3.4.1 概要
TEM 観察の結果から,CNTの両端が真空に接する状態でもCNTの内部では水が完全に は蒸発せずに安定して存在することがわかった.つまり,CNT 内部では水の蒸気圧が降下 していることを示している.本節ではCNTの内壁に液膜が吸着している場合(Figure 3.5 (b))
のCNTの曲率とDisjoining Pressureによる水の蒸気圧降下を検討する.
3.4.2 曲率の効果
CNT の内壁は直径数十 nm と大きな曲率を持ち,その表面に吸着した水の気液界面の曲 率は凹面になるため,水の蒸気圧を低下させてナノ空間内での水の蒸発を抑制する.曲率が ある気液界面での蒸気圧𝑃𝑃𝑣𝑣𝑒𝑒と曲率のない平坦な気液界面での飽和水蒸気圧𝑃𝑃𝑠𝑠𝑠𝑠𝑠𝑠は Kelvin 方 程式によって式(3.1)のように与えられる[104].
ln 𝑃𝑃𝑣𝑣𝑒𝑒 𝑃𝑃𝑠𝑠𝑠𝑠𝑠𝑠 =�1
𝑟𝑟1+1 𝑟𝑟2�𝜎𝜎𝑉𝑉𝑚𝑚
𝑅𝑅𝑇𝑇 (3.1)
ここで,𝜎𝜎は水の表面張力,𝑉𝑉𝑚𝑚は液体の水のモル体積,𝑅𝑅は気体定数,𝑇𝑇は温度,𝑟𝑟1と𝑟𝑟2は 気液界面の直行する曲率半径である.Kelvin 方程式は過飽和蒸気中のマイクロスケールの 液滴の安定性を説明する場合に用いられる式であり[104],気液界面が凹面の場合は式(3.1) の右辺の半径𝑟𝑟1と𝑟𝑟2の符号は負になる[105].
TEM観察では温度上昇は非常に小さいため,CNTの内壁に吸着する液膜の温度は300 K で一定であると仮定する.よって,𝑇𝑇= 300 K, 𝑃𝑃𝑠𝑠𝑠𝑠𝑠𝑠 = 3.6×103 Pa, 𝜎𝜎= 72 mN/m, 𝑉𝑉𝑚𝑚= 1.8×10-5 m3/mol,𝑅𝑅= 8.31 J/K/molである.CNTの軸方向には曲率はないため,𝑟𝑟1=∞であ る.CNTの半径方向の曲率𝑟𝑟2は,CNTの内径から液膜の厚さを差し引いたものであり,Figure 3.5 (a)のとき,𝑟𝑟2= 21 nmである.よって,300 Kのときの蒸気圧は𝑃𝑃𝑣𝑣𝑒𝑒= 3.5×103 Paとなり
𝑃𝑃𝑣𝑣𝑒𝑒は𝑃𝑃𝑠𝑠𝑠𝑠𝑠𝑠よりも小さいため大気圧環境では水は蒸発しないことが説明できるがTEMの高真
空環境(10-5 Pa)で液体の水が存在する理由は説明することができない.
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3.4.3 Disjoining pressure の効果
CNT の内壁に吸着する純水液膜の厚さは最小で数 nm 以下であるため,液膜の気液界面 と固液界面にはDisjoining pressure(分離圧)が働く.Disjoining pressureを𝛱𝛱とすると液膜が平 坦な場合は式(3.2)で与えられえる[104].
ここで,𝐴𝐴はHamaker定数,𝛿𝛿は液膜の厚さである.Disjoining pressure, 𝛱𝛱によって液体の蒸 気圧𝑃𝑃𝑣𝑣𝑒𝑒は低下する.このとき,𝛱𝛱と𝑃𝑃𝑣𝑣𝑒𝑒の関係は式(3.3)で表される[106].
ただし,𝜌𝜌は気液界面における水分子の密度.𝑘𝑘𝐵𝐵はボルツマン定数.𝑃𝑃𝑠𝑠𝑠𝑠𝑠𝑠は温度𝑇𝑇におけるバ ルクの水の飽和蒸気圧である.
𝛱𝛱= 𝐴𝐴
6𝜋𝜋δ3 (3.2)
𝛱𝛱=−𝜌𝜌𝑘𝑘𝐵𝐵𝑇𝑇ln𝑃𝑃𝑣𝑣𝑒𝑒
𝑃𝑃𝑠𝑠𝑠𝑠𝑠𝑠 (3.3)
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Figure 3.22 (a) TEM micrograph of the triangular structures filled with water molecules. The yellow dot line indicates the wall-water interface. The blue dot line indicates the water-vacuum interface. (b) Scaled vapor pressure due to disjoining pressure. Triangle plots are calculated from experimental results by using 𝑟𝑟𝑤𝑤. The red solid line is calculated from our experimental results using the Hu et al.
equation for comparison.[106]
CNT のカップのエッジによって内壁はナノスケールの粗さを持つ.Figure 3.22 (a)では水
はWenzelの濡れのように完全に表面を濡らしており,その結果,水は壁に強く吸着する.
この強い吸着によって水の蒸気圧が低くなり蒸発はさらに抑制されるはずである.Hu ら
[106]はナノスケールの凹凸のある表面に水分子が吸着するとき,液膜の気液界面と固液界
面の間で働くDisjoining Pressureを分子動力学シミュレーションを用いて計算した.Huらは 対称な液膜を用いることで気液界面の曲率による蒸気圧降下を無視し,式(3.2)の𝛿𝛿にWenzel roughness ratio 𝑟𝑟𝑤𝑤を考慮した液膜の厚さ𝛿𝛿∗=𝛿𝛿 𝑟𝑟⁄𝑤𝑤を用いている.本研究ではFigure 3.22 (a)
88 のように𝑙𝑙1,𝑙𝑙2,𝐿𝐿とり𝑟𝑟𝑤𝑤を式(3.4)のように定義した.
Hamaker定数はグラファイトと水の値𝐴𝐴Graphite−H2O= 9.08×10-20 J [107]を使用した.また,
Figure 3.22 (a)において液膜の厚さとその液膜が接する凹面の𝑟𝑟𝑤𝑤を求め,式(3.3)から𝑃𝑃𝑣𝑣𝑒𝑒を計 算した.その結果をFigure 3.22 (b)に示す.実線はHuらの式(3.5)から求めた理論値である.
ただし,𝜃𝜃= cos−1�1𝑛𝑛∑ �𝑙𝑙 𝐿𝐿
1+𝑙𝑙2�
𝑛𝑛�,𝜉𝜉 𝐷𝐷⁄ =𝛿𝛿2⁄�𝐴𝐴⁄2𝜋𝜋𝜎𝜎
𝐷𝐷
である.Figure 3.22 (b)を見ると本研究で仮定した𝑟𝑟𝑤𝑤を用いて求めた蒸気圧とHuらの理論式で求め
た蒸気圧はよく一致しており蒸気圧降下は起こるがそれでも観察された液膜の厚さの範囲 での蒸気圧はTEMの真空度よりも高く,この理論を用いても吸着した水の安定性は説明で きない.
3.4.4 考察
気液界面の曲率による蒸気圧降下およびDisjoining Pressureによる蒸気圧降下では真空環 境内でも液体の水が存在するほどの十分な蒸気圧降下を説明することはできなかった.こ のことから,これら二つの理論では考慮されていないCNT内部の水分子と親水化された内 壁表面との強い相互作用が水の蒸発を抑制していることが考えられる.酸素あるいは大気 雰囲気下でのプラズマ処理によってCNT内壁は親水化される.特にFigure 3.22 (a)の𝑙𝑙1の部 分はグラフェン層のエッジの部分であり,プラズマ照射によって炭素の五員環あるいは七 員環の結合が容易に開いて酸素と結びつき親水化されやすい[101].親水化した部分はより 強い水-炭素間の相互作用をもたらし TEM の真空中での水の蒸発を妨げると考えられる.
これは分子動力学シミュレーションによってこれまでにも予測されており,Chabanら[108]
は,ナノ空間による閉じ込め効果と水分子の水-炭素間の相互作用が相まって𝑃𝑃𝑣𝑣𝑒𝑒が低下し,
その結果蒸発が大幅に抑制されることを説明している.
𝑟𝑟𝑤𝑤=𝑙𝑙1+𝑙𝑙2
𝐿𝐿 (3.4)
𝑃𝑃𝑣𝑣𝑒𝑒
𝑃𝑃𝑠𝑠𝑠𝑠𝑠𝑠= exp�− 𝐴𝐴
𝜋𝜋𝜌𝜌𝑘𝑘𝐵𝐵𝑇𝑇cos3𝜃𝜃 � 1 6𝛿𝛿2−2𝐴𝐴
𝛿𝛿5�𝑎𝑎12 4 +
2𝑎𝑎1𝐷𝐷 𝜋𝜋2 +𝐷𝐷2
24��� (3.5)
𝑎𝑎1=−4𝐷𝐷 𝜋𝜋2
1
1 + (𝜋𝜋sin𝜃𝜃 𝜉𝜉 𝐷𝐷⁄ )2 (3.6)
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