が得られる。
ˆ
σiσˆj = ˆ1δi,j+iϵijkσˆk (5.92) ここで、ϵijk は (i, j, k)が (x, y, z)の偶置換の場合は 1、奇置換の場合は -1、その他の場合(すなわち、i, j, k の2個以上が一致する場合) は0 と なる3階の完全反対称テンソルである。パウリ行列はこのほかにも多くの 有用な性質を持っている。そのいくつかの例を挙げておく。
A,B を任意の3次元ベクトルとすると次の関係式が成立する。
( ˆσ·A)( ˆσ·B) =A·B+iˆσ·(A×B) (5.93) ここで演算子とベクトルの内積はσˆ·A= ˆσxAx+ ˆσyAy+ ˆσzAz 等を意味 するものとする。実際、(5.92)を用いると
左辺 = ∑
i,j=x,y,z
ˆ
σiσˆjAiBj = ∑
i,j=x,y,z
(ˆ1δi,j+iϵijkσˆk)AiBj
= ∑
i=x,y,z
AiBi+i ∑
k=x,y,z
ˆ
σk(A×B)k
= 右辺 (証明終わり)
次の関係式もしばしば有用である。
e−i2θˆσi = ˆ1 cosθ
2 −iˆσisinθ
2, (i=x, y, z) (5.94) これを示すために、指数関数を展開した式を偶数べきと奇数べきに分けて ˆ
σ2 = ˆ1 を使うと e−2iθˆσi =
∑∞ n=0
1 (2n)!
(
−i 2θ
)2n ˆ σi2n+
∑∞ n=0
1 (2n+ 1)!
(
−i 2θ
)2n+1 ˆ σi2n+1
= ˆ1
∑∞ n=0
(−1)n (2n)!
(θ 2
)2n
+ (−i)ˆσi
∑∞ n=0
(−1)n (2n+ 1)!
(θ 2
)2n+1
= ˆ1 cosθ
2−iˆσisinθ 2
(5.94)より波動関数のスピン部分χ は任意の軸i=x, y, z の周りに2π 回転させても元には戻らず
e−2i(2π)ˆσiχ=−χ (5.95)
のように反対符号となることがわかる。このようにスピン1/2の系は、与 えられた方位角 θ に対して波動関数が ±e−i2θˆσiχ の二通り存在する。こ れを2価表現 という。
スピンが半整数の波動関数を2π回転させると波動関数の符号が変わる という事実は、2個のフェルミオンを交換すると波動関数の符号が変わる というフェルミーディラック統計と密接に関連している。実際、一方の フェルミオンの周りに他方のフェルミオンを2π回転させることは、2個 のフェルミオンを交換することとトポロジカルには同じ効果を生む。スピ ン1/2の粒子が4π周期性を持っていることは中性子を用いた実験で示さ れた3。