8. 宇久町平方言の可能形式
8.5. まとめ
本章では、平方言の可能形式の「ヤユル」と「ラルル」と「キル」を考察した。「ヤユ ル」は動作主体内部条件を表す形式であり、「ラルル」は動作主体外部条件を表す形式で ある。「状況可能」と思われる文であっても、話者自身が、動作主体内部にその原因があ ると考える場合、「ヤユル」が用いられる。「キル」は、動作主体の能力による動作の完 遂という面があり、「能力可能」でしか用いられない。
平方言の「ヤユル」は、「は」助詞を挿入した形式を元としながらも、もはや/-(j)aje-/と いう一形式で用いられている。この変化は、平方言におけるヴォイスに関わる他の動詞派 生接尾辞からの類推ではないかと考えられる。
今回扱った「可能」は、その動作が潜在的に事態を実現できる可能性を持っていること を述べる表現であり、「潜在可能」と呼ばれる。それに対し、実際にその実現がなされた かを述べる表現を「実現可能」と呼ぶ。平方言での「実現可能」は、「ヤユル」を用いて いる。以下に、例を挙げる。
(379) a. 持たエンかち 思っちょったばって {持たエタ/*持たレタ}
((この荷物を)持ち上げられないかと思っていたけど、持ち上げることが できた。)
b. 今日わ よー 泳がエヨイよ((太郎は)今日は上手に泳ぐことができてい るよ)
c. 今日わ じょーとーに 作らエオイよ
((太郎はケーキを)今日は上手に作ることができているよ)
平方言での可能表現を考察するためには、このような「実現可能」も含めて記述する必 要がある。本章では今後の課題とし、改めて考察を行いたい。
1 天草方言を調べた神部(1992:304)では、「しエン」と「しワエン」の両形式の使用のう ち、「は」助詞挿入の「ワエン」の形式の方が一般的であると述べている。
2平方言のインフォーマントからも、「書かエン」を最も使用するが、「書きゃエン」を 使用することもできるという回答を得た。
3 渋谷(2006:65-66)では、「能力可能」に4つの下位分類をたてている。「生得能力と獲 得能力」、「肉体的力と知識」、「(人間の能力と)人間以外の能力」、「種の能力(総 称)(と個体の能力)」の4つである。
4 井島(1991:157)で述べる「内因可能」と「外因可能」も、渋谷(1993)で述べる「動作主 体内部条件」と「動作主体外部条件」と似た観点であると考えられる。ただし、両氏でそ の含む意味分類が異なるため、本章では、渋谷(1993)を基に考察を行う。
5 渋谷(1993:28-29)では「外的強制条件」と分類され、これは「可能の条件スケール」の
「外的条件」より動作主体外部条件に寄った位置にある。その外部条件が動作主体の意志 の介入を許さないかたちで働くためであると述べている。
6 この文を平方言で発話してもらった時、「カクー」(書くことができる)という可能動 詞も回答された。調査中に可能動詞の使用を尋ねても、使用しないという回答であった。
この文以外では調査が不十分であるため、本章では考察の対象から外し、今後の課題とす る。
7 3名の話者の生年月日、外住歴を示す。話者Aは1928(昭和3)年生まれの女性で、生 まれてからずっと平郷に住んでいる。話者Bは1930(昭和5)年生まれの女性で、0歳か ら16歳まで平郷、17歳の時に佐世保市、18歳から19歳まで長崎県北松浦郡鹿町(現、
佐世保市鹿町)、19歳から現在まで平郷で生活している。話者Cは本稿の主なインフォ ーマントとして注2に示した女性である。この談話コーパスの中でも、話者Cは「キ ル」を使用していない。
結語
9. まとめと今後の課題
本論文では、宇久町平方言を包括的に記述することを行った。そして、その平方言を含 む五島列島方言の文法現象を通して、共通語とは異なる文法体系をもつ方言について考察 を行った。その結果をまとめるとともに、今後の課題について述べる。
第1部で、宇久町平方言を包括的に記述した。「音韻論」「形態論」「格」「単文」「複 文」という5つの章を立て、それぞれに記述を行った。
「2.音韻論」では、狭母音の脱落、連母音の融合、主題の//=wa//の同化、与格助詞/=ni/
の削除と代償延長などの音韻規則があることを述べた。また、有元(2007)の「テ形現象」も、
改めて調査を行った。特殊モーラ/H/の解釈についても考察を行い、音韻表記レベルで/H/を 設定する利点について述べた。
「3. 形態論」では、下地(2018)に示された言語形式の単位を参考に、品詞を定義した。
動詞や形容詞の活用、それぞれの品詞の統語的特徴について述べた。「進行」の/-wor-/にい くつかの異形態があり、近隣の藪路木島方言と異なり、規則性が見出しにくいことも述べ た。形容詞連用形に「ニ」が接続して、副詞的用法に用いられている形式があり、その形 式についても考察を行った。
「4. 格」では、平方言の格助詞の一覧を示した。そして、実際の用例に基づきながら、
それぞれの格助詞の使用を述べた。
「5. 単文」では、ヴォイス、アスペクト、モダリティについて述べた。ヴォイスでは、
「カラ」が受動文の動作主を示す形式として、広く用いられていることを述べた。モダリ ティは、対事的モダリティと対人的モダリティに分類し、それに属する形式を細かくみて いった。対人的モダリティは特に終助詞を扱い、共通語にはみられない「ネヨ」という承 接について考察を行った。そして、当該方言で命令によく用いられている「ネ」による命 令を、「ヨ」がやわらげているという考察を行った。
「6. 複文」では、小西(2016)に示された分類を参考に、従属節を記述していった。実際 の用例に基づきながら、その使用の頻度も考慮に入れて記述を行った。
第2部で、平方言の文法現象について、考察を行った。共通語にはみられない文法現象 を扱い、方言の文法体系を明らかにした。
「7. 宇久町平方言の「ゴト(如)」の用法」では、平方言で連体形に接続する「様態」
と仮想形に接続する「希望」とで、形態と意味の対応があることを示した。鹿児島県方言 では、「様態」にも仮想形が用いられており、文脈による判断がされている。平方言の「希 望」の「ゴト」は明確な「希望」であって、曖昧に言うことのできない事態にも用いられ る。福岡市方言でも「希望」の「ゴト」はみられるが、そのような事態には用いられない。
九州方言のなかでの「ゴト」の様相について考察を行った。
「8. 宇久町平方言の可能形式」では、「ヤユル」が動作主体内部条件に属する形式であ り、「ラルル」が動作主体外部条件に属する形式であることを考察した。話者が事態をど のように捉えているかによって、同じ文であっても「能力可能」と「状況可能」のどちら の解釈もできてしまう。そのため、話者の行動決定権や落ち度などから、どちらかの形式 しか使われないものを考察した。また、「キル」についても、「能力可能」の形式である ことを述べた。
以上のことを、この論文では述べた。以下に、今後の課題を述べる。まず、他の五島列 島方言も包括的記述を行っていくことが必要である。同じ五島列島方言であっても、文法 体系が異なっていることがある。同じ宇久町であっても、野方方言を記述した中村(2019) との差異もみられる。このような方言間のちがいを明らかにしていくことで、包括的記述 の網目を細かく、密にしていくことができると考える。
また、本論文では歴史的な考察までいたることができていない。包括的記述を積み重ね ていくことで、日本語を通方言的な視野でみることが可能となる。その通方言的な視野を もって、重層的な日本語史を描くことがこれからの課題となる。
【付録】小値賀町藪路木島方言の/(-a)-Ns-/を用いた行為指示 1. はじめに